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第31話

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 一月後。

 鶴木をまとめ上げていた勝重の死は誰もが知るところとなり、護国寺への代替わりを狙って各国が同時に鶴木へ攻め込んだ。
 その中には鹿島の姿もあった。
 鶴木に反旗を翻した国に駆け込み、客将として一時の居場所を得ていたのである。
 しかし主な武将は前に鶴木との戦で殺され、今残っているのは将として腕の足りぬ者ばかりであった。
 それをかき集めて鶴木に喧嘩を売ってもどうにもならない。
 鹿島は確かに強いが、一人で戦を変えられるほどではない。
 味方の将が次々と討ち取られ、勢い付いた鶴木の兵が波濤のように押し寄せるのを見て、鹿島は山の中に逃げ込んだ。

「弱い奴らめ……。盾にもならぬとは……」

 鹿島はそう毒付いて日の落ちかかっている山の中を進んだ。
 遠回りだが敵に見つからずに陣まで戻ることができるだろう。
 師走の山は息が白くなるほど寒い。息を吸うたびに肺が冷えた。
 歩きやすい獣道を探して歩いていると、やがて打ち捨てられた神社に辿り着いた。
 石段や石畳は割れて崩れており、鳥居も手入れがされずに朽ち果て苔むしている。
 本殿も屋根が一部崩れて、最早神の座すところとは言い難かった。
 少し休もうかと思い参道に足を踏み入れたところで、微かな金属音が聞こえ鹿島は辺りを伺った。

「何奴だ。一人のところを狙えば俺を討ち取れると思ったか」

 鹿島が虚空に向けて話しかけると、それに応えるように本殿の裏から兵が現れた。

 その先頭に立つ者を見て鹿島は目を見開いた。

角解つのおつ……!」

 鎧に身を包んだ角解は、今まで見たことのない不敵な笑みを見せていた。

「いい様だなぁ、鹿島。どうだ、殿殺しの下手人として追われる立場になった気分は。本当は俺が勝重を殺したってのによ」
「何、だと……! やはり貴様が……!」

 鹿島に言われて角解はにやりと笑いながら呆れるように肩を竦めて見せた。

「俺はずっと、勝重とお前が無様に死ぬところを見たかったんだよ。やっと叶うな」
「貴様、何故そのようなことを……! 主君殺しの貴様を取り立ててもらった恩を忘れたか!」

 殺気立った鹿島が角解を怒鳴りつけると、それにも負けぬ勢いで角解も怒鳴り返した。

「わからねえとは言わせねえよ! てめえは今まで何人甚振ってきた! その中に尚武しょうぶ刃金はがねがいたんだ、散々辱められて、俺の前で、生きたまま火をかけられた……! 俺はお前と勝重を許さねえ、何をしてでもこの手で殺してやると誓った! 勝重に近付くために番匠を殺したんだ! そうでもすれば目をかけられると思ってな!」

 角解の言葉に鹿島は信じられないという目をした。

「復讐だと……? そんなことのために二度も主君を殺したというのか!」
「そんなことだと!」
「殿は悪を行う俺を認めてくれた! 殿だけだ、俺に生きていていいと言ってくれたのは!」
「お前と勝重は人の道理がわからねえ畜生だからよ。畜生同士が傷の舐め合いをしてただけだろうが」
「貴様!」

 叫んで鹿島は槍を構えた。

「悪鬼! 忠義を知らず、謀略によって人を陥れるとは! 貴様のような者を悪鬼と言うのだ!」
「てめえの言うことじゃねえんだよ!」

 鹿島と角解が睨み合う。
 こうなった以上、力で全てを決するしかない。

「生憎俺は刀を振るのが苦手なんでな。得意な奴を呼んであるんだ」

 言って角解が一歩退くと、兵の中から一人の男が現れた。
 鎧を纏い、首までの黒茶の髪を後ろに撫でつけ、短い口髭と顎髭を生やしている。
 右目には刀の鍔を模した眼帯。
 見覚えのある姿に鹿島は目を見張った。

「犬吠森、親則……!」

 親則は鹿島の前に静かに歩み寄る。

「角解殿。俺は貴様のために鹿島殿と戦うのではない。俺のために戦うのだ。忘れるな」

 そう角解に言うと親則は刀を抜いた。

「貴様も復讐のために……」
「復讐など考えておらぬ。斬り合うと約束しただろう」

 その言葉に、鹿島は怒りを忘れ去った。
 ただ一人、己より強い剣の使い手と戦う。
 その事実で頭がいっぱいになった。

「……いいだろう、犬吠森殿」

 鹿島は親則に応えるように槍を捨て、刀を抜く。

「一つ、聞いてもよろしいか」

 言葉を交わすのはこれで最後と思うと、今聞かなければならぬと鹿島は親則に問いかけた。

「どうした」
「犬吠森殿は無礙自在むげじざいに至ったか」

 無礙自在。
 その境地に至れば鉄すら斬れるという極限。
 それに至ったのかと鹿島は問うた。
 それを聞き、親則は声を上げて笑った。
 このような男でも笑うことがあるのだ、と鹿島は不思議な気持ちになった。

