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第十三話

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「おい、何だよ今の……」

 レオニードは驚きでそれしか言えないようだ。
 同じように会見を見ていた食堂内の人間もざわついている。
 人類最強の英雄と呼ばれた男にΩの疑惑が持ち上がることの重さが見て取れる。

「……千樫、お前教官と何かあったな?」

 兼景が訝しむように眉を寄せて尋ねてくる。
 その時だった。
 ポケットに入れていた通信端末が振動する。長く続いているから通話の呼び出しだろうか。

「ちょっと待って」

 言いながら端末を手にすると、アカートからの通話だった。大事な話だろうか。休みの日につまらないことで連絡をする人間には思えない。

『チカシ、今の会見見てたか』
「はい、見てました」
『これから国のお偉方が特研に来るんだよ。ディヒトがΩってのはどういうことだってな。すぐこっちに来てほしい』

 説明をする、とは。まさかディヒトバイの体のことを全部話すつもりだろうか。

『……返事は』
「は、はい。わかりました。すぐ行きます」

 そう返すと通話は切れた。

「ごめん、呼び出されちゃって……。検査の結果がおかしかったみたいで」

 兼景に詫びる。これから席を外すこともだが、嘘をついたことにもだ。

「検査? そういやお前、変な体質だからって特研の世話になってんだったか」

 前に話したことを覚えていてくれたのは助かる。
 チキンとマッシュポテトを飲み込むように食べて、行儀が悪いがパンは歩きながら食べることにする。

「皿なら片付けとくから、さっさと行ってこい」

 兼景に頭を下げて、パンを頬張りながら特研に向かった。
 エレベーターで地下に降りている途中、また端末が振動する。今度は一瞬だったので何らかの通知だろう。
 端末を見るとメッセージが届いている。これも差出人はアカートだった。
 内容を読む。

 ――ディヒトがΩであることを話す。だが他のことは秘密にしておく。口裏を合わせろ。迎えを行かせるから着いてこい。

 それだけだった。

「迎えって誰だろう……」

 そう言った瞬間に特研のフロアに到着する。
 俺がエレベーターから出ると刀を腰に差したイングヴァルが近寄ってきた。

「やあ、チカシ君。大変なことになってしまったね」

 イングヴァルは優しく微笑みながら話しかけてくる、
 どうやらイングヴァルが迎えのようだ。イングヴァルは特研に向けて歩き出し、その隣を歩く。

「国のお偉方ってどんな人ですか?」
「まずは防衛省のウィレム事務次官、デニス防衛大臣、そしてマイルズ大統領補佐官だ」
「はぁ⁉」

 大臣に大統領補佐官と聞けば、なんとなく大学生をやっていた俺にもえらさがわかるというものだ。

「ほ、本当にそんな人に話すんですか?」
「隠し事にも限界はある。まあ、君は何もしゃべらないことだ。若造のついた嘘なんてすぐに見破られてしまうからね。相手は腹芸でのし上がってきたんだから」
「……まあ、全部を話すわけじゃないですからね。何も言われないかも」
「それはどうかな。君はまだこの世界を知らない」
「どういう意味ですか、それって」
「すぐにわかるさ」

 丁度特研の入り口に差し掛かり、イングヴァルはカードキーを翳して中に入った。
 中にはディヒトバイ、アカート、三人のスーツ姿の男がいた。一人は前にあったウィレム事務次官、ディヒトバイの父親だ。
 もう二人は黒髪の老齢の男性と、眼鏡をかけた男だった。眼鏡の男は先程会見でも見た防衛大臣だ。となると黒髪のほうが大統領補佐官になる。
 ディヒトバイとアカートはパイプ椅子に座り、他の三人は見学席に座っている。

「大隊長、丁度いいところに。これから話を始めるところで」

 アカートが言って、空いていた二脚のパイプ椅子を俺たちに勧めた。
 ディヒトバイの隣にはイングヴァルが腰を下ろし、四人並んだ一番端に俺が座った。
 ウィレム事務次官、防衛大臣、大統領補佐官は、俺のことを怪訝な目で見ている。
 それはそうだ。重要な話し合いだというのに大した階級もない一般兵がいるのだから。

「どういうことだね、アカート特務医官」

 ウィレム事務次官が厳しい口調で言った。

「少佐がΩに転化したのはゴシップではありません、事実です」

 アカートがそう宣言すると三人は顔を見合わせた。

「八か月前、少佐が悪魔に攻撃された折、体をΩに作り変えられました」
「しかし、少佐がΩだというなら悪魔を倒すなどできないはずでは?」

 防衛大臣が言った。

「仰る通りです。並のΩなら悪魔を倒すなど夢のまた夢。しかし皆様もご存じの通り、この世界には新たな力が発生しました。思念の力です。それによって少佐は悪魔殺しを達成しました」
「そんなことが本当にできるのかね? だってΩなんだろう?」

