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第3話
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イングヴァルは氷の道を作りながら蛞蝓に向かって走り続けた。
蛞蝓は相変わらずのたうち回るように体を持ち上げては水面に叩きつけている。
波で氷の道が砕けるそばから、イングヴァルは新たな氷の道を作って進む。それを繰り返して蛞蝓に肉薄する。
また蛞蝓が水に沈んだのを窺うと、一層強く氷の道を踏みしめた。
すると雪の結晶を象った文様が広がるように水は凍てつき、その中心から何本かの氷柱が勢いよくせり上がって階段を作った。それをイングヴァルは器用に駆け上がった。
そして蛞蝓が水から顔を出すと、上を取ったイングヴァルは蛞蝓に飛び移る。
粘液でぬるぬるとした体表すら、イングヴァルが足をつけると即座に凍り付く。
今度は頭部にある青い石――核を目指して移動する。
魔物には必ず核があり、人間ならば脳や心臓にあたる弱点だ。容易に破壊することはできないが、これさえ壊せば息の根を止められる。
早く核までたどり着かないとまた蛞蝓は水中に潜ってしまう。猶予は少ない。
イングヴァルは一際強く足を踏み出すとまたせり上がる氷柱を出現させ、自分の体ごと持ち上げ核に向かって勢いよく跳躍した。
そして核の真上に来ると、虚空を掴むように手を伸ばす。
その手の先、急速に冷えて白くなった空気が一か所に集まり、やがて塊となって見る見るうちに魔物の体ほどある巨大な枝の形を成した。
遠目には氷でできた大樹が宙に浮かんでいるように見えるだろう。
「いっけええええ!」
イングヴァルは手を振りかぶると、あらん限りの力をこめて振り下ろした。
手の動きに連動するように氷の枝も核めがけて勢いよく落下する。
加速をつけた巨大な質量をぶつけられ、蛞蝓の核にひびが入り粉々に砕け散った。
■■■■■■――!
蛞蝓は断末魔と共に水飛沫を上げ、今度こそ水の中に沈んでいった。
空中にいたイングヴァルは水面に氷で足場を作ると、そこに危なげもなく着地した。
「速さと重さが破壊力ってね」
イングヴァルは自分の言葉にうんうんと頷き、水面が落ち着くのを待ちながら辺りを窺う。
異変がないのを確認すると、また氷の道を作ってアウレリオの方に向かっていった。
しばらく歩いてアウレリオの元に戻ると、彼は眉根を寄せて、疑いの目を隠すこともなくイングヴァルに向けていた。
「なんですか、今のは……。呪文も何もなしにあんな魔法を使うなんて、あり得ない」
「話はあとだ。早く渡ってしまおう」
イングヴァルが言った次の瞬間、二人は異変に気付いた。
自分たちの乗っている氷の下に、大きな影が揺らめいている。
「新手か!」
二人が反応する前にその影は水面に向かって迫り上がってきた。
「あっ……!」
水面から、先程の蛞蝓に勝るとも劣らないほどの大きさをした魚が姿を表した。
人をも容易く飲み込むほどの巨大な口は目測を誤ったのか虚空を捉え、鋭い牙を持った顎が虎鋏のように勢いよく閉じられる。
すぐさま水面に潜った頭に続くように、虹色に輝く鱗を持った長い身体が過ぎ去っていった。
魚に押し退けられて二人の乗っていた氷は離れるように動いてしまい、アウレリオはイングヴァルのほうを見やった。
周囲を窺っていたイングヴァルの後方に影が忍び寄るのを見て、アウレリオは叫んだ。
「伏せて!」
アウレリオの言葉に従って身を低くしたイングヴァルの背後からまた魚が姿を表した。水面から大きく飛び上がり、落ちる勢いで獲物を掻っ攫おうとしている。
アウレリオは目を閉じて息を吸い、かっと目を開くと大きく口を開け、吼えた。
その口から放たれたのは声だけではない。
魚を包み込むほどの火炎が勢いよくアウレリオの口から迸る。
辺り一帯が熱に包まれ、周りの水が瞬時に蒸発して水蒸気が辺りを覆う。
イングヴァルは氷が溶けるそばから氷を生成して、なんとか水に落ちることは防いだ。
炎に包まれた魚は断末魔もあげる暇もなく魚は灰になった。
