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第3話
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評定が終わり、鹿島は一人道場にいた。
鹿島が来るまでは皆が稽古をしていたのだが、鹿島が刀と風呂敷包みを持って道場に入ると蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
鹿島は設えられた神棚の前に進むと刀を前に横たえ風呂敷包みを脇に置き、板張りの床に座して頭を深々と下げ刀礼を行った。
礼が終わると刀と風呂敷包みを端に寄せ、壁にかけられていた振り棒を手に取った。
樫を六角に削り作られたもので、長さ六尺、重さ四貫。
子供一人分はあろうかという重さのそれを百回振って基本とし、五百、千と回数を増やしていくのが鹿島真刀流の鍛錬であった。
振り棒を頭上に構え眼前に振り下ろす。それを幾度も繰り返す。
その最中考えていたのは高瀬攻めのことだ。
高瀬の長、犬吠森親則。
小競り合いが続いていた北方の国々を圧倒的な武でもって捩じ伏せて配下に収め、軽銀を狙って侵攻する他国をことごとく返り討ちにしてきた。
隣国片岸との戦では大将でありながら大太刀を手に先陣を切り、右目を矢で射られても止まることはなく、敵大将まで肉薄してその首を取ったという。
ついた綽名が高瀬の狼。
これからその狼と戦うのだ。
そう思うと知らず知らずのうちに口角が上がる。
どのようにして打ち負かし、弄んでやろうかと思うと下腹が熱くなった。
五百を数えて振り棒を戻し、今度は物入れから木で作られた腰ほどの高さの台を持ってきて道場の真ん中に置いた。
それから端に寄せていた刀と風呂敷包みを取りに行く。風呂敷を解くと中には鉄製の兜があった。
兜を台の上に乗せ、刀を腰に差す。
その真正面に立ち、鹿島は兜と向き合った。
兜割り。
鉄でできた兜を刀でもって両断する。
その魔技に鹿島は挑戦しようというのである。
今まで数々の剣豪が試みてきたが両断には至らず、五分ほど斬り込めば成功と見做していた。
それならば鹿島にもできる。
しかし鹿島は飽くまで両断することに拘った。
鹿島の育った屋敷の道場には二つに両断された兜が伝わっており、聞けば鹿島真刀流の伝えるところの秘奥、何物にも囚われぬ無礙自在の境地に至った古の鬼才がそれを為し、後に気が狂って死んだという。
できるのだ。
誰も為したことのない偉業を遂げようというのではない、そこに至った者がいる。ならば同じ境地に至るまで。
ある日修行を続ける鹿島を父は呼び出し、両断された兜を指して言った。
――お前の目指しているものは剣ではない、魔剣だ。人には許されぬ悪鬼の所業。諦めよ。
しかし鹿島は諦めなかった。いつか自分がそこに至ると信じていたのである。
我武者羅に鍛錬を続ける鹿島に父は言った。
――お前は真の強さには至らぬであろう。武とは即ち悪である。
鹿島には言葉の意味が理解できなかった。
稽古で勝つと喜びが生まれ、戦場で首を取れば悦楽を得た。
強いことの何がいけないというのか。
この世は奪い合いだ。強ければ常に奪う側でいられる。奪われずに済む。
鹿島はそう父に言ったが、父は冷徹な目で鹿島を見るだけだった。そして戦場で死んだ。答えを得る機会を失った。
鹿島は自分なりに考え続けた。どうすれば真の強さに、無礙自在の境地に辿り着けるのかと。
そしてある結論に至った。
武が悪ならば、悪とは武なり。
悪を究めてこそ武も究まらん。
そして鹿島は心の中に悪鬼を飼った。
敗残の兵、将を蹂躙し、辱め、戯れに殺した。
それが最も悪いことだと思ったからである。
名誉、誇り、尊厳のために生きる武士を犯しつくし、それらを完膚なきまでに奪い、惨めな最期を遂げさせる。
これが鹿島の考える悪だった。
悪を重ねれば重ねるほど、人から恐れられるほど鹿島は強くなった。
やがて鹿島の噂を聞いた遊佐勝重に召し抱えられた。
勝重は鹿島を恐れなかった。そんな人間は初めてだった。
修行を重ね、戦場で数えられぬほどの首を上げ、気が付けば武神と呼ばれるに至った。
それでも鹿島は強くなろうとした。
鶴木最強、武神の名を縦にする自分が鉄くらい斬れないで強いと言えるだろうか。否だ。
「鹿島真刀流、鹿島千樫、参る」
鹿島は刀を抜いて構える。
呼吸を整え、頭上まで振りかぶると掛け声とともに一気に振り下ろした。
しかし刀が三寸ほど斬り込むだけで兜は割れなかった。
まだ足りぬというのか。
鹿島は刀を納めると、ゆっくりと背後に振り返った。知れた気配を感じたからである。
そこには勝重が立っていた。
「殿、いたのですか」
勝重は頷きながら歩み寄り、鹿島の前に置かれた兜を手に取った。
「見事よのう鹿衛。並の腕では刀が曲がり、達人でも五分を斬り込むのがやっとというところを、これほどとは」
勝重に言われて鹿島は頭を下げた。
「無礙自在の境地に至れば兜も二つと斬れます。未だ至らず。精進します」
それを聞くと勝重は声を上げて笑った。
「武神鹿島がこれ以上強くなってはどうなるのであろうな。楽しみだ」
「殿だけです、そう言ってくれるのは。他の者は俺を恐れているばかり」
「武神に好かれるとは光栄よのう。夜にでも離れに来い。酒でも飲もう」
