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第十一話
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前に立つ悪魔は、兜の隙間からじっくりと俺を見ている。
「君かね。人類最強の英雄、ディヒトバイ・W・ヴァン・デン・ボッシュ。サブナックとアロケルを倒した悪魔殺し」
低い男の声がそう尋ねてきた。
「……ああ、お前も殺してやるよ。俺が英雄になるためにな」
それが精一杯の虚勢だったが、本音でもあった。
俺は何が何でも英雄にならなければいけない。英雄でない俺に価値はない。
ほとんど前に倒れこむようにして駆け出す。
一足で間合いを詰めて剣を払う。
それを難なくヴァプラは戦斧の柄で受け止めた。受け止めた戦斧の柄に亀裂が入る。
「なるほど。サブナックとアロケルを倒したのは幸運ではないようだ」
言いながらヴァプラは戦斧で斬りかかる。間合いの上ではこちらが不利だ。上手く懐に潜りこまないといけない。
「何が言いてえ!」
叫びと共に斬りつける。
「人類最強がどれほどのものか興味があったのでな。こうして人の形をとらせてもらった。どちらが上か、存分に戦おうじゃないか」
そして、ヴァプラの足元から魔法陣が大きく広がる。
辺りには紫色の光の壁ができていた。
「決闘場というやつだ。わかりやすいだろう。誰も邪魔は入らない」
舐めたことを言う。
しかし、こうして人型になってくれたのはありがたかった。あの巨体のまま前進されたらすぐにドームまで辿り着いてしまう。ドームの壁すら紙のように破られるだろう。
あと四十分程度でこいつを倒さなければ全滅だ。
それだけは。それだけは回避しなければならない。
手応えでわかる。ヴァプラは強者だ。果たして倒せるかどうか。
「君、手を抜いていないか」
「何だと……!」
「君の持つ思念は本物だ。私の得物に傷をつけるぐらいにはね。しかし動きが鈍い。それでは倒せないぞ」
ヴァプラは笑いながら戦斧を振るう。
ブーストの効果と鎮静剤の効果でまだ鎮静剤が上回っているのだろう。薬が抜けるのにあとどれくらいかかる。
だからといって消極的な戦いをするわけにはいかない。どんなチャンスでも掴みに行かなければ勝てない。それが悪魔との戦いだ。
勢いに任せて剣を振るう。剣先がヒュッと音を立てる。人間相手なら目視も難しい速度である。
しかしその全てを防がれた。
悪魔同士で戦うための人型は人間の能力を遥かに越えている。
俺が食らいついていけるのは、意志の力があるからだ。
俺は誰よりも強い意志を持っている。
だから人類最強と呼ばれた。悪魔を倒した。
俺は英雄になる。英雄にならなければならない。
その意志が俺を強くさせる。
そこに千樫からもらった力がある。
鎮静剤で動きが鈍っているとはいえ、過去最高のスペックで戦えているはずだ。
しかしヴァプラは涼しい顔をしている。
残り時間はあと三十五分。
勝てるのか。
いや、何としてでも勝たなければならない。
ヴァプラの振るう戦斧を受け流す。その動きに隙はなく、そう易々とは懐に入れない。
「どうした、攻めてこないのか」
言ってヴァプラは戦斧を振り回す。
「……わかった、本気を出さないというならこうしよう」
ヴァプラは仕切りなおすように後方に飛ぶと、手を掲げて指を鳴らした。
すると周囲の空にいくつもの魔法陣が浮かび、その中からA級魔族の鰐が這い出てくる。
「私は三十六の軍団を率いる、偉大にして強力なる公爵。君たちがA級魔族と呼ぶ私の眷属、その残り三十三体、全て顕現させた」
兜の下で声が嗤う。
「私を倒せば全て消滅する。さあ、早く私を倒さないと、君は英雄失格だ」
「好き勝手ほざいてんじゃねえ!」
叫びながら勢いに任せて斬りかかる。ヴァプラは感情に任せただけの単調な攻撃を受け流して戦斧を上段に構える。
鈍った体の反応は悪い。
勢いよく振り下ろされたヴァプラの戦斧をかわしきれず、刃を受けた左腕は肘から先が無くなった。生身だったら出血多量で動けなくなっているところだ。
それでも勢いを殺しきれず、魔力で編まれた壁に衝突、地に伏せる。
体を襲う痛みでぼうっとしていた意識が覚醒していく。視界がクリアになり、体のだるさもどこかに消えた。やっと鎮静剤の効果が薄れてきたらしい。
「もう終わりかね?」
ヴァプラが余裕を持った声で尋ねる。
「は、やっと目が覚めたところだ……!」
言って起き上がり、ヴァプラと相対する。
「その意気や良し」
ヴァプラは笑って真正面から突撃してきた。同時に壁際から離れるように前に出る。戦斧を相手に壁際に追い込まれたままでは手の出しようがない。
「今度は俺の番だ!」
自身を鼓舞しながら叫び、刀を下段に構え身を低くして走る。
吐く息が震えている。
この虚勢は気付かれていないだろうか。
体に刻まれた敗北の記憶。人知を超越した悪魔という化け物への恐怖。