「き、君、その炎は……」
イングヴァルが信じられないといった様子で目を丸くしたままアウレリオに尋ねる。心なしかその声は震えていた。
「……あ、あの、今のも見なかったことにしてくれますか?」
肩をすくめ、怯えるように自身なさげにアウレリオは言った。
翼といい、魔物を一瞬で灰にする炎といい、この青年は一体何者なのか。
イングヴァルは、この場では会わなかったことにする、という自分の言葉を後悔した。
「……いいとも。さあ、今のうちに」
疑問を飲み込んでイングヴァルは言うと、氷の道を作り直して進み始める。アウレリオはその後を慎重に歩いた。
滑らないように歩くのは困難だったが、時間をかけて何とか対岸に渡ることができた。
久しぶりに大地に足がつき、アウレリオはこの足場は安全だと確かめるように何度も踏みしめる。
「いやあ、疲れた……っと」
危険が去って安心したからか、イングヴァルはよろけてそばにある木にぶつかった。
「大丈夫ですか」
「さ、さすがにちょっと疲れたかな……。この年になると走るのがつらいよ。少し休んでもいいかい」
アウレリオの返事も待たず、イングヴァルは足の力が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
アウレリオは慌ててイングヴァルの背を支える。
今までは余裕のある振舞いだっただけに、立っていることもできないほど疲弊している姿を見せられてアウレリオは不安そうな顔をした。
「顔が真っ青です。魔力切れもあるでしょう」
アウレリオの言葉にイングヴァルは首を横に振った。
「僕は魔力切れなんて起こさないさ。ただ、立て続けに大きい力を使ったから体がついていかなくってね。少し休めばよくなる」
イングヴァルはアウレリオを安心させるように、笑顔を作って答えた。
アウレリオはイングヴァルの思惑とは反対に、真摯な顔をしてイングヴァルに尋ねた。
「……何ですか、あれは。魔法にしたってでたらめだ」
「おや、魔法というのは不可能を可能にする奇跡ではなかったのかい」
「話を逸らさないでください」
まっすぐな青緑の目に見つめられ、イングヴァルは視線を逸らした。
「教会の人間に知られるのは問題だな……」
イングヴァルは誤魔化すように頭を掻き、苦笑した。
「……興味はありますけど、知らないふりでしたね」
アウレリオは残念そうに言う。
「助かるよ」
言ってイングヴァルは力なく笑った。
蛞蝓は相変わらずのたうち回るように体を持ち上げては水面に叩きつけている。
波で氷の道が砕けるそばから、イングヴァルは新たな氷の道を作って進む。それを繰り返して蛞蝓に肉薄する。
また蛞蝓が水に沈んだのを窺うと、一層強く氷の道を踏みしめた。
すると雪の結晶を象った文様が広がるように水は凍てつき、その中心から何本かの氷柱が勢いよくせり上がって階段を作った。それをイングヴァルは器用に駆け上がった。
そして蛞蝓が水から顔を出すと、上を取ったイングヴァルは蛞蝓に飛び移る。
粘液でぬるぬるとした体表すら、イングヴァルが足をつけると即座に凍り付く。
今度は頭部にある青い石――核を目指して移動する。
魔物には必ず核があり、人間ならば脳や心臓にあたる弱点だ。容易に破壊することはできないが、これさえ壊せば息の根を止められる。
早く核までたどり着かないとまた蛞蝓は水中に潜ってしまう。猶予は少ない。
イングヴァルは一際強く足を踏み出すとまたせり上がる氷柱を出現させ、自分の体ごと持ち上げ核に向かって勢いよく跳躍した。
そして核の真上に来ると、虚空を掴むように手を伸ばす。
その手の先、急速に冷えて白くなった空気が一か所に集まり、やがて塊となって見る見るうちに魔物の体ほどある巨大な枝の形を成した。
遠目には氷でできた大樹が宙に浮かんでいるように見えるだろう。
「いっけええええ!」
イングヴァルは手を振りかぶると、あらん限りの力をこめて振り下ろした。
手の動きに連動するように氷の枝も核めがけて勢いよく落下する。
加速をつけた巨大な質量をぶつけられ、蛞蝓の核にひびが入り粉々に砕け散った。
■■■■■■――!
