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1 お隣の黒川さん
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雪子がそのアパートの一室に引越しを決めたのは、ひとえに、家賃の安さゆえだった。
東京都内某所、かなり立地に恵まれた1DKながらも、家賃は格安の二万円ぽっきり、敷金礼金紹介手数料なし、保証人要らずという破格の好条件だったのだ。
ただ、物件を紹介した不動産会社の営業が言うには、
「この物件、ちょっとわけありなんだよねー。入居した人、もれなく三ヶ月以内に退去してるの。だから、下がりに下がってこの値段ってワケ」
という説明だった。見た目も話し方もホストみたいな男だった。まあ、不動産会社の営業なんて、どこもこんなものなのかもしれないが。
「わけありって何か環境に問題あるんですか。騒音とか?」
と、雪子が尋ねると、
「いやー、そういうのだったらうちとしても対策しようがあるじゃん? そうじゃないんだよね。いわゆるオカルト系のアレ」
またホストみたいな口調でかるーく答える男であった。
「オカルト……事故物件なんですか?」
「まあ、特に何か不幸があったわけじゃないけど、そんな感じかな? 退去した人の話によると」
「はあ」
「だから、そういうの大丈夫って覚悟のある人にしかオススメできないっていうか、契約するならなるべく長期間入居していてほしいんだよね。あ、二年縛りとかどう?」
「スマホじゃないんだから」
「だよねー、そういうのイマドキはアウトらしいしねー」
と、またかるーく受け答えしながら、急に真面目な口調になって「で、そういうわけだけど、どうするの契約? 入居するのしないの?」と、ズバリ聞いてくる男であった。
「そ、そうですね……」
雪子は当然うろたえるが、家賃二万ぽっきりという破格の好条件にはあらがえないものがあった。
なにより、今の雪子にとっては、オカルト的なものではなく、生きた人間のほうがよっぽどおそろしいものだった。
「わかりました、その条件でいいです。契約おねがいします」
「契約あざーっすー。じゃ、こちらが書類っすねー」
と、最後まで異常に軽いノリで契約完了であった。
やがてその数日後、雪子はすぐにそのアパートに引越しした。今の彼女にとって、引越しは焦眉の急であったのだ。季節は八月上旬、引越し業者は暇な時期ということもあり、その手配は実にスムーズに行うことが出来た。
「ご利用ありがとうございます」
家具と段ボール箱の山を新居に運び終えると、引越し業者は彼女を一人その場に残して去って行った。
そこはやはり、不動産会社で確認したとおりの好立地の1DKのアパートだった。しかも二階であり、バストイレは別、室内に洗濯機を置くスペースもあり、ロフトと小さなベランダもついていた。これで家賃二万円とは、それ自体がもうオカルトである。
「魔よけのお札でも買ったほうがいいのかな……」
荷解きをしながら、雪子はやはり不安を抱かずにはいられなかった。
それに、これからの新生活についても不安は大いにあった。
赤城雪子、二十五歳、独身。体型、普通。容姿、たぶん人並み? 職業……無職。貯金はわずか十万円ちょっと。このがけっぷちのステータスに不安を感じない人間がいるはずはない。人として、社会人として、かなりアウトである。
「まあ、魔よけのお札よりまず先にバイト探しよね」
雪子は重くため息を漏らした。
結局、その日はひたすら荷解きをするだけで一日が終わった。
翌朝になると、彼女はアパートの廊下に使用後のダンボールを並べて置いた。これらは後で業者が引き取りに来るはずだった。そして、引越しの際に出た、梱包用のヒモなど業者に引き取ってはもらえないゴミを袋にまとめて、一階に降り、アパートのすぐ前のゴミ捨て場に捨てに行った。
そこはこの近辺にある複数のアパートが共同で利用しているらしい場所だった。早朝なのでたいしてゴミ袋はたまっていなかった。だが、どういうわけか、そこには明らかにゴミではなさそうなモノが転がっていた――。
「え――」
と、とたんに声を失う雪子であった。
そう、ゴミ捨て場の隅で、ゴミ袋の山に前のめりに頭を突っ込んだ形で、一人の男が倒れている。背の高い、やせぎすの男だ。緑色のジャージの上下を着ており、髪は短い。額から血を流しているようで、ゴミ袋にそれが付着している。そして、ジャージの裾や袖からあらわになっている肌はびっくりするほど生白い。血の気を感じさせない白さ。
というか、これって、もしかして……死体?