――俺は英雄にならなければいけない。
強迫観念にも似たその一念でそれらを捻じ伏せて奔る。
死にたくない。死にたくない。
こんな化け物とまともに戦えるわけがない。
あの日に置いてきた影がそう嘆く。
しかし、俺は戦って、勝って、人を救って、初めて生きられる。生きる資格がある。
だから、生きるためにはどんな相手でも立ち向かい、勝利する以外の選択肢が存在しなかった。
英雄だから。俺は人を救う英雄だから。
向かって薙ぎ払われる戦斧を潜り、下からヴァプラの足を斬りつける。
鎧を断ち切り肉まで届いた感触がする。
振り上げた刃を下に向けて斬りつけた。そのまま勢いに任せて猛攻をかける。
しかしヴァプラとてされるがままではない。
戦斧を片手に持ち替えてその刃がこちらに向けられる。咄嗟にそれを刀で受け止めた。
「何っ……!」
金属音が響き、刀にひびが入る。まずいと感じて後ろに飛び退いた。
「君の思念に武器のほうがついていけていないな。勿体ない」
ヴァプラが言う。
どうする。
あと一撃。
あと一撃で仕留めなければ刀が折れる。
いくら思念の力で身体能力が強化されているとて、悪魔相手に素手ではどうしようもない。
「ディヒトさん……!」
後ろから声が響く。
千樫の声だ。なぜこんな悪魔の近くにいる。
一瞬だけヴァプラから顔を背けて背後に視線をやる。
間違いない。光の壁の向こうに千樫がいた。
千樫が――あの人がいるというなら無様な戦いはできない。
しかしその隙をヴァプラが見逃すはずがなかった。
「戦いの途中によそ見とは、舐められたものだ」
視線を戻した瞬間にはもう右上段から斜めに戦斧が振り下ろされるところだった。
咄嗟に地面を転がって避ける。
ヴァプラの頭上の紋章さえ叩き切ればこちらの勝ちだ。しかし、戦斧と刀では間合いが違いすぎる。しかも刀にはひびが入り攻撃を受け止めることもできない。左腕も壊された。
ここから無傷でヴァプラの懐に潜り込めるか。策がないわけではない。
しかし、チャンスは一度きりだ。
戦斧を振り下ろしたヴァプラの横に回り込み、その隙を突こうとする。
ヴァプラが片足を引いて体を捻り、こちらに体を向けた。その捻りを利用して下から上に振るわれる戦斧。
それを見切り、戦斧の大きな刃を思い切り蹴りつけた。あまりに大きな衝撃に右足の骨格が折れる音がする。もう飛んだり跳ねたりはできないだろう。
横っ面を殴られた戦斧は大きく軌道を変え、ヴァプラの身が晒された。
あと一歩踏み込み、刀を持って無防備な頭部を狙う。
しかし、ヴァプラは咄嗟に戦斧を捨てた。
まずい。そう思っても動きは止まらない。
戦斧を捨てたヴァプラの腕は迫りくる刀を同じように拳で払いのけた。
パキィ、と音がして中ほどから刀が折れる。
そして無防備な俺の首を鷲掴みにして、掲げるように高く上げた。地面から足が離れて宙吊りになる。
「ぐ、が……ぁっ」
首を締められ息ができなくなる。しかし刀は手放さなかった。これを手放したら終わりだ。
「どうだね、そこで見ている諸君。君たちの英雄様はもうお終いだ」
ヴァプラは光の壁の向こう側にいる千樫たちに宣言した。
「首の骨を折れば一瞬で死ねるがね。私はそのような慈悲をかけるつもりはない」
言ってヴァプラはディヒトバイの首を締める手に力を込めた。
「我々悪魔は、魔王に人類を滅ぼせと命じられた。人類を虐げ、殺戮する。そのためだけに我々は存在する。故に」
ヴァプラの声に喜びが混じる。
「人類最強の英雄などという最後の希望を、じわじわと踏みにじりながら殺す。なんと気持ちのよいことだろうか。悪魔の本能は加虐だ。フォカロルはなぜ人間の味方などする」
「が、ぐ、ぅ……」
気道を塞がれて酸素が届かない。いくら口を開けても息ができない。
このまま死ぬというのか。
ほら。やっぱり、駄目だった。
そんな声が脳裏をよぎる。
「君たちは何もできないまま、この英雄が縊り殺されるのを見ているしかできないのだ」
ヴァプラは嗤う。
「英雄よ。君は興味深いことを言っていたな。世界を、人を救うためではなく、英雄になるために私を殺すと。英雄になって何をする。何のために生きるのだ、君は」
体に力が入らなくなり、意識が遠のく。
「ディヒトさん!」
千樫の声が聞こえる。
俺を導いてくれたあの声。
あの声がまだ届くというのなら。彼がまだ自分の名を呼んでくれるのなら。
まだ諦めることはできなかった。
取り落としそうになった刀を握り、わずかに残った刃でヴァプラの腕に斬りつける。
執念はその刀身を一層強く赤く光り輝かせ、ヴァプラの腕を断った。
「何だと⁉」
虫の息だった俺にに腕を切断されてヴァプラが動揺する。
着地すると俺は刀を頭上に振りかぶった。
危機を察知したヴァプラは頭上の紋章を斬らせまいと後ろに跳躍した。
その瞬間、ヴァプラは何かを見て硬直した。
