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第6話
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遠くに聞こえていた水の流れる音が段々と大きくなり、やがて目の前に川が現れた。
幅が広く、澄んだ水の向こうに見える川底は足のつかないほど深そうに見えた。
アウレリオはイングヴァルのほうを窺うと、彼はいつもの様子で言った。
「渡ってしまおう」
そう言って、イングヴァルは左右と対岸の川岸を一通り見渡した。
「今更だが、この力を人に知られるのは厄介だからね」
言ってイングヴァルは誰もいないことを確認すると、湖のときと同じように川面に足を踏み出そうとした。
その時。
「おいおい、何もなしに渡るのは無茶ってもんだ」
川の上流に広がる森から、二人組の男が現れた。
二人ともぼろぼろの皮鎧を着ていて、大柄な黒髪の男は腕に添え木をして首から布で吊っている。
もう一人の茶髪の男は痩せた男で、足を痛めていて黒髪の男に肩を貸してもらっていた。頭にも怪我をしているのか血の滲んだ襤褸切れを巻いており、片目を覆っている。
イングヴァルはアウレリオの前に立ち、前に出るなと手で制した。
その上で少しずつ後ずさり、二人と距離を取る。
「川を渡って街に戻りてえんだ。だが、二人ともこの通りでにっちもさっちもいかねえ」
黒髪の男が言った。
「それで?」
「それで……って、わかるだろ、あんたらの力を借りたい。食いもんもなくなっちまった」
イングヴァルの素っ気ない言葉に、男たちは焦った顔をした。
「見返りはあるのか。その身なりじゃ金を持っているようには見えないが」
「街に戻ったら礼をする。必ずだ! 頼む」
言って二人は頭を下げる。
「俺たちで……」
それを見たアウレリオがイングヴァルの後ろから出てこようとしたのを、イングヴァルは手を掴んで止めた。
「なんで……」
アウレリオは困った目でイングヴァルの顔を見つめた。
イングヴァルは身をかがめて、アウレリオにしか聞こえないように声を潜めて言った。
「僕が言えた義理じゃないが、この森に来るのはろくな奴じゃない。竜の宝を独り占めできるなら仲間だって平気な顔をして殺す。そういう連中だ。ここにいる冒険者は他の冒険者をみんな敵だと思ってる」
「でも、怪我を……。食べ物もないって」
「演技だよ。嘘に決まってる」
イングヴァルの言葉に、アウレリオはむっとした顔をした。
「遠くから見ただけなのに、どうしてわかるんですか? それに本当に怪我してるんだったら、あの人たちはどうなるんです?」
アウレリオの疑問に、イングヴァルは突然冷たい調子で言い放った。
「……何をしてでも生き延びるのが人間というものだ。あれくらいでは死なないよ」
それだけ言ってイングヴァルは二人に向き直った。
「じゃあ食料だけ……」
「いいですよ! 一緒に行きましょう!」
アウレリオはイングヴァルの言葉を遮って二人に駆け寄った。
「そうか、助かる!」
言って二人は顔を見合わせて喜んだ。
その様子を、イングヴァルは苦い顔つきで見つめていた。
「俺はマルクってんだ。こいつはロニー。旦那の名前は? どこの出身なんだ?」
四人は川の下流に向けて、川幅の狭い箇所を求めて歩いていた。
イングヴァルが氷の力を使いたがらない以上、歩いて川を渡るしかない。
調子よく話しかけてきた黒髪の男に、イングヴァルは不愛想に答えた。
「イングヴァルだ。カテガットから来た」
「カテガットから? 俺たちもさ。待った、北のイングヴァルと言えば聞き覚えがある、シェラン傭兵団の団長がそんな名前だった。もしかして旦那が?」
「……別人だ。余計な詮索はよしてもらいたい」
眉一つ動かさずにイングヴァルは言った。
「え、イングヴァルさん、傭兵団の団長だったって……」
