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第二十三話 二人だけの夏休み
しおりを挟むまさか、こんなことを忘れているはずがない。ぼんやりとしたままファミレスから家に帰った雪花は、電気もつけずに部屋のベッドにうつ伏せに転がって考える。
池林を見る詩帆の目は最初、嫌悪も好意も感じられなかった。本当に存在そのものを忘れているようだった。
もしもの世界を集約する装置。勇樹の父親が言っていたのは、やはり花火大会の後にあがった、あの不思議な光のことではないのだろうか。
パラレルズの光を見た人の願いを叶える。詩帆は雪花と共に確かに見ていた。詩帆はこう願ったのかもしれない。
――もしも、あのことが起きない世界だったなら良かったのに。
雪花自身も何度も願ったことでもある。しかし、それなら池林の存在自体を忘れているのはおかしい。それでも、詩帆があのとき何かを願ったのは間違いないだろう。
「今の詩帆は違う世界線から来た詩帆なんだ……」
雪花はギュッとベッドのシーツを握り込む。今接しているのは中学のときに何も起きていない、雪花が裏切ったりしない世界線から来た詩帆。
だから、雪花とも仲良くしてくれて、親友だと言ってくれる。
――でも、本当の詩帆なら?
想像をしただけで胸が苦しくなる。本当の詩帆ならば、こんな夏を一緒には過ごせなかった。それは何だか、本当の詩帆への裏切りのような気がした。
中学のときに裏切って、またこの夏も裏切るのか。
そのとき、ベッドに転がしていたスマホが鳴った。ラインが届いた音だ。
スマホを手にして通知を見ると、ドキリと心臓が跳ねる。詩帆からのメッセージだ。
詩帆『ねぇ、今日雪花おかしくなかった?』
おかしいのは詩帆なのに。いや、この詩帆は何も知らない。雪花はそう思いつつ、なんとか振り絞って返事を打つ。
雪花『そんなことないよ。詩帆が池林くんのことを忘れていてびっくりしただけ』
本当のことを雪花は言えなかった。
中学のとき自分の世界ではこんなことがあって、詩帆に自分は嫌われていた。そんなことを言ったら、いまの詩帆にも嫌われてしまうだろう。
詩帆に軽蔑する目を向けられるのはとても耐えられなかった。
しかし、次の文言を見て、雪花は目を瞬かせる。
詩帆『そうじゃなくて、雪花が勇樹を見る眼がいつもと違ったなと思って。もしかして、雪花。勇樹のこと好きになった?』
まさか、詩帆の方から恋愛の話が出て来るとは思わなかった。しかも、かなりストレートな質問だ。どう返答すればいいか困る。
雪花『もちろん、嫌いじゃないよ』
迷った末に出た言葉は少しひねくれた答えだ。それを見たら、続きを付け加えたくなる。
雪花『でも』
詩帆『でも?』
雪花『いなくなったら嫌だなってすごく思う』
雪花は不安なのだ。勇樹も詩帆も、きっとここではない平行世界から来たのだろう。
いきなり来たときと同じく、いきなり居なくなることもあるのではないだろうか。
そうすれば雪花はこの夏のことを覚えていても、二人からはガラス細工のように儚く割れて記憶は消えてしまうのではないのだろうか。
そんな雪花の思いを知るはずもない詩帆。またラインの返信がある。
詩帆『分かった。今日さ、勇樹、わたしのことかばってくれたじゃん。だから、あいつのことちょっと見直したんだ。ちょっとは認めてもいいかなって思った。だから雪花、わたしに任せて』
何を任せるのだろうか。でも、もう返信する気にはならなかった。
「どうして気づいちゃったんだろう」
――この世界の秘密。
知らずにいたら、雪花もまだあのキラキラした眩しい夏の中にいたかもしれない。
夏休みで曜日の感覚がなくなっているが、この日は土曜日だ。
雪花の父と母も、リビングでくつろいでいる。その背中に雪花は声を掛けた。
「マルの散歩行ってくるね」
