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1 お隣の黒川さん
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だが、直後、彼女は自分の体がふわりと浮き上がるのを感じた。何かがぶつかってきたはずの衝撃はどこにもなかった。
なんだろう? 目を開けると、彼女はいつのまにやら黒川の懐に抱えられていた。ついでに立ち位置も、いつのまにやら部屋の反対側に移動していた。どうやら一瞬のうちに黒川にここまで運ばれ、助けられたようだった。
「あーあ、人の部屋をこんなに散らかして」
雪子を軽々とお姫様抱っこしたまま、黒川はやれやれといった感じでため息をついた。確かに、部屋はひどい有様だ……。
「大丈夫ですか、赤城さん? 何か当たったりしませんでしたか?」
「は、はい……」
黒川がまじまじと顔を近づけ覗き込んできて、雪子はちょっと赤面してしまった。今の黒川はやはり、びっくりするほどの美形だ。
「き、貴様! 俺の雪子に勝手に触るんじゃないっ!」
だが、そうしている間にも悪霊はさらにポルターガイスト現象で二人にモノを飛ばし、攻撃してきた。
そしてそれはやはり黒川に何のダメージも与えなかった。彼は雪子を抱えたまままた横に跳躍し、それらをかわしたのだった。ふわりとした軽やかな動作のようで、実際はとても敏捷な動きのようだった。しかも体重五十キロの雪子を抱えて、である。
ゴミ捨て場で発見したときは、あんなに弱弱しかったのに……。雪子はやはり信じられない気持ちだった。今の黒川はまるで別人だ。いや――別生物?
「ところで赤城さん、さっきから騒いでいるあの霊、実は元彼とかですか?」
体勢を立て直しながら、ふと黒川が尋ねて来た。「そんなわけないでしょ!」雪子は即答した。
「あいつは、ずっと私のことつけまわしていた、最低のストーカー男なんです!」
「へえ。つまり死んでなおもあなたのもとにやってきたわけですね。たいした執着心だ。すばらしい」
黒川はふと、にやりと笑い、舌なめずりした。まるで何かごちそうを目の前にした野良猫のように。
「では、あの彼に何か伝えたいとかありますか?」
「ないです! 早く消えて欲しいです!」
「……そうですか。なら、遠慮はいらないですね。このまま、おいしくいただいちゃいましょう」
黒川はそう言うと、直後、雪子の体を床に置いた。また羽のように軽やかながらも、無駄のない素早い所作だった。そして、少し身を低くすると、そのまま一気に目の前の悪霊の懐に踏み込み――なんと、その首を片手でわしづかみにし、持ち上げた。
「え、なんで……」
雪子はまた驚いた。黒川のいきなりの反撃にもびっくりしたが、そもそもあれはあくまで霊で、実体の無いはずの存在なのに、どうして手づかみにできるんだろう。実際、さっきクッション投げてもすり抜けたのに。
「ぐ、ああっ!」
男は、黒川に首根っこをわしづかみにされて、たちまち苦しそうに身もだえし始めた。必死にその手を振りほどこうとじたばたするが、よほど強い力でつかまれているのだろう、黒川は微動だにしなかった。
「とりあえず、今のままだとサイズ感がアレなんで、もっとコンパクトになってもらいましょうか」
瞬間、黒川の赤い瞳が鋭く光った。男はさらに苦しみ始め、その体は何やら青白く発光し始めた。
そして、すぐにその体は青白く光ったまま小さな丸い球体に形を変えてしまった。しかも、炎のようにゆらゆらと揺らめいている。あれはもしや、人魂? そう、まさにそう呼ぶしかない存在だった。
「うーん、いいですね。色といいツヤといい、煩悩と妄執に満ちたすばらしい輝きです。ではさっそく――いただきます」
ぱくり。なんと、黒川はその人魂を口の中に入れてしまった。
「く、黒川さん?」
「うふふ、美味美味」
もぐもぐ。黒川はそのまま口を動かしはじめ、人魂をじっくり味わいながら食べているようだった。しかも、心底幸せそうな顔をして。
やがて、人魂をごくんと飲み込み、彼は「ぷはーっ」と、実に満足げに息を吐いた。雪子はその様子に目をぱちぱちさせるほかなかった。悪霊を食べるってどういう……。
「く、黒川さん、あなたはいったいなんなんですか? 明らかに普通の人間じゃないですよね?」
「まー、そうですね。昔から妖怪とかアヤカシとかそういう風に呼ばれてる系の種族ですね」
「妖怪って」
さらっととんでもねえことカミングアウトしてくる男である。妖怪って、実在したんだ……。普通ならとうてい信じられないことだが、たった今、信じがたい光景を目の当たりにしたばかりの雪子は信じるほかなかった。
確かに、この目の前にいる男は、普通の人間ではありえない。さっきから、いや出会ったときから、いろいろおかしい。
「僕は妖怪の中の、鬼の一族なんですよ。ほら、ここにツノがあるでしょ?」
「なるほど、確かに……」
額に生えているツノを見る限り、そう呼ぶしかない生き物のようだ。
「じゃあ、黒川さんは鬼だから人間を食べたりするんですか?」
「まあ、鬼にも細かく派閥があるので、そういう食性の鬼もいますけど、僕はそうじゃないですね。僕が好んで食べるのは、亡者、すなわち死んだ人間の魂です。それも、強い悪意や怨念を帯びた、いわゆる悪霊と呼ばれるものですね」
「あ、それで今、人魂を食べちゃったんですか」
「はい。とても美味しかったですよ。こんなごちそうを僕に用意してくれるなんて、赤城さんはなんていい人なのでしょう!」
「いえ、別に、黒川さんのために何か用意したわけでは……」
勝手に死んで、勝手に悪霊になって襲われただけなのに、感謝されても、その、困る。
なんだろう? 目を開けると、彼女はいつのまにやら黒川の懐に抱えられていた。ついでに立ち位置も、いつのまにやら部屋の反対側に移動していた。どうやら一瞬のうちに黒川にここまで運ばれ、助けられたようだった。
「あーあ、人の部屋をこんなに散らかして」
雪子を軽々とお姫様抱っこしたまま、黒川はやれやれといった感じでため息をついた。確かに、部屋はひどい有様だ……。
「大丈夫ですか、赤城さん? 何か当たったりしませんでしたか?」
「は、はい……」
黒川がまじまじと顔を近づけ覗き込んできて、雪子はちょっと赤面してしまった。今の黒川はやはり、びっくりするほどの美形だ。
「き、貴様! 俺の雪子に勝手に触るんじゃないっ!」
だが、そうしている間にも悪霊はさらにポルターガイスト現象で二人にモノを飛ばし、攻撃してきた。
そしてそれはやはり黒川に何のダメージも与えなかった。彼は雪子を抱えたまままた横に跳躍し、それらをかわしたのだった。ふわりとした軽やかな動作のようで、実際はとても敏捷な動きのようだった。しかも体重五十キロの雪子を抱えて、である。
ゴミ捨て場で発見したときは、あんなに弱弱しかったのに……。雪子はやはり信じられない気持ちだった。今の黒川はまるで別人だ。いや――別生物?