後ろをついてきていたアウレリオが思わずといった様子で言った。
「やっぱりそうだ! あんただけ生き残ったのか? 何年か前に全員死んじまったって聞いたが」
「君たちに言う義理はない」
イングヴァルはそう言ってマルクを睨みつけると、先に歩いて行ってしまった。
ぽかんとした顔で残された三人はイングヴァルを見ていた。
それからアウレリオはマルクに言った。
「今まではすごい優しかったのに……」
「まあ、俺たち怪しいっちゃ怪しいからな。怪我人を装った追い剥ぎが流行ってんのさ」
言ってマルクはひひひ、と声を上げて笑った。
「あの、その傭兵団ってなんで全員死んじゃったんですか?」
アウレリオは声を潜めてマルクに尋ねた。
「飢え死にだって聞いたぞ。ひでえもんさ」
予想に反して、いくら歩いても川幅の狭いところはなかなか見つからなかった。
昼を過ぎ、日差しが橙を帯びてきている。
「旦那、ちょっと休ませてくれ」
マルクが言い、イングヴァルは振り向いて足を止める。
それを肯定と受け取ったのか、ずっとロニーに肩を貸していたマルクは木陰にロニーを座らせるとその脇にどっかりと腰を下ろした。
イングヴァルはずっと二人に警戒の眼差しを向けており、近付こうともせずに少し離れた所に立っている。
アウレリオはイングヴァルに話しかけようと近付いたのだが、声をかけられずにマルクたちの元に戻ってきた。
「なあ坊ちゃん、あんた随分いい服を着てるな。貴族かなんかか」
マルクがアウレリオに問いかけた。
「いいえ、俺は教会の見習いで……」
「教会の見習いってことは将来の司教様だ。ありがてえこった。坊ちゃんが司教になったら故郷の連中に自慢しねえとな、俺らは死にそうになってたところを助けていただいたんだってな!」
言ってマルクはまたひひひと笑って、祈りの仕草をした。
「……おい、あれは人じゃねえのか」
今まで黙っていたロニーが、森の奥を指して言った。
三人はロニーが示したほうを見る。イングヴァルはじっとロニーのことを見つめている。
「見えねえぞ。本当に人か?」
マルクはロニーを疑いの目で見た。
「た、確かだ、何人も同じ赤い上着を着て歩いてた。ほら、あそこ」
ロニーは言って念を押すようにまた指差した。
「俺、ちょっと見てきます。もしかしたら、助けになってくれるかも。みんなは待ってて」
言ってアウレリオは立ち上がった。
「待てアウレリオ、一人で行くことはない」
言ってイングヴァルもアウレリオに着いていこうとした。
「様子を見るくらい一人で十分ですよ。それに、マルクさんとロニーさんに何かあったらいけないし……。魔物が襲ってくるかも」
「それは君だって同じだ。一人になるのはよくない」
「イングヴァルさんは一人でこの森にいたのに?」
「それは……」
言葉に詰まったイングヴァルをよそに、アウレリオはロニーが見た人影のほうへと駆けていった。
「……去るなら今のうちだぞ」
アウレリオが走っていくのを苦々しげに見ていたイングヴァルは、視線も寄こさずに二人に話しかけた。しかし片手は剣の持ち手にかかっており、何かあったらこれを抜くと見せつけていた。
「な、何を言ってるんです、旦那。俺たちは追い剥ぎなんかじゃ……」
狼狽えるマルクに、イングヴァルはやっと二人に向き合った。
「何でもいい。君たちが黒だろうが白だろうが構わない。確かめようとも思わない。僕は灰色の人間は信用しない。食料だったら分けてやる。それで十分だろう」
「あの坊ちゃんとは一緒にいるのに、俺たちは駄目なんですかい?」
「彼は信用に値する。君たちは違う。それだけの話だ」
イングヴァルは言い切った。
二人は困ったように顔を見合わせた。
そしてロニーが頭を抱えるように顔に手を添えたかと思うと、目を覆っていた布を取った。その下にある目が露わになる。
「なっ……」
本来一つである瞳が二つ並んだ悍ましい目。その瞳がイングヴァルを捉えて深紅に煌めいた。
――邪眼……!