「は、無礙自在など烏滸がましい。俺は剣を握るとき、委ねている」
「委ねる、とは」
「人を殺したくてたまらぬ鬼が俺の中にいるのだ。その鬼に剣を委ねている。只人に兜は斬れぬが、人ならぬ鬼ならば容易く斬れようというもの」

 親則の告白に鹿島は内心驚いていた。
 人を殺したくてたまらない。
 この男がそのような劣情を抱いていたとは。
 そんなものを抱えながら高瀬の長の座に収まっていたのか。

「できぬと言うなら鹿島殿は違う道を行っているのだ。無礙自在とは仏の往く道。我らが行くは修羅に畜生餓鬼地獄」

 言って親則は刀で鹿島を指した。

三毒さんどくを以って五蘊ごうんを侵し、十使じっしを以って一如いちにょに至る。これが俺の剣の理。同じ轍を踏み、俺の元まで至れ。俺と同じところまで堕ちてくれ」

 告白ともとれるような親則の言葉に、鹿島の中に笑いが込み上げた。

「はっはっは!」

 声を上げてひとしきり笑うと、鹿島は殺気を身に纏って口を開いた。

「御身は悪鬼にありて阿羅漢であったか! 得心がいった!」

 鹿島はそう言い、正眼に剣を構える。

「我武神の名をここに捨てり。悪鬼鹿島千樫、無手勝流むてかつりゅうにてお相手仕る」

 それに応えるように親則は笑い、同じく正眼に構えた。

「同じく悪鬼犬吠森親則。我流にて」



 二人は同時に踏み込み、やがて剣戟が始まった。
 目にも止まらぬ速さの親則の剣に鹿島は守勢に入った。
 一貫を超えるような大太刀でも鹿島の槍より速い剣筋だった。
 それがより軽くて取り回しのいい普通の刀ならば、より速いものになるとはわかっていたが、想像以上の速さだった。
 わずかな隙を見つけては鹿島が反撃する。
 強くなりたい、その思いを一太刀ごとに削り落とし、ただ親則を殺すことだけを考え、殺気を研ぎ澄ませていく。
 それに応えるように親則は一段と剣速を上げる。
 ついて来いと言っているのだ。
 言葉もなく、いや、最早言葉以上に刀のほうが想いが伝わった。

 数え切れぬほど刃を合わせ、いつしか日は完全に沈んで月の灯りだけが世界を照らしていた。
 小さな雪の粒が一つ、また一つと舞い落ちる。
 それすら気付かぬほど二人は互いのことしか見えていなかった。
 情人が唇を合わせるように、刀を合わせてその音色に酔いしれていた。
 永久に続けばいいと願ってしまうほどの瞬間にも、終わりが必要だと二人は悟っていた。
 どちらが強いか、それを決めるために斬り合っているのだから。
 二人は示し合ったように距離を取り、また相手の間合いに踏み込んだ。これが最後、お前を殺すための一撃だと心に決めながら。

 親則は大上段に構えて振り下ろし。

 鹿島はがら空きになった親則の胴めがけて突きを放った。

「っ……」

 親則の刀は兜ごと鹿島の脳天を両断し、鹿島の刀は鉄の胴当てごと親則の心臓を貫き、その切っ先が背中から突き出ている。
 鹿島の手から刀を持つ力は失われ、その大きな体がその場に倒れた。
 鹿島の刀が体に突き刺さった親則も口から血を吐き、ぼうとした目で鹿島を見つめていた。

「見事だ、鹿島殿……。続き、は、地獄……、で……」

 途切れ途切れに親則は口にし、支えていた糸の切れるように倒れた。

 親則と鹿島の行く末を見届けた角解は、苛立ちを隠せぬ様子で鹿島の亡骸に歩み寄った。

「相討ちかよ、使えねえな」

 角解は言って忌々し気に鹿島の頭を蹴った。
 それから兵に向き直って口を開く。

「今までご苦労。あとのことは護国寺殿に頼んでおいたからよ。好きにしてくれや」

 言って角解は一人、どこかに向けて歩き始めた。

「角解様……!」

 配下が不穏な様子の角解に声をかける。

「用足しだよ、一人にさせてくれ」

 不機嫌そうに言われると何も言えず、角解が歩いていくのを見送ることしかできなかった。



 雪が強くなり、辺りを段々と白く染めるのを眺めながら角解は歩いた。
 月が見たい。
 刃金と共に見た月だ。
 自分たちの主君は褒められたものではないが、それでも国の、民のためにできることをやっていこうと決意をした晩。
 あの晩の月は、今まで見たどんな月より綺麗で心に残っていた。
 木々の開けた場所に辿り着いて空を仰いだが、分厚い雲から雪が降ってくるだけで月など見えそうもない。

「は、俺の人生、いつもこうだ。上手くいった試しがねえ」

 言って角解は腰に下げた瓶子を手に取り、それを口につけるとぐいと飲み干す。すぐに角解はげほげほとむせ込み、血を吐いた。

「刃金……、お前はいい奴だから、今頃、極楽にいるんだろうな……。俺は駄目だ、俺は、地獄、に……。もし、生まれ変わった、ら……、また、月を……」

 大量の血を吐きながら、最後まで言い終えることなく、角解はその場に崩れ落ちた。

 この世の悪を全て消し去るかのように、雪が深々と降り注いでいた。



   完
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