あやかし漫画家黒川さんは今日も涙目

真木ハヌイ

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2 黒川さんは売れてない

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「……赤城さん、僕、あれでよかったんでしょうか?」

 菱田出版の正面玄関を出たところで、黒川は唐突にその場にへたり込み、尋ねて来た。そう、邪魔臭いことに歩道の真ん中で、である。

「あれでって、黒川さん自身が決めたことじゃないですか」
「いや、そうなんですけど、あんなこと言っちゃったら、諏訪さん、怒っちゃいますよね? 売れない僕のために仕事を持ってきてくれたのに、あんなえらそうなこと言って、つっぱねちゃって。今頃、編集部で僕のことボロカスに言ってたりして……」

 どよどよ。いきなり猛烈に落ち込み始める男である。面と向かってあれだけボロカスに言われたのに今さら何を悩むのか。ほんと、この男、めんどくさい。

「だったら、今すぐ編集部に戻って、やっぱりコミカライズの仕事をやらせてくださいって、諏訪さんに土下座すればいいじゃないですか」
「そんなことできるわけないじゃないですか! 一度断っちゃったんですよ! あんなにきっぱりと!」
「じゃあ、もう落ち込む必要ないじゃないですか。あの話は忘れましょうよ」
「わ、忘れる……ことなどできようか……いや、できない……」

 ようするに何だ。女々しすぎるぞ、この男。

「だいたいBLに詳しくないってだけで断るのも早計ですよ。クリパンはBL好きじゃない人が読んでもちゃんと面白いもんなんですよ」
「……でしょうね。BLなんてニッチなジャンルで何年も続いてるヒット作となると、当然そういうものになると思います。きっと僕が読んでもとても面白いものなんでしょうね」

 何か引っかかる言い方だ。

「実は、単にBLに詳しくない、BLが好きじゃないってだけで、あの仕事を断ったわけじゃないんですよ」
「え、他に理由があるんですか?」
「はい。もっと単純で根本的な話です。僕はやっぱり、純粋に僕の力だけで漫画を描いていたいんですよ。誰かの用意したストーリーをなぞるだけの漫画は描きたくないんです」
「あ……」

 雪子ははっとした。そうか、どんなに売れてなくても、彼は一人の漫画家なんだ。彼なりに譲れないものがあるんだ。

「そりゃあ、僕だって自分はそんな偉そうなことを言える立場じゃない、売り上げゴミカスの木っ端ミジンコ作家だということは十分自覚しています。けれど、僕はそもそも、誰かの作った物語を絵に描くために漫画家を目指したわけじゃないんです。それは結局、ただの職人と同じです。僕はやっぱり自分だけの創作を続けたいと思うし、そうでなければ僕が漫画を描く意味はこれっぽっちもないんです」
「その気持ちはわかりますけど――」
「けど! けどそうですよね! わかっています、赤城さんの言いたいことは! こいつ、全然売れてないくせに何イキってんだ?みたいな、これからあなたの口からはそういう言葉が出てくるんでしょう! だから僕が言ってやった! 先に言ってやった! どうですか!」
「え、いや、そのう……」

 言葉は威勢はいいものの、黒川はもうすっかり涙目である。なんだこのリアクション。雪子は戸惑うばかりであった。

「べ、別に僕は自分が漫画家として何か持ってるとか、特別な存在だとか、幻想を抱いているわけではないです。そもそも、自分に才能があるのかどうか、悩めるのはアマチュアの間だけです。プロになると、そういうもやっとした概念について考える余裕は一切なくなります。常に、現実的で残酷な数字を突きつけられる世界ですから」
「確かに、さっきも数字を突きつけられてましたね」

 読者アンケートの数字、単行本の初版の数字、売り上げランキングの数字……。どれも厳しすぎるものだった。この男の場合は。

「僕はきっとこの先も、漫画家として売れることはないでしょう。諏訪さんの言っている言葉通りの男です。十年も漫画家やっているのに、単行本が死ぬほど売れてないんです。でも、それでも僕は、自分の漫画を描き続けて、業界に少しでもしがみついていたいんです……って、あれ?」

 と、そこで黒川は何かに気づいたようだった。

「なんか、今僕、連載を切られたとき用の台詞を言った気がしますね? おかしいな? 別に連載は切られたわけじゃないのに」
「え」
「そうですよ! 僕、今日は打ち切りを通告されるかどうか、それだけが心配だったんですよ! よく考えたら、それが回避されたんだから、こんなに自虐的になることはないじゃないですか! 新しい仕事を蹴ったところで、僕はプラマイゼロ! 別に何も失っていないじゃないですか!」
「そ、それはそうですけど……」

 この場合、自虐モードになって落ち込むのが正しい気がするのだが? ここ男、漫画家として売れてなさ過ぎなんだが?

「連載をいつ切られてもおかしくない状態とは言われたじゃないですか。だから、少しは危機感を持って――」
「いやあ、大丈夫ですよ。菱田出版はなんせ大手ですから。僕みたいなゴクツブシ作家の一人や二人、抱えてても心配いらないでしょう。笹目先生みたいな売れっ子が、僕のぶんの赤字なんかチャラにする勢いで稼いでくれますからね」

 ははは、と、黒川は能天気に笑う。さっきまでこの世の終わりのような顔で落ち込んでいたのに、もうこれである。気分の浮き沈み激しすぎだろう。

「まあ、黒川さんがそう思うなら、それで……」

 いいのかな。歩道の真ん中で置物のようになって落ち込んでいるよりは扱いやすいし。雪子はもう黒川の仕事の話はどうでもよくなり、適当に彼をあしらって、一緒にアパートに戻った。
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