感じる。体から湧く思念の赤い光が刀だけではなく、体全体を包み込む様を。
「――まさか人間にこれほどの執念があろうとは。なんと美しい、血の色をした、原初の光……! 我々が唯一持たないもの……!」
俺は刀を振り下ろす。
その折れた刃はヴァプラには届かなかった。
しかし、刀に纏った赤い思念の光は真っ直ぐに伸び、ヴァプラの頭上の紋章を両断した。
その瞬間に、ヴァプラの体が泥と化して崩れ落ちる。
光の壁もなくなり、魔族も泥のように溶けていった。
空を覆っていた分厚い雲も薄れ、太陽の光が地に降り注ぐ。
「ディヒトさん! 大丈夫ですか!」
千樫の声が聞こえる。
俺はお前に恥じない戦いができただろうか。
全身から力が抜ける。立っているのもやっとだ。
「千樫、お前が……いた、から……」
そう言いかけて目の前が真っ暗になった。
ディヒトバイ・W・ヴァン・デン・ボッシュ少佐、悪魔ヴァプラ撃破。
その一報はネロス公国を湧かせ、近隣諸国にも届いた。
人類最強の英雄の帰還に、この世界の誰もが喜んだ。
これで残る悪魔は二機。うち一機は人間側に寝返ったフォカロル。
つまりはあと一機倒せばよい。
しかし、その一機こそディヒトバイを打ち倒し、敗北を味わわせた偉大なる王、アスモダイであった。
ヴァプラとの戦いのあと、意識を失ったディヒトバイはすぐに特研に運び込まれた。俺もついていった。
フォカロル曰く、生命力を思念の力に変えた故に意識がなくなったということで、フォカロルの生成した液体魔力を点滴していた。
液体魔力とは生命力の水という話で、簡単に言えば輸血のようなものだという。
だから放っておけば問題ないとフォカロルに言われても、ディヒトバイの眠るベッドのそばから動けなかった。
ディヒトバイから壊れた左腕と右足は取り外され、その姿が痛々しい。
俺はヴァプラが魔力の壁を作ってから、なんとか周りのA級魔族の足止めをしていた。レオニードの見様見真似で、なんとかA級魔族に傷をつけることができたのが幸いした。
眠っているディヒトバイの顔を見やる。
――なんで私たちの街を守ってくれなかったの!? どうして悪魔を倒してくれなかったの!
――お前が悪魔を倒せば、俺たちはこんなひどい目に遭う必要はなかったんだ!
――こんなところにいないで、早く悪魔を倒しに行け!
――何が人類最強の英雄だ! 俺たちを守らなかったくせに!
あんなことを言われながらもディヒトバイは立ち上がり、また人々を守った。
俺だったらどうだろうか。こんな人間を救う価値はないと思ってしまうだろうか。わからない。
だが、少なくとも心に傷はできると思う。
ディヒトバイだって、あんなに罵られて何とも思わないわけがない。
心の傷は目に見えない。
だから人は人の心を簡単に傷付ける。
ディヒトバイの心の傷はどうだ。どれくらいの痛みがある。
それに。
光の壁越しに聞こえたヴァプラの声。
――英雄よ。君は興味深いことを言っていたな。世界を、人を救うためではなく、英雄になるために私を殺すと。英雄になって何をするのだ、君は。
そうだ、英雄になるというのは目的ではなく手段ではないだろうか。
いや、英雄になって人々から賞賛を浴びたりするのも目的にはなるだろう。
しかし、ディヒトバイからはそんなに俗っぽいものは感じられない。
感じるのは義務感だ。
軍人としての義務感、この世界に生きるものとして抱くものもあるかもしれない。
しかしディヒトバイの抱えているものは、それとは違う気がするのだ。
目が覚めたら、改めて話し合いたいと思った。
アカートは特研からしばし席を外していたが、二時間ほどして戻ってきた。
そして夜六時頃にディヒトバイは目覚めた。
「ディヒトさん! 無事ですか!」
電灯の光が眩しいのか、目を細めるディヒトバイに話しかける。
「千樫……、お前は大丈夫なのか」
目覚めたばかりで力ない声だった。
「俺? 俺はなんともないです。アカートさん呼んできますね」
慌ててアカートの元に向かう。
「お、やっと目が覚めたか」
そう言いながらアカートは調子よく歩いてきた。
そしてディヒトバイのバイタルチェックをして、問題なしとのお墨付きがついた。
「よくやったなディヒト。腕と足を駄目にしたとはいえ、悪魔に勝つだなんてよ。無理だと思ってたぜ。ま、お前が勝ったから俺は今ここに生きてられんだけどな。英雄様に感謝感謝」
特研のベッドに横たわっているディヒトバイに話しかけながら、アカートはディヒトバイの左腕と右足の義肢の調整をしていた。
カーボン製の骨格を取り囲む人工筋肉。そこに電極を刺してアカートは機材をあれこれいじっている。
「ごちゃごちゃうるせえ、早く腕と足つけろ」
軽口を叩くアカートにディヒトバイは静かに文句を言う。
「早くつけろってったってな、お前の義肢は一点ものなんだよ。何回微調整したかお前もよくわかるだろ? ああでもないこうでもないってどんだけお前に無茶振りされたよ? それでもまだ思うように動かないってよ。まともなやつができるまでまた調整だぞ」
