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第三章 思い出を超えて
第37話 守りたい
しおりを挟む海は人を癒やしてくれると、何かの本に書いてあった。
どこまでも青く、どこまでも広く、鼓動のような波音が心地よく耳に語りかける……見たことのないその場所は、傷ついた遥を癒やしてくれるだろうか。
「どこ行くの? 」
「ないしょ、着いたらわかるよ」
不安と緊張を隠しながら、車を走らせ海に向かった。
「わぁ~、楽しそう!! 」
車を走らせること1時間。やってきた浜辺はにぎやかで、とても癒やされるような雰囲気ではない。
「ごめん、ゆっくりできる所に移動しようか」
「なんで? 」
気を遣ってか、遥は笑顔を向けてくれる。
「よし、海斗行こっ! 」
突然カーディガンを脱ぐと、俺の手を握って走り出す。
「ちょ、ちょっと遥……」
「せっかく来たんだもん、楽しまなきゃ! 」
目を腫らして疲れた顔をしているのに、さっきより声が弾んでいる。人を避け、砂に足をとられながら何とか追いつく。
「うわぁ……」
広い。
眼の前に飛び込んできたのは、一面に広がる海。空も、海も、とにかく青い。
「気持ちいいね~、海」
風を感じる横顔。
「よかった……」
「ん? 」
「何でもない」
海が初めてだとか、喜んでもらえるか不安だったとか、色んな想いからつい出てしまった言葉。でも情けなくてそんな事言えない。
「ありがとね」
「いや……」
「元気づけたくて連れてきてくれたんでしょ? 」
「うん……でも賑やかすぎたね」
「私ね、海好きなの。広い空も、青い海も楽しそうに遊ぶ人達も、美味しい物もたっくさんあるし、ほら、波がくすぐったくて気持ちいいでしょ? 」
遥と一緒に足元を見ると、水が引いて返ってくる。
「これが……波……」
「うん、初めて? 」
「うん……たぶん」
何で水が動いているのか、俺はそんな事も知らないなんて……どんなに本を読んでも追いつかない自分が恥ずかしい。
「夏日でも、やっぱり水は冷たいんだね」
「うん……」
冷たい、くすぐったい、遥はどうしてわかるんだろう。
「ほら! 」
「わっ!! 」
いきなり視界に水が飛んで来た、慌てて手でガードする。いたずらそうな八重歯、その手はまた水をすくおうとしている。
「それっ!! 」
「やったなっ!! 」
慌てて遥の真似をして、水をすくって反撃を開始。
「えいっ!! 」
「うわっ……」
とどめの一撃でTシャツはびしょ濡れ、身体に貼りつくのをとりあえずはがす。
「ごめん、やり過ぎちゃった」
しまったという顔の遥が駆け寄ってくる。
「えいっ! 」
「やっ、ちょっとズルくない!? 」
「仕返ししないと」
「そんな事するなら、もう容赦しないからね! 」
泳ぎもせず、浜辺の隅で水を掛け合う大人二人は周りからどう見えているだろう。きっと恥ずかしい、変な大人だと思われているに違いない。
でもどうでもいい。
あんなに塞ぎ込んでいた遥が笑っている、それだけで他の事なんてもうどうでもよかった。
びしょびしょになるまで水を掛け合って飽きたらボートを借りて海に出る。そのうちお腹がなり始め、焼きそばやたこ焼き、ポテトにラーメン、美味しい物をいっぱい食べた。楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。
「夏休みみたいだね」
「うん」
夏休み……か。
そういえば、子供達が海や山に行ったと嬉しそうに言っていた。夏休みってこんな感じなのか。
「何か考え事? 」
「ううん、遥は夏休み何してたの? 」
「私? えーっと……仕事ちょうど辞める頃だったから、忙しくて過ぎちゃったかな」
「そっか、じゃあ遅れてきた夏休みだ」
「うん、そうだね」
視線を合わせて笑い合う。
夕暮れに近づいて人の減ってきた浜辺、波の音、水面のきらめき、こんな時間を過ごしたかったんだ、遥と。
太陽の温もりが残る白い砂の上、どこまでも広い海を眺めると、穏やかな懐かしい気持ちになるから不思議だ。
「海斗……見たことあるんじゃないかな、ここよりもっと広い海」
驚いて見つめると、遥の大きな瞳に自分が映っている。
「ごめんね、変なこと言って。でも何だかそんな気がしたの。ほら、名前も海の字が入ってるしね」
「そういえば……そうだね」
“お前の名前は海斗だ”
そう言われてから何ヶ月経っただろう。名前の理由なんて考えた事もなかった。
「見たこと……あるのかな」
ザザ……ザザン……引いてもまた返ってくる波音、夕陽に染まる水面、なんだかぼぉっと気が遠くなる。
