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2 黒川さんは売れてない
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受付で用件を言うと、二人はすぐに四階にあるという「月刊サバト」編集部へと向かった。エレベーターに乗って。
だが、その短い移動時間の間に、黒川のメンタルは再び大きく下降したようだった。
「……や、やっぱり今日は無理して編集部に顔を出さなくてもいいような?」
エレベーターの中で、彼はまたしても目をキョドらせ、顔を青ざめ、体をふるわせ始めた。
「ここまで来ておいて、今さら何言ってるんですか? 編集部はもうすぐそばじゃないですか」
「い、いや、それはそうなんですけど、なんか気分が急に……うっ!」
と、黒川は突然口に手を当て、前のめりになった。
「は、吐きそう……」
「え、ここで?」
こんな密室で?
「さっき食べた絶望が消化不良を起こして、胃から逆流してきそうです……」
「え、吐くってそっち?」
普通のゲロじゃなくて? もっとヤバそうなものリバースしちゃうの、ここで?
「それ、ここで吐き出したら、近くにいる私はどうなるんですか?」
「そりゃあもうとてつもなく絶望的な心境に――」
「やめて! いますぐ飲み込んで、それ!」
雪子はあわてて黒川の口を両手でふさいだ。なんて油断のならない男だろう。さっきちょっとでも見直してしまった自分がバカだった。
「あ、赤城さん、くるし――」
「いいから、ごっくんして! 絶対に吐き出さないで! 今すぐ腸に落とし込んで消化吸収して!」
ぐりぐりと黒川の口を手でふさいで、怒鳴った。もらいゲロならまだしも、もらい絶望なんて、まっぴらごめんだった。たった五円でここまでついてきただけなのに。
そうやって押さえつけているうちに、じたばたしていた黒川は次第におとなしくなり、何か落ち着いたようだった。やがて、エレベーターは四階につき、二人はそのまま月刊サバトの編集部に向かった。
すでに夜の七時を過ぎていたが、編集部にはまだ何人か社員がいた。黒川の担当編集だという男は、編集部の奥のほうにあるデスクに座っていて、黒川たちの存在に気づくや否や、立ち上がって近づいてきた。
「黒川先生、お忙しい中、わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
見たところ、年齢は三十代半ばくらいで、紺色のスーツを着た中背細身の男だった。髪型はオールバックで、メガネをかけており、特別変わった風貌ではないが、メガネのレンズの奥の眼は妙に鋭い光をたたえているように見えた。
「ところで、黒川先生、そちらの女性は?」
「ああ、彼女は最近僕のアシスタントをしてくれているんですよ」
「なるほど、それでご一緒に……」
編集の男はちょっとあいまいに小首をかしげると、懐から名刺を取り出し、
「はじめまして」
と、雪子に差し出してきた。見ると、彼は月刊サバトの副編集長らしく、名前は諏訪直行《すわ・なおゆき》というらしい。雪子もすぐに彼に会釈し、名乗った。
それから三人は、編集部の片隅にあるすりガラスに囲まれた席に移動し、座った。来客対応のための場所のようだった。諏訪は何かの資料だろうか、茶封筒をたずさえていた。
「さて、黒川先生。さっそくですが――」
「うひゃあっ!」
と、向かいに座った諏訪が口を開いたとたん、黒川は素っ頓狂な声を出して震え上がった。見ると、その顔はやはり真っ青で、目もいつも以上に淀んでいて、生気は一切無く、死んだ魚のそれのようだ。いや、この場合、まな板の上の鯉状態か。ずいぶん鮮度は悪そうだが。
「黒川さん、落ち着いてください。ただ仕事の話をするだけですよ」
「お、落ち着いていますよ、僕ぁ! ど、どんと来い、どんどん来い、どんとマインドですよぉ!」
隣の雪子が小声でなだめるのに対して、この半ば壊れた返答である。相当精神状態はやばそうだ。頼むからこの場で絶望を吐き出したりしないで欲しい。そういうのは人気の無い場所でやってほしい。
「ああ、もしかして黒川先生、これから私から、何か悪い話を聞かされると思ってます?」
と、そこで諏訪は、はっとしたように言った。
「その点はご心配なさらないでください。これからするお話は、けっして黒川先生の連載に悪い影響を与えるものではありませんから」
「え? マジで!」
とたんに、黒川はカッと目を見開き、前のめりになって諏訪を凝視した。
「れ、連載打ち切りとか、そういう話じゃないんですか?」
「ええ、当然です。わざわざ編集部にお越しいただいたのに、そんな話をするわけないじゃないですか」
にっこり。諏訪は黒川を安心させるように、とびきりのさわやかな笑顔で言った。
「で、ですよねー」
黒川はそれを見て、すっかり不安がなくなったようだった。緊張でゴリゴリに固まっていた上体からどっと力が抜け、テーブルの上に崩れ落ちた。
だが、その短い移動時間の間に、黒川のメンタルは再び大きく下降したようだった。
「……や、やっぱり今日は無理して編集部に顔を出さなくてもいいような?」
エレベーターの中で、彼はまたしても目をキョドらせ、顔を青ざめ、体をふるわせ始めた。
「ここまで来ておいて、今さら何言ってるんですか? 編集部はもうすぐそばじゃないですか」
「い、いや、それはそうなんですけど、なんか気分が急に……うっ!」
と、黒川は突然口に手を当て、前のめりになった。
「は、吐きそう……」
「え、ここで?」
こんな密室で?
