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5 黒川さんの里帰り
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「……実は、僕が漫画家を目指すようになったのは父の影響なんですよ」
長野まで高速で移動中、ふと黒川は雪子に言った。
「へえ。黒川さんのお父さんって、画家とか漫画家とかなんですか?」
「はは、そんなたいしたものじゃないです」
「じゃあ、いったいどんな?」
「……ま、会えばわかりますよ」
黒川はなぜか苦笑いしてそう言うだけだった。
やがて東京のアパートを出て三十分ちょっとで、目的地の長野県のとある山のふもとに着いたようだった。ちゃんと連れ出される前にポケットに忍ばせておいたスマホで時間を確かめたから間違いない。位置情報もちゃんと確かめたから間違いない。やはりこの男、新幹線より速い?
しかし、そこは一見、ただ木々が生い茂っているだけの場所のように見えた。人気はまるでなく、舗装された道や街灯もなく、半月の弱弱しい光だけがあたりを照らしている。
「本当に、ここであってるんですか、黒川さん?」
「ええ。間違いありませんよ。僕の実家は、もうすぐそこです」
黒川は雪子を懐から降ろし、手を取って、そのまま森の中に入った。当然、そこは真っ暗である。雪子はあわててスマホの光で足元を照らした。黒川は夜目が利くのか、確かな足取りですたすたと歩いていく。
十月の夜の森の空気はひんやりとしていて、風が木々の葉をこする音が聞こえるほかは、静寂そのものだ。雪子は黒川からはぐれたら危ないと思い、その手を強く握った。暗闇の中、その手のあたたかさだけが頼りだった。
ただ、歩いているうちに、彼女は次第に恐怖を感じなくなっていった。夜の闇に目が慣れていったのもあるが、先に進むにつれ、森の空気が変わっていくように感じたのだ。
そう、どこか、きよらかでやさしい空気に……。
「そ、そろそろつらくなってきましたね……」
ふと、黒川が足を止めた。スマホの光で照らして見ると、なんだかとても苦しそうな顔をしている。
「やっぱり東京から長野県まで三十分は飛ばしすぎですよ、黒川さん」
「いや、別に疲れてばてているわけではなくてですね……」
そう言いながら、ふらつき、近くの木に手をついてもたれかかる黒川だった。疲れてないなら、いったいなんだというのか。
「まあ、さすがにそろそろこの体も限界ってことでしょうか」
「限界?」
「赤城さん、僕、今から着替えるんで、あっち向いててくれますか」
黒川はずっと携えてた風呂敷包みを掲げた。
「はあ、いいですけど」
なぜこのタイミングで着替えるのかよくわからないが、雪子は言われたとおり、黒川から目をそらした。そもそも暗くてよく見えないのだが。
やがて、着替え終わったのだろう、「いいですよ、こっち向いても」と、声がした。雪子はすぐに黒川のほうに振り返った。
初めは、やはり暗くて、黒川の姿はよく見えなかった。ただ、闇の中、妙にそのシルエットが白く浮かび上がっているように見えた。その着ているものは、やはりさっきまでの着流しに羽織の鬼装束ではなさそうだった。もっと何か、ゆったりしたもののようだった。
と、そこで風が強く吹き、ちょうど黒川の頭上の木の枝の隙間から、月の光が差し込んだ。一瞬だが、彼の姿が雪子の目にはっきりと明らかになった。
「え――」
彼女は驚きで大きく目を見張った。すでにそこには鬼の男はいなかった。平安貴族のようなゆったりとした着物をまとい、銀色の長い髪を微風に遊ばせている美しい青年が立っていた。長身細身で、肌はとても白く、瞳はほんのり赤い。
「うーん、やっぱりここではこっちのほうが楽ですね」
銀髪の青年は、その場で大きく伸びをし、深呼吸した。この声は……。雪子はようやく、それが誰なのか気づいた。
「く、黒川さん、なんで急に白くなってるんですか!」
気づいたと同時に、当然、尋ねずにはいられない。
「そりゃあ、こんな神気の満ちたところで邪気妖怪なんてやってられませんからね。モードチェンジしたわけなんですよ」
「神気?」
「邪気とは反対の力です。清らかで神々しい力です。ここは神域《しんいき》と言って、神気が特に満ちている領域なんですよ」
「そ、そうなんですか……」
うっすらと感じていた清浄な空気は、それだったのか。
「でも、邪気妖怪の羅刹からモードチェンジっていったい何なんですか? 妖怪だからって自由すぎやしないですか?」
「いや、普通の妖怪にはこんなヘンテコなことはできませんよ? 邪気妖怪と神気妖怪のハーフの僕だから可能なことなのです」
「神気妖怪? それって神様ってことですか?」
「まあ、父はたまにそう呼ばれることもあるみたいですね」
銀髪の美貌の青年、黒川はくすりと笑った。
まさか、父親が神クラスの妖怪だったとは……。雪子は愕然とする思いだった。なんでこの人、人間社会で売れない漫画家やってるんだろう?