「わかった。何でもいいから早くしてくれ。落ち着かねえ」
やっと調整が終わったのか、アカートはディヒトバイの左腕と右足を接続した。
「はいよ、どうだ?」
ディヒトバイは腕を持ち上げ、捻ったり手を何回も握ったりして動きを確かめる。足も同じように確認する。
「ああ、動きはいい。付け心地は最悪だが」
少し落胆したようにディヒトバイは返事をした。
「明日十二時から会見を開くってよ。英雄様の帰還だ」
会話が落ち着いたところで、ディヒトバイに声をかける。
「すごいですね、ディヒトさん。あんな悪魔相手に勝っちゃうだなんて」
「……お前を死なせるわけにはいかねえと思ってな」
それは、やっと見つけた納得できる相手を死なせたくないという意味だろうか。
「で、ですよね。俺が死んじゃったらディヒトさんは困りますもんね……」
「……そうじゃねえよ」
ディヒトバイは歯切れ悪く答えた。
「千樫、急に戦いに出て疲れただろ。今日はもう休め」
「でもディヒトさんは……」
「おう、ディヒトの言う通りだ。まだ興奮してるから疲れは出てないように感じるが、予想以上に疲労が溜まってる。早く飯食って休め」
そうかもしれない。魔物と命を懸けた戦いをして、ディヒトバイが意識を失って目覚めるまでずっと気を張っていた。
「そうですね、そうします。帰ってきてからどきどきが止まらなくて。あ、ご飯ってどこで食べればいいんですか?」
「ああ、一つ上のフロアに食堂がある。エレベーターホールに地図があるからすぐわかる。あ、そうだ。寝間着もなかったよな。ちょっと待て」
言ってアカートは奥にある棚から入院着を布の手提げ袋に入れて持ってきた。
「病人みたいで申し訳ないが、すぐに用意できるのがこれなんでな。下着もある。部屋に日用品は揃えてあるが、足りないものもあるだろう。明日は休みにして、気晴らしに買い物にでも行ったらどうだ」
「買い物……」
そういえば、俺はまだドームの中を見ていない。
この世界に来てからは軍本部と避難民キャンプしか行ったことがない。
ドームの内側がどのようになっているか、見てみるのもいいだろう。
先程特研にディヒトバイの様子を見に来たレオニード、兼景と連絡先を交換した。連絡を取ってみようか。
「わかりました。じゃあ、これで失礼します。ディヒトさんも、アカートさんもお疲れさまでした」
そう言って特研を後にする。
エレベーターホールに行って一つ上のフロア、地下六階を目指す。
地下六階は人が多く行き交っていた。
全員が看護師のような清潔な制服を着ているので、研究棟の人間なのだろう。
誰もが笑顔で歩いていて、ヴァプラを倒したことに喜んでいるようだった。
ディヒトバイはこういった人々を守ったのだ。そして、人々から感謝されている。
そう思うと、自分のことのように嬉しかった。
アカートに言われたとおりにエレベーターホールの地図を見て食堂に向かう。
夕食時が近いのもあって、広い食堂は混雑していた。バイキング形式のようで、トレーを持った人が列を作っている。
入口近くには紙パックに入った弁当も置かれており、何人か手に取って食堂を出ていっている。お金を払わなくてもいいらしい。
自分もそれにならって弁当を手に取る。作りたてのようでまだ温かい。
食堂が活気にあふれているのはいいことだが、今の自分には少し疲れる。
弁当を持ってそそくさと部屋に戻った。
部屋は広いワンルームで、奥にベッド、その手前にソファとローテーブル、テレビが置いてある。入り口近くには電子レンジと冷蔵庫が設置されている。
家具はこれだけあれば十分だ。足りないとしたら衣類、その他日用品などだろう。都度買い足していけばいい。
寝間着の入った袋を放ってソファに座る。体は思っていた以上に疲れていたようで、どかっと座り込んでしまった。
そこから、行儀は悪いがソファの上に胡坐をかいて、弁当を手に取る。
フォークが外側にテープで貼られていた。それを取り、弁当の蓋を開ける。
中にはコールスローサラダ、ソースのかかった焼いた鶏肉、パンとマーガリンが入っている。
ちゃんとした料理を見ると、途端にお腹が空いてきた。
欲に任せて食事を口に運ぶ。
サラダも鶏肉も、パンも美味しい。ドームの中の限られた資源で作ったとは思えない。
あっという間に食べてしまった。こういうときにパンは味気ない。日本人としては米が食べたいところだ。
腹が満たされたことで緊張がとれたのか、一層体が重くなったように思う。
何とか立ち上がり、寝間着を取りに行く。
そしてソファに服を脱ぎ散らかし、手早く着替えるとベッドに倒れこむようにして寝転がった。
それでやっと安心した気がする。
今日は色々なことがあった。
避難民キャンプでのこと。ディヒトバイと体を重ね、魔族と戦い、悪魔を倒した。
それだけのことがあれば疲れようというものだ。
