あなたはだあれ?~Second season~

織本 紗綾

文字の大きさ
上 下
53 / 55
第四章 幸せは思い出に

第51話 さよならなんて言わない

しおりを挟む

 10日後──鉄格子に囲まれた薄暗い地下牢。

 鋼鉄の椅子に拘束され、力無くうなだれる一体のロイド。格子の外にはそれを眺める一人の捜査員。

「葵さんの容態は……」
「危険な状態でしたが一命をとりとめました、母子共に」
「そうですか……これから、どうなるんですか」
「聞いてどうするのです」

 冷たく、矢のように言葉を射る。

「どうせ、遥とは共に生きられません。責任を取りますか? あなたが」

 絶句か苦悩か、言葉が返ってくる様子はない。

「夫婦になり、共に子供を育ててほしい。葵がそう望んだらどうします? 」
「葵先生の、居場所を壊してしまいました。わかっています、その……責任を……取るべきなのは」

 手柄を横取りしようと画策した田原に利用され、海斗に銃を向けた葵。身から出た錆だと哀しげに微笑んだ彼女を、水野は思い返していた。

 彼女もまた、振り回され人生を踏み外してしまった一人。

「安心しなさい。葵はそんな事望んでいません。二度と顔も見たくない……そう言っていました」
「そう……ですか」

 罪悪感に包まれた、わずかな安堵。

 遠く離れた街で新たな人生を。こんなロイドと関わらなければ、いずれまた幸せも訪れる……そう願うしかない。

「残酷、なのですね。英嗣に似て」
「一緒にしないでください! 」
「充分、残酷です。自分を殺そうとした女の心配ばかりで、命を懸けてあなたをかくまった遥については聞かないのですから」
「遥は関係ありません!! あ……いえ、そんな女性知りません!! 」
「女性だとは、言っていませんが」

 ハッとして言い直してももう遅い。これまで必死に遥との関係を否定してきた海斗のミス。

 でもそれ以上、水野は遥について問わなかった。

 時間がない。

「あなた方の行動は全て調査済み、証拠も揃っていますから、隠しても無駄です」

 呆然とする海斗にとどめの一言。

「また犠牲者が一人、増えましたね」
「遥は、遥は無事なんですか!! 彼女は関係ありません!! 」
「彼女はわかっていてあなたの為に罪を犯したのです。覚悟の上でしょう」

 まさか遥は……絶望の淵から今まさに海斗は突き落とされた。

「遥に……何をした。まさか……」

 海斗は初めて凄みを見せる。

 深く強い怒り、それが海斗を発動させる原動力か──水野はため息をついた。

「記憶を消しました。あなたと出会ってからのこれまでを全てなかった事に。知られていては困るのです、あなたや私達の事を」

 操るような笑み。

「嘘だ、それで済むはずがない。本当に遥はちゃんと生きているんだろうな」

 睨めば怒りが鉄格子を越えて伝わってくる。

「遥に会わせろ」
「まもなく執行の時間です。諦めなさい」
「ふざけるな!! 遥に……会わせろ!! 」

 
「わかりました……それならあなたの罪がどれほどのものか、その目で確かめなさい」

 海斗が捜査員達によって袋に閉じ込められたのを確認すると、水野は拳銃に弾を込める。






 目が覚めたらなぜか、服を着たままベッドで横になっていた。

 白い壁、木製の家具、出しっぱなしのクリスマスツリー、全てが見覚えあるもの、でもなぜここにいるのか思い出せない。

 まだ夢を見ているのかもしれない……底無しの寂しくて悲しい夢。

 ベッドから出てうろうろして、そのうち疲れて床にへたり込む。

 視線の先には、目立つピンクの紙袋。

 開けてみると、見覚えのある小さなノート。ひらがなで“ささやまはるか 3さい”と書かれている。懐かしい丸文字はお母さんがあの日、書いてくれた。

 “いつか遥がお嫁に行く時に持たせてあげるね”

 まだ訳がわからなかった、でもなぜかとても嬉しかった……小さい頃の思い出。


 手に取って読んでみる。毎日の体調やその日あった事の記録、兄貴との喧嘩の事まで細かく書いてあった。

 涙が、ひとりでに溢れる。

 あっさりしていて、どうせ私に興味ないんだなんてつい最近まで反抗していたけれど、ちゃんと愛情を注いでくれていた。

 帰りたいな……そう思いながらまたページをめくると、ピンクの封筒が落ちる。


 “遥へ”

 少し大きくなったお母さんの文字、私への手紙だった。






 “大切な何かを見つけたのね”

 お母さんからの手紙にはそう書かれていた。近くに住んで自立の練習をするだけと思って送り出したけれど、とても遠くに行ってしまったようで寂しい……とも。

 どうして私は……結局、何も思い出せないまま、しばらく手紙を手に座り込んでいた。


 ピンポーン

 急にインターホンが鳴る。

 そうだ……確か、樹梨亜が来て。

 考えていたらもう一度鳴る。

 涙を拭って玄関へ行くと、射し込む光と共に……一人の男性が立っている。


「約束、守れなくてごめん」


 約束……知っているはずなのに思い出せない、この人は誰……。

「遥? 」

 私のことを知っているみたい。

「少し、歩かない? 」

 そう提案されて不思議だけど、なんとなくこの人と居たくて、頷く。

 待たせたら消えてしまいそう……コートだけ羽織って、外に出る。

 白い空から雪が舞い降りて白銀の世界。歩くとサクサク、音がする。一歩前を歩く広い背中に、太陽の光が降り注いで輝く。

「思い出の場所に行きたくて」
「思い出の場所? 」
「そう……俺達の思い出の場所」

 サクリ、サクリ……思い出の場所に近づいていく。

 記憶にもやがかかったみたい。


 思い出して……この人は誰?


