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第十一話 

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 side 聖



 最近、何だか家の中がギクシャクしている気がする。

 一年ほど前にお母さんがお父さんと再婚した。それから義理の姉・渉ちゃんは反発して、家に帰って来なかったり、わたしと口喧嘩をしたりする。

 だけど、この数日の違和感は何だかそれまでの摩擦とは違う気がした。

 特に、渉ちゃんとお父さんだ。

 元々仲のいい親子なのに、昨日の二人の態度で何だかおかしいと感じた。仲が悪くなったという訳じゃない。けれど、やけに目配せをしていた気がする。それに渉ちゃんはお父さんに話があると聞いたら、すぐにわたしたちと帰った。普段ならあり得ないことだ。

 もしかしたら、二人は何かを隠しているのかも。

「聖、学校行かなくていいの?」

 ぼんやり考え事をしながらテレビのニュースを見ていると、洗濯籠を抱えたお母さんが後ろから声をかけて来た。気づいたら朝のニュース番組は終了寸前で、気を付けて行ってらっしゃいと女性アナウンサーが手を振っている。

「行ってきます!」

 わたしは鞄を持って元気よく家を飛び出す。後ろから行ってらっしゃいと言う声が聞こえた。少し駆け足気味で住宅地の道を歩いていく。でも、二分も歩くと途端に足が重くなった。まるで、足に重りをつけられている気さえする。

「おはよー」

「おはよー。昨日の配信見た? 最高だったよねー」

 同じセーラー服と学ランの中学生たちが、わたしと同じ方向に歩いていく。黒髪の波は時間が経つごとに増えた。
目の前に同級生たちが現れ、にこやかに挨拶をしている。黒い頭の二列の波は、また一人加わって三列の波になった。そんな波が歩道のあちこちで見られる。

 でも、わたしはどの波にも乗ることは出来ない。

 あまりに遅い波は追い越していく。ひとり黒い海の底で足を引きずって進んでいるような気分だ。それは学校についてからも同じで、同級生が楽しく談笑している廊下をひとりで歩いて教室に入る。

 普段ならそのまま自分の席に一直線に向かうが、二歩歩いたところで止まった。

 自分の机にだけ、他の机にはないものが乗っている。

「あれ? 渡辺生きてるじゃん」

「死んだかと思った。だって、ほら」

 前の方に座っている女子三人がクスクス笑っている。

 おそらく彼女たちがしたことだろう。わたしの席には花が生けられた花瓶が置かれていた。いつもなら教室の窓際に置かれている。古典的な嫌がらせ。やることが陰湿だ。

 わたしは席に近づいて、花瓶を持つ。そのまま無言でいつもある場所に置きなおした。

「渡辺、無反応すぎじゃない」

「まるで幽霊じゃん」

「ポルターガイストぉー」

 手をだらりと下げて幽霊のポーズをして馬鹿笑いしている。まるで子供の仕草だ。あんな人たちとまさか同じ年だとは……。

 わたしは黙ったまま、椅子を引いて席に座る。

 朝から少し心が乱された。とはいえ、朝の嫌がらせは一瞬で終わる。ニヤニヤと笑っていた女子たちも、それ以上ちょっかい出してこようとはしない。

 彼女たちは気まぐれで卑怯だ。証拠の残るような嫌がらせはせず、机に花瓶を置くようなちょっと運ぶときに置いただけとか言い訳の効く、チクチクといたぶるような嫌がらせをする。

 何かされても怪我をするようなことはないから、なるべく反応しないようにしていた。何か反応すると事態はもっと悪くなるに違いない。わたしは何も言わずに表情を変えずに、石の置物になったような気持ちで、気まぐれなつむじ風が去るのを待った。

