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第四章 幸せは思い出に
第51話 さよならなんて言わない
しおりを挟む10日後──鉄格子に囲まれた薄暗い地下牢。
鋼鉄の椅子に拘束され、力無くうなだれる一体のロイド。格子の外にはそれを眺める一人の捜査員。
「葵さんの容態は……」
「危険な状態でしたが一命をとりとめました、母子共に」
「そうですか……これから、どうなるんですか」
「聞いてどうするのです」
冷たく、矢のように言葉を射る。
「どうせ、遥とは共に生きられません。責任を取りますか? あなたが」
絶句か苦悩か、言葉が返ってくる様子はない。
「夫婦になり、共に子供を育ててほしい。葵がそう望んだらどうします? 」
「葵先生の、居場所を壊してしまいました。わかっています、その……責任を……取るべきなのは」
手柄を横取りしようと画策した田原に利用され、海斗に銃を向けた葵。身から出た錆だと哀しげに微笑んだ彼女を、水野は思い返していた。
彼女もまた、振り回され人生を踏み外してしまった一人。
「安心しなさい。葵はそんな事望んでいません。二度と顔も見たくない……そう言っていました」
「そう……ですか」
罪悪感に包まれた、わずかな安堵。
遠く離れた街で新たな人生を。こんなロイドと関わらなければ、いずれまた幸せも訪れる……そう願うしかない。
「残酷、なのですね。英嗣に似て」
「一緒にしないでください! 」
「充分、残酷です。自分を殺そうとした女の心配ばかりで、命を懸けてあなたをかくまった遥については聞かないのですから」
「遥は関係ありません!! あ……いえ、そんな女性知りません!! 」
「女性だとは、言っていませんが」
ハッとして言い直してももう遅い。これまで必死に遥との関係を否定してきた海斗のミス。
でもそれ以上、水野は遥について問わなかった。
時間がない。
「あなた方の行動は全て調査済み、証拠も揃っていますから、隠しても無駄です」
呆然とする海斗にとどめの一言。
「また犠牲者が一人、増えましたね」
「遥は、遥は無事なんですか!! 彼女は関係ありません!! 」
「彼女はわかっていてあなたの為に罪を犯したのです。覚悟の上でしょう」
まさか遥は……絶望の淵から今まさに海斗は突き落とされた。
「遥に……何をした。まさか……」
海斗は初めて凄みを見せる。
深く強い怒り、それが海斗を発動させる原動力か──水野はため息をついた。
「記憶を消しました。あなたと出会ってからのこれまでを全てなかった事に。知られていては困るのです、あなたや私達の事を」
操るような笑み。
「嘘だ、それで済むはずがない。本当に遥はちゃんと生きているんだろうな」
睨めば怒りが鉄格子を越えて伝わってくる。
「遥に会わせろ」
「まもなく執行の時間です。諦めなさい」
「ふざけるな!! 遥に……会わせろ!! 」
「わかりました……それならあなたの罪がどれほどのものか、その目で確かめなさい」
海斗が捜査員達によって袋に閉じ込められたのを確認すると、水野は拳銃に弾を込める。
目が覚めたらなぜか、服を着たままベッドで横になっていた。
白い壁、木製の家具、出しっぱなしのクリスマスツリー、全てが見覚えあるもの、でもなぜここにいるのか思い出せない。
まだ夢を見ているのかもしれない……底無しの寂しくて悲しい夢。
ベッドから出てうろうろして、そのうち疲れて床にへたり込む。
視線の先には、目立つピンクの紙袋。
開けてみると、見覚えのある小さなノート。ひらがなで“ささやまはるか 3さい”と書かれている。懐かしい丸文字はお母さんがあの日、書いてくれた。
“いつか遥がお嫁に行く時に持たせてあげるね”
まだ訳がわからなかった、でもなぜかとても嬉しかった……小さい頃の思い出。
手に取って読んでみる。毎日の体調やその日あった事の記録、兄貴との喧嘩の事まで細かく書いてあった。
涙が、ひとりでに溢れる。
あっさりしていて、どうせ私に興味ないんだなんてつい最近まで反抗していたけれど、ちゃんと愛情を注いでくれていた。
帰りたいな……そう思いながらまたページをめくると、ピンクの封筒が落ちる。
“遥へ”
少し大きくなったお母さんの文字、私への手紙だった。
“大切な何かを見つけたのね”
お母さんからの手紙にはそう書かれていた。近くに住んで自立の練習をするだけと思って送り出したけれど、とても遠くに行ってしまったようで寂しい……とも。
どうして私は……結局、何も思い出せないまま、しばらく手紙を手に座り込んでいた。
ピンポーン
急にインターホンが鳴る。
そうだ……確か、樹梨亜が来て。
考えていたらもう一度鳴る。
涙を拭って玄関へ行くと、射し込む光と共に……一人の男性が立っている。
「約束、守れなくてごめん」
約束……知っているはずなのに思い出せない、この人は誰……。
「遥? 」
私のことを知っているみたい。
「少し、歩かない? 」
そう提案されて不思議だけど、なんとなくこの人と居たくて、頷く。
待たせたら消えてしまいそう……コートだけ羽織って、外に出る。
白い空から雪が舞い降りて白銀の世界。歩くとサクサク、音がする。一歩前を歩く広い背中に、太陽の光が降り注いで輝く。
「思い出の場所に行きたくて」
「思い出の場所? 」
「そう……俺達の思い出の場所」
サクリ、サクリ……思い出の場所に近づいていく。
記憶にもやがかかったみたい。
思い出して……この人は誰?
