2 / 62
1 お隣の黒川さん
1 - 2
しおりを挟む「じゃあ、その額のケガは?」
「ここで太陽の襲撃を受けた僕は、とっさに、ここにあるゴミ袋の一つを手に取りました。それを持ち上げ、日よけにして身を守ろうと」
「え」
「しかしそれは思いのほかヘビーで、僕は一瞬にしてその重量で激しく消耗してしまいました。今日は燃えるゴミの日のはずなのに、なぜこんな重量級のゴミ袋がここに置かれているのか。中身はおそらく紙類の山でしょう。本か何かか。それらを古紙回収にまわさずに焼却処分しようという、地球に優しくない根性が気に食わない」
「それがあなたの額のケガとなんの関係が……」
「体力を消耗すると僕は足にくる体質なのです。それでバランスを崩し倒れました。そしてヘビーなゴミ袋に頭をぶつけ、中に入っている何か固いものが僕の額に命中しました。きっと本の角か何かですね」
「そんなことで、血まみれになるんですか」
よわい。この男、太陽の光にも弱ければ、紙の本にも弱い! 虚弱すぎる……。
「ま、まあ、話はわかりました。たいしたことなさそうでよかったです」
雪子はそう言うと、たずさえていたゴミ袋をそっと近くに置き、すぐにアパートのほうに戻ろうとした――が、
「お待ちください。僕をこのままここに放置するのはよくない」
虚弱すぎる男が呼び止めてきた。
「え、まだ何かあるんですか?」
「僕はただ、日よけになるものがあればいいのです」
「あー、はいはい。そういう話でしたね」
もはや相手をするのもめんどくさかったが、弱すぎる生き物をこんなところに置き去りにしておくのも、気分が悪い。雪子はいったんアパートに戻り、廊下に並べておいたダンボール(折りたたみ済み)の一つを取って、男のところに戻った。
「はい、これ使ってください」
「おお、ありがとう、やさしいひと」
男はダンボールの板切れを受け取ると、すぐに日傘のように頭上にかかげ、立ち上がった。その顔はやはり影に包まれているが、濃さは少し弱くなり、男の顔立ちが雪子の目にも明らかになった。
三十歳前後くらいだろうか。切れ長の瞳に、すっと通った鼻筋、薄い唇。目鼻立ちだけならよく整っているようだったが、顔色は相変わらず死体のようだし、両目の下には濃いクマがあるし、人相がいいとは到底言えない容貌だった。
雪子はそのまま男から目を背け、自分のアパートのほうに戻った。だが、男は雪子の後をついてきた。どうやら同じアパートの住人らしかった。しかも、二階にまでついてくる。まさかとは思うが……。
「おや、僕たち、お隣さん同士なんですね」
なんと、男は雪子の隣の部屋の住人だった。
「へえ、奇遇ですね……」
アパートの廊下で男と目を合わせないようにしながら、雪子は適当に答えた。あまりかかわりたくないタイプだった。
「あ、赤城さんって言うんですね。はじめまして、どうもよろしくです」
男は雪子の部屋のドアに貼られているピカピカのネームプレートを見ている。ついさっき、彼女が自分でそこに貼り付けたものだった。
「そちらは黒川さんっておっしゃるんですね」
雪子もとっさに男の部屋のドアのネームプレートを見た。フルネームで「黒川一夜」と書かれていた。
「くろかわ……いちやさん?」
「かずやです」
「あ、そうですね。そう読むのが自然ですね」
「まあ、どう読まれようと、僕は全然気にしないんですけどね」
男はニカっと笑った。やはり不健康さがにじみ出ている笑みであった。
「……じゃあ、私はこれで」
雪子はそれだけ言うと、自分の部屋に戻った。隣の部屋に住む男は、実に絡みにくそうなタイプだなあとぼんやり思いながら。
その日、引越しの荷解きを終えた雪子はすぐに、スマホでバイトの求人情報を調べてみた。やはり今は、何よりも先に仕事を見つけなければならなかった。引越しでだいぶ散財したし。
しかし、求人情報を色々見て回っても、彼女はどれにも応募する気にはなれなかった。また働こうと考えるたびに、どうしても、前の職場でのとてつもなく嫌な体験がフラッシュバックするのだ。
また同じ目にあったらどうしよう……。
結局その日は、郵便局に住所変更の手続きをしにいっただけで終わった。同じ区内での引越しなので、区役所には特に行かずにすんだ。郵便局の帰りに適当にアパートの近所を見て回り、毎日の買い物に便利そうなスーパーを見つけ、そこで食料品をいくらか買い込んで家に戻った。必要な出費とはいえ、なけなしの金がまたいくらか減ってしまったなあと、危機感を覚えながら。
季節は八月、お盆前。夕暮れの赤く焼けた空に、ヒグラシの鳴き声が遠くこだましていた。
やがて家に戻り、一人で簡単な夕飯をすませたところでスマホに電話がかかってきた。電話番号は変えたばかりだったので、雪子にはそれが誰からなのかすぐわかった。新しい番号を教えたのはまだ一人しかいなかったからだ。
「もしもし、雪子? ちゃんと引越しできたー?」
電話に出ると、案の定、聞きなれた声がした。声の主は、斉藤綾香。雪子の高校時代からの親友だ。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
CODE:HEXA
青出 風太
キャラ文芸
舞台は近未来の日本。
AI技術の発展によってAIを搭載したロボットの社会進出が進む中、発展の陰に隠された事故は多くの孤児を生んでいた。
孤児である主人公の吹雪六花はAIの暴走を阻止する組織の一員として暗躍する。
※「小説家になろう」「カクヨム」の方にも投稿しています。
※毎週金曜日の投稿を予定しています。変更の可能性があります。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
京都鴨川まねき亭~化け猫さまの愛され仮嫁~
汐埼ゆたか
キャラ文芸
はじまりは、京都鴨川にかかる『賀茂大橋』
再就職先に行くはずが迷子になり、途方に暮れていた。
けれど、ひょんなことからたどり着いたのは、アンティークショップのような古道具屋のような不思議なお店
『まねき亭』
見たことがないほどの端正な容姿を持つ店主に「嫁になれ」と迫られ、即座に断ったが時すでに遅し。
このときすでに、璃世は不思議なあやかしの世界に足を踏み入れていたのだった。
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚
『観念して俺の嫁になればいい』
『断固としてお断りいたします!』
平凡女子 VS 化け猫美男子
勝つのはどっち?
・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
※他サイトからの転載作品
※無断転載禁止
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

30歳、魔法使いになりました。
本見りん
キャラ文芸
30歳の誕生日に魔法に目覚めた鞍馬花凛。
そして世間では『30歳直前の独身』が何者かに襲われる通り魔事件が多発していた。巻き込まれた花凛を助けたのは1人の青年。……彼も『魔法』を使っていた。
そんな時会社での揉め事があり実家に帰った花凛は、鞍馬家本家当主から呼び出され思わぬ事実を知らされる……。
ゆっくり更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる