【完結】某日、そこで。

九時せんり

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未宙

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午後1時45分。
天気予報通りの雪が降り始めた。
郵便局まで来た未宙は今、何故ここにいるのかよく分からなくなっていた。
大ちゃんに連絡するか、平太に連絡するかと、手に持った紙に書かれていた。
鞄をあさるとスマートフォンが出てきた。
大ちゃんの電話番号を探して電話をかける。
しかし、電話をかけながら何故電話をかけているのか分からなかった。
8コールめくらいで大ちゃんがでた。
「私、郵便局にいるんだけど。」
「切手をシートで買うって言ってたよ。家の近所にはポストがあるしね。永中さんとの文通用に。」
そこまで言われて未宙は思い出したように郵便局に入った。しかし、自分がそんな事を言った記憶はない。
丁寧な郵便局員が席を立って応対してくる。
「あの、切手をワンシート欲しいのですが。」
「おいくらの物でしょうか?」
「84円です。」
「少々お待ち下さい。」
そう言って未宙は84円切手をワンシート購入した。
帰り道はいつもの道だ。
郵便局から横断歩道を渡って右の細い路地に入る。真っ直ぐ進むと左に神社が見えてくる。
そこから右に曲がって家につく。
家に帰ってまず傘から雪を落とした。
北海道から嫁いできた未宙はこの土地の雪が好きにはなれなかった。雪かきをしていてもすぐにズシンと重くなっていく。
大ちゃんが流しから出てきた。猫のツムギと一緒だ。
「お帰り、母さん。行けたじゃん。」
そう言ってツムギが玄関に降りないように大ちゃんが抱き上げる。
こんな物あったかしら?と未宙は玄関を見渡して考えた。
「大ちゃん、聞きたいのだけど?」
「何?母さん。」
「私は朝はうちにいたのかしら?」
「餅食って寝てたじゃん。」
ああ、そうね、そうねと言って未宙は家に入った。
「母さん、調子悪いなら入院するっていう手もあるんだからね。」
そう言って大ちゃんは急須にお茶っ葉とポットのお湯をいれていく。
寒かったでしょう?そう言ってお茶を差し出した。
「若松先生にはなるべく自分でするように言われてるのよ。」
そう言って未宙はお茶を飲んだ。
未宙の家ではお茶は米本茶葉店からしか買わないと決めている。焙じたお茶の香りが未宙の高ぶった精神を沈めてくれる。
「若松先生なんて若手何だから院長先生の意見を参考にしなよ。」
そう言って大ちゃんはこたつに入った。
ツムギはカリカリと爪を研いでいる。途中でふにゃーと声が上がる。大ちゃんは、お前の鳴き方は本当に情けないなぁと言ってツムギを膝に乗せてノートパソコンに目を落とす。
「レターセットはどこだったかしら?」
「言うと思って出しといた。」
そう言って大ちゃんはレターセットを未宙に手渡した。
「これじゃ駄目なのよ。」
「何で?」
「これはアザミだから、今の季節使えないのよ。」
「そんなことまで誰も見てないでしょう?」
「永中さんはマナー講師もされているから季節感とかも大切になさっているのよ。」
そうは言ったものの、未宙はレターセットがどこだったか全く思い出せない。
大ちゃんは寒い、寒いと言いながら電話台の扉の中からレターセットを取り出して戻ってきた。
「今日は初雪だね。」
「そうね。雪のレターセットがあったはずなんだけど。」
「それなら真宮さんの娘さんのお祝いに使ったでしょう?」
「真宮さんって誰だったかしら?」
「父さんの職場の上司だよ。」
ああ、そうだったわね。そう言って未宙はこたつに入って横になった。
これだから北陸の雪は嫌なのよ。そう愚痴ることも忘れない。
思えばいつからこうだったのだろう?昨日の夕飯は思い出せる。炊き込みご飯にアサリの味噌汁、メインはブリの照り焼き。ブリは少し焼きすぎて焦げがあった。
それでも家族3人仲良く夕飯を共にした。
そんな日常がずっと続いている。それなのに病魔は静かに未宙を蝕んでいた。
「今日はカレーかシチューにしようよ。」
大ちゃんがそう言ってノートパソコンを閉じる。
「そうね。ちょうどお正月の牛肉も残ってるしね。」
そう言って未宙は大ちゃんと流しに立った。

『永中様、お久しぶりです。前の入院の時以来ですからもう長くなりますね。最近、退院されたとお嬢さんから伺いました。北陸の雪が今年も始まりましたね。いつもこの時期は雪かきがストレスで雪を楽しめた幼少の頃が懐かしいです。』

「母さん、俺医学部受かったから。」
永中さん宛の手紙を書き始めた未宙に大ちゃんは話しかけた。突然のことで頭に話が入ってこなかった。
「ああ、今日は合格発表だったのよね。」
「やっぱり入院したほうが良いんだよ。」
大ちゃんは肩を落としてノートパソコンを開く。
「母さん、俺、父さんとふたりになるのは嫌だからね。」
「そうなの?」
「残された側ってことだよ。入院して良くなるなら入院してよ。」
「そんなこと言われても。」
未宙はたじろいだ。
ツムギが側に寄ってきてニャ~と鳴いた。大ちゃんは飛びついて来たツムギを受け止めて、よろめいた。
「今度、病院行くとき、俺ついてくから。父さんとも相談したから。」
ツムギは身をよじって大ちゃんの腕からすり抜けて床に降りる。
猫というのは本当に運動神経が良いのだな、未宙はそんな事を思った。
「母さん、聞いてる?」
そう言って大ちゃんは未宙の顔を覗き込む。いつかはこの子が誰なのかすら分からなくなるのだろうか。そう思うと恐ろしくてたまらなかった。