「きゃああっ!」
と、思わず雪子が叫ぶと、
「……あ」
そこで死体が声をだし、体をわずかに動かした。ぴくっと。雪子はまた「きゃあっ!」と悲鳴を上げた。なんなの、もう!
「な、なに? 死んでないの?」
「あー、はい? 生きてますよ、一応……」
死体風の男は、前のめりになったままそう言うと、のそのそと身を起こし、雪子のほうに振り返った。朝日が、そんな男の顔を照らす――と、そこで、
「あ、やっぱ太陽きつ……」
とたんにその場にしゃがみこみ、朝日を避けるようにゴミ捨て場の隅の日陰に入り込む男であった。その額の中央からはやはり血が滴り落ちている。
「あ、あの、あなたはこんなところでいったい何を……」
死体ではないにしても、不審すぎる男に尋ねずにはいられない雪子であった。
「何って、僕はただゴミを捨てに来たんですよ。今日はゴミの日ですからね」
日陰で膝を抱えて体育座りの格好で男は答えた。暗くてその顔はよく見えない。
「はあ。じゃあ、なんで倒れて?」
「うっかりこんな明るい時間に外に出てしまったのが、僕の敗因なのです」
「敗因?」
「はい。油断していました。家の中では常にカーテンを閉じているので、外がいつのまにかこんな凶悪な太陽の光で満ちている時間になっているとは、気づかなかったのです。ここに来るまで」
「よ、よくわかりませんが、あなたは日光が苦手なんですか?」
「ええ。僕のお肌の大敵です」
「はあ……」
ようするに極端に紫外線に弱い体質ってことだろうか?
東京都内某所、かなり立地に恵まれた1DKながらも、家賃は格安の二万円ぽっきり、敷金礼金紹介手数料なし、保証人要らずという破格の好条件だったのだ。
ただ、物件を紹介した不動産会社の営業が言うには、
「この物件、ちょっとわけありなんだよねー。入居した人、もれなく三ヶ月以内に退去してるの。だから、下がりに下がってこの値段ってワケ」
という説明だった。見た目も話し方もホストみたいな男だった。まあ、不動産会社の営業なんて、どこもこんなものなのかもしれないが。
「わけありって何か環境に問題あるんですか。騒音とか?」
と、雪子が尋ねると、
「いやー、そういうのだったらうちとしても対策しようがあるじゃん? そうじゃないんだよね。いわゆるオカルト系のアレ」
またホストみたいな口調でかるーく答える男であった。
「オカルト……事故物件なんですか?」
「まあ、特に何か不幸があったわけじゃないけど、そんな感じかな? 退去した人の話によると」
「はあ」
「だから、そういうの大丈夫って覚悟のある人にしかオススメできないっていうか、契約するならなるべく長期間入居していてほしいんだよね。あ、二年縛りとかどう?」
「スマホじゃないんだから」
「だよねー、そういうのイマドキはアウトらしいしねー」
と、またかるーく受け答えしながら、急に真面目な口調になって「で、そういうわけだけど、どうするの契約? 入居するのしないの?」と、ズバリ聞いてくる男であった。
「そ、そうですね……」
雪子は当然うろたえるが、家賃二万ぽっきりという破格の好条件にはあらがえないものがあった。
なにより、今の雪子にとっては、オカルト的なものではなく、生きた人間のほうがよっぽどおそろしいものだった。
「わかりました、その条件でいいです。契約おねがいします」
「契約あざーっすー。じゃ、こちらが書類っすねー」
と、最後まで異常に軽いノリで契約完了であった。
やがてその数日後、雪子はすぐにそのアパートに引越しした。今の彼女にとって、引越しは焦眉の急であったのだ。季節は八月上旬、引越し業者は暇な時期ということもあり、その手配は実にスムーズに行うことが出来た。
