【完結】母親になれなかった私達へ

九時せんり

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母親になれなかった私達へ

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結婚前の自由な生活に戻りたいとかそういうことではなく、子供を育てている間というのは自分の可能性がどんどん否定されていく感じがあった。
哺乳瓶で水分補給していた息子が今ではストローマグで水分補給している。
寝返りをしてハイハイを覚えてつかまり立ちをした。
旦那はたいそう喜んでいてそこにも温度差があったのに私は自然に母親になれるものだ。
そう思って自分を誤魔化し続けた。
不満が爆発してしまってから離婚届に判を押すまでは早かった。
やりたいこともない、子供を育てる必要もない。自分には何も残っていなかった。
それでも生きていくためには働かなくてはいけない。
私は産前に世話になっていた出版社に連絡を取り、仕事を斡旋して欲しいと頼んだ。
昔の私の担当の守山が出世していて二つ返事で了承してくれた。
今から私には何が描けるだろう。そう思った。

現実を知ったからこそ書ける作風を期待しています。守山にはそう言われた。
私は母が苦手だった。女と母親の中間にいるような人だった。子供の頃から彼女は私の女性性を否定するのに必死だった。
脱毛なんてしなくて良い。化粧品なんて男をひっかける道具にすぎない。
私はあか抜けない中肉中背のもっさりした女だった。
旦那は私のどこが良かったのだろう、そう何度も思った。少女漫画に出てくるような男の人は世の中を探し回ってもほとんど居ない。
たいていは始めましてで色んなことにふたりで挑戦する。お付き合いに同棲、結婚、ハネムーン…。
その間、何度も私には違和感があった。母の望むような私でありたいと子供の私が叫んでいたのだ。自分の子供にはたまに会うことが出来た。その度に運命の相手はどこで出会えるか分からない。この人だと思ったら逃がしてはいけない。そうけしかけた。
子供はなんの頓着もなくクラスのあの子が好き、この子が好きと話していた。
人を好きになる事自体、私には苦しい物だった。男性を好きになるとベリーショートヘアにして女の子の自分から逃げた。
性欲はなかったふりをした。
それでも私には学生時代恋人がいた。
恐ろしくキレイな顔をした芸術作品のような男の人だった。
私は彼のような美しい人には釣り合いは取れなかったが精一杯女の子をした。
マフラーを編み、ケーキを焼いた。
彼は喜んでくれた。それでも私のなかの女の子は悲鳴をあげていた。
これは私ではない。
そう叫んだ。
そうして彼に別れを告げた。彼は自殺してしまった。元々、精神を病んでいる人だったのでいつかはこうなるだろうな。そう思っていた。

地元に帰って仕事を探した。年齢的にまだ派遣で働けたので派遣で働くことにした。
上司の白松さんが凄く丁寧に仕事を教えてくれる人でこの現場で長く務められるといいな、そう思った。
私は家庭的というよりおばさんくさい人間だと自分では思っていた。
服装も女性らしいものよりユニセックスなものを好んだ。
30代後半。
もう出会いはないだろう。あったとしても子供を望まない人が良かった。
異父兄弟や異母兄弟が出来ることが気持ち悪いと思ったからだ。
良識のある別れた旦那のもとで子どもたちは健やかに育っていく。
再婚相手との間にできた娘に美顔器を買ったと聞いた。
私はそれを心から喜んだ。それと同時に自分にはもうお金をかけなくても良いのかもしれない。最低限の暮らしをして子供にたくさん投資して自分のような人間にならないようにしたら良い。そう思った。

それでも蓼食う虫も好き好きだ。
こんな私に声をかけてくる男性が居た。浜坂という男の人だった。職場に入った時、自己紹介はしていたが名前は覚えていなかった。
私は私が恋をしたら、きっと子供は気持ち悪いものを見る目で私を見るだろう。そう思った。明るくはつらつとした浜坂は暇さえあれば私と話した。
餃子を皮から作ると話していた時に割り込んできた。
へー今度作って来てよ。そう言われた。浜坂はキレイな顔をしていたが野性的な雰囲気も持っていた。この人と恋をしたら、女であることを受け入れないといけないだろうな、そう思った。
それでも浜坂は既婚者だったから安心して話せた。

その日は会社にふたりで残っていた。派遣なので時間になれば帰れば良かったのだが浜坂が嫁も呼ぶから食事に行こうと言ってきた。
私は馬鹿正直にそれを信じた。
浜坂はそろそろ終わるから帰ろう、そう言ってきた。私はこの時になって自分の置かれている状況を理解した。太めのヒールのパンプスで私は走ってエレベーターに乗ってボタンを押した。
そっちだってその気があったんだろう?そう追いかけてきた浜坂には言われた。
私は自分がこれ以上人と混ざり合っていくのが嫌だった。
行為としても精神としても私は誰にも犯されたくなかった。そしてこの日派遣を辞めた。

守山にまた連絡をした。コラムかエッセイを書きたいと伝えた。今は空きがない。そう言われた。ならばいっそ長編でも書いてください。そう言われた。私は複雑な人間だと思う。下着は上下セットじゃないと嫌だし、本当はピンヒールを履いて膝丈くらいのスカートを履きたい。ゴージャスな巻き髪をして化粧をバッチリしたい。でもそれは彼を喜ばせたいわけではなく、自分のなりたい姿なのだ。
あくまでも私という姿は私の看板なのだ。私の中には優しい母親がいなかった。
そして優しい母親を嫌悪している自分も居た。

たまに母に会いに行った。父は3年前他界して、母は父の遺族年金などで暮らしている。母は思い出したように人生を語る。
皆が良い結果になったね。よくそういった。
ああ、母も自分の人生に自信が持てないのだろう、そう思った。
妹の子供から来た便りを楽しそうに見せてくる。お前はどこで間違えたんだろうね?そんな言葉が聞こえてきそうだったが私は母を相手にしなかった。

母が死んだところで私の中の子どもの私は満たされないままだろう。それでも自分の子どもたちは、凄いスピードで大人になっていく。
歪まないようにぶれないようにそう祈った。

息子が大学生になった頃、私は執筆でご飯を食べていた。息子は私と話しながら執筆だけでご飯なんて食べていけるものなの?そう聞いてきた。私はありとあらゆる事を潜ませれば作品だけでもご飯は食べていける。そう答えた。
潜ませるって何を?息子がそういった時に私は息子は私の作品になど触れたことが無いのだろうな、そう思った。
彼の身体を構成する遺伝子は私だったとしても彼を構成する父や母は別の人間なんだ。そう思って安堵した。

息子は今年公務員になる。
誰も否定などしなかった。私は母親にはなれなかった。それでも子どもたちは育っていく。私が子どもたちに呪いをかけることがありませんように。そう願った。
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