あやかし漫画家黒川さんは今日も涙目

真木ハヌイ

文字の大きさ
上 下
4 / 62
1 お隣の黒川さん

1 - 4

しおりを挟む
「いったい何を探していたんですか」
「耳かきです」
「こんな時間に?」
「僕は夜行性なので」
「なるほど」

 まあ、この男の生態なんかどうでもいいのだが。

「いやー、参りますよね。耳かきみたいな小物って、なぜか必要なときに限って、見つからなかったりして。こういうのって、妖怪なんとか隠しとかの仕業なんですかね?」

 黒川はハハハと笑う。確かに、あるあるな話である。妖怪のせいにもしたくなる。

「それで、見つかったんですか、耳かき?」
「いや、それが見つかる前にごらんの有様でして」

 黒川は荒れ果てた室内に振り返り、はあと重くため息をついた。体が前のめりになり、そのやせぎすの体がますます頼りないシルエットになった。

「あの、よかったら私の使いますか、耳かき?」
「おお、それはありがたい! お願いします! さっきからもう、耳の奥がむずむず、むずむずしてつらいのです。最初は右の耳の穴だけだったのに、なんだかだんだん左の耳までむずむずしてきちゃって」
「ああ、そういうことってありますよね」

 雪子はそこでいったん自分の部屋に戻り、耳かきを取ってすぐに黒川のところに戻った。今日の昼間に近くの百円ショップで買ったばかりのものだった。

「どうぞ使ってください」
「これは、またありがとうございます、やさしいひと赤城さん。このままでは仕事が手につかないところだったのですよ」

 黒川は新品未開封のそれをすぐ受け取り、その場で開封して使い始めた。よほどむずむずしていたのだろう、たちまち恍惚の表情である。

「仕事って、こんな時間に家でしてたんですか?」
「ええ、まあ。そろそろ締め切り前なので原稿を」
「原稿?」
「僕、一応プロの漫画家でして」
「え、黒川さんって漫画家さんなんですか?」

 雪子はその単語に、とたんに激しく食いついた。実は彼女、高校生時代は友人と一緒に同人漫画を描いていたことがあったのだ。高校を卒業してからはその友人と疎遠になり、漫画制作からも遠ざかっていたが、内心はそういう業界に憧れを抱いていた。

 それがまさか、引っ越した先の隣の住人が漫画家とは……。黒川の部屋の奥をもう一度よく見ると、確かに作業中だったようで、机の上に描きかけの漫画の原稿のようなものがあった。

「あの、あれ雑誌に掲載される前の原稿ですよね? ちょっと見てもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ」

 と、許可が出たので、雪子はすぐにサンダルを脱いで黒川の部屋に入り、机のほうに行った。こんな未明の時間に、知り合ったばかりの男の家にパジャマ姿で上がるなど、無防備にもほどがあったが、今は興味と関心のほうがまさった。

 見てみると、なるほど確かにプロの原稿らしく、未完成ながらもしっかりとした画力を感じさせるものだった。ペン入れの途中のようだった。そばにGペンが転がっていた。

 ただ、そのページだけ見ても漫画の内容はよくわからなかった。どうやらひょっとこのお面をつけたスーツ姿の男が何かしているようなのだが……。

「黒川さん、これどういう漫画なんですか?」
「ひょっとこリーマンの日常の悲哀を描いたものです」
「ひょ、ひょっとこ?」

 しかもリーマンて。日常の悲哀って。

「すみません、よく意味がわからない――」
「ああ、コミックスがこちらにあるのでどうぞ。現在、二巻まで絶賛発売中です」

 黒川は床に散らばっていた本の山からそれらを拾い上げ、雪子に手渡した。

 見ると、普通の漫画の単行本よりは一回り大きいタイプの本だった。そして、その割には妙に薄かった。出版元は菱田出版。業界最大手の一角だ。表紙にはひょっとこのお面をつけたサラリーマン風の男がデカデカと描かれており、タイトルもズバリ「ひょっとこリーマン」。著者は黒川ミミックとある。この男のペンネームだろうか。

「ちょっと読んでみてもいいですか?」
「ええ、どうぞ。漫画は読むものですからね!」

 黒川は雪子が自分の漫画に興味を示したことがうれしそうだった。ウキウキですすめてきた。

 だが、雪子は微妙な気持ちだった。というのも、この漫画……全然面白そうじゃあ、ない……。

 そして、その予感は想定よりもっとひどい形で的中した。読んでみると、それは面白いとか、面白くないとか、そういう判断ができるタイプに漫画ではなかったのだ。

 つまり……。

「あの、黒川さん、これって何目的の漫画なんですか?」
「目的?」
「はい、どういう楽しみ方をすればいいのか、よくわからなくて」

 そう、それは本当に「ひょっとこのお面をつけたサラリーマンの日常」が淡々と描かれているだけの内容で、どう評価していいものかどうか、さっぱりわからないものだったのだ。とりあえず、面白くないことは確かなのだが。

「た、楽しみ方がわからない……?」

 黒川は雪子の率直な感想にたちまち狼狽したようだった。もともと死体のような顔色がますます青白くなった。

「い、いや、普通、漫画を読んでもっと他に言うことはあるでしょう? でしょう?」
「そうですね。普通は話の展開がどうかとか、設定やキャラがどうだとか」
「そうです、そうです! 読んでみて、そういうの何か感じるでしょう!」
「いえ、この漫画は、私の中ではそういう評価ができる土俵に上がってない――」
「土俵ってなんですか! 相撲ですか! どすこいですか!」

 黒川はますます狼狽したようだ。見ると、餌を求めて水面にやって来た鯉のように口をパクパクさせている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

家庭菜園物語

コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。 その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。 異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。

宝石ランチを召し上がれ~子犬のマスターは、今日も素敵な時間を振る舞う~

櫛田こころ
キャラ文芸
久乃木柘榴(くのぎ ざくろ)の手元には、少し変わった形見がある。 小学六年のときに、病死した母の実家に伝わるおとぎ話。しゃべる犬と変わった人形が『宝石のご飯』を作って、お客さんのお悩みを解決していく喫茶店のお話。代々伝わるという、そのおとぎ話をもとに。柘榴は母と最後の自由研究で『絵本』を作成した。それが、少し変わった母の形見だ。 それを大切にしながら過ごし、高校生まで進級はしたが。母の喪失感をずっと抱えながら生きていくのがどこか辛かった。 父との関係も、交友も希薄になりがち。改善しようと思うと、母との思い出をきっかけに『終わる関係』へと行き着いてしまう。 それでも前を向こうと思ったのか、育った地元に赴き、母と過ごした病院に向かってみたのだが。 建物は病院どころかこじんまりとした喫茶店。中に居たのは、中年男性の声で話すトイプードルが柘榴を優しく出迎えてくれた。 さらに、柘榴がいつのまにか持っていた変わった形の石の正体のせいで。柘榴自身が『死人』であることが判明。 本の中の世界ではなく、現在とずれた空間にあるお悩み相談も兼ねた喫茶店の存在。 死人から生き返れるかを依頼した主人公・柘榴が人外と人間との絆を紡いでいくほっこりストーリー。

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
※5話は3/9 18時~より投稿します。間が空いてすみません… 架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?

火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…? 24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

処理中です...