勝重は言って満足そうに笑うと道場を去った。鹿島はそれを見送った。
鹿島が来るまでは皆が稽古をしていたのだが、鹿島が刀と風呂敷包みを持って道場に入ると蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
鹿島は設えられた神棚の前に進むと刀を前に横たえ風呂敷包みを脇に置き、板張りの床に座して頭を深々と下げ刀礼を行った。
礼が終わると刀と風呂敷包みを端に寄せ、壁にかけられていた振り棒を手に取った。
樫を六角に削り作られたもので、長さ六尺、重さ四貫。
子供一人分はあろうかという重さのそれを百回振って基本とし、五百、千と回数を増やしていくのが鹿島真刀流の鍛錬であった。
振り棒を頭上に構え眼前に振り下ろす。それを幾度も繰り返す。
その最中考えていたのは高瀬攻めのことだ。
高瀬の長、犬吠森親則。
小競り合いが続いていた北方の国々を圧倒的な武でもって捩じ伏せて配下に収め、軽銀を狙って侵攻する他国をことごとく返り討ちにしてきた。
隣国片岸との戦では大将でありながら大太刀を手に先陣を切り、右目を矢で射られても止まることはなく、敵大将まで肉薄してその首を取ったという。
ついた綽名が高瀬の狼。
これからその狼と戦うのだ。
そう思うと知らず知らずのうちに口角が上がる。
どのようにして打ち負かし、弄んでやろうかと思うと下腹が熱くなった。
五百を数えて振り棒を戻し、今度は物入れから木で作られた腰ほどの高さの台を持ってきて道場の真ん中に置いた。
それから端に寄せていた刀と風呂敷包みを取りに行く。風呂敷を解くと中には鉄製の兜があった。
兜を台の上に乗せ、刀を腰に差す。
その真正面に立ち、鹿島は兜と向き合った。
兜割り。
鉄でできた兜を刀でもって両断する。
その魔技に鹿島は挑戦しようというのである。
今まで数々の剣豪が試みてきたが両断には至らず、五分ほど斬り込めば成功と見做していた。
それならば鹿島にもできる。
しかし鹿島は飽くまで両断することに拘った。
鹿島の育った屋敷の道場には二つに両断された兜が伝わっており、聞けば鹿島真刀流の伝えるところの秘奥、何物にも囚われぬ無礙自在の境地に至った古の鬼才がそれを為し、後に気が狂って死んだという。
できるのだ。
誰も為したことのない偉業を遂げようというのではない、そこに至った者がいる。ならば同じ境地に至るまで。
ある日修行を続ける鹿島を父は呼び出し、両断された兜を指して言った。
――お前の目指しているものは剣ではない、魔剣だ。人には許されぬ悪鬼の所業。諦めよ。
しかし鹿島は諦めなかった。いつか自分がそこに至ると信じていたのである。
我武者羅に鍛錬を続ける鹿島に父は言った。
――お前は真の強さには至らぬであろう。武とは即ち悪である。
鹿島には言葉の意味が理解できなかった。
稽古で勝つと喜びが生まれ、戦場で首を取れば悦楽を得た。
強いことの何がいけないというのか。
この世は奪い合いだ。強ければ常に奪う側でいられる。奪われずに済む。
鹿島はそう父に言ったが、父は冷徹な目で鹿島を見るだけだった。そして戦場で死んだ。答えを得る機会を失った。
鹿島は自分なりに考え続けた。どうすれば真の強さに、無礙自在の境地に辿り着けるのかと。
そしてある結論に至った。
武が悪ならば、悪とは武なり。
悪を究めてこそ武も究まらん。
そして鹿島は心の中に悪鬼を飼った。
敗残の兵、将を蹂躙し、辱め、戯れに殺した。
それが最も悪いことだと思ったからである。
名誉、誇り、尊厳のために生きる武士を犯しつくし、それらを完膚なきまでに奪い、惨めな最期を遂げさせる。
これが鹿島の考える悪だった。
悪を重ねれば重ねるほど、人から恐れられるほど鹿島は強くなった。
やがて鹿島の噂を聞いた遊佐勝重に召し抱えられた。
勝重は鹿島を恐れなかった。そんな人間は初めてだった。
修行を重ね、戦場で数えられぬほどの首を上げ、気が付けば武神と呼ばれるに至った。
それでも鹿島は強くなろうとした。
鶴木最強、武神の名を縦にする自分が鉄くらい斬れないで強いと言えるだろうか。否だ。
「鹿島真刀流、鹿島千樫、参る」
鹿島は刀を抜いて構える。
呼吸を整え、頭上まで振りかぶると掛け声とともに一気に振り下ろした。
しかし刀が三寸ほど斬り込むだけで兜は割れなかった。
まだ足りぬというのか。
鹿島は刀を納めると、ゆっくりと背後に振り返った。知れた気配を感じたからである。
そこには勝重が立っていた。
「殿、いたのですか」
勝重は頷きながら歩み寄り、鹿島の前に置かれた兜を手に取った。
「見事よのう鹿衛。並の腕では刀が曲がり、達人でも五分を斬り込むのがやっとというところを、これほどとは」
勝重に言われて鹿島は頭を下げた。
「無礙自在の境地に至れば兜も二つと斬れます。未だ至らず。精進します」
それを聞くと勝重は声を上げて笑った。
「武神鹿島がこれ以上強くなってはどうなるのであろうな。楽しみだ」
「殿だけです、そう言ってくれるのは。他の者は俺を恐れているばかり」
「武神に好かれるとは光栄よのう。夜にでも離れに来い。酒でも飲もう」
勝重は言って満足そうに笑うと道場を去った。鹿島はそれを見送った。
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