55 / 62
5 黒川さんの里帰り
5 - 7
しおりを挟む
それから、雪子は黒川に案内されるまま、屋敷を出て、近くにあるという清めの泉というところに向かった。そこで厄除けをするということだった。泉までは夜の森を歩いて進むことになったが、黒川がまた周りに青白い光を出してくれたので、特に不自由はなかった。
道中、雪子はふと黒川に尋ねた。
「そういえば、ここって山の奥なのに、なんでテレビでアニメ見れるんですか?」
そう、普通に考えれば電波が入らないところのはずだ。
「ああ、実は父の屋敷だけは、特別に東京と同じ電波が入るようにしてあるんですよ」
「? そういう工事をしてあるってことですか?」
「ええ。現代の情報インフラに精通した神気妖怪による、特別な、ね。おかげで、あそこはネットもスマホも使い放題です。ワイファイも飛んでますよ」
「す、すごい……」
こんな山奥なのにあそこだけ東京と同じ通信環境とか。さすが妖怪、便利すぎる。スマホのギガがやばいときに頼りたい。
やがて、二人は清めの泉に着いた。そこは岩に囲まれた場所で、周りにはいくつか灯篭があり、泉の水面はその青白い光と月光を反射させきらめいていた。名前の通り、とても綺麗な水がたまっているところのようだ。
「それで、ここで何をするんですか、黒川さん?」
「はい。赤城さんにはこのまま中に入ってもらいます」
「え、中に? 水の中に?」
「もちろん」
にっこり笑いながらまたとんでもないことを言う男である。
「い、いや! 今、十月ですよ! こんな時期に、山奥のこんな泉に入ったら絶対冷たい――」
「大丈夫ですよ。この泉は、人が凍えるようなものじゃないですから」
黒川はふとしゃがみ、泉に手を浸した。
もしかして、温水でも入っているのだろうか? 雪子もその真似をして、泉に手を浸してみた。水は温水ではなさそうだった。ただ、不思議と冷たいという感覚もなかった。あたたかくもつめたくもなく、まるで自分の体の一部に触れてるような奇妙な感覚だった。
「服は着ててもいいですが、濡れるのが嫌なら脱いだほうがいいですね」
「え、脱ぐんですか、ここで?」
「はは、大丈夫ですよ。僕はあっちで背を向けてますから」
黒川はそう言うと、近くの茂みの中に入っていった。
「こっそりのぞいたりしませんから、安心して脱いでください」
「は、はあ……」
雪子はとりあえず、茂みの中からの声を信用することにした。服が濡れるのはいやだったし。すぐに着ているものを全て脱ぎ、泉に入った。泉の水はやはり冷たくはなく、不思議な感じだった。
「入りましたよ、黒川さん」
肩までとっぷり浸かったところで、雪子は茂みのほうに声を張った。すると、そっちから「では、しばらくそうしていてください」と答えが返ってきた。
しばらくってどれくらいだろう? よくわからないが、言われたとおりそこでじっとしていることにした。これもきっと厄除けに必要なことなのだろう。
十月の夜の外気はやはり冷え冷えとしていたが、泉に肩まで浸かっている雪子は寒さはまるで感じなかった。むしろじんわり体の心からあたたまっていくような気配すらあった。
これが清めの泉とやらの神秘の力なのだろうか? なんだかだんだん、温泉にでも入っているような心地よい気持ちになってきた。
そして、そんななか、彼女の頭に思い浮かぶのは近くにいるであろう男のことだった。のぞかないとは言われたものの、それって自分の裸にはまったく興味ないってことなのかな、と、ちょっと残念なような胸中になっていたのである。
でも、かわいいとは言われたし……。
と、そこで、あの晩の黒川のことを思い出すと、とたんに顔が熱くなり、胸がドキドキした。
なんであんな男にときめいているんだろう。そりゃあ、顔はいいけど、あの人、いくらなんでも社会人としてダメっ子すぎるでしょ。そうよ、あんなのダメっ子モンスターよ。なんだかよくわからない罵倒で、必死に胸にわいた感情を打ち消す雪子であった。
ただ、本当に社会人としてダメなのか考えると、ちょっとよくわからない気もするのだ。
というのも、彼は一応はプロの漫画家として、十年もの長きに渡り活動していた実績があるからである。それも大手出版社。そこは評価してもいいのではないか。
そりゃあ、仕事量は異常に少なく、収入も雀の涙だが、そんな状態で目の前に転がり込んできたおいしい仕事、クリパンのコミカライズを彼は蹴ったのだ。彼なりに漫画家として譲れない矜持があるのだ。そこは、一人の漫画家として大いに尊敬するべきところではないだろうか? 死ぬほど売れてないにしても……。
「いや、でも、それで描いてるのがアレって……」
