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4 黒川さんと星月夜
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さて、そんなこんなで日々は過ぎ、九月に突入した。暑さもだいぶやわらぎ、過ごしやすくなってきた。
黒川の帰宅により自宅の浮遊霊は復活したものの、職場とアパートを往復するだけの雪子の生活も、平穏そのものであった。
ただ、そんな日々の中でも、ちょっとしたことで思い悩むこともあった。勤務先のレストランでホール係として働いていたときに、ふいに男性客の一人にこう声をかけられたのである。
「……あの、今日何時にここの仕事終わるんですか?」
見ると、若い男で、何やらもじもじしており、雪子と目が合うとちょっと顔を赤らめ、視線をそらしてしまった。
このパターンは……雪子は瞬間、強い寒気を感じた。
「す、すみません! 今日は私、仕事が終わった後、デートの約束があるので!」
早口で男にそう答えると、すぐに彼の席から離れ、厨房に引っ込んでしまった。
「ちょっとどうしたの? 顔が真っ青よ?」
同じ店で働く雪子の友人、綾香が異変を察して近づいてきた。雪子とは同年齢の二十五歳で、中学生時代からの古い付き合いだ。雪子よりはいくらか背が高く、さらにいくらか華奢で、モデルのようにすらっとした体型をしている。さらに、顔立ちもクール系。髪も綺麗な黒髪ロングをポニーテールにしてまとめている。ちょっとイケメンな感じの美女である。
「まさか、また誰かにつきまとわれているの?」
「ううん、違うの。ちょっと男のお客さんに声をかけられただけ」
「声をかけられた? ナンパされたってこと?」
「まあ、そんな感じだったかな……」
「ああ、そういえば、今日来てる人、最近よくあんたこと見てたもんねえ」
綾香はやれやれという感じでため息をつき、雪子の肩を軽く叩いて「気にしない、気にしない」と、なぐさめた。
「あの男のことがあったから、過敏になってるのもわかるけど、そんなの、こういう仕事やってればよくあることよ。あんなストーカーなんてそうそういるわけないし、軽くスルーして忘れなさい」
「そうね……」
綾香の言うことはもっともだった。ただ、やはりこういう感情は理屈でどうこうできるものではなかった。怖いものは怖い。
「逆にもっと前向きに考えてみなさいよ。男の客に声をかけられるのは、あんたがかわいいからでしょ?」
「え、そんな……私なんか全然だよ」
モデルのような美人の綾香に比べて、自分は平凡そのものの容姿なのに……。
そんなことを言われても、雪子の暗い気持ちは晴れることはなかった。雪子は知らなかった。自分の容姿が他人の目から見ると、「かわいい」と普通に呼べるものだということを。
そう、ずっとモデルのような美人の綾香と一緒に過ごしてきたので、彼女は自分の容姿を「人並み程度」と、ずっと過小評価して生きてきたのだった。
結局、その日は仕事中はずっともやもやした気持ちのままだった。
やがて夕方になり、仕事を終えて家路に着いたところで、雪子はさすがにこんな自分はまずいのではと考えた。ちょっと男にナンパされただけで、ビクビクしてしまう。これではまるで男性恐怖症ではないか……。
そもそも、雪子はもう二十五歳にもなるというのに、男と付き合った経験はゼロだった。中学のときから美人の綾香と一緒にいることが多かったので、何か引け目を感じ、いつのまにか異性には消極的になってしまっていたのだ。
また、短大までは女子校だったので、男との出会い自体、とぼしかった。男と付き合った経験どころか、男にまともに惚れた経験すらなかった。
もしかして、自分はこのまままともな恋愛も出来ずに、一生を終えてしまうのではないだろうか?
それはさすがに……。やはりこの現状はまずい、なんとかしなくてはと強く思った。そう、一刻も早く、恋愛相手を見つけなくては!
と、そんな決意を胸に秘めながらアパートに戻ったところで、彼女はまた例の男とばったり出くわした。
「おお、赤城さん。今日はまた、よいタイミングで帰ってきましたね。おかえりなさいませ」
その男、黒川の今日のエンカウントポイントは、アパートのすぐ前のところで、どうやらこれからどこかに出かけるところのようだった。時刻は夕方六時少し前。まだあたりは少し明るく、黒川はいつものジャージ姿だったが、手には日傘を持っていた。
「実は僕、これから近くのスーパーのタイムセールに突撃しに行くんですよ」
「タイムセール?」
「はい。夕方六時からやってるんです。なんと、卵一パックが六十八円という、激安セールですよ!」
「や、安い!」
雪子はとたんに黒川の情報に食いついた。
「それ、どこのお店でやってるんですか?」
「このすぐ近くのお店ですよ」
「他に何か安いのあるんですか?」
「もやしが一袋十円で、若鶏むね肉が百グラム二十九円です」
「安い! 私も一緒に行っていいですか!」
「ええ、案内しますよ」
人生について悩んでいる場合ではなくなった。なにせ、卵モヤシ鶏肉が激安なのだ! 雪子はあわてて黒川と一緒にそのスーパーに向かった。
黒川の帰宅により自宅の浮遊霊は復活したものの、職場とアパートを往復するだけの雪子の生活も、平穏そのものであった。
ただ、そんな日々の中でも、ちょっとしたことで思い悩むこともあった。勤務先のレストランでホール係として働いていたときに、ふいに男性客の一人にこう声をかけられたのである。
「……あの、今日何時にここの仕事終わるんですか?」
見ると、若い男で、何やらもじもじしており、雪子と目が合うとちょっと顔を赤らめ、視線をそらしてしまった。
このパターンは……雪子は瞬間、強い寒気を感じた。
「す、すみません! 今日は私、仕事が終わった後、デートの約束があるので!」
早口で男にそう答えると、すぐに彼の席から離れ、厨房に引っ込んでしまった。
「ちょっとどうしたの? 顔が真っ青よ?」
同じ店で働く雪子の友人、綾香が異変を察して近づいてきた。雪子とは同年齢の二十五歳で、中学生時代からの古い付き合いだ。雪子よりはいくらか背が高く、さらにいくらか華奢で、モデルのようにすらっとした体型をしている。さらに、顔立ちもクール系。髪も綺麗な黒髪ロングをポニーテールにしてまとめている。ちょっとイケメンな感じの美女である。
「まさか、また誰かにつきまとわれているの?」
「ううん、違うの。ちょっと男のお客さんに声をかけられただけ」
「声をかけられた? ナンパされたってこと?」
「まあ、そんな感じだったかな……」
「ああ、そういえば、今日来てる人、最近よくあんたこと見てたもんねえ」
綾香はやれやれという感じでため息をつき、雪子の肩を軽く叩いて「気にしない、気にしない」と、なぐさめた。
「あの男のことがあったから、過敏になってるのもわかるけど、そんなの、こういう仕事やってればよくあることよ。あんなストーカーなんてそうそういるわけないし、軽くスルーして忘れなさい」
「そうね……」
綾香の言うことはもっともだった。ただ、やはりこういう感情は理屈でどうこうできるものではなかった。怖いものは怖い。
「逆にもっと前向きに考えてみなさいよ。男の客に声をかけられるのは、あんたがかわいいからでしょ?」
「え、そんな……私なんか全然だよ」
モデルのような美人の綾香に比べて、自分は平凡そのものの容姿なのに……。
そんなことを言われても、雪子の暗い気持ちは晴れることはなかった。雪子は知らなかった。自分の容姿が他人の目から見ると、「かわいい」と普通に呼べるものだということを。
そう、ずっとモデルのような美人の綾香と一緒に過ごしてきたので、彼女は自分の容姿を「人並み程度」と、ずっと過小評価して生きてきたのだった。
結局、その日は仕事中はずっともやもやした気持ちのままだった。
やがて夕方になり、仕事を終えて家路に着いたところで、雪子はさすがにこんな自分はまずいのではと考えた。ちょっと男にナンパされただけで、ビクビクしてしまう。これではまるで男性恐怖症ではないか……。
そもそも、雪子はもう二十五歳にもなるというのに、男と付き合った経験はゼロだった。中学のときから美人の綾香と一緒にいることが多かったので、何か引け目を感じ、いつのまにか異性には消極的になってしまっていたのだ。
また、短大までは女子校だったので、男との出会い自体、とぼしかった。男と付き合った経験どころか、男にまともに惚れた経験すらなかった。
もしかして、自分はこのまままともな恋愛も出来ずに、一生を終えてしまうのではないだろうか?
それはさすがに……。やはりこの現状はまずい、なんとかしなくてはと強く思った。そう、一刻も早く、恋愛相手を見つけなくては!
と、そんな決意を胸に秘めながらアパートに戻ったところで、彼女はまた例の男とばったり出くわした。
「おお、赤城さん。今日はまた、よいタイミングで帰ってきましたね。おかえりなさいませ」
その男、黒川の今日のエンカウントポイントは、アパートのすぐ前のところで、どうやらこれからどこかに出かけるところのようだった。時刻は夕方六時少し前。まだあたりは少し明るく、黒川はいつものジャージ姿だったが、手には日傘を持っていた。
「実は僕、これから近くのスーパーのタイムセールに突撃しに行くんですよ」
「タイムセール?」
「はい。夕方六時からやってるんです。なんと、卵一パックが六十八円という、激安セールですよ!」
「や、安い!」
雪子はとたんに黒川の情報に食いついた。
「それ、どこのお店でやってるんですか?」
「このすぐ近くのお店ですよ」
「他に何か安いのあるんですか?」
「もやしが一袋十円で、若鶏むね肉が百グラム二十九円です」
「安い! 私も一緒に行っていいですか!」
「ええ、案内しますよ」
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