 補佐官は眉を寄せて疑問に思っているようだ。Ωは身体能力が優れていないので、それは当然の疑問だろう。

「ええ。思念の力は本能に近いほど大きな影響力を持ちます。そこの彼は数日前にこの世界にやってきた転生者、カシマ・チカシ。彼は特殊な体質をしており、彼と少佐は疑似的な運命の番とでも言うべき関係にあります」

 言ってアカートは俺のほうを見た。三人も俺のほうを見る。それだけで冷汗が止まらなくなる。

「少佐とチカシ青年が近い距離にいると、少佐の身体能力が向上するというデータが取れています。昨日の件でも、チカシ青年は前線に出て少佐と近い位置にいました。少佐がΩでありながらも悪魔殺しを達成したのは、チカシ青年の協力があってこそです」

 虚実織り交ぜたアカートの説明に三人は唸っていた。

「困るな」

 補佐官が苦々しげに言った。

「何が、ですか? Ωに転化したとはいえ、悪魔を倒すほどの力はあるのです」
「だから困るんだよ。英雄はαでなければ」

 補佐官は当たり前のように言った。俺はその言葉の意味を理解するのに時間がかかった。

「困りますね、Ωは軍に在籍できない」

 防衛大臣も補佐官に同調した。

「これまで社会を動かしてきたのは我々αなんだよ。それを、元はαだったとはいえΩが世界を救うなど。αの面子に関わる」

 補佐官は言う。

「人類が滅ぶか否かの瀬戸際なんですよ? αの面子など捨てればいいではありませんか」

 アカートは真っ向から歯向かった。

「アカート特務医官、君は医者だから怪我だの病気だのには詳しいのだろうがね、政治がわかっとらん。αが統治をしてこそ社会が回るのだ」
「Ω差別をなくすと公約を掲げた与党の補佐官にあるまじき発言と思いますが」

 アカートは引かずに口を開く。

「何回言わせる、医者は患者を診るのが仕事だ。政治には関係ない」
「しかし……」

 なおも引き下がるアカートに防衛大臣は言った。

「ああ、そういえば君は番を事故で亡くしていたね。キースチァとか言ったか」
「大臣、何故それを……」

 アカートはわずかに狼狽える。

「特別研究室を預ける人間を調査しないわけがないだろう。駄目だ駄目だ、Ωと番ったαは全員Ωを大切にしようなどと言う。Ωなどというゴミにあてられてな。我々がΩを生かすためにどれほどの無駄金を使っているか。Ωはαやβの足を引っ張るだけだ」
「ΩもΩだ。真っ当に生きられないのは努力が足りないのではないかね」

 防衛大臣につられて補佐官が吐き捨てるように言う。

「何を偉そうに……!」

 自分でも驚いた。自分が感情のまま、意識より先に喋っていることがあるなんて。
 でも言葉は止まらない。

「さっきから何なんですか、あなた達は! 昨日ディヒトさんが悪魔を倒したから無事に生きていられるんですよ! あなた達みたいな人間もディヒトさんは守ったんだ! 命を懸けて! それをΩだから認められないとか……! 一体何を見てるんですか!」
「まあまあ、チカシ君、落ち着いて」

 イングヴァルが言う。

「こんなに言われ放題で落ち着けますか⁉」

 こいつらはディヒトさんの何を知っているんだ。そう思うと怒りが抑えられなくなる。
 補佐官がディヒトバイを見ながら口を開いた。

「いけないなぁ、少佐。自分の口で言えないからと他人に言わせるのは」

 その発言で更に頭に血が上る。

「違う! 言わされてるんじゃない、俺があなた達に怒ってるんだ! これ以上ディヒトさんを侮辱するな!」
「チカシ君。ここは喧嘩の場所じゃない。話し合いの場だ」

 イングヴァルが宥めるように話しかけてくる。それも焼け石に水というものだ。だが、俺はもうこの三人に対する嫌悪感でこれ以上の意思疎通をするつもりもなかった。

「何だね、転生者風情が。君はこの世界の何を知っているというんだ」

 補佐官はこちらを睨みつけながら言う。
 アカートが隙を見て口を開いた。

「チカシ君の言葉にも一理あります。Ωになった少佐の前でそれを言いますか、お三方」

 ディヒトバイはただ俯いて話を聞いていた。

「医者は綺麗事しか言わん。もういい、君の話は聞き飽きた。……まあ、今更悪魔を倒したことをなしにはできん。何か対策が必要だ」

 補佐官は渋々とした様子で言う。

「しかし、なぜそのことを今まで黙っていたのかね? 少佐、特務医官、それに大隊長」

 事務次官は尋ねた。

「それは僕から言いましょう」

 イングヴァルが口を開いた。

「少佐がΩである事実を話した時のあなた方の反応、それが答えです。Ωに対する偏見や差別意識は根強いものがあります。迂闊に公表すれば誹謗中傷の的になりかねません。説明するべき時期を見計らっていました」