蛞蝓は断末魔と共に水飛沫を上げ、今度こそ水の中に沈んでいった。
空中にいたイングヴァルは水面に氷で足場を作ると、そこに危なげもなく着地した。
「速さと重さが破壊力ってね」
イングヴァルは自分の言葉にうんうんと頷き、水面が落ち着くのを待ちながら辺りを窺う。
異変がないのを確認すると、また氷の道を作ってアウレリオの方に向かっていった。
しばらく歩いてアウレリオの元に戻ると、彼は眉根を寄せて、疑いの目を隠すこともなくイングヴァルに向けていた。
「なんですか、今のは……。呪文も何もなしにあんな魔法を使うなんて、あり得ない」
「話はあとだ。早く渡ってしまおう」
イングヴァルが言った次の瞬間、二人は異変に気付いた。
自分たちの乗っている氷の下に、大きな影が揺らめいている。
「新手か!」
二人が反応する前にその影は水面に向かって迫り上がってきた。
「あっ……!」
水面から、先程の蛞蝓に勝るとも劣らないほどの大きさをした魚が姿を表した。
人をも容易く飲み込むほどの巨大な口は目測を誤ったのか虚空を捉え、鋭い牙を持った顎が虎鋏のように勢いよく閉じられる。
すぐさま水面に潜った頭に続くように、虹色に輝く鱗を持った長い身体が過ぎ去っていった。
魚に押し退けられて二人の乗っていた氷は離れるように動いてしまい、アウレリオはイングヴァルのほうを見やった。
周囲を窺っていたイングヴァルの後方に影が忍び寄るのを見て、アウレリオは叫んだ。
「伏せて!」
アウレリオの言葉に従って身を低くしたイングヴァルの背後からまた魚が姿を表した。水面から大きく飛び上がり、落ちる勢いで獲物を掻っ攫おうとしている。
アウレリオは目を閉じて息を吸い、かっと目を開くと大きく口を開け、吼えた。
その口から放たれたのは声だけではない。
魚を包み込むほどの火炎が勢いよくアウレリオの口から迸る。
辺り一帯が熱に包まれ、周りの水が瞬時に蒸発して水蒸気が辺りを覆う。
イングヴァルは氷が溶けるそばから氷を生成して、なんとか水に落ちることは防いだ。
炎に包まれた魚は断末魔もあげる暇もなく魚は灰になった。
「き、君、その炎は……」
イングヴァルが信じられないといった様子で目を丸くしたままアウレリオに尋ねる。心なしかその声は震えていた。
「……あ、あの、今のも見なかったことにしてくれますか?」
肩をすくめ、怯えるように自身なさげにアウレリオは言った。
翼といい、魔物を一瞬で灰にする炎といい、この青年は一体何者なのか。
イングヴァルは、この場では会わなかったことにする、という自分の言葉を後悔した。
「……いいとも。さあ、今のうちに」
疑問を飲み込んでイングヴァルは言うと、氷の道を作り直して進み始める。アウレリオはその後を慎重に歩いた。
滑らないように歩くのは困難だったが、時間をかけて何とか対岸に渡ることができた。
久しぶりに大地に足がつき、アウレリオはこの足場は安全だと確かめるように何度も踏みしめる。
「いやあ、疲れた……っと」
危険が去って安心したからか、イングヴァルはよろけてそばにある木にぶつかった。
「大丈夫ですか」
「さ、さすがにちょっと疲れたかな……。この年になると走るのがつらいよ。少し休んでもいいかい」
アウレリオの返事も待たず、イングヴァルは足の力が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
アウレリオは慌ててイングヴァルの背を支える。
今までは余裕のある振舞いだっただけに、立っていることもできないほど疲弊している姿を見せられてアウレリオは不安そうな顔をした。
「顔が真っ青です。魔力切れもあるでしょう」
アウレリオの言葉にイングヴァルは首を横に振った。
「僕は魔力切れなんて起こさないさ。ただ、立て続けに大きい力を使ったから体がついていかなくってね。少し休めばよくなる」
イングヴァルはアウレリオを安心させるように、笑顔を作って答えた。
アウレリオはイングヴァルの思惑とは反対に、真摯な顔をしてイングヴァルに尋ねた。
「……何ですか、あれは。魔法にしたってでたらめだ」
「おや、魔法というのは不可能を可能にする奇跡ではなかったのかい」
「話を逸らさないでください」
まっすぐな青緑の目に見つめられ、イングヴァルは視線を逸らした。
「教会の人間に知られるのは問題だな……」
イングヴァルは誤魔化すように頭を掻き、苦笑した。
「……興味はありますけど、知らないふりでしたね」
アウレリオは残念そうに言う。
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