ロニーの動きを注視していたイングヴァルはその歪な瞳と真っ向から視線を合わせてしまった。
イングヴァルは咄嗟に地面を踏んで辺りを凍らせようとしたが、地を走る氷が前に不意に止まる。
「あ、ぁ……」
目から熱い泥を流し込まれるように侵食する呪いに、イングヴァルは呻きを上げながら力なく地面に倒れた。
「旦那は腕が立つしれんが、だったら剣を抜かせなきゃいい」
言って二人は下卑た笑いを顔に張り付けながら、地に付したイングヴァルに歩み寄った。
イングヴァルの目には世界が二重に移っていた。
密林の中でマルクとロニーが近付いてくる景色と、二つ並んだ瞳がじっとこちらを見ている景色。それらが折り重なって万華鏡のように視界が揺らぐ。
脳を直接握り潰されているような不快感に胃液がこみ上げる。
「ぐ、あぁ……っ!?」
影に向けて氷を放とうとするも、魔力を集めた途端に鋭い刃物で串刺しにされたような痛みが走る。
「なんだ、魔法も使えたのか? やめときな、魔力が逆流して体がズタボロになるだけだぜ」
頭蓋に反響した声はやがて轟音となって耳を圧し潰す。
「こいつはどうする?」
「縛って木の陰にでも隠しとけ」
言って誰かがイングヴァルのそばに屈んで剣とナイフを鞘から抜いて川に投げ、足を持って引きずっていく。
――何とかしなければ。
その思考もすぐに解けてしまう。
ただ精神を蹂躙されて苦悶の声を漏らすしかできなかった。
――彼、は。
焦点の合わない瞳で彼が向かったほうを見る。
そして、見覚えのある金の髪を持った、彼が――。
誰かが彼に話しかける。その背にナイフを隠しながら。
鉄のように重い体を気合で動かす。
今動かなくてどうする。
一歩踏み出す度に体が引きちぎれるような痛みが走る。
そんなの知ったことか。
——自分の力を人を救うために使う、俺もそうなれたらって思います。
そう言って笑った彼の力を、決して人間に向けさせるものか。
何がどうなったっていい、彼だけは、彼の心だけは、誰も踏みにじらせはしない——!
振り上げられた刃が戸惑うアウレリオに向けて下ろされる、その瞬間。
間に割って入ったイングヴァルの体に深々と刃が突き立てられた。
刺さった刃も何かの呪具なのか、目に見えるほどに凝固した呪いが傷口から体に深々と根を張った。
「舐めるなよ……!」
イングヴァルは吼えた。
的は二つ。目が効かないため狙うことはできなかった。
だったら見境なしに全てを凍らせればいい。
手にあらん限りの力を集め、目の前の敵に向けて解き放った。
硝子の割れるような音を立てながら瞬時に形作られた氷柱は目の前の男をいとも簡単に串刺しにし、イングヴァルの前方を一筆で塗りつぶすように氷が広がる。
流れる川の水をも凍らせて対岸にまで及んだ氷は、やがて勢いを止める。
イングヴァルは咽せたように血を吐き出し、地面に滴った血は凍りついた。
「イングヴァルさん……!」
一連の流れを見ているしかできなかったアウレリオが叫ぶ。
それを聞きながらイングヴァルは地面に力なく崩れ落ちた。
幅が広く、澄んだ水の向こうに見える川底は足のつかないほど深そうに見えた。
アウレリオはイングヴァルのほうを窺うと、彼はいつもの様子で言った。
「渡ってしまおう」
そう言って、イングヴァルは左右と対岸の川岸を一通り見渡した。
「今更だが、この力を人に知られるのは厄介だからね」
言ってイングヴァルは誰もいないことを確認すると、湖のときと同じように川面に足を踏み出そうとした。
その時。
「おいおい、何もなしに渡るのは無茶ってもんだ」
川の上流に広がる森から、二人組の男が現れた。
二人ともぼろぼろの皮鎧を着ていて、大柄な黒髪の男は腕に添え木をして首から布で吊っている。
もう一人の茶髪の男は痩せた男で、足を痛めていて黒髪の男に肩を貸してもらっていた。頭にも怪我をしているのか血の滲んだ襤褸切れを巻いており、片目を覆っている。
イングヴァルはアウレリオの前に立ち、前に出るなと手で制した。
その上で少しずつ後ずさり、二人と距離を取る。
「川を渡って街に戻りてえんだ。だが、二人ともこの通りでにっちもさっちもいかねえ」
黒髪の男が言った。
「それで?」
「それで……って、わかるだろ、あんたらの力を借りたい。食いもんもなくなっちまった」
イングヴァルの素っ気ない言葉に、男たちは焦った顔をした。
「見返りはあるのか。その身なりじゃ金を持っているようには見えないが」
「街に戻ったら礼をする。必ずだ! 頼む」
言って二人は頭を下げる。
「俺たちで……」
それを見たアウレリオがイングヴァルの後ろから出てこようとしたのを、イングヴァルは手を掴んで止めた。
「なんで……」
アウレリオは困った目でイングヴァルの顔を見つめた。
イングヴァルは身をかがめて、アウレリオにしか聞こえないように声を潜めて言った。
「僕が言えた義理じゃないが、この森に来るのはろくな奴じゃない。竜の宝を独り占めできるなら仲間だって平気な顔をして殺す。そういう連中だ。ここにいる冒険者は他の冒険者をみんな敵だと思ってる」
「でも、怪我を……。食べ物もないって」
「演技だよ。嘘に決まってる」
イングヴァルの言葉に、アウレリオはむっとした顔をした。