自然と眠気が襲ってきて、瞼が重くなる。
かろうじて残っていた体力で毛布を体にかけ、目を閉じた。
「君かね。人類最強の英雄、ディヒトバイ・W・ヴァン・デン・ボッシュ。サブナックとアロケルを倒した悪魔殺し」
低い男の声がそう尋ねてきた。
「……ああ、お前も殺してやるよ。俺が英雄になるためにな」
それが精一杯の虚勢だったが、本音でもあった。
俺は何が何でも英雄にならなければいけない。英雄でない俺に価値はない。
ほとんど前に倒れこむようにして駆け出す。
一足で間合いを詰めて剣を払う。
それを難なくヴァプラは戦斧の柄で受け止めた。受け止めた戦斧の柄に亀裂が入る。
「なるほど。サブナックとアロケルを倒したのは幸運ではないようだ」
言いながらヴァプラは戦斧で斬りかかる。間合いの上ではこちらが不利だ。上手く懐に潜りこまないといけない。
「何が言いてえ!」
叫びと共に斬りつける。
「人類最強がどれほどのものか興味があったのでな。こうして人の形をとらせてもらった。どちらが上か、存分に戦おうじゃないか」
そして、ヴァプラの足元から魔法陣が大きく広がる。
辺りには紫色の光の壁ができていた。
「決闘場というやつだ。わかりやすいだろう。誰も邪魔は入らない」
舐めたことを言う。
しかし、こうして人型になってくれたのはありがたかった。あの巨体のまま前進されたらすぐにドームまで辿り着いてしまう。ドームの壁すら紙のように破られるだろう。
あと四十分程度でこいつを倒さなければ全滅だ。
それだけは。それだけは回避しなければならない。
手応えでわかる。ヴァプラは強者だ。果たして倒せるかどうか。
「君、手を抜いていないか」
「何だと……!」
「君の持つ思念は本物だ。私の得物に傷をつけるぐらいにはね。しかし動きが鈍い。それでは倒せないぞ」
ヴァプラは笑いながら戦斧を振るう。
ブーストの効果と鎮静剤の効果でまだ鎮静剤が上回っているのだろう。薬が抜けるのにあとどれくらいかかる。
だからといって消極的な戦いをするわけにはいかない。どんなチャンスでも掴みに行かなければ勝てない。それが悪魔との戦いだ。
勢いに任せて剣を振るう。剣先がヒュッと音を立てる。人間相手なら目視も難しい速度である。
しかしその全てを防がれた。
悪魔同士で戦うための人型は人間の能力を遥かに越えている。
俺が食らいついていけるのは、意志の力があるからだ。
俺は誰よりも強い意志を持っている。
だから人類最強と呼ばれた。悪魔を倒した。
俺は英雄になる。英雄にならなければならない。
その意志が俺を強くさせる。
そこに千樫からもらった力がある。
鎮静剤で動きが鈍っているとはいえ、過去最高のスペックで戦えているはずだ。
しかしヴァプラは涼しい顔をしている。
残り時間はあと三十五分。
勝てるのか。
いや、何としてでも勝たなければならない。
ヴァプラの振るう戦斧を受け流す。その動きに隙はなく、そう易々とは懐に入れない。
「どうした、攻めてこないのか」
言ってヴァプラは戦斧を振り回す。
「……わかった、本気を出さないというならこうしよう」
ヴァプラは仕切りなおすように後方に飛ぶと、手を掲げて指を鳴らした。
すると周囲の空にいくつもの魔法陣が浮かび、その中からA級魔族の鰐が這い出てくる。
「私は三十六の軍団を率いる、偉大にして強力なる公爵。君たちがA級魔族と呼ぶ私の眷属、その残り三十三体、全て顕現させた」
兜の下で声が嗤う。
「私を倒せば全て消滅する。さあ、早く私を倒さないと、君は英雄失格だ」
「好き勝手ほざいてんじゃねえ!」
叫びながら勢いに任せて斬りかかる。ヴァプラは感情に任せただけの単調な攻撃を受け流して戦斧を上段に構える。
鈍った体の反応は悪い。
勢いよく振り下ろされたヴァプラの戦斧をかわしきれず、刃を受けた左腕は肘から先が無くなった。生身だったら出血多量で動けなくなっているところだ。
それでも勢いを殺しきれず、魔力で編まれた壁に衝突、地に伏せる。
体を襲う痛みでぼうっとしていた意識が覚醒していく。視界がクリアになり、体のだるさもどこかに消えた。やっと鎮静剤の効果が薄れてきたらしい。
「もう終わりかね?」
ヴァプラが余裕を持った声で尋ねる。
「は、やっと目が覚めたところだ……!」
言って起き上がり、ヴァプラと相対する。
「その意気や良し」
ヴァプラは笑って真正面から突撃してきた。同時に壁際から離れるように前に出る。戦斧を相手に壁際に追い込まれたままでは手の出しようがない。
「今度は俺の番だ!」
自身を鼓舞しながら叫び、刀を下段に構え身を低くして走る。
吐く息が震えている。
この虚勢は気付かれていないだろうか。
体に刻まれた敗北の記憶。人知を超越した悪魔という化け物への恐怖。
――俺は英雄にならなければいけない。
強迫観念にも似たその一念でそれらを捻じ伏せて奔る。
死にたくない。死にたくない。
こんな化け物とまともに戦えるわけがない。
