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第二十二話
しおりを挟む「で?」
わたしを先頭にずんずんと進んで、駅近くにある公園の真ん中にやって来たときに振り返った。
「で?」
山崎が首を捻る。義理の妹は終始うつむいていた。
「なんで黙っていたの」
わたしが正面から見つめると、義理の妹は視線を横に逸らせる。
「……なんでって。何を言い返しても無駄だって、渉ちゃんだって言っていたでしょ」
もじもじと手遊びしながら答えた。でも腑抜けた答えでは、こっちは納得しない。
「そりゃ、わたしが何言っても無駄だけど。あれだけ馬鹿にされて、何であんたまでずっと黙ってんのかって聞いているの。少しぐらい言い返さないと、どんどんつけあがっているじゃない! それとも何? 弱みでも握られて、暴力でも振るわれてんの!?」
「そういう訳じゃないけど……」
わたしがどれだけ声を張っても、しぼんだ声しか返ってこない。本当に毎日のようにわたしと言い争っている奴と同じ人間とは思えなかった。
陽介も見ている。いつもと違うわたしに少し驚いている様子だ。野蛮な女だって嫌われるかも。……別にそれでもいい。
今はそれよりも沸々と湧き上がる感情をとにかく相手にぶつけたかった。
「ま、まあ、渡辺さん。聖ちゃんだって、出来ることならどうにかしたいって思っていると」
「うるさい!! あんた、邪魔!」
間に割って入って来ようとする山崎を押しのける。
「大体ね! 友達が一人も居ない!? どう考えたって、あんたに原因があるでしょうが!」
「お、おい、渉」
陽介も止めに入るけれど、わたしは止まらない。
だって、わたしは知っている。
義理の妹は確かに空気が読めなかったり、愛想が無かったりするけれど、誰とも仲良くなれないような人間ではない。現に陽介や山崎とは少しは打ち解けている様子だし、以前はわたしとも一緒に遊んでいた。
「別にあんたの周りの世界なんて知らないけれど、あんなのばっかりじゃないでしょ!? あんな奴ら、あんたじゃなくても常に見下す人間を探してんの。でも、あんたは周りの人間なんて、全員こんなもんだって勝手に大ざっぱにくくって。一人ひとりを全然見ていない! だから、ずっと一人なんでしょッ!」
「……ッ! それは、だって……!」
顔を上げるけれど、言い返してこない。
もしかしたら、同じような嫌がらせを繰り返されて心が冷えて固まってしまっているのかもしれない。そうした方が楽だから。
――わたしも、そうだった。
中学一年生の終わり頃、わたしは学校で孤立していたのだ。
クラスで何かトラブルを起こしたわけではない。ただ、不良の上級生から目を付けられたのだ。お前の目つきが生意気だという、単純明快な理由だった。
確かにわたしの眼はつり目気味で、何とも思っていないのに怒っているのかと聞かれることもある。いまはメイクでカバーしているけれど、中学時代はそうはいかなかった。
しかも、気も強い。思わず言い返してしまって、完全にロックオン。
廊下ですれ違えば確実に罵声を浴び去られて、教室に居てもわざわざ絡みに来ていた。人気のない所に連れていかれることも、よくあった。
そうしていると、自然とわたしの周りからは人が居なくなる。今まで仲良くしていた子たちも離れて行って、わたしは独りになった。正直もう人間なんて二度と信じない、全員敵だとまで思っていた。
でも、ある日一冊のノートを拾う。
名前も書いていないので中をパラパラとめくると、鉛筆で絵が描かれていた。女の子や動物の可愛らしいイラストに、わたしはついじっくりと魅入ってしまう。
そうしていると、ノートは自分のものだと言って来る人がいた。
それが美玖だ。わたしは渡すときに「すごいね、可愛いね」とつい言っていた。言いながら、きっと何も無かったように避けられるだろうと予想していた。わたしが接するとそういう態度ばかり取られていたから。