「遠くから見ただけなのに、どうしてわかるんですか? それに本当に怪我してるんだったら、あの人たちはどうなるんです?」
アウレリオの疑問に、イングヴァルは突然冷たい調子で言い放った。
「……何をしてでも生き延びるのが人間というものだ。あれくらいでは死なないよ」
それだけ言ってイングヴァルは二人に向き直った。
「じゃあ食料だけ……」
「いいですよ! 一緒に行きましょう!」
アウレリオはイングヴァルの言葉を遮って二人に駆け寄った。
「そうか、助かる!」
言って二人は顔を見合わせて喜んだ。
その様子を、イングヴァルは苦い顔つきで見つめていた。
「俺はマルクってんだ。こいつはロニー。旦那の名前は? どこの出身なんだ?」
四人は川の下流に向けて、川幅の狭い箇所を求めて歩いていた。
イングヴァルが氷の力を使いたがらない以上、歩いて川を渡るしかない。
調子よく話しかけてきた黒髪の男に、イングヴァルは不愛想に答えた。
「イングヴァルだ。カテガットから来た」
「カテガットから? 俺たちもさ。待った、北のイングヴァルと言えば聞き覚えがある、シェラン傭兵団の団長がそんな名前だった。もしかして旦那が?」
「……別人だ。余計な詮索はよしてもらいたい」
眉一つ動かさずにイングヴァルは言った。
「え、イングヴァルさん、傭兵団の団長だったって……」
後ろをついてきていたアウレリオが思わずといった様子で言った。
「やっぱりそうだ! あんただけ生き残ったのか? 何年か前に全員死んじまったって聞いたが」
「君たちに言う義理はない」
イングヴァルはそう言ってマルクを睨みつけると、先に歩いて行ってしまった。
ぽかんとした顔で残された三人はイングヴァルを見ていた。
それからアウレリオはマルクに言った。
「今まではすごい優しかったのに……」
「まあ、俺たち怪しいっちゃ怪しいからな。怪我人を装った追い剥ぎが流行ってんのさ」
言ってマルクはひひひ、と声を上げて笑った。
「あの、その傭兵団ってなんで全員死んじゃったんですか?」
アウレリオは声を潜めてマルクに尋ねた。
「飢え死にだって聞いたぞ。ひでえもんさ」
予想に反して、いくら歩いても川幅の狭いところはなかなか見つからなかった。
昼を過ぎ、日差しが橙を帯びてきている。
「旦那、ちょっと休ませてくれ」
マルクが言い、イングヴァルは振り向いて足を止める。
それを肯定と受け取ったのか、ずっとロニーに肩を貸していたマルクは木陰にロニーを座らせるとその脇にどっかりと腰を下ろした。
イングヴァルはずっと二人に警戒の眼差しを向けており、近付こうともせずに少し離れた所に立っている。
アウレリオはイングヴァルに話しかけようと近付いたのだが、声をかけられずにマルクたちの元に戻ってきた。
「なあ坊ちゃん、あんた随分いい服を着てるな。貴族かなんかか」
マルクがアウレリオに問いかけた。
「いいえ、俺は教会の見習いで……」
「教会の見習いってことは将来の司教様だ。ありがてえこった。坊ちゃんが司教になったら故郷の連中に自慢しねえとな、俺らは死にそうになってたところを助けていただいたんだってな!」
言ってマルクはまたひひひと笑って、祈りの仕草をした。
「……おい、あれは人じゃねえのか」
今まで黙っていたロニーが、森の奥を指して言った。
三人はロニーが示したほうを見る。イングヴァルはじっとロニーのことを見つめている。
「見えねえぞ。本当に人か?」
マルクはロニーを疑いの目で見た。
「た、確かだ、何人も同じ赤い上着を着て歩いてた。ほら、あそこ」
ロニーは言って念を押すようにまた指差した。
「俺、ちょっと見てきます。もしかしたら、助けになってくれるかも。みんなは待ってて」
言ってアウレリオは立ち上がった。
「待てアウレリオ、一人で行くことはない」
言ってイングヴァルもアウレリオに着いていこうとした。
「様子を見るくらい一人で十分ですよ。それに、マルクさんとロニーさんに何かあったらいけないし……。魔物が襲ってくるかも」
「それは君だって同じだ。一人になるのはよくない」
「イングヴァルさんは一人でこの森にいたのに?」
「それは……」
言葉に詰まったイングヴァルをよそに、アウレリオはロニーが見た人影のほうへと駆けていった。
「……去るなら今のうちだぞ」
アウレリオが走っていくのを苦々しげに見ていたイングヴァルは、視線も寄こさずに二人に話しかけた。しかし片手は剣の持ち手にかかっており、何かあったらこれを抜くと見せつけていた。
「な、何を言ってるんです、旦那。俺たちは追い剥ぎなんかじゃ……」
狼狽えるマルクに、イングヴァルはやっと二人に向き合った。
「何でもいい。君たちが黒だろうが白だろうが構わない。確かめようとも思わない。僕は灰色の人間は信用しない。食料だったら分けてやる。それで十分だろう」
「あの坊ちゃんとは一緒にいるのに、俺たちは駄目なんですかい?」
「彼は信用に値する。君たちは違う。それだけの話だ」
イングヴァルは言い切った。
二人は困ったように顔を見合わせた。
そしてロニーが頭を抱えるように顔に手を添えたかと思うと、目を覆っていた布を取った。その下にある目が露わになる。
「なっ……」
本来一つである瞳が二つ並んだ悍ましい目。その瞳がイングヴァルを捉えて深紅に煌めいた。
――邪眼……!