「ところで赤城さん、さっきから騒いでいるあの霊、実は元彼とかですか?」
体勢を立て直しながら、ふと黒川が尋ねて来た。「そんなわけないでしょ!」雪子は即答した。
「あいつは、ずっと私のことつけまわしていた、最低のストーカー男なんです!」
「へえ。つまり死んでなおもあなたのもとにやってきたわけですね。たいした執着心だ。すばらしい」
黒川はふと、にやりと笑い、舌なめずりした。まるで何かごちそうを目の前にした野良猫のように。
「では、あの彼に何か伝えたいとかありますか?」
「ないです! 早く消えて欲しいです!」
「……そうですか。なら、遠慮はいらないですね。このまま、おいしくいただいちゃいましょう」
黒川はそう言うと、直後、雪子の体を床に置いた。また羽のように軽やかながらも、無駄のない素早い所作だった。そして、少し身を低くすると、そのまま一気に目の前の悪霊の懐に踏み込み――なんと、その首を片手でわしづかみにし、持ち上げた。
「え、なんで……」
雪子はまた驚いた。黒川のいきなりの反撃にもびっくりしたが、そもそもあれはあくまで霊で、実体の無いはずの存在なのに、どうして手づかみにできるんだろう。実際、さっきクッション投げてもすり抜けたのに。
「ぐ、ああっ!」
男は、黒川に首根っこをわしづかみにされて、たちまち苦しそうに身もだえし始めた。必死にその手を振りほどこうとじたばたするが、よほど強い力でつかまれているのだろう、黒川は微動だにしなかった。
「とりあえず、今のままだとサイズ感がアレなんで、もっとコンパクトになってもらいましょうか」
瞬間、黒川の赤い瞳が鋭く光った。男はさらに苦しみ始め、その体は何やら青白く発光し始めた。
そして、すぐにその体は青白く光ったまま小さな丸い球体に形を変えてしまった。しかも、炎のようにゆらゆらと揺らめいている。あれはもしや、人魂? そう、まさにそう呼ぶしかない存在だった。
「うーん、いいですね。色といいツヤといい、煩悩と妄執に満ちたすばらしい輝きです。ではさっそく――いただきます」
ぱくり。なんと、黒川はその人魂を口の中に入れてしまった。
「く、黒川さん?」
「うふふ、美味美味」
もぐもぐ。黒川はそのまま口を動かしはじめ、人魂をじっくり味わいながら食べているようだった。しかも、心底幸せそうな顔をして。
やがて、人魂をごくんと飲み込み、彼は「ぷはーっ」と、実に満足げに息を吐いた。雪子はその様子に目をぱちぱちさせるほかなかった。悪霊を食べるってどういう……。
「く、黒川さん、あなたはいったいなんなんですか? 明らかに普通の人間じゃないですよね?」
「まー、そうですね。昔から妖怪とかアヤカシとかそういう風に呼ばれてる系の種族ですね」
「妖怪って」
さらっととんでもねえことカミングアウトしてくる男である。妖怪って、実在したんだ……。普通ならとうてい信じられないことだが、たった今、信じがたい光景を目の当たりにしたばかりの雪子は信じるほかなかった。
確かに、この目の前にいる男は、普通の人間ではありえない。さっきから、いや出会ったときから、いろいろおかしい。
「僕は妖怪の中の、鬼の一族なんですよ。ほら、ここにツノがあるでしょ?」
「なるほど、確かに……」
額に生えているツノを見る限り、そう呼ぶしかない生き物のようだ。
「じゃあ、黒川さんは鬼だから人間を食べたりするんですか?」
「まあ、鬼にも細かく派閥があるので、そういう食性の鬼もいますけど、僕はそうじゃないですね。僕が好んで食べるのは、亡者、すなわち死んだ人間の魂です。それも、強い悪意や怨念を帯びた、いわゆる悪霊と呼ばれるものですね」
「あ、それで今、人魂を食べちゃったんですか」
「はい。とても美味しかったですよ。こんなごちそうを僕に用意してくれるなんて、赤城さんはなんていい人なのでしょう!」
「いえ、別に、黒川さんのために何か用意したわけでは……」
勝手に死んで、勝手に悪霊になって襲われただけなのに、感謝されても、その、困る。
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