ないない。あの漫画家を尊敬するとか、絶対ない。雪子はまたしても自分の中にわいた考えを否定した。そう、黒川を漫画家として尊敬するには、あまりにも彼の漫画は彼女にとってつまらなすぎた。恵まれた画力から、残念すぎる内容としか思えない漫画なのだ。
せめて、私が読んでも面白い漫画を描いてくれたらな……。そう、もしそうなら彼への評価もだいぶ変わる気がする。別に売れてなくてもいいから。というか、今さら売れっ子になれるとは思えないし……。泉に浸りながら、いつのまにか、黒川のことで頭がいっぱいになっている雪子であった。
と、そのとき、近くでぱちゃりと水の音がした。見ると、一匹の白い蛇が泉の中に入ってきたところようだった。
道中、雪子はふと黒川に尋ねた。
「そういえば、ここって山の奥なのに、なんでテレビでアニメ見れるんですか?」
そう、普通に考えれば電波が入らないところのはずだ。
「ああ、実は父の屋敷だけは、特別に東京と同じ電波が入るようにしてあるんですよ」
「? そういう工事をしてあるってことですか?」
「ええ。現代の情報インフラに精通した神気妖怪による、特別な、ね。おかげで、あそこはネットもスマホも使い放題です。ワイファイも飛んでますよ」
「す、すごい……」
こんな山奥なのにあそこだけ東京と同じ通信環境とか。さすが妖怪、便利すぎる。スマホのギガがやばいときに頼りたい。
やがて、二人は清めの泉に着いた。そこは岩に囲まれた場所で、周りにはいくつか灯篭があり、泉の水面はその青白い光と月光を反射させきらめいていた。名前の通り、とても綺麗な水がたまっているところのようだ。
「それで、ここで何をするんですか、黒川さん?」
「はい。赤城さんにはこのまま中に入ってもらいます」
「え、中に? 水の中に?」
「もちろん」
にっこり笑いながらまたとんでもないことを言う男である。
「い、いや! 今、十月ですよ! こんな時期に、山奥のこんな泉に入ったら絶対冷たい――」
「大丈夫ですよ。この泉は、人が凍えるようなものじゃないですから」
黒川はふとしゃがみ、泉に手を浸した。
もしかして、温水でも入っているのだろうか? 雪子もその真似をして、泉に手を浸してみた。水は温水ではなさそうだった。ただ、不思議と冷たいという感覚もなかった。あたたかくもつめたくもなく、まるで自分の体の一部に触れてるような奇妙な感覚だった。
「服は着ててもいいですが、濡れるのが嫌なら脱いだほうがいいですね」
「え、脱ぐんですか、ここで?」
「はは、大丈夫ですよ。僕はあっちで背を向けてますから」
黒川はそう言うと、近くの茂みの中に入っていった。
「こっそりのぞいたりしませんから、安心して脱いでください」
「は、はあ……」
雪子はとりあえず、茂みの中からの声を信用することにした。服が濡れるのはいやだったし。すぐに着ているものを全て脱ぎ、泉に入った。泉の水はやはり冷たくはなく、不思議な感じだった。
「入りましたよ、黒川さん」
肩までとっぷり浸かったところで、雪子は茂みのほうに声を張った。すると、そっちから「では、しばらくそうしていてください」と答えが返ってきた。
しばらくってどれくらいだろう? よくわからないが、言われたとおりそこでじっとしていることにした。これもきっと厄除けに必要なことなのだろう。
十月の夜の外気はやはり冷え冷えとしていたが、泉に肩まで浸かっている雪子は寒さはまるで感じなかった。むしろじんわり体の心からあたたまっていくような気配すらあった。
これが清めの泉とやらの神秘の力なのだろうか? なんだかだんだん、温泉にでも入っているような心地よい気持ちになってきた。
そして、そんななか、彼女の頭に思い浮かぶのは近くにいるであろう男のことだった。のぞかないとは言われたものの、それって自分の裸にはまったく興味ないってことなのかな、と、ちょっと残念なような胸中になっていたのである。
でも、かわいいとは言われたし……。
と、そこで、あの晩の黒川のことを思い出すと、とたんに顔が熱くなり、胸がドキドキした。
なんであんな男にときめいているんだろう。そりゃあ、顔はいいけど、あの人、いくらなんでも社会人としてダメっ子すぎるでしょ。そうよ、あんなのダメっ子モンスターよ。なんだかよくわからない罵倒で、必死に胸にわいた感情を打ち消す雪子であった。
ただ、本当に社会人としてダメなのか考えると、ちょっとよくわからない気もするのだ。
というのも、彼は一応はプロの漫画家として、十年もの長きに渡り活動していた実績があるからである。それも大手出版社。そこは評価してもいいのではないか。