だけど美玖は眼を輝かせて、「本当? 嬉しい」と笑ってくれたのだ。それを見て、なんだ全然敵じゃないじゃんって分かったんだ。
それから絶対に大丈夫なときだけ、美玖やクラスメイトに話しかけるようにした。笑顔でわたしは敵じゃないって知らせるように。
少しずつだけど、こわばっていた態度は優しくなっていった。
絡んでくる上級生たちが卒業するまではぎこちない関係は続いたけれど、あのとき美玖の笑顔を見なければ、ひねくれたままだったかもしれない。
義理の妹はあのときのわたしと同じような道を辿ろうとしている。関係ないと言えば関係ないけれど、昔の自分を見ているようで異様に苛立ったのだ。
「だって……」
「だってなによッ! ちょっとくらい戦ってみなさいよ!」
わたしは義理の妹の襟元に掴みかかった。
「お、おい!」「ぼっ、暴力は!」
陽介と山崎が羽交い締めにして止める。
「だって、渉ちゃん……。わたしのこと嫌いになったじゃない」
「え?」
わたしは手を引っ込めた。義理の妹はこちらをジッと見つめたまま、ボロボロと涙を流している。
「渉ちゃんがわたしのこと嫌いになって、それがショックで、どうしたらいいか分からなくて、それで学校でも明るく振舞うとかできなくなって」
「な、なに。わたしのせいだって言うの?」
戸惑うわたしにこの日初めて、義理の妹は声を荒げる。
「だって! お母さんたちが再婚する前までは、仲良くしてくれていたじゃないッ!」
「再婚? どういう……」「いいから」
山崎が口を挟もうとするところを陽介が止めている。
義理の妹は泣いたまま、言葉を続ける。
「前の渉ちゃんは派手な見た目だけど、いつもニコニコしていて、つまんないわたしとも仲良くしてくれて」
「そりゃ、昔は」
「分かっている……。お母さんがお父さんと仕事の関係者だから、わたしにも気を使っていたんだって。でも、それでも……。渉ちゃんはわたしの憧れだったの……」
確かに再婚する前、義理の妹はわたしに会うたびに嬉しそうにしていた。言葉とか態度とかには出さないけれど、何かとわたしの隣に来たがって、よく話しかけてくる。
そのときは本当に妹になるとは思わなかったから、わたしも妹が出来たみたいで嬉しかった。何でも話を聞いたり、ひとつ結びにばかりしていたから髪をアレンジして遊んだりしていた。
「でも、でも……。再婚した途端に、渉ちゃんがお母さんに攻撃するようになって、だからわたしが守んなくちゃって。だって、わたしにはそれまでずっとお母さんだけだったから……。大事な、お母さんだから」
――わたしだって、お母さんが大切だから。
くちびるにまで出かかった言葉を、すんでのところで飲み込んだ。
いま、初めて彼女が必死に母親を守っていることに気づいたからだ。もちろん知ってはいたけれど、わたしに対する対抗心やもっと口先だけのものかと思っていた。
でも本当はそれより、もっと深いものかもしれない。
それに彼女の母親は現実に居て、わたしには居ないんだ。もしかしたらわたしが守っているのは、本当のお母さんじゃなくて、わたしの心の中に居るお母さんなのかもしれない。だから守っているのはお母さんじゃなくて、――わたし自身。
そう思うと、わたしの眼の端からも涙が流れて来る。
「なん、だよ……」
似ているのに、決定的に違う。そんな彼女はわたしの変化に気づかずに、ボロボロと涙を流している。
「でも、学校でずっとあんなんで、友達も居なくて、ずっとひとりで、もう消えて無くなりたい……」
「聖ちゃん」
わたしは再び間に入って来た山崎を押しのける。
「聞いてなかったのかよ。あんたは昔のわたしに会えたんだからさ、そういう人間が他にもいるに決まっているじゃん。バカ聖」
「渉ちゃん……」
わたしはいつの間にか、泣きじゃくる義理の妹の頭を抱いていた。約一年ぶりに名前を呼ぶ。わたしが傍にいるからとは言えなかった。
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