あの日に置いてきた影がそう嘆く。
しかし、俺は戦って、勝って、人を救って、初めて生きられる。生きる資格がある。
だから、生きるためにはどんな相手でも立ち向かい、勝利する以外の選択肢が存在しなかった。
英雄だから。俺は人を救う英雄だから。
向かって薙ぎ払われる戦斧を潜り、下からヴァプラの足を斬りつける。
鎧を断ち切り肉まで届いた感触がする。
振り上げた刃を下に向けて斬りつけた。そのまま勢いに任せて猛攻をかける。
しかしヴァプラとてされるがままではない。
戦斧を片手に持ち替えてその刃がこちらに向けられる。咄嗟にそれを刀で受け止めた。
「何っ……!」
金属音が響き、刀にひびが入る。まずいと感じて後ろに飛び退いた。
「君の思念に武器のほうがついていけていないな。勿体ない」
ヴァプラが言う。
どうする。
あと一撃。
あと一撃で仕留めなければ刀が折れる。
いくら思念の力で身体能力が強化されているとて、悪魔相手に素手ではどうしようもない。
「ディヒトさん……!」
後ろから声が響く。
千樫の声だ。なぜこんな悪魔の近くにいる。
一瞬だけヴァプラから顔を背けて背後に視線をやる。
間違いない。光の壁の向こうに千樫がいた。
千樫が――あの人がいるというなら無様な戦いはできない。
しかしその隙をヴァプラが見逃すはずがなかった。
「戦いの途中によそ見とは、舐められたものだ」
視線を戻した瞬間にはもう右上段から斜めに戦斧が振り下ろされるところだった。
咄嗟に地面を転がって避ける。
ヴァプラの頭上の紋章さえ叩き切ればこちらの勝ちだ。しかし、戦斧と刀では間合いが違いすぎる。しかも刀にはひびが入り攻撃を受け止めることもできない。左腕も壊された。
ここから無傷でヴァプラの懐に潜り込めるか。策がないわけではない。
しかし、チャンスは一度きりだ。
戦斧を振り下ろしたヴァプラの横に回り込み、その隙を突こうとする。
ヴァプラが片足を引いて体を捻り、こちらに体を向けた。その捻りを利用して下から上に振るわれる戦斧。
それを見切り、戦斧の大きな刃を思い切り蹴りつけた。あまりに大きな衝撃に右足の骨格が折れる音がする。もう飛んだり跳ねたりはできないだろう。
横っ面を殴られた戦斧は大きく軌道を変え、ヴァプラの身が晒された。
あと一歩踏み込み、刀を持って無防備な頭部を狙う。
しかし、ヴァプラは咄嗟に戦斧を捨てた。
まずい。そう思っても動きは止まらない。
戦斧を捨てたヴァプラの腕は迫りくる刀を同じように拳で払いのけた。
パキィ、と音がして中ほどから刀が折れる。
そして無防備な俺の首を鷲掴みにして、掲げるように高く上げた。地面から足が離れて宙吊りになる。
「ぐ、が……ぁっ」
首を締められ息ができなくなる。しかし刀は手放さなかった。これを手放したら終わりだ。
「どうだね、そこで見ている諸君。君たちの英雄様はもうお終いだ」
ヴァプラは光の壁の向こう側にいる千樫たちに宣言した。
「首の骨を折れば一瞬で死ねるがね。私はそのような慈悲をかけるつもりはない」
言ってヴァプラはディヒトバイの首を締める手に力を込めた。
「我々悪魔は、魔王に人類を滅ぼせと命じられた。人類を虐げ、殺戮する。そのためだけに我々は存在する。故に」
ヴァプラの声に喜びが混じる。
「人類最強の英雄などという最後の希望を、じわじわと踏みにじりながら殺す。なんと気持ちのよいことだろうか。悪魔の本能は加虐だ。フォカロルはなぜ人間の味方などする」
「が、ぐ、ぅ……」
気道を塞がれて酸素が届かない。いくら口を開けても息ができない。
このまま死ぬというのか。
ほら。やっぱり、駄目だった。
そんな声が脳裏をよぎる。
「君たちは何もできないまま、この英雄が縊り殺されるのを見ているしかできないのだ」
ヴァプラは嗤う。
「英雄よ。君は興味深いことを言っていたな。世界を、人を救うためではなく、英雄になるために私を殺すと。英雄になって何をする。何のために生きるのだ、君は」
体に力が入らなくなり、意識が遠のく。
「ディヒトさん!」
千樫の声が聞こえる。
俺を導いてくれたあの声。
あの声がまだ届くというのなら。彼がまだ自分の名を呼んでくれるのなら。
まだ諦めることはできなかった。
取り落としそうになった刀を握り、わずかに残った刃でヴァプラの腕に斬りつける。
執念はその刀身を一層強く赤く光り輝かせ、ヴァプラの腕を断った。
「何だと⁉」
虫の息だった俺にに腕を切断されてヴァプラが動揺する。
着地すると俺は刀を頭上に振りかぶった。
危機を察知したヴァプラは頭上の紋章を斬らせまいと後ろに跳躍した。
その瞬間、ヴァプラは何かを見て硬直した。
感じる。体から湧く思念の赤い光が刀だけではなく、体全体を包み込む様を。
「――まさか人間にこれほどの執念があろうとは。なんと美しい、血の色をした、原初の光……! 我々が唯一持たないもの……!」
俺は刀を振り下ろす。