そりゃあ、仕事量は異常に少なく、収入も雀の涙だが、そんな状態で目の前に転がり込んできたおいしい仕事、クリパンのコミカライズを彼は蹴ったのだ。彼なりに漫画家として譲れない矜持があるのだ。そこは、一人の漫画家として大いに尊敬するべきところではないだろうか? 死ぬほど売れてないにしても……。
「いや、でも、それで描いてるのがアレって……」
ないない。あの漫画家を尊敬するとか、絶対ない。雪子はまたしても自分の中にわいた考えを否定した。そう、黒川を漫画家として尊敬するには、あまりにも彼の漫画は彼女にとってつまらなすぎた。恵まれた画力から、残念すぎる内容としか思えない漫画なのだ。
せめて、私が読んでも面白い漫画を描いてくれたらな……。そう、もしそうなら彼への評価もだいぶ変わる気がする。別に売れてなくてもいいから。というか、今さら売れっ子になれるとは思えないし……。泉に浸りながら、いつのまにか、黒川のことで頭がいっぱいになっている雪子であった。
と、そのとき、近くでぱちゃりと水の音がした。見ると、一匹の白い蛇が泉の中に入ってきたところようだった。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
宝石ランチを召し上がれ~子犬のマスターは、今日も素敵な時間を振る舞う~
櫛田こころ
キャラ文芸
久乃木柘榴(くのぎ ざくろ)の手元には、少し変わった形見がある。
小学六年のときに、病死した母の実家に伝わるおとぎ話。しゃべる犬と変わった人形が『宝石のご飯』を作って、お客さんのお悩みを解決していく喫茶店のお話。代々伝わるという、そのおとぎ話をもとに。柘榴は母と最後の自由研究で『絵本』を作成した。それが、少し変わった母の形見だ。
それを大切にしながら過ごし、高校生まで進級はしたが。母の喪失感をずっと抱えながら生きていくのがどこか辛かった。
父との関係も、交友も希薄になりがち。改善しようと思うと、母との思い出をきっかけに『終わる関係』へと行き着いてしまう。
それでも前を向こうと思ったのか、育った地元に赴き、母と過ごした病院に向かってみたのだが。
建物は病院どころかこじんまりとした喫茶店。中に居たのは、中年男性の声で話すトイプードルが柘榴を優しく出迎えてくれた。
さらに、柘榴がいつのまにか持っていた変わった形の石の正体のせいで。柘榴自身が『死人』であることが判明。
本の中の世界ではなく、現在とずれた空間にあるお悩み相談も兼ねた喫茶店の存在。
死人から生き返れるかを依頼した主人公・柘榴が人外と人間との絆を紡いでいくほっこりストーリー。
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。

夢の中でもう一人のオレに丸投げされたがそこは宇宙生物の撃退に刀が重宝されている平行世界だった
竹井ゴールド
キャラ文芸
オレこと柊(ひいらぎ)誠(まこと)は夢の中でもう一人のオレに泣き付かれて、余りの泣き言にうんざりして同意するとーー
平行世界のオレと入れ替わってしまった。
平行世界は宇宙より外敵宇宙生物、通称、コスモアネモニー(宇宙イソギンチャク)が跋扈する世界で、その対策として日本刀が重宝されており、剣道の実力、今(いま)総司のオレにとってはかなり楽しい世界だった。

後宮の才筆女官
たちばな立花
キャラ文芸
後宮の女官である紅花(フォンファ)は、仕事の傍ら小説を書いている。
最近世間を賑わせている『帝子雲嵐伝』の作者だ。
それが皇帝と第六皇子雲嵐(うんらん)にバレてしまう。
執筆活動を許す代わりに命ぜられたのは、後宮妃に扮し第六皇子の手伝いをすることだった!!
第六皇子は後宮内の事件を調査しているところで――!?
白鬼
藤田 秋
キャラ文芸
ホームレスになった少女、千真(ちさな)が野宿場所に選んだのは、とある寂れた神社。しかし、夜の神社には既に危険な先客が居座っていた。化け物に襲われた千真の前に現れたのは、神職の衣装を身に纏った白き鬼だった――。
普通の人間、普通じゃない人間、半分妖怪、生粋の妖怪、神様はみんなお友達?
田舎町の端っこで繰り広げられる、巫女さんと神主さんの(頭の)ユルいグダグダな魑魅魍魎ライフ、開幕!
草食系どころか最早キャベツ野郎×鈍感なアホの子。
少年は正体を隠し、少女を守る。そして、少女は当然のように正体に気付かない。
二人の主人公が織り成す、王道を走りたかったけど横道に逸れるなんちゃってあやかし奇譚。
コメディとシリアスの温度差にご注意を。
他サイト様でも掲載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる