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3 黒川さんたちはお金がない
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その日、雪子は一人でアパートに戻ったが、朝になっても黒川が家に帰ってきた気配はなかった。
その後、出勤し、夕方になって帰宅しても、やはり彼の部屋には誰もいないようだった。こっそりベランダから黒川の部屋の中の様子をうかがってみたので間違いない。おそらくゆうべ、出版社に出向いてからずっと帰宅していないようだ。
「何か、あったのかしら?」
少し気になったが、普通の人間よりはだいぶ頑丈そうだし、何があっても死にはしないだろうと考え、忘れることにした。
また、隣に住む彼の気配が消えた影響か、雪子の部屋によく現れていた浮遊霊の姿も消えた。
もしかして、あの妖怪変化のせいで、この部屋にそこいらの幽霊をおびきよせていたのではないだろうか? だとしたら、ずっとこのまま彼が帰ってこないほうがいいのでは? ますます黒川のことがどうでもよくなる雪子であった。
しかし、そんな平穏の日々はわずか三日で終わった。
そう、黒川が菱田出版に旅立ってからちょうどまる三日経ったころの夕方、いつものように仕事先からアパートに帰宅したところで、雪子は彼の姿を発見してしまったのである。アパートの階段の途中で倒れているところを。
「く、黒川さん?」
思わず駆け寄り、その体を揺さぶってみたが、反応がなかった。まさか、死んでる? おそるおそるその体を仰向けにして胸板に手を当ててみたが、一応、心臓は動いているようだった。
どうやら単に眠っているだけのようだ……というか、何かうなされている? よくその顔を見ると、苦痛にゆがんでいて、口からは「ぼたん……うめ……つばき……さくら……」などと、謎の寝言がもれている。
「黒川さん、こんなところで寝ていると他の人の邪魔ですよ」
よくわからないが、さらにその体を揺さぶって声をかけてみた。すると、ややあって、
「はっ! ここは!」
と叫んで、垂直に上体を起こして覚醒する黒川であった。
「なんでこんなところで寝てるんですか。というか、この三日間、どこ行ってたんですか?」
「み、三日間? そうか、あれからそんなに経って……ううっ!」
と、なんか苦しそうに頭を抱えだしはじめる。
「つ、辛かった……。この三日の間、何度逃げ出そうと考えたか……」
「いや、だから、何があったんですか?」
「……花を描いていました」
「え?」
「着物の柄の花を、三日の間、ずっと。ひたむきに。もくもくと……」
と、急に涙目になりながら、黒川は雪子にこの三日間のことを話し始めた。
なんでも、あの日、菱田出版の月刊サバト編集部に赴いて諏訪に会った後、黒川は諏訪に何の説明もされずに月刊ムーランの編集部に連れて行かれたそうだ。
そして、そこで佐野というハゲアタマのおっさん編集に身柄を引き渡された後、諏訪は去り、佐野は黒川を伴って、菱田出版を出てタクシーでどこかへ向かい始めたそうだ。
「そのときはまだ、その佐野さんという人が、諏訪さんの代わりにお金を貸してくれるものだと僕は信じていたんです……うう」
涙ながらに黒川はさらに話を続けた。そう、当然二人がタクシーで向かった先はATMのあるコンビニとかではなかった。そこはただのマンションだった。黒川は佐野に、その五階にある部屋に連行され、置き去りにされたのだった。
そして、そこに待ち受けていたのは小太りのおばさんと、若い男女数名であった。おばさんは自らを「館守《やかたもり》ぎん」と名乗った。
「え、館守ぎんって、あの!」
雪子は意外な人物の登場にびっくりした。そう、館守ぎんというのは、月刊ムーランに「大奥おんな狂い咲き」という時代劇の連載を持つ漫画家であり、何度も作品が実写ドラマ化や映画化されている売れっ子であった。
「そんな売れっ子漫画家が、なんで黒川さんなんかを家に呼び寄せたんですか? 意味がわからないですよ」
「家じゃないです。仕事場です」
「仕事場? じゃあ、もしかして、黒川さんはこの三日の間、館守先生の原稿の手伝いを――」
「はい! させられていました! なかば強制的に就労させられていました! 初版三十万部の超売れっ子先生の作画アシスタントを! ちくしょうちくしょう!」
どんどんと拳でアパートの階段をたたきながら、何やら悔しがっている黒川であった。なるほど、お金を貸してもらえると思って編集部に行ったのに、売れっ子作家のアシスタントとして働かされたわけだ。そりゃあ、超売れてない作家先生としてはそれなりに思うところがあるだろう。
「でも、ようは編集さんに短期のアルバイトを紹介してもらったってことでしょう? お金に困ってたんだから、それでいいじゃないですか」
「よかあないですよ。締め切り前でその場の空気の圧がハンパないし、作業の内容だってあんまりでしたよ」
「あんまりって?」
「僕、三日間はずっと、キャラの着物の花の柄を描いてただけなんですよ」
「え、それだけ……」
いや、作画アシスタントって、背景やら、モブキャラのペン入れとか、もっと他にやることあるんじゃ?