ロニーの動きを注視していたイングヴァルはその歪な瞳と真っ向から視線を合わせてしまった。
イングヴァルは咄嗟に地面を踏んで辺りを凍らせようとしたが、地を走る氷が前に不意に止まる。
「あ、ぁ……」
目から熱い泥を流し込まれるように侵食する呪いに、イングヴァルは呻きを上げながら力なく地面に倒れた。
「旦那は腕が立つしれんが、だったら剣を抜かせなきゃいい」
言って二人は下卑た笑いを顔に張り付けながら、地に付したイングヴァルに歩み寄った。
イングヴァルの目には世界が二重に移っていた。
密林の中でマルクとロニーが近付いてくる景色と、二つ並んだ瞳がじっとこちらを見ている景色。それらが折り重なって万華鏡のように視界が揺らぐ。
脳を直接握り潰されているような不快感に胃液がこみ上げる。
「ぐ、あぁ……っ!?」
影に向けて氷を放とうとするも、魔力を集めた途端に鋭い刃物で串刺しにされたような痛みが走る。
「なんだ、魔法も使えたのか? やめときな、魔力が逆流して体がズタボロになるだけだぜ」
頭蓋に反響した声はやがて轟音となって耳を圧し潰す。
「こいつはどうする?」
「縛って木の陰にでも隠しとけ」
言って誰かがイングヴァルのそばに屈んで剣とナイフを鞘から抜いて川に投げ、足を持って引きずっていく。
――何とかしなければ。
その思考もすぐに解けてしまう。
ただ精神を蹂躙されて苦悶の声を漏らすしかできなかった。
――彼、は。
焦点の合わない瞳で彼が向かったほうを見る。
そして、見覚えのある金の髪を持った、彼が――。
誰かが彼に話しかける。その背にナイフを隠しながら。
鉄のように重い体を気合で動かす。
今動かなくてどうする。
一歩踏み出す度に体が引きちぎれるような痛みが走る。
そんなの知ったことか。
——自分の力を人を救うために使う、俺もそうなれたらって思います。
そう言って笑った彼の力を、決して人間に向けさせるものか。
何がどうなったっていい、彼だけは、彼の心だけは、誰も踏みにじらせはしない——!
振り上げられた刃が戸惑うアウレリオに向けて下ろされる、その瞬間。
間に割って入ったイングヴァルの体に深々と刃が突き立てられた。
刺さった刃も何かの呪具なのか、目に見えるほどに凝固した呪いが傷口から体に深々と根を張った。
「舐めるなよ……!」
イングヴァルは吼えた。
的は二つ。目が効かないため狙うことはできなかった。
だったら見境なしに全てを凍らせればいい。
手にあらん限りの力を集め、目の前の敵に向けて解き放った。
硝子の割れるような音を立てながら瞬時に形作られた氷柱は目の前の男をいとも簡単に串刺しにし、イングヴァルの前方を一筆で塗りつぶすように氷が広がる。
流れる川の水をも凍らせて対岸にまで及んだ氷は、やがて勢いを止める。
イングヴァルは咽せたように血を吐き出し、地面に滴った血は凍りついた。
「イングヴァルさん……!」
一連の流れを見ているしかできなかったアウレリオが叫ぶ。
それを聞きながらイングヴァルは地面に力なく崩れ落ちた。
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