 三人は少し思案するように黙り込んだ。

「……しかし、今なら公表してもよいのではないですか。悪魔を倒した実績があります。私としても、いつまでも秘密を抱えるのはよくないと思います。特研のスタッフに緘口令を敷いていましたが、人の口に戸は立てられません。実際、なぜかマスコミにすっぱ抜かれていました。まあ、軍を叩きたいがために言った出任せなのかもしれませんが」

 イングヴァルの言葉に三人は悩んでいた。

「悪魔の侵攻以来、余裕を失くした民衆へのΩ差別は高まる一方です。そこに人類最強の英雄がΩであり、Ωに世界を救われたとしたら、Ωへの差別も少しはなくなるというものでしょう」
「それを考えるのは軍人の仕事ではない。我々の仕事だ」

 補佐官はイングヴァルの言葉を切って捨てた。

「少佐はどう思うのかね」

 補佐官がディヒトバイに尋ねる。

「……ご命令に、従うだけです」

 暗く沈んだ声音で、呟くようにディヒトバイは口にした。
 当事者のディヒトバイの言葉に、全員が静まり返った。
 そして、溜息をついて補佐官が席を立つ。

「この件は一度持ち帰らせてもらう。アカート特務医官はデータをまとめて提出するように。そして……」
「そして?」

 アカートが尋ねる。

「二度と隠し事をするな。何かあれば全てを我々に報告すること。わかったか。次があると思うな」
「……承知しました」

 補佐官と防衛大臣は特研から出ていった。
 そして、一人残ったウィレム事務次官はディヒトバイのことを睨みつけていた。
 それだけでは留まらず、急に立ち上がって椅子に座っていたディヒトバイを殴った。避けられなかったのか、あえて拳を受けたのか、ディヒトバイは床に倒れた。
 ウィレムはさらに馬乗りになってディヒトバイを何回も殴りつける。ディヒトバイは抵抗せず、殴られるままだった。

「Ωになっただと⁉ 馬鹿息子が、ボッシュ家の名に泥を塗るつもりか⁉」

 ウィレムはディヒトバイにヒステリックに怒鳴った。

「何するんですか!」

 俺は慌てて事務次官を羽交い絞めにする。事務次官は拘束を解こうともがいている。

「止めるな! ボッシュ家はαとして代々軍で優秀な功績を残していたんだ、それがΩになった⁉ 先祖に顔向けができない!」
「悪魔を倒して世界を救えばこれ以上ない功績です! それに、なってしまったものはどうしようもありませんよ。認めるしかありません」

 アカートが言う。

「っ……」

 事務次官は大人しくなって、俺は手を放す。
 事務次官はディヒトバイを睨みつけながら服の乱れを正した。

「……もう息子とは思わん。父とも呼ぶな。事が済んだら縁を切る」

 それだけ言い捨てて事務次官は去った。

「大丈夫ですか、ディヒトさん……! 親でも言っていいことと悪いことがある……!」

 ディヒトバイに駆け寄り、手を取って体を起こす。

「……別に」

 ディヒトバイはぶっきらぼうに言った。その額には血が滲んでいる。

「別にって、血が出てるじゃないですか!」
「指輪してたからな」

 それを聞いたアカートは医療キットを持ち出してきた。
 個包装された綿を取り出し、ディヒトバイの出血箇所を拭って絆創膏を貼る。

「なあ、お前本当に平気なのか? 俺にはお前が無理してるようにしか見えねえんだが……」
「無理なんてしてねえよ。親父と仲が悪いのは昔からだったしな」

 そう言ってディヒトバイは立ち上がる。

「なあ、レオと兼景には言っていいか」
「はぁ⁉」

 ディヒトバイの申し出にアカートは素っ頓狂な声を出した。

「これ以上秘密を知る人間を増やすのも危ないし、あの二人だってどんな反応するかわからねえだろ。兼景は転生者だからともかく、レオニードは生粋のαだぞ」
「これ以上誰にどう嫌われようと構わねえ。だが、あの二人は俺によくついてきてくれた。だから隠し事はしたくねえ」
「……どうなっても知らねえぞ」
「迷惑かける」
「そんなこと言うなよ。お互い様だ」

 そう言ってアカートは笑った。

「いいですか、大隊長」
「ああ、君が決めたことだ。意思を尊重するよ」

 イングヴァルも頷いた。

「あの二人を特研に呼ぶのはまずいな。他の連中に何かあったと勘付かれる。こっちから行くほうがいいだろう。僕の執務室はどうだ? あそこなら防音も効いてるだろう」

 イングヴァルは端末を取り出し、どこかに連絡を入れた。
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