その後、出勤し、夕方になって帰宅しても、やはり彼の部屋には誰もいないようだった。こっそりベランダから黒川の部屋の中の様子をうかがってみたので間違いない。おそらくゆうべ、出版社に出向いてからずっと帰宅していないようだ。
「何か、あったのかしら?」
少し気になったが、普通の人間よりはだいぶ頑丈そうだし、何があっても死にはしないだろうと考え、忘れることにした。
また、隣に住む彼の気配が消えた影響か、雪子の部屋によく現れていた浮遊霊の姿も消えた。
もしかして、あの妖怪変化のせいで、この部屋にそこいらの幽霊をおびきよせていたのではないだろうか? だとしたら、ずっとこのまま彼が帰ってこないほうがいいのでは? ますます黒川のことがどうでもよくなる雪子であった。
しかし、そんな平穏の日々はわずか三日で終わった。
そう、黒川が菱田出版に旅立ってからちょうどまる三日経ったころの夕方、いつものように仕事先からアパートに帰宅したところで、雪子は彼の姿を発見してしまったのである。アパートの階段の途中で倒れているところを。
「く、黒川さん?」
思わず駆け寄り、その体を揺さぶってみたが、反応がなかった。まさか、死んでる? おそるおそるその体を仰向けにして胸板に手を当ててみたが、一応、心臓は動いているようだった。
どうやら単に眠っているだけのようだ……というか、何かうなされている? よくその顔を見ると、苦痛にゆがんでいて、口からは「ぼたん……うめ……つばき……さくら……」などと、謎の寝言がもれている。
「黒川さん、こんなところで寝ていると他の人の邪魔ですよ」
よくわからないが、さらにその体を揺さぶって声をかけてみた。すると、ややあって、
「はっ! ここは!」
と叫んで、垂直に上体を起こして覚醒する黒川であった。
「なんでこんなところで寝てるんですか。というか、この三日間、どこ行ってたんですか?」
「み、三日間? そうか、あれからそんなに経って……ううっ!」
と、なんか苦しそうに頭を抱えだしはじめる。
「つ、辛かった……。この三日の間、何度逃げ出そうと考えたか……」
「いや、だから、何があったんですか?」
「……花を描いていました」
「え?」
「着物の柄の花を、三日の間、ずっと。ひたむきに。もくもくと……」
と、急に涙目になりながら、黒川は雪子にこの三日間のことを話し始めた。
なんでも、あの日、菱田出版の月刊サバト編集部に赴いて諏訪に会った後、黒川は諏訪に何の説明もされずに月刊ムーランの編集部に連れて行かれたそうだ。
そして、そこで佐野というハゲアタマのおっさん編集に身柄を引き渡された後、諏訪は去り、佐野は黒川を伴って、菱田出版を出てタクシーでどこかへ向かい始めたそうだ。
「そのときはまだ、その佐野さんという人が、諏訪さんの代わりにお金を貸してくれるものだと僕は信じていたんです……うう」
涙ながらに黒川はさらに話を続けた。そう、当然二人がタクシーで向かった先はATMのあるコンビニとかではなかった。そこはただのマンションだった。黒川は佐野に、その五階にある部屋に連行され、置き去りにされたのだった。
そして、そこに待ち受けていたのは小太りのおばさんと、若い男女数名であった。おばさんは自らを「館守《やかたもり》ぎん」と名乗った。
「え、館守ぎんって、あの!」
雪子は意外な人物の登場にびっくりした。そう、館守ぎんというのは、月刊ムーランに「大奥おんな狂い咲き」という時代劇の連載を持つ漫画家であり、何度も作品が実写ドラマ化や映画化されている売れっ子であった。
「そんな売れっ子漫画家が、なんで黒川さんなんかを家に呼び寄せたんですか? 意味がわからないですよ」
「家じゃないです。仕事場です」
「仕事場? じゃあ、もしかして、黒川さんはこの三日の間、館守先生の原稿の手伝いを――」
「はい! させられていました! なかば強制的に就労させられていました! 初版三十万部の超売れっ子先生の作画アシスタントを! ちくしょうちくしょう!」
どんどんと拳でアパートの階段をたたきながら、何やら悔しがっている黒川であった。なるほど、お金を貸してもらえると思って編集部に行ったのに、売れっ子作家のアシスタントとして働かされたわけだ。そりゃあ、超売れてない作家先生としてはそれなりに思うところがあるだろう。
「でも、ようは編集さんに短期のアルバイトを紹介してもらったってことでしょう? お金に困ってたんだから、それでいいじゃないですか」
「よかあないですよ。締め切り前でその場の空気の圧がハンパないし、作業の内容だってあんまりでしたよ」
「あんまりって?」
「僕、三日間はずっと、キャラの着物の花の柄を描いてただけなんですよ」
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いや、作画アシスタントって、背景やら、モブキャラのペン入れとか、もっと他にやることあるんじゃ?
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