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2 黒川さんは売れてない
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「そ、そんなこと言われましても、僕、もう十年もこの名前でやってますし……」
「そうですね。今さら変えるのも不便ですね。今の話は、黒川先生が来世でまた漫画家になったら思い出してください」
はは、と、軽く話を流すように笑いながら言う諏訪だったが、何気にまたひどい言いようだ。来世って。今世ではもう売れようがないからって。
「……まあ、前置きはともかく、そろそろ本題に入りましょう、黒川先生」
と、諏訪はそこで茶封筒の中から一冊の文庫本を取り出した。
「実は、黒川先生に新しい仕事の話があるのです」
そう言って諏訪が掲げた文庫本の表紙には、イケメンの二人の男キャラが抱き合っているイラストが描かれていた。タイトルは「クリティカル・パッション」……。
あ、これ、知ってる! 雪子はピンと来た。確か、十年近く前から続いていて、今やかなり売れてるボーイズラブ小説である。雪子も読んだことがあった。そういえば、菱田出版のBL専門レーベル、カメオ文庫から出てる本だっけ。
「黒川先生にはこの作品のコミカライズを担当して欲しいのです」
「こみからいず? これを漫画にするってことですか? 僕が作画担当で?」
「はい。掲載誌は月刊ムーランになります」
諏訪はさらに茶封筒から一冊の雑誌を取り出し、黒川に見せた。いかにも女性向けの漫画雑誌のようで、表紙にはスーツ姿のイケメンの男キャラの絵が掲載されていた。
ただ、BL専門というわけでもなさそうで、着物姿の男女の絡みの絵も隅に小さく載っていた。BLも異性愛もごちゃまぜの、大人の女性向けのちょっとエッチな少女マンガといった内容の雑誌のようだった。
「え、こんなガチの女性向けの雑誌に載るような漫画を僕が描くんですか? 僕、ずっと月刊サバトでやってきたんですけど? 少年誌ですけど?」
「大丈夫でしょう。黒川先生の漫画はそもそも誰向けでもありませんから」
「い、いや、そうじゃなくてですねっ!」
「実のところ、私も黒川先生にこの仕事はどうかなと思うのですが、この小説の著者、笹目ユキ先生のたっての希望ですから」
「え、希望って?」
「笹目先生は、ぜひ黒川先生にコミカライズを担当して欲しいとおっしゃられてるんですよ」
「マジで!」
「はい。これがマジなんですよ。よりによって、黒川先生をご指名です」
「うわあ、そうなんですか。僕、そういう業界ではけっこう人気あったりするんですかねえ」
とたんに、ぱーっと表情が明るくなる黒川だった。さっき諏訪にフルボッコにされて涙目だったのに、先方から指名が入ったというだけで、急にこの変わりようである。ハイパーちょろい生き物か。
「私が聞くところによると、笹目先生はネット通販でたまたま黒川先生の単行本を表紙買いし、たまたまその絵柄に魅力を感じたそうです。内容はともかく」
なんか、どっかのレビューで聞いたような話だ。内容はともかく、だし。
「へえ、そうなんですか。僕の漫画の絵って特にBL向けって感じでもないと思うんですけど」
「なんでも、ひょっとこリーマンの五話に一コマぐらいの頻度で登場する、後輩キャラの造形が大変お気に召されたようで」
「ああ、ハガクレ君ですか。確かにイケメンキャラですね」
黒川ははっとしたように、うなずいた。ただ、ちょっと流し見した程度の雪子には何のことやら、さっぱりわからなかった。そんなBL作家好みのイケメン、あの漫画に存在していたっけ?
「また、漫画通である笹目先生は黒川先生の技術も非常に高く買っておいでです。単に絵が上手いというだけの人はこの業界ゴロゴロいるが、視線誘導を意識したコマ割や全体のレイアウトやシーンごとの演出力に長けた、いわゆる漫画力が高い人はそうはいない、その点で黒川先生は大変ぬきんでた技術をお持ちではないかとおっしゃってて」
「ですよねー。僕、そのへんはけっこう自信あるんですよ、うふふ」
褒められて、やはりとろけるような笑顔をうかべる黒川だった。
「まあ、確かに、黒川先生の漫画は、内容以外は特に文句のつけようがないですね」
諏訪も笹目ユキと同様の評価のようだった。内容以外は、だが。
「……というわけで、黒川先生にはぜひこの作品の漫画化をしていただきたいわけですが」
そう言って、再び「クリティカル・パッション」の文庫本を掲げる諏訪だった。
これはもしかして、すごく大きな、やりがいのある仕事ではないだろうか。
雪子はまったく無関係ながらも、瞬間、心がときめいた。だって、その業界ではかなり名前の知れた有名作を、自分の知り合いが手がけるというのだから。
そう、「クリティカル・パッション」、略してクリパンは、かつて雪子の高校生時代の漫画友達がドはまりしていた小説だった。雪子も当時、読んでみたものだったが、BLが苦手な彼女にも読みやすく、キャラクター同士の掛け合いなどとても面白いものだった。
だが、そんな素晴らしいヒット作品にもかかわらず、黒川は、
「え、えーっと、それはそのう……」
返事を渋っている様子である! なぜだ!