 心の中の私に呼び掛ける。

 ズキン!

「痛っ………」

 あまりの痛みに立ちすくむと、身体を支えてくれる。

「大丈夫? 」
「海…斗……」

 勝手に口が動いていた。

 私……海斗の存在を忘れるなんて、なんでこんな大事なこと。

 何に変えても、命を捨てても守りたい、そう誓ったはずなのに。色んなシーンが蘇ってくる……そうだった、私が見つけた“大切な何か”は……海斗だった。

「大丈夫、ちょっと頭痛がしただけ。行こう」

 思い出し始めた私と、海斗と……誰もいないあの公園。

 池は氷が張り、木々にも草にも綿のような雪が積もっている。

「寒くない? 」
「うん」

 控えめな微笑みが、何だか申し訳なさそうに見える。

 そんな表情かおしないで……言いたいのに、上手に言葉が出てこない。

「楽しかったな……」
「うん……」
「ここで再会してから、色んなことがあったね」
「うん……」

 海斗が隣にいるだけで、見るもの全てがキラキラして見える。

 あの日、気持ちよさそうに目を閉じて蝶々が鼻に止まっても気づかなくて。

「初めて出会ったのも……ここかも」
「ん? かも? 」
「うん……仕事では会ってるから。でも初めてちゃんと話したのはここだよ。ほら、あそこの屋根がある所」

 見えてきた東屋あずまやを指差して教える。若葉きらめく春、私の日常に突然現れて幸せをくれた……優しい人。

「行こっか」
「うん」

 触れたら、もっと思い出せるかな。

 海斗の左手に、目が止まる。

 そっと握ると、一瞬、ためらうように迷った後、優しく握り返してくれた。ほんのり温もりと、悲しさが伝わってくる。

 なんで……こんなに切ないんだろう。


「あの時、側にいるって言ってくれて嬉しかった」

 東屋についてベンチに腰かけた途端、海斗が口を開く。

 さっきから……全部過去形。

「最後にどうしても、それを言いたくて」
「なんで……どうして最後なの? 」
「俺は遥の側にいる資格がないんだ」
「いや……ずっと側にいてくれるって言ったじゃない、なんで……」

 初めて、海斗と視線が交わる……透き通るような瞳が涙でにじむ。

「遥……泣かないでよく聞いて。俺は遥の笑顔が、大好きだよ。遥にはいつも幸せでいてほしい。友達や家族に囲まれて楽しくね。

結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築く……それは俺とではできない。遥も分かってるよね? 」

 まるで子供を諭すみたい。

「私は……そんな未来が欲しいんじゃない。海斗といたいの」

 それでも私は駄々をこねてわがままを言う。

 素直に……頷きたくなんかない。

「遥といられて楽しかったよ。幸せだったし、これから先もずっと一緒にいられるかもなんて……夢を見てた」
「夢……」
「全部、俺が悪いんだ。たくさんの人を……巻き込んで苦しめた。今まで辛い想いさせて……遥の大切な人達を巻き込んで、本当にごめん」


 タマのこと……樹梨亜や煌雅さんのこと……海斗といた楽しい毎日の記憶と、辛い現実と。

 私と海斗の日常は共存できない。


 苦しい。


 海斗が好きで、求めずにはいられなかった。

 機械だからって諦められるなら……二回目は好きにならなかった。


「今まで……本当にありがとう。幸せに、なって」


 気持ちの整理がつかないまま俯いていると、急に海斗の手が離れた。


「海斗……」

 海斗が立ち上がる。その視線は……もうどこか遠くを見ている。


「寒いのに、こんなとこまで連れてきて……送れなくてごめん」


 背を向けて歩き出す……離れていく、海斗の背中。


 1回目、2回目と、私達はここで出会ってきた。でも今度海斗と離れたら……3回目はない。

 絶対に。


 植木に紛れて、何かが光った。


「海斗!! 」


 叫んでも振り返ってくれない、海斗の背中めがけて、走る。

 どうか間に合って……このままだと海斗が。伸ばした手、海斗の温もり。

 パンッ!! 

 その音で、世界が暗転した。
 

 






「遥!? 遥!! 」

 崩れ落ちる身体を抱え、必死にその名を叫ぶ海斗。

「何でこんな事……最初から、そのつもりだったのか」

 物陰から姿を現した水野、手には拳銃が握られている。

「なぜ遥を……遥を殺したりした!! 」

 怒り狂う海斗に水野の冷酷な瞳が立ちはだかる。水野は計画通り、海斗の額に銃口を向けた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

処理中です...