その折れた刃はヴァプラには届かなかった。
しかし、刀に纏った赤い思念の光は真っ直ぐに伸び、ヴァプラの頭上の紋章を両断した。
その瞬間に、ヴァプラの体が泥と化して崩れ落ちる。
光の壁もなくなり、魔族も泥のように溶けていった。
空を覆っていた分厚い雲も薄れ、太陽の光が地に降り注ぐ。
「ディヒトさん! 大丈夫ですか!」
千樫の声が聞こえる。
俺はお前に恥じない戦いができただろうか。
全身から力が抜ける。立っているのもやっとだ。
「千樫、お前が……いた、から……」
そう言いかけて目の前が真っ暗になった。
ディヒトバイ・W・ヴァン・デン・ボッシュ少佐、悪魔ヴァプラ撃破。
その一報はネロス公国を湧かせ、近隣諸国にも届いた。
人類最強の英雄の帰還に、この世界の誰もが喜んだ。
これで残る悪魔は二機。うち一機は人間側に寝返ったフォカロル。
つまりはあと一機倒せばよい。
しかし、その一機こそディヒトバイを打ち倒し、敗北を味わわせた偉大なる王、アスモダイであった。
ヴァプラとの戦いのあと、意識を失ったディヒトバイはすぐに特研に運び込まれた。俺もついていった。
フォカロル曰く、生命力を思念の力に変えた故に意識がなくなったということで、フォカロルの生成した液体魔力を点滴していた。
液体魔力とは生命力の水という話で、簡単に言えば輸血のようなものだという。
だから放っておけば問題ないとフォカロルに言われても、ディヒトバイの眠るベッドのそばから動けなかった。
ディヒトバイから壊れた左腕と右足は取り外され、その姿が痛々しい。
俺はヴァプラが魔力の壁を作ってから、なんとか周りのA級魔族の足止めをしていた。レオニードの見様見真似で、なんとかA級魔族に傷をつけることができたのが幸いした。
眠っているディヒトバイの顔を見やる。
――なんで私たちの街を守ってくれなかったの!? どうして悪魔を倒してくれなかったの!
――お前が悪魔を倒せば、俺たちはこんなひどい目に遭う必要はなかったんだ!
――こんなところにいないで、早く悪魔を倒しに行け!
――何が人類最強の英雄だ! 俺たちを守らなかったくせに!
あんなことを言われながらもディヒトバイは立ち上がり、また人々を守った。
俺だったらどうだろうか。こんな人間を救う価値はないと思ってしまうだろうか。わからない。
だが、少なくとも心に傷はできると思う。
ディヒトバイだって、あんなに罵られて何とも思わないわけがない。
心の傷は目に見えない。
だから人は人の心を簡単に傷付ける。
ディヒトバイの心の傷はどうだ。どれくらいの痛みがある。
それに。
光の壁越しに聞こえたヴァプラの声。
――英雄よ。君は興味深いことを言っていたな。世界を、人を救うためではなく、英雄になるために私を殺すと。英雄になって何をするのだ、君は。
そうだ、英雄になるというのは目的ではなく手段ではないだろうか。
いや、英雄になって人々から賞賛を浴びたりするのも目的にはなるだろう。
しかし、ディヒトバイからはそんなに俗っぽいものは感じられない。
感じるのは義務感だ。
軍人としての義務感、この世界に生きるものとして抱くものもあるかもしれない。
しかしディヒトバイの抱えているものは、それとは違う気がするのだ。
目が覚めたら、改めて話し合いたいと思った。
アカートは特研からしばし席を外していたが、二時間ほどして戻ってきた。
そして夜六時頃にディヒトバイは目覚めた。
「ディヒトさん! 無事ですか!」
電灯の光が眩しいのか、目を細めるディヒトバイに話しかける。
「千樫……、お前は大丈夫なのか」
目覚めたばかりで力ない声だった。
「俺? 俺はなんともないです。アカートさん呼んできますね」
慌ててアカートの元に向かう。
「お、やっと目が覚めたか」
そう言いながらアカートは調子よく歩いてきた。
そしてディヒトバイのバイタルチェックをして、問題なしとのお墨付きがついた。
「よくやったなディヒト。腕と足を駄目にしたとはいえ、悪魔に勝つだなんてよ。無理だと思ってたぜ。ま、お前が勝ったから俺は今ここに生きてられんだけどな。英雄様に感謝感謝」
特研のベッドに横たわっているディヒトバイに話しかけながら、アカートはディヒトバイの左腕と右足の義肢の調整をしていた。
カーボン製の骨格を取り囲む人工筋肉。そこに電極を刺してアカートは機材をあれこれいじっている。
「ごちゃごちゃうるせえ、早く腕と足つけろ」
軽口を叩くアカートにディヒトバイは静かに文句を言う。
「早くつけろってったってな、お前の義肢は一点ものなんだよ。何回微調整したかお前もよくわかるだろ? ああでもないこうでもないってどんだけお前に無茶振りされたよ? それでもまだ思うように動かないってよ。まともなやつができるまでまた調整だぞ」
「わかった。何でもいいから早くしてくれ。落ち着かねえ」
やっと調整が終わったのか、アカートはディヒトバイの左腕と右足を接続した。