「前より進行は遅くなってますね。」
脳の画像が少し薄暗い診察室で映し出される。
「やっぱり治療法というのはまだなんでしょうか?」
大ちゃんはピリピリしながら医師の言葉を待つ。未宙の担当医の若松先生は長澤大学出の医者で若手ながら本なども執筆していて患者さんからの信頼も厚い。それでも大ちゃんは若松は薮だと言って聞かない。
「最近は睡眠の質が良いと認知症になりにくいというデータもあるんですよ。」
「それなら大丈夫です。寝過ぎなくらい母は寝ています。」
大ちゃんがそう言うと診察室に笑いが起こった。
「院長先生からも方針を伺いたいのですが…。」
若松先生の動きがピタリと止まる。軽い咳払いをして若松先生は口を開いた。
「院長先生に聞かれても同じ意見だと思いますが今後も薬とリハビリですね。他になにか?」
そう言って口元を歪ませた。
大ちゃんは若松先生を真っ直ぐ見つめている。
「次は2週間後ですが、気になる点があればいつでもいらしてください。」
そう言われてふたりは診察室を出た。
「医者は意見されるの嫌いだからね。絶対の自信があるように見えて今まで失敗したこと無いから立ち上がるのが怖いんだよ。」
そう言って大ちゃんは会計を待った。未宙はその横でぼんやりと考え事をしていた。

帰り道、スーパーで買い物を済ませ、キッチンカーで来ていた鯛焼き屋のたい焼きをふたつ買った。公園に立ち寄り、湯気がほんのり立つ、たい焼きをふたりで口にした。
荷物は公園のベンチに置いて大ちゃんはブランコを漕ぎながらたい焼きを平らげていく。
「子供ってさ、揺れるの好きじゃん。やっぱりお腹の中にいた頃、お母さんに揺られていたからかな?」
そう言って大ちゃんはブランコから飛び出した。産科医か小児科医にでもなるのか、大ちゃんの口からは子どもの話がよく出るようになった。
「子供ってさ大人の縮小版じゃないんだよ。骨の数だって多いし。」
「骨の数が多いなんて誰が言ったの?」
「本当だよ。今、調べるからちょっと待って。」
そう言って大ちゃんはスマートフォンを取り出して『子供 骨の数』と検索した。
スマートフォンの画面には確かに子供の骨は大人より多いと書かれていた。
「大ちゃんは昔から勉強は好きだったものね。」
未宙は遠くを見ながら語った。
「まあ人間は今でも好きじゃないよ。」
「だったら工場にでも就職したら良かったじゃない?」
「医学って俺が触れられる唯一の人間何だよね。」
公園には椿の花が蕾を付けていた。
「母さん、父さん、患者さん。」
思えば大ちゃんは子供らしくない子供だった。うちが逼迫していたとか夫婦仲が悪かったとかそういう子供に気を遣わせる環境ではなかったのにも関わらず彼は両親の望む答えをピタリと言い当てる。大学だってもっと上の偏差値だって狙えたでしょうに…そう担任が勿体無いと言わんばかりの態度をよこした。
「俺の理想は母さんと父さんだからね。」
ああ、そうだ。平太さんはブリを食べて翌日出張に行ったのだ。スーパーではメガ盛りパックの合い挽き肉を買ってしまった。使い切れるだろうか?未宙が、あれこれと考えていると大ちゃんはスーパーの袋を持った。大根が安くて2本も買ってしまった。
「ひとつ持つわよ。」
「いいよ。重いでしょう?」
「でも…。」
「じゃあ今日は母さん、大根ステーキ作ってよ。俺、好きなんだよね。」
病院から出たときは吹雪いていた雪が今は静かに降り積もっていく。

家に戻るとツムギが玄関の鍵の音を聞きつけてカリカリとドアを鳴らしていた。
大ちゃんはツムギが外に飛び出さないようにゆっくりとドアを開けた。案の定、ツムギは飛び出そうとしてくる。
「ほらーツムギだめだよー。」
そう言って大ちゃんはスーパーの袋を置いてツムギを掴み上げる。
「母さん、後よろしく。」
そう言われて未宙はスーパーの袋を持って玄関のドアを閉めた。

未宙の家では、大根ステーキには醤油、みりん、酒、砂糖、コチュジャンを入れる。コチュジャンを入れると味が締まるんだ、大ちゃんがそういってからずっとこの味だ。
別のフライパンを用意してメガ盛りパックの合い挽きを半分、そぼろにしていった。これならいつでも出して食べられる。
大ちゃんは手のかからない子だが唯一の困ったところがある。それは食欲を把握出来ないことだった。
自分では普通に食べられると思って白米をよそうがやっぱり多かったり、充分足りていたように見えて30分後にはお腹が空くとか。
本人も不思議がっていた。それでも10代の少年らしい引き締まった身体付きだ。
「味噌汁俺やるよ。」
「大学の予習は良いの?」
「まだテキストすら届いてないよ。それとも取りに行くものなのかな?」
「お母さんの頃とは時代が違うから…。」
未宙はレタスとプチトマト、ゆで卵を乗せた皿に大根ステーキを盛り付けた。
「大根の葉っぱで良い?」
「そうね。そうして頂戴。」
そうして食卓には大根ステーキと大根の葉っぱで作った味噌汁が並んだ。
「合い挽きなら後は俺がハンバーグにして冷凍しておくから解凍して焼けばいいよ。」
テレビのニュースでは北海道の大雪が毎日のように報道されていた。
しかし雪はサラサラと飛んでいく。
「北大も考えたんだけど、俺はこの雪が嫌いじゃないからね。」
そう言って大ちゃんはゆっくりとじんわりと大根ステーキを味わっていた。
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