 当然、他のクラスメイトは気づいているし、教師も気づいているけれど何もしない。誰かが何かを言っても、お手軽な快楽を求める彼女たちが素直に止めるとは思えなかった。

 一時間目の授業が終わると、わたしは一人トイレに立つ。空いている個室に入ると、ふーっと息を吐いて座り込んだ。

 いつものこととはいえ、全く自分に影響がないわけではない。嫌がらせや嫌な言葉を聞くと、当然のように思考は固まる。苦い気持ちを見ない振りして、落ち着いて行動。

 それだけが、わたしに出来ることだ。

「それでさー」「それ、本当?」

 みんなが使うトイレなので、当然誰かが入って来る。聞き覚えのある二人の声は、おそらく同じクラスの女子だろう。個室には入らず、おしゃべりに夢中のようだ。

「でもさ、今朝のはやりすぎだよね」

「ああ。渡辺さん?」

 わたしの名前が出て来て、ドキッとした。つい、息を殺して聞き耳を立ててしまう。

「そう。酷いよねー。花瓶置くとか、幽霊の真似するとか。いくら渡辺さんが何も言わないからってさ」

「まあねー。渡辺さん、全然表情変えなかったもん。強いよねー」

 わたしが嫌がらせをされていても、クラスの人たちは何も感じないと思っていた。

 ただ、遠巻きに見ているだけ。でも、嫌がらせを酷いと思っていて、わたしのことを強いと思っていたみたいだ。

 どうしようか。ここで、個室から出て強くなんかないと言うべきだろうか。でも、聞き耳を立てていたことがバレてしまう。

 それでも何気なく出て、何気なく話しかけたら――

「やりすぎだけど、渡辺さんも渡辺さんだよね。止めてすら言わないんだよ。だから、あの子たち調子に乗るっていうか」

 ドアを開けようとした手を止めた。

「ああ、ねー」

「それに、わたしだったら、あんなことされたら泣いちゃうもん。それなのに全くの無反応でさ。鉄女てつおんなって呼ばれているだけあるよ」

「確かにねー。絶妙なネーミングだよね」

 少しだけ上気していた体温がスッと冷めたような気がする。

 鉄女。そんな風に呼ばれているなんて初めて知った。

 嫌がらせをしてくる女子たちだけじゃない。遠巻きで見ていたクラスメイトも、わたしのことをそんな風に影で呼んでいたのだ。

 こうべを垂れて再び、便器に腰を下ろす。こんなときなら、誰もいないし泣いていいのかもしれない。でも、泣けばいいってものじゃない。

 昔から涙はいつだって敵だった。

 嫌がらせは何も昨日今日始まったわけではない。わたしは小学生のときから、よく泣かされていた。わたしが泣いているのを見ると、嫌がらせをして来た奴らは勝ったと思い込み、勝利の笑みを浮かべるのだ。

 弱者に対する自称勝者はえげつない。嫌がらせはさらにエスカレートする。

 それでも、放課後には涙を拭わなければなかった。お母さんに要らない心配をかけないためだ。

 お母さんがわたしの実のお父さんと離婚したのは、小学三年生のとき。

 実のお父さんとの思い出はあまりない。家に居ることも少なくて、家族団らんはいつもお母さんと二人きりだった。だから別れると聞いたときも、悲しいとも思わなかった。

 それでも、離婚となればそれまで通りとはいかない。それまで過ごしていたお父さんの家に住むことは出来なかったから、小さなアパートにお母さんと二人で引っ越した。

 二人きりの生活は気楽ではあったけれど、なにかと忙しなかった。小学校が終わって家に帰れば洗濯物を取り込まなければならない。必要だったら買い物をして、夜ご飯の簡単な下ごしらえをして、宿題をしながらお母さんが帰って来るのを待つ。

 離婚したての頃は、よくお母さんはわたしに謝っていた。

 放課後は友達と遊びたいだろうに、と。仲のいい友人も少なかったわたしは、そんなこと別にいいと言う。それより、生活のために仕事を始めたお母さんがいつも忙しそうにしていて心配だった。

 だから、今のお父さんと再婚すると分かって、すごく嬉しかった。お母さんも朝から夜遅くまで仕事をする必要はなくなった。お母さんの表情も、今までにないぐらい安らいで見える。だけど――。

「……わたし、ずっと変わってない」

 小さな声でただ事実だけをつぶやく。

 変わったのは環境だけ。元々の性格なんて、そう簡単に変わるものではない。

 中学を転校するときも今度は上手くやっていけるかもしれないと期待したけれど、結局馴染めずに一年が経った。前の学校で少しは話す友人が二人居たけれど、離れてしまえば話が合わなくなってすぐに疎遠になった。再婚する前は仲良くしていた渉ちゃんとも、顔を見ればいがみ合ってばかりいる。

「誰にも必要とされていないし」

 お母さんが再婚して、そう思うことが増えた。それまでは、何かやらなくてはならないことがあって考える暇がなかったからだ。

 例えわたしが明日消えてしまっても、家族以外は誰も何とも思わないだろう。

 自分は家族なんかじゃないと言い張るに違いない渉ちゃんは、もちろん悲しまないに決まっている。

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