「ご利用ありがとうございます」
家具と段ボール箱の山を新居に運び終えると、引越し業者は彼女を一人その場に残して去って行った。
そこはやはり、不動産会社で確認したとおりの好立地の1DKのアパートだった。しかも二階であり、バストイレは別、室内に洗濯機を置くスペースもあり、ロフトと小さなベランダもついていた。これで家賃二万円とは、それ自体がもうオカルトである。
「魔よけのお札でも買ったほうがいいのかな……」
荷解きをしながら、雪子はやはり不安を抱かずにはいられなかった。
それに、これからの新生活についても不安は大いにあった。
赤城雪子、二十五歳、独身。体型、普通。容姿、たぶん人並み? 職業……無職。貯金はわずか十万円ちょっと。このがけっぷちのステータスに不安を感じない人間がいるはずはない。人として、社会人として、かなりアウトである。
「まあ、魔よけのお札よりまず先にバイト探しよね」
雪子は重くため息を漏らした。
結局、その日はひたすら荷解きをするだけで一日が終わった。
翌朝になると、彼女はアパートの廊下に使用後のダンボールを並べて置いた。これらは後で業者が引き取りに来るはずだった。そして、引越しの際に出た、梱包用のヒモなど業者に引き取ってはもらえないゴミを袋にまとめて、一階に降り、アパートのすぐ前のゴミ捨て場に捨てに行った。
そこはこの近辺にある複数のアパートが共同で利用しているらしい場所だった。早朝なのでたいしてゴミ袋はたまっていなかった。だが、どういうわけか、そこには明らかにゴミではなさそうなモノが転がっていた――。
「え――」
と、とたんに声を失う雪子であった。
そう、ゴミ捨て場の隅で、ゴミ袋の山に前のめりに頭を突っ込んだ形で、一人の男が倒れている。背の高い、やせぎすの男だ。緑色のジャージの上下を着ており、髪は短い。額から血を流しているようで、ゴミ袋にそれが付着している。そして、ジャージの裾や袖からあらわになっている肌はびっくりするほど生白い。血の気を感じさせない白さ。
というか、これって、もしかして……死体?
「きゃああっ!」
と、思わず雪子が叫ぶと、
「……あ」
そこで死体が声をだし、体をわずかに動かした。ぴくっと。雪子はまた「きゃあっ!」と悲鳴を上げた。なんなの、もう!
「な、なに? 死んでないの?」
「あー、はい? 生きてますよ、一応……」
死体風の男は、前のめりになったままそう言うと、のそのそと身を起こし、雪子のほうに振り返った。朝日が、そんな男の顔を照らす――と、そこで、
「あ、やっぱ太陽きつ……」
とたんにその場にしゃがみこみ、朝日を避けるようにゴミ捨て場の隅の日陰に入り込む男であった。その額の中央からはやはり血が滴り落ちている。
「あ、あの、あなたはこんなところでいったい何を……」
死体ではないにしても、不審すぎる男に尋ねずにはいられない雪子であった。
「何って、僕はただゴミを捨てに来たんですよ。今日はゴミの日ですからね」
日陰で膝を抱えて体育座りの格好で男は答えた。暗くてその顔はよく見えない。
「はあ。じゃあ、なんで倒れて?」
「うっかりこんな明るい時間に外に出てしまったのが、僕の敗因なのです」
「敗因?」
「はい。油断していました。家の中では常にカーテンを閉じているので、外がいつのまにかこんな凶悪な太陽の光で満ちている時間になっているとは、気づかなかったのです。ここに来るまで」
「よ、よくわかりませんが、あなたは日光が苦手なんですか?」
「ええ。僕のお肌の大敵です」
「はあ……」
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