心の中の私に呼び掛ける。
ズキン!
「痛っ………」
あまりの痛みに立ちすくむと、身体を支えてくれる。
「大丈夫? 」
「海…斗……」
勝手に口が動いていた。
私……海斗の存在を忘れるなんて、なんでこんな大事なこと。
何に変えても、命を捨てても守りたい、そう誓ったはずなのに。色んなシーンが蘇ってくる……そうだった、私が見つけた“大切な何か”は……海斗だった。
「大丈夫、ちょっと頭痛がしただけ。行こう」
思い出し始めた私と、海斗と……誰もいないあの公園。
池は氷が張り、木々にも草にも綿のような雪が積もっている。
「寒くない? 」
「うん」
控えめな微笑みが、何だか申し訳なさそうに見える。
そんな表情しないで……言いたいのに、上手に言葉が出てこない。
「楽しかったな……」
「うん……」
「ここで再会してから、色んなことがあったね」
「うん……」
海斗が隣にいるだけで、見るもの全てがキラキラして見える。
あの日、気持ちよさそうに目を閉じて蝶々が鼻に止まっても気づかなくて。
「初めて出会ったのも……ここかも」
「ん? かも? 」
「うん……仕事では会ってるから。でも初めてちゃんと話したのはここだよ。ほら、あそこの屋根がある所」
見えてきた東屋を指差して教える。若葉きらめく春、私の日常に突然現れて幸せをくれた……優しい人。
「行こっか」
「うん」
触れたら、もっと思い出せるかな。
海斗の左手に、目が止まる。
そっと握ると、一瞬、ためらうように迷った後、優しく握り返してくれた。ほんのり温もりと、悲しさが伝わってくる。
なんで……こんなに切ないんだろう。
「あの時、側にいるって言ってくれて嬉しかった」
東屋についてベンチに腰かけた途端、海斗が口を開く。
さっきから……全部過去形。
「最後にどうしても、それを言いたくて」
「なんで……どうして最後なの? 」
「俺は遥の側にいる資格がないんだ」
「いや……ずっと側にいてくれるって言ったじゃない、なんで……」
初めて、海斗と視線が交わる……透き通るような瞳が涙でにじむ。
「遥……泣かないでよく聞いて。俺は遥の笑顔が、大好きだよ。遥にはいつも幸せでいてほしい。友達や家族に囲まれて楽しくね。
結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築く……それは俺とではできない。遥も分かってるよね? 」
まるで子供を諭すみたい。
「私は……そんな未来が欲しいんじゃない。海斗といたいの」
それでも私は駄々をこねてわがままを言う。
素直に……頷きたくなんかない。
「遥といられて楽しかったよ。幸せだったし、これから先もずっと一緒にいられるかもなんて……夢を見てた」
「夢……」
「全部、俺が悪いんだ。たくさんの人を……巻き込んで苦しめた。今まで辛い想いさせて……遥の大切な人達を巻き込んで、本当にごめん」
タマのこと……樹梨亜や煌雅さんのこと……海斗といた楽しい毎日の記憶と、辛い現実と。
私と海斗の日常は共存できない。
苦しい。
海斗が好きで、求めずにはいられなかった。
機械だからって諦められるなら……二回目は好きにならなかった。
「今まで……本当にありがとう。幸せに、なって」
気持ちの整理がつかないまま俯いていると、急に海斗の手が離れた。
「海斗……」
海斗が立ち上がる。その視線は……もうどこか遠くを見ている。
「寒いのに、こんなとこまで連れてきて……送れなくてごめん」
背を向けて歩き出す……離れていく、海斗の背中。
1回目、2回目と、私達はここで出会ってきた。でも今度海斗と離れたら……3回目はない。
絶対に。
植木に紛れて、何かが光った。
「海斗!! 」
叫んでも振り返ってくれない、海斗の背中めがけて、走る。
どうか間に合って……このままだと海斗が。伸ばした手、海斗の温もり。
パンッ!!
その音で、世界が暗転した。
「遥!? 遥!! 」
崩れ落ちる身体を抱え、必死にその名を叫ぶ海斗。
「何でこんな事……最初から、そのつもりだったのか」
物陰から姿を現した水野、手には拳銃が握られている。
「なぜ遥を……遥を殺したりした!! 」
怒り狂う海斗に水野の冷酷な瞳が立ちはだかる。水野は計画通り、海斗の額に銃口を向けた。
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