「じゃあ、今のこの姿が、黒川さんのもう一つの妖怪としての姿なんですか?」
「いえ、違いますね。これは神気モードにチェンジした上で、人間に化けている仮の姿です。普段の髪の短い僕と同じようなものですよ」
「同じって……」
雪子は笑った。あの冴えない貧乏くさい青年と、このまばゆい美男と、どこが同じというのだろう。全然違うではないか。
長野まで高速で移動中、ふと黒川は雪子に言った。
「へえ。黒川さんのお父さんって、画家とか漫画家とかなんですか?」
「はは、そんなたいしたものじゃないです」
「じゃあ、いったいどんな?」
「……ま、会えばわかりますよ」
黒川はなぜか苦笑いしてそう言うだけだった。
やがて東京のアパートを出て三十分ちょっとで、目的地の長野県のとある山のふもとに着いたようだった。ちゃんと連れ出される前にポケットに忍ばせておいたスマホで時間を確かめたから間違いない。位置情報もちゃんと確かめたから間違いない。やはりこの男、新幹線より速い?
しかし、そこは一見、ただ木々が生い茂っているだけの場所のように見えた。人気はまるでなく、舗装された道や街灯もなく、半月の弱弱しい光だけがあたりを照らしている。
「本当に、ここであってるんですか、黒川さん?」
「ええ。間違いありませんよ。僕の実家は、もうすぐそこです」
黒川は雪子を懐から降ろし、手を取って、そのまま森の中に入った。当然、そこは真っ暗である。雪子はあわててスマホの光で足元を照らした。黒川は夜目が利くのか、確かな足取りですたすたと歩いていく。
十月の夜の森の空気はひんやりとしていて、風が木々の葉をこする音が聞こえるほかは、静寂そのものだ。雪子は黒川からはぐれたら危ないと思い、その手を強く握った。暗闇の中、その手のあたたかさだけが頼りだった。
ただ、歩いているうちに、彼女は次第に恐怖を感じなくなっていった。夜の闇に目が慣れていったのもあるが、先に進むにつれ、森の空気が変わっていくように感じたのだ。
そう、どこか、きよらかでやさしい空気に……。
「そ、そろそろつらくなってきましたね……」
ふと、黒川が足を止めた。スマホの光で照らして見ると、なんだかとても苦しそうな顔をしている。
「やっぱり東京から長野県まで三十分は飛ばしすぎですよ、黒川さん」
「いや、別に疲れてばてているわけではなくてですね……」
そう言いながら、ふらつき、近くの木に手をついてもたれかかる黒川だった。疲れてないなら、いったいなんだというのか。
「まあ、さすがにそろそろこの体も限界ってことでしょうか」
「限界?」
「赤城さん、僕、今から着替えるんで、あっち向いててくれますか」
黒川はずっと携えてた風呂敷包みを掲げた。
「はあ、いいですけど」
なぜこのタイミングで着替えるのかよくわからないが、雪子は言われたとおり、黒川から目をそらした。そもそも暗くてよく見えないのだが。
やがて、着替え終わったのだろう、「いいですよ、こっち向いても」と、声がした。雪子はすぐに黒川のほうに振り返った。
初めは、やはり暗くて、黒川の姿はよく見えなかった。ただ、闇の中、妙にそのシルエットが白く浮かび上がっているように見えた。その着ているものは、やはりさっきまでの着流しに羽織の鬼装束ではなさそうだった。もっと何か、ゆったりしたもののようだった。
と、そこで風が強く吹き、ちょうど黒川の頭上の木の枝の隙間から、月の光が差し込んだ。一瞬だが、彼の姿が雪子の目にはっきりと明らかになった。
「え――」
彼女は驚きで大きく目を見張った。すでにそこには鬼の男はいなかった。平安貴族のようなゆったりとした着物をまとい、銀色の長い髪を微風に遊ばせている美しい青年が立っていた。長身細身で、肌はとても白く、瞳はほんのり赤い。
「うーん、やっぱりここではこっちのほうが楽ですね」
銀髪の青年は、その場で大きく伸びをし、深呼吸した。この声は……。雪子はようやく、それが誰なのか気づいた。
「く、黒川さん、なんで急に白くなってるんですか!」
気づいたと同時に、当然、尋ねずにはいられない。
「そりゃあ、こんな神気の満ちたところで邪気妖怪なんてやってられませんからね。モードチェンジしたわけなんですよ」
「神気?」
「邪気とは反対の力です。清らかで神々しい力です。ここは神域《しんいき》と言って、神気が特に満ちている領域なんですよ」
「そ、そうなんですか……」
うっすらと感じていた清浄な空気は、それだったのか。
「でも、邪気妖怪の羅刹からモードチェンジっていったい何なんですか? 妖怪だからって自由すぎやしないですか?」
「いや、普通の妖怪にはこんなヘンテコなことはできませんよ? 邪気妖怪と神気妖怪のハーフの僕だから可能なことなのです」
「神気妖怪? それって神様ってことですか?」
「まあ、父はたまにそう呼ばれることもあるみたいですね」
銀髪の美貌の青年、黒川はくすりと笑った。
まさか、父親が神クラスの妖怪だったとは……。雪子は愕然とする思いだった。なんでこの人、人間社会で売れない漫画家やってるんだろう?
「じゃあ、今のこの姿が、黒川さんのもう一つの妖怪としての姿なんですか?」
「いえ、違いますね。これは神気モードにチェンジした上で、人間に化けている仮の姿です。普段の髪の短い僕と同じようなものですよ」
「同じって……」
雪子は笑った。あの冴えない貧乏くさい青年と、このまばゆい美男と、どこが同じというのだろう。全然違うではないか。
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