雪花は愛犬マルにリードをつけて、朝の散歩に出て行く。いつもの散歩道をマルが先に歩いた。今日もマルはお尻を振って上機嫌だ。
公園の中に入ったとき、スマホが鳴る。
珍しく電話で、しかも勇樹からだ。マルと木陰に避難する。
「はい」
雪花は少し緊張をはらんだ声で電話に出る。
「あ! せ、雪花さん。突然、電話してしまって、すみません! いま、大丈夫ですか?」
何となく、電話の向こうで勇樹が頭を下げている空気がした。
「うん。大丈夫だよ」
「あの! 今日の夜、お祭り行きませんか?」
「お祭り?」
今日はお祭りがあったのだろうか。少なくとも雪花は知らない。
「どこかでお祭りがあるの?」
「はい。俺の家の近くの小さな神社なんですけど、そこが夏祭りをやるんです。すごく小さいですけど」
勇樹は何度も小さいことを強調する。おそらく、彩見神社のことだろう。
特に予定もなかった雪花は楽しそうだと思う。
「うん。いいよ。じゃあ、詩帆と葉瑠も」
わたしが誘うよ。そう言おうとしたら、「あのっ!」という勇樹の声が遮った。
「俺と、雪花さんだけで、行きませんか」
「え……」
勇樹と雪花だけで、夏祭りに行く。きっとこういうのをデートと言うのだろう。昨日のラインからして、夜のうちに詩帆が勇樹に誘えとけしかけたのかもしれない。
「どう、ですか?」
雪花はどうしようかと考える。二人で行くと言えば、自分の気持ちは定まっていないのに期待させてしまうのではないだろうか。
でも――
「行きたいな」
勇樹に離れて欲しくない。なるべく、勇樹の一番近くに居たい。消えてしまわないように、掴まえていたい。
そんな想いが雪花を後押しさせた。
「じゃ! じゃあ、今日の夕方迎えに行きます!」
完全に興奮で上ずった声がして、電話が切れる。その興奮具合にフフッと思わず笑みが漏れた。そんな雪花をマルが不思議そうに見上げていた。
夕方、冬野家の玄関チャイムが鳴る。
「こんばんは、えっと、自分、雪花さんと仲良くさせていただいている知念勇樹と言います」
勇樹は緊張しながらも、カメラに向かって丁寧に自己紹介した。
「ああ。雪花はいま準備しているよ。玄関の中で待っていてもらえるかな」
インターホンに出たのは、雪花の父親だった。機械越しでも少しぶっきらぼうな声に勇樹は背筋を伸ばし、「失礼します!」と大きな声で言って、中に入ってくる。
「……あ。姉ちゃんの彼氏?」
そこにちょうど雪花の弟の祭が通りかかった。
「いえ、お友達です」
ふーんと観察するような眼で見ながら、祭は居間に入る。
勇樹はじっとりと緊張の汗を手に握っていた。今のは合格なのだろうか、不合格なのだろうか。一瞬のうちに姉に相応しいかどうか、ジャッジされたのではと勇樹は思ってしまう。
そのまま五分ほど待つとパタパタと廊下を歩く音が聞こえてきた。
「あなたが勇樹くん?」
勇樹は雪花が大人になったような女性の出現にさらに緊張を高める。間違いなく雪花の母親だ。優し気な微笑みを口元に浮かべている。
「準備に手間取って、お待たせしてごめんね。いま、終わったから」
その瞬間、勇樹はあれだけ高まっていた緊張がスッと消えていくのを感じた。目の前に現れた雪花に何も言えなくなる。
「勇樹?」
雪花は白地に青い朝顔が描かれた浴衣を着ていた。髪は涼し気にアップにしている。手には絞り布の赤い巾着袋を手にしていた。
「……変かな」
何も言えずにいる勇樹に雪花が尋ねる。
「いえ、そ、その、あまりにも綺麗すぎて、その俺なんかが隣を歩いていいのかと……」
恥ずかしがる勇樹を見て、何だか雪花も恥ずかしくなってきた。
「ほら、二人とも。いってらっしゃい」
そっと母親に背中を押されて、雪花と勇樹は一歩前に出る。
二人だけの夏祭りが始まった。
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