「はいよ、どうだ?」
ディヒトバイは腕を持ち上げ、捻ったり手を何回も握ったりして動きを確かめる。足も同じように確認する。
「ああ、動きはいい。付け心地は最悪だが」
少し落胆したようにディヒトバイは返事をした。
「明日十二時から会見を開くってよ。英雄様の帰還だ」
会話が落ち着いたところで、ディヒトバイに声をかける。
「すごいですね、ディヒトさん。あんな悪魔相手に勝っちゃうだなんて」
「……お前を死なせるわけにはいかねえと思ってな」
それは、やっと見つけた納得できる相手を死なせたくないという意味だろうか。
「で、ですよね。俺が死んじゃったらディヒトさんは困りますもんね……」
「……そうじゃねえよ」
ディヒトバイは歯切れ悪く答えた。
「千樫、急に戦いに出て疲れただろ。今日はもう休め」
「でもディヒトさんは……」
「おう、ディヒトの言う通りだ。まだ興奮してるから疲れは出てないように感じるが、予想以上に疲労が溜まってる。早く飯食って休め」
そうかもしれない。魔物と命を懸けた戦いをして、ディヒトバイが意識を失って目覚めるまでずっと気を張っていた。
「そうですね、そうします。帰ってきてからどきどきが止まらなくて。あ、ご飯ってどこで食べればいいんですか?」
「ああ、一つ上のフロアに食堂がある。エレベーターホールに地図があるからすぐわかる。あ、そうだ。寝間着もなかったよな。ちょっと待て」
言ってアカートは奥にある棚から入院着を布の手提げ袋に入れて持ってきた。
「病人みたいで申し訳ないが、すぐに用意できるのがこれなんでな。下着もある。部屋に日用品は揃えてあるが、足りないものもあるだろう。明日は休みにして、気晴らしに買い物にでも行ったらどうだ」
「買い物……」
そういえば、俺はまだドームの中を見ていない。
この世界に来てからは軍本部と避難民キャンプしか行ったことがない。
ドームの内側がどのようになっているか、見てみるのもいいだろう。
先程特研にディヒトバイの様子を見に来たレオニード、兼景と連絡先を交換した。連絡を取ってみようか。
「わかりました。じゃあ、これで失礼します。ディヒトさんも、アカートさんもお疲れさまでした」
そう言って特研を後にする。
エレベーターホールに行って一つ上のフロア、地下六階を目指す。
地下六階は人が多く行き交っていた。
全員が看護師のような清潔な制服を着ているので、研究棟の人間なのだろう。
誰もが笑顔で歩いていて、ヴァプラを倒したことに喜んでいるようだった。
ディヒトバイはこういった人々を守ったのだ。そして、人々から感謝されている。
そう思うと、自分のことのように嬉しかった。
アカートに言われたとおりにエレベーターホールの地図を見て食堂に向かう。
夕食時が近いのもあって、広い食堂は混雑していた。バイキング形式のようで、トレーを持った人が列を作っている。
入口近くには紙パックに入った弁当も置かれており、何人か手に取って食堂を出ていっている。お金を払わなくてもいいらしい。
自分もそれにならって弁当を手に取る。作りたてのようでまだ温かい。
食堂が活気にあふれているのはいいことだが、今の自分には少し疲れる。
弁当を持ってそそくさと部屋に戻った。
部屋は広いワンルームで、奥にベッド、その手前にソファとローテーブル、テレビが置いてある。入り口近くには電子レンジと冷蔵庫が設置されている。
家具はこれだけあれば十分だ。足りないとしたら衣類、その他日用品などだろう。都度買い足していけばいい。
寝間着の入った袋を放ってソファに座る。体は思っていた以上に疲れていたようで、どかっと座り込んでしまった。
そこから、行儀は悪いがソファの上に胡坐をかいて、弁当を手に取る。
フォークが外側にテープで貼られていた。それを取り、弁当の蓋を開ける。
中にはコールスローサラダ、ソースのかかった焼いた鶏肉、パンとマーガリンが入っている。
ちゃんとした料理を見ると、途端にお腹が空いてきた。
欲に任せて食事を口に運ぶ。
サラダも鶏肉も、パンも美味しい。ドームの中の限られた資源で作ったとは思えない。
あっという間に食べてしまった。こういうときにパンは味気ない。日本人としては米が食べたいところだ。
腹が満たされたことで緊張がとれたのか、一層体が重くなったように思う。
何とか立ち上がり、寝間着を取りに行く。
そしてソファに服を脱ぎ散らかし、手早く着替えるとベッドに倒れこむようにして寝転がった。
それでやっと安心した気がする。
今日は色々なことがあった。
避難民キャンプでのこと。ディヒトバイと体を重ね、魔族と戦い、悪魔を倒した。
それだけのことがあれば疲れようというものだ。
自然と眠気が襲ってきて、瞼が重くなる。
かろうじて残っていた体力で毛布を体にかけ、目を閉じた。
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