【完結】生誕

九時せんり

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生誕

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芸術は好きだ。見る人全てに感銘を与える。
芸術は好きだ。見る人全てに思考の余白があると教える。
私たちは無限に想像することができる。それでも全ての物事が繋がっているとは思わない。
私が学芸員を目指したのは日頃からより良きものが見たかったからだ。
限られた世界で現実と虚構の世界を行き来することは容易ではない。
それでも世に出る芸術家たちは命を削りながら作品を作り続ける。

中村ショウタもその一人だ。私が勤める奈良県立美術館に連日来ていた学生だった。
学生時代は自分が芸術家だと言わんばかりの格好をしてチャラチャラとしていた。
何度も来るので二、三回話したことがあった。話をする度に意見が二転三転するので、意志の弱い子なんだろうな、とそう思った。
描きたいテーマが見つからない。
自分には才能がない。
そんなことばかり嘆いていた。
私自身、学芸員を志す前は芸術家になろうと思っていた。しかし、大学に入ってすぐに自分の道を選ぶ選択を迫られた。
大学は石川県金沢市にある美大に通っていた。
私はそこで現実を思い知った。
下手とか上手いではなく真の芸術には魂が宿るのだ。いくら時間がたっても色褪せない何かがあるのだ。
芸術を取ったら私には何が残るのだろうか。
子供の頃から絵や骨董は好きだった。でも私は作る側の人間ではなかった。
それは私のそばに寄り添う影のように、そっと寄り添った現実だった。
私はショウタに自分の影を重ねた。これだけの意志しか持たない人間に芸術家など志せるわけがない。そうたかを括っていた。
ショウタは奈良にある芸大に進学した。ああ、もう結果が出るだろう。そう思った。
しかし、ショウタは違った。
意志が弱いと思っていた彼はスポンジのように何でも吸収する子だった。
私は彼の才能を妬んだ。今までずっと心にモヤがあった。今までずっと彼を下に見ていた。
何も描けやしないくせに、一端の芸術家気取りだ。そう思っていた。
新聞に彼の作品が載る度に歯がゆくて仕方なかった。
なぜショウタなのだろう。私はそう思った。
一度新聞にショウタは自分には才能がないと言う一文が載った。私は芸術の神を憎んだ。

久しぶりにショウタが美術館に訪れたとき皮肉を込めて、
「中村先生お久しぶりです。」
と、言ってやった。
ショウタは昔と違ってシンプルなスタイルの服を着て、まっすぐな目をしていた。
「ありがとうございます。お陰さまです。」
そう言ってショウタははにかんだ。私は心のそこからショウタを憎んだ。そして羨んだ。
「何もなくとも筆を取れば良かったんですね。」
「さあ、どうだろうね。」
私は何も答えたくはなかった。神は残酷なことをする。持つものと持たざるもの。それは棲み分けることは出来ないのだろうか。
「学芸員さんはもう作品は作られないんですか?」
私は吐き気がした。これが上から目線の人間の言葉だ。
「僕もいつかは筆を折る気がするんです。」
そう言ってショウタは顔を曇らせた。
私はここぞとばかりに芸術家の歴史を交えて話した。
「実は僕はピカソとかゴッホとか良くわからないんです。ヒマワリは見たことあるんですけど。」
どこまで人を不愉快にさせる男なのだろうか。そう思った。
大体の芸術家はクロッキーや模写から技術を盗んでいく。しかし、彼はあくまでも実力型なのだろう。
「僕は絵は難しくて分からないけど天体は好きなんです。」
私は彼の言葉を理解するのに数分を要した。
つまり彼のインスピレーションは天体だっのだ。
私はできるだけ紳士的に冷静に彼と接しながら話をした。
ふとした時に、彼と目があった。現実から乖離している目だ。私は学生時代、幾度となくその眼を見てきた。
「石川県金沢市の美術館にいくといい。新しい世界が広がるよ。」
いつの間にか私の口をついて出た言葉だった。敵に塩を送るつもりはなかった。
しかし、私はどこかでショウタを尊敬するようになっていった。
家に帰ると昔のイーゼルや使わなかったキャンパスを出して触れてみた。
そこには何も宿る気がしなかった。

夏になりショウタは最後の卒業制作について考えるようになっていった。
学生時代、刑事の張り込みのように学内で寝袋を使って寝る光景を思い浮かべては笑った。
「学芸員もいいなぁと思ったんです。」
また、不愉快なことを言う。
「描ける人は描いた方がいい。それは神からのギフトだ。選ばれた人間に与えられる物でもない。運と努力だ。」
釈迦に説法だ。私は彼から踵を返した。
「仕事が残ってるので。」
そう言って事務所に入りメモ用紙を一枚ビリビリに破いた。思えば私は絵を描く時間より絵を見ている時間の方が多かったのではないだろうか。
見れば見るほど美しく、触れたら触れたぶんだけ手触りがわかる。
私にはやはり絵を描く才能がないのだ。
数日後、夏休みの子供を迎えるためにスタンプラリーのカードを作った。
たまたま来ていた、ショウタがそれをまじまじと見ていた。
「こういうの僕は作れないんです。本当に凄いと思います。」
「こんなもの誰だって作れるよ。」
私は少しつっけんどんに対応した。それでもショウタは続けた。
「金沢に行ってきたんですけど、美術館より街並みが素敵でした。まぁ奈良の方が好きですけど。」
「それがどうかしたのかい。」
「描きたいものって何でもいいんですよね。」
「当たり前じゃないか。」
「僕は自分で何かを描きたいとは思わないんです。与えられたテーマをこなすだけなんです。そこに自分で枝葉をつけてにょきにょきって成長させるんです。」
私は笑った。にょきにょき…。
「描きたくて描きたくて描きたくて筆を折ったらどれだけ楽かと思う日もあったんです。」
「私だってそうだ。」
「ずっと見たかった風景が絵や写真になる。それは美しいものだと思うんです。」
結局、ショウタは何かを言いかけては考え、何かを言いかけては口を閉ざした。
この子は言葉を持たないのだろう。私はそう思って口にした。
「行きたいなら行きたい場所まで行けば良い。」
「本物にしか感動は宿らない。」
私はこの二言を言ってさっさと仕事に戻った。精一杯、大人として振る舞ったつもりだった。
振り向くとショウタは深々とお辞儀をしていた。
私の中でのショウタは神様みたいなものだった。しかし、ショウタは私を羅針盤にしていた。それがついさきほどわかった。
テレビの中に映ったショウタは言う。
「ある親切な学芸員さんがいたんです。」
私は彼が迷い続ける限りここで働き続けよう。私はプロの学芸員なのだ。私はいつかこう言うだろう。
「中村ショウタ先生は良くここに来てましたね。」
と。
そして私は多くの人と共に「中村ショウタ」と言う芸術家を産み出したのだ。
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