ザザ……ザザン……ザザ……ザザン
“好きなだけここにいればいいさ”
「海斗? 」
「いま声が……」
「声? 」
我に返ると、遥の瞳が不思議そうに見開いて俺を見ている。
「ごめん、何でもない」
「そっか、ごめんね。変な事言っちゃって」
微笑む遥に心が染まる。優しく触れる手は冷たくて小さくて、今にも消えてしまいそうだ。
「冷えてきたな、行こっか」
カーディガンを肩に掛け、遥の手を引き砂浜を歩く。
離したくない、守りたい。
いつかまた心から笑えるように。
「今夜……一緒に晩ごはん食べない? いいお店見つけたんだ」
「ごめん、樹梨亜と夢瑠に誘われて……樹梨亜の家でご飯食べるの」
「そっか……」
「海斗も、一緒に行かない? 樹梨亜も夢瑠も……煌雅さんも喜ぶと思う。会いたがってたから」
ぎくりと心が反応する。
まさか、頻繁に会ってご飯食べながら作戦会議しているなんて言えない。
「いや……今日は、やめておこうかな」
「そっか」
残念そうな声、がっかりさせたくはないけれど隠し切れる自信はない。
「じゃあ、送るよ」
動揺を必死で隠し、エンジンをかけた。
「ありがとう」
別れ際の笑顔が、頭にずっと残っている。
車から降りて鍵を掛け、出来立ての想い出と余韻に浸りながら潮の香りの荷物を手に歩く。
行きに比べ、帰りの車中はにぎやかだった。緩やかな車の流れに、弾む愛しい声、遥の存在は夜道を照らす明かりみたいに……俺を照らしてくれた。
道を、示してくれた。
玄関について、古ぼけた黒い扉を眺める。
あの日、この扉を開けて遥に出逢って……それから全ては始まったんだ。
守りたい。
潤む瞳、冷たい手、震える心、その全部を包み込んで、苦しみや悲しみにもう二度とさらされないように。
俺が、この手で。
扉に手を掛ける。
軽く、あっけなく開いて光に迎えられた。
「父さん!? 」
調べても探ってもわからなかった。割れたガラスのように時折刺さる記憶の欠片、答えを持つ人間は一人……父親だけだ。
遂にその時が来たのだろう。
争ってでも、向き合うべき時が。
「帰ってきてたの? 」
「あぁ」
いつも通りのそっけない返事がこの人らしい。
「ご飯食べた? なにか作ろうか」
どうせいらないって言うだろう。自分だけなら適当に済ませるかと、キッチンに入って食材を見る。
「あれ、作れるか」
「あれ? 」
意外な返事に答えが浮かばなくて一瞬、時が止まる。
「やっぱりいい」
「え? 何か言ってくれたら作るけど……」
言うけど、背中は離れていく。
「父さん!! 」
聞かなきゃ、立ち向かうんだ。
「父さん、待って! 」
俺は急いで父さんを追い掛けた。
その夜、英嗣は心を決めた。
どこかで無意識的に躊躇していたかもしれない計画を実行し、最終段階へと駒を進める事を。
「人形は所詮……人形のままだな」
あれの答えを分かっていれば、海斗と英嗣の未来は少しぐらい違う物になっていたかもしれない。
でも、遥との余韻に浸る潮の匂いの海斗にはその時、ハンバーグというたった一つの答えを、見つけられなかった。
「かんぱーい!! 」
その頃、遥は友人達と夕食のひとときを楽しんでいる。
「ねぇ、何でお祝いじゃないのに乾杯するの? 」
「ん? 練習だよ、ね? 樹梨ちゃん」
「え!? あ、ちょっと夢瑠、何いってんの」
夢瑠の爆弾発言をごまかそうと必死の樹梨亜、でも遥は誕生日が近いことなどすっかり忘れている。
「そんな事より海斗君とは? 仲良くしてるの? 」
「うん……でも、何か、隠してる気がするんだよね」
「そ、そうなの? 気のせいじゃなくて? 」
「まぁね、付き合ってる訳じゃないから全部知りたいなんてわがままなんだけどね……」
幸せな気持ちで眺めた海斗の横顔、でも帰りの車中でふと視線をそらされたような気がして……ふと、不安が胸をよぎる。
「ハルちゃん、カイ君と会ったんだぁ~」
わざとらしく、夢瑠が口を尖らせる。
「えっ、あ……それは気分転換にって誘ってくれて」
「夢瑠、私達どれだけ誘って断られたっけ」
「え~っとね……1.2.3.4.5回! 」
「今日だって気分転換に遊びに行こうって言ったのに、晩御飯だけならって、親友との時間より彼氏とのイチャイチャを取るなんてさ」
「取るなんてさ」
「ち、違うってば!! だいたい彼氏じゃないって何回も言ってるのに! 」
樹梨亜と夢瑠にからかわれて、やっといつもの勢いが戻って来た。周りの人に支えられ、遥は籠もっていた部屋から一歩外に踏み出す事ができそうだ。
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