「さっき食べた絶望が消化不良を起こして、胃から逆流してきそうです……」
「え、吐くってそっち?」
普通のゲロじゃなくて? もっとヤバそうなものリバースしちゃうの、ここで?
「それ、ここで吐き出したら、近くにいる私はどうなるんですか?」
「そりゃあもうとてつもなく絶望的な心境に――」
「やめて! いますぐ飲み込んで、それ!」
雪子はあわてて黒川の口を両手でふさいだ。なんて油断のならない男だろう。さっきちょっとでも見直してしまった自分がバカだった。
「あ、赤城さん、くるし――」
「いいから、ごっくんして! 絶対に吐き出さないで! 今すぐ腸に落とし込んで消化吸収して!」
ぐりぐりと黒川の口を手でふさいで、怒鳴った。もらいゲロならまだしも、もらい絶望なんて、まっぴらごめんだった。たった五円でここまでついてきただけなのに。
そうやって押さえつけているうちに、じたばたしていた黒川は次第におとなしくなり、何か落ち着いたようだった。やがて、エレベーターは四階につき、二人はそのまま月刊サバトの編集部に向かった。
すでに夜の七時を過ぎていたが、編集部にはまだ何人か社員がいた。黒川の担当編集だという男は、編集部の奥のほうにあるデスクに座っていて、黒川たちの存在に気づくや否や、立ち上がって近づいてきた。
「黒川先生、お忙しい中、わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
見たところ、年齢は三十代半ばくらいで、紺色のスーツを着た中背細身の男だった。髪型はオールバックで、メガネをかけており、特別変わった風貌ではないが、メガネのレンズの奥の眼は妙に鋭い光をたたえているように見えた。
「ところで、黒川先生、そちらの女性は?」
「ああ、彼女は最近僕のアシスタントをしてくれているんですよ」
「なるほど、それでご一緒に……」
編集の男はちょっとあいまいに小首をかしげると、懐から名刺を取り出し、
「はじめまして」
と、雪子に差し出してきた。見ると、彼は月刊サバトの副編集長らしく、名前は諏訪直行《すわ・なおゆき》というらしい。雪子もすぐに彼に会釈し、名乗った。
それから三人は、編集部の片隅にあるすりガラスに囲まれた席に移動し、座った。来客対応のための場所のようだった。諏訪は何かの資料だろうか、茶封筒をたずさえていた。
「さて、黒川先生。さっそくですが――」
「うひゃあっ!」
と、向かいに座った諏訪が口を開いたとたん、黒川は素っ頓狂な声を出して震え上がった。見ると、その顔はやはり真っ青で、目もいつも以上に淀んでいて、生気は一切無く、死んだ魚のそれのようだ。いや、この場合、まな板の上の鯉状態か。ずいぶん鮮度は悪そうだが。
「黒川さん、落ち着いてください。ただ仕事の話をするだけですよ」
「お、落ち着いていますよ、僕ぁ! ど、どんと来い、どんどん来い、どんとマインドですよぉ!」
隣の雪子が小声でなだめるのに対して、この半ば壊れた返答である。相当精神状態はやばそうだ。頼むからこの場で絶望を吐き出したりしないで欲しい。そういうのは人気の無い場所でやってほしい。
「ああ、もしかして黒川先生、これから私から、何か悪い話を聞かされると思ってます?」
と、そこで諏訪は、はっとしたように言った。
「その点はご心配なさらないでください。これからするお話は、けっして黒川先生の連載に悪い影響を与えるものではありませんから」
「え? マジで!」
とたんに、黒川はカッと目を見開き、前のめりになって諏訪を凝視した。
「れ、連載打ち切りとか、そういう話じゃないんですか?」
「ええ、当然です。わざわざ編集部にお越しいただいたのに、そんな話をするわけないじゃないですか」
にっこり。諏訪は黒川を安心させるように、とびきりのさわやかな笑顔で言った。
「で、ですよねー」
黒川はそれを見て、すっかり不安がなくなったようだった。緊張でゴリゴリに固まっていた上体からどっと力が抜け、テーブルの上に崩れ落ちた。
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