「そうですね。今さら変えるのも不便ですね。今の話は、黒川先生が来世でまた漫画家になったら思い出してください」
はは、と、軽く話を流すように笑いながら言う諏訪だったが、何気にまたひどい言いようだ。来世って。今世ではもう売れようがないからって。
「……まあ、前置きはともかく、そろそろ本題に入りましょう、黒川先生」
と、諏訪はそこで茶封筒の中から一冊の文庫本を取り出した。
「実は、黒川先生に新しい仕事の話があるのです」
そう言って諏訪が掲げた文庫本の表紙には、イケメンの二人の男キャラが抱き合っているイラストが描かれていた。タイトルは「クリティカル・パッション」……。
あ、これ、知ってる! 雪子はピンと来た。確か、十年近く前から続いていて、今やかなり売れてるボーイズラブ小説である。雪子も読んだことがあった。そういえば、菱田出版のBL専門レーベル、カメオ文庫から出てる本だっけ。
「黒川先生にはこの作品のコミカライズを担当して欲しいのです」
「こみからいず? これを漫画にするってことですか? 僕が作画担当で?」
「はい。掲載誌は月刊ムーランになります」
諏訪はさらに茶封筒から一冊の雑誌を取り出し、黒川に見せた。いかにも女性向けの漫画雑誌のようで、表紙にはスーツ姿のイケメンの男キャラの絵が掲載されていた。
ただ、BL専門というわけでもなさそうで、着物姿の男女の絡みの絵も隅に小さく載っていた。BLも異性愛もごちゃまぜの、大人の女性向けのちょっとエッチな少女マンガといった内容の雑誌のようだった。
「え、こんなガチの女性向けの雑誌に載るような漫画を僕が描くんですか? 僕、ずっと月刊サバトでやってきたんですけど? 少年誌ですけど?」
「大丈夫でしょう。黒川先生の漫画はそもそも誰向けでもありませんから」
「い、いや、そうじゃなくてですねっ!」
「実のところ、私も黒川先生にこの仕事はどうかなと思うのですが、この小説の著者、笹目ユキ先生のたっての希望ですから」
「え、希望って?」
「笹目先生は、ぜひ黒川先生にコミカライズを担当して欲しいとおっしゃられてるんですよ」
「マジで!」
「はい。これがマジなんですよ。よりによって、黒川先生をご指名です」
「うわあ、そうなんですか。僕、そういう業界ではけっこう人気あったりするんですかねえ」
とたんに、ぱーっと表情が明るくなる黒川だった。さっき諏訪にフルボッコにされて涙目だったのに、先方から指名が入ったというだけで、急にこの変わりようである。ハイパーちょろい生き物か。
「私が聞くところによると、笹目先生はネット通販でたまたま黒川先生の単行本を表紙買いし、たまたまその絵柄に魅力を感じたそうです。内容はともかく」
なんか、どっかのレビューで聞いたような話だ。内容はともかく、だし。
「へえ、そうなんですか。僕の漫画の絵って特にBL向けって感じでもないと思うんですけど」
「なんでも、ひょっとこリーマンの五話に一コマぐらいの頻度で登場する、後輩キャラの造形が大変お気に召されたようで」
「ああ、ハガクレ君ですか。確かにイケメンキャラですね」
黒川ははっとしたように、うなずいた。ただ、ちょっと流し見した程度の雪子には何のことやら、さっぱりわからなかった。そんなBL作家好みのイケメン、あの漫画に存在していたっけ?
「また、漫画通である笹目先生は黒川先生の技術も非常に高く買っておいでです。単に絵が上手いというだけの人はこの業界ゴロゴロいるが、視線誘導を意識したコマ割や全体のレイアウトやシーンごとの演出力に長けた、いわゆる漫画力が高い人はそうはいない、その点で黒川先生は大変ぬきんでた技術をお持ちではないかとおっしゃってて」
「ですよねー。僕、そのへんはけっこう自信あるんですよ、うふふ」
褒められて、やはりとろけるような笑顔をうかべる黒川だった。
「まあ、確かに、黒川先生の漫画は、内容以外は特に文句のつけようがないですね」
諏訪も笹目ユキと同様の評価のようだった。内容以外は、だが。
「……というわけで、黒川先生にはぜひこの作品の漫画化をしていただきたいわけですが」
そう言って、再び「クリティカル・パッション」の文庫本を掲げる諏訪だった。
これはもしかして、すごく大きな、やりがいのある仕事ではないだろうか。
雪子はまったく無関係ながらも、瞬間、心がときめいた。だって、その業界ではかなり名前の知れた有名作を、自分の知り合いが手がけるというのだから。
そう、「クリティカル・パッション」、略してクリパンは、かつて雪子の高校生時代の漫画友達がドはまりしていた小説だった。雪子も当時、読んでみたものだったが、BLが苦手な彼女にも読みやすく、キャラクター同士の掛け合いなどとても面白いものだった。
だが、そんな素晴らしいヒット作品にもかかわらず、黒川は、
「え、えーっと、それはそのう……」
返事を渋っている様子である! なぜだ!
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