あなたはだあれ?~Second season~

織本 紗綾

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第三章 思い出を超えて

第33話 秋の始まり

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 災いの予兆は上空の寒気を引き連れ、静かにやってきた。

 この日、遥と海斗は駅前広場で待ち合わせ、ベンチに腰掛け語り合っている。


 夏の陽射しがやわらいで、涼しげな風が頬をなでていく。さわさわと乾いた葉が揺れて、今年も秋の気配。

 海斗の痕跡を探し回った心細い秋……この広場をとぼとぼと歩いた事、今でも忘れられない。

 今年は一緒にいられるかな。

 隣にいてくれる大好きな横顔は、見つめるとなんだか不思議そう。

「どうしたの? 」
「ううん、何でもない」

 こんなやり取りさえ大切で、もっともっと重ねていきたい。

 会いたい……海斗はそう言ってくれた。

 進んじゃいけないのかもしれない。

 心の中で葉が揺れるようにざわざわと音を立てる。

 胸騒ぎの音。

 でももう……海斗への気持ちを隠さないと決めた。

「これからどこに行くの? 」
「ないしょ」
「ないしょ? 教えてくれないの? 」
「うん、ついてからのお楽しみ」

 くりっとした瞳とその笑顔を、守りたいと思った。



「うまっ! 何これ! 」
「美味しいでしょ」
「うん、美味しい! 」

 最初に来たのは、家族でよく来るハンバーグが美味しいレストラン。口にいっぱいソースを付けてハンバーグを頬張る海斗は、やっぱり小さい子みたい。

「ソース、口ついてるよ」
「ん? 口? 」
「そっちじゃなくてこっち」

 さり気なくジェスチャーで伝える。

 海斗が何者かなんてわからない。

 でも一緒にいると少しだけ感じる海斗なりの生きづらさ、それはやっぱりロイドだから……なのかもしれない。

「近くにこんな美味しいお店があるの全然知らなかったな」
「そう? 家族でよく来るの。私ね、ハンバーグが好きで小さい頃から誕生日にはここに連れてきてもらってたんだ。最近はお母さんがここのを真似て作ってくれるんだけどね」
「そうなんだ、すごいね」
「うん、料理が趣味なの」
「へぇ~、俺も好きなんだ。このハンバーグどうしたら作れるんだろ」
「海斗……料理するの? 」
「うん、たぶん好きだよ」
「たぶん? 」
「うん、昔は作ってたらしいよ。母さんが俺に教えたって……」
「お母さん……が? 」
「うん、全然憶えてないんだけどね」

 海斗の口から初めて聞く“母さん”という単語。

「父さん、料理どころか食事すらほとんどしなくてコーヒーばっかり飲んでて。でもハンバーグが唯一の好物らしくて、その作り方を母さんが俺に教えてくれたらしいんだけど、おぼえてなくてさ……」

 あの不気味な白衣の人……とお母さんと。海斗にも家族がいて、本当は温かい思い出があったのに……それも忘れちゃうなんて。

 そんな大事な記憶まで、お父さんが消したりするのかな。初対面は怖かったけど、熱で倒れそうになった私を支えてくれたし……悪い人だと決めつけるのは間違っているのかもしれない。

「どうかした? 」
「ううん、海斗が家族の事話してくれるの初めてだなって」
「そうなんだ、父さんもこのハンバーグなら美味しいって言ってくれるかな。もう昔のは作ってあげられないけど」

 材料を探るようにまた口に入れて、ゆっくり味わう海斗。

「きっと美味しいって言ってくれるよ」
「じゃあ、今度帰ってくるまでに練習しなきゃ」

 毎日ハンバーグばっかりになりそうと笑う姿に複雑な気持ち。

「お父さん、どこかに行ってるの? 」
「あぁ、なんか学会の研究とかで籠もってるんだ、どこかに。こうなると連絡もつかないからいつ帰ってくるかもわかんないんだけどさ」

 勝手な人だよと苦笑い。

 あの頃は話してくれなかったお父さんやお母さんの事を聞けて、お父さんへの想いも伝わってくる。

 お父さんも……きっとそうだよね。

 誰よりも海斗を一番大切に思っているから、この世にただ一体の……なんて言い方をして特別に思っているんだよね。

 ロイドじゃなくて……ハイブリッドなんとかだっけ……全部、お父さんの妄想だったらいいのに。

「遥、食べないの? 」
「えっ……あぁ、うん、食べるよ」
「早く食べないともらっちゃうよ? 」
「やだっ、好きなの取らないでよ」

 思わず出た言葉に、海斗は笑ってる。

「そんなに好きなんだ」
「うん……大好き」

 口の中で、ぶわっと広がる旨味を感じながら呟く。

「だったら作れるようにならなきゃな」

 その笑顔に世界が華やぐ。

 大好き……ぎゅっとしたい、そんな気持ちに初めてなる。お父さん、お母さん、この時間……海斗とその周りにある色んな事を信じたくて守りたい、美味しいご飯は作れない私でも。

 遥はこれからの苦難を無意識的に予感しているのかもしれない。それでも、どこか浮足立った恋から全て包み込むような愛へと形を変え、海斗と共にいる決意を固めたようだ。

 そんな遥の後ろの席では捜査員が、二人の会話を水野にスピーカーで伝えている。


「盗み聞きとは趣味が悪いな」
「あなたよりマシです」

 地下室で聴く水野、背後から声が邪魔をする。

 声の主は男、水野は表情も変えない。足音なく歩いて来た男はそのまま横に並び、モニターの光に照らされ浮かび上がった。

「いつになったら動くんだ? それともあんたまで奴の言いなりか」
「別件の捜査中です」

 モニターに映るのは遥のデータ、男はそれを見もせずに消した。

「素人狩りは楽しいか……すっかりあいつの犬だな」

 男の挑発するような物言いに動じず、遠く闇の先を見据える瞳に何が写るのだろう。

 溜息と共に部屋を出ていく男。

「あなたならどうします」

 扉が開く寸前、呼び止めるような声が闇を刺す。

「既に……四方八方敵だらけです、標的ターゲットと同様に」

 返事を待たずに言葉を重ねた。

「正面突破だ。殺すな……俺なら」
「相変わらず強引ですね」
雑魚ざこを何匹殺しても無駄、かしらの首を取って勝つ。それがいくさだろ」

 男の言葉に水野は瞬きすらしない。

「下手に動けば争いの火種に。犠牲者が増えます」

 今度は男が黙り込む。

「羽島は何か企んでる。あんたの目をそらす為、こいつらをおとりにしたんだ」

 水野の嗅覚は既に災いの足音を感じ取っている。でも口に出すことはない、四方八方敵だらけ……その言葉通り、羽島が用意した捜査員は海斗や遥の捜査ではなく自分を潰す為に動いていて、この会話さえ盗聴されているからだ。

「それより珍しいですね、なぜここに? 」

 水野は話をそらす。

「表の業務のついでだ、もうすぐ戻れるらしい」
「そうでしたか」
「欠員が出る、あんたの後釜かもな」
「あなたには勤まりませんよ、お客様でさえ皆殺しにしてしまうでしょう」
「だろうな」

 これは二人なりのジョーク。

 諜報員らしく鋭い瞳に闇を宿したまま、でも投げ合う言葉には他の誰にも見せない信頼と温もりがある。

「内藤、あなたも気をつけなさい……罠かもしれません」

 部屋を出ていこうとした男の背中にそう告げる。

「あんたもな」

 男は消えた。

 内藤と呼ばれるこの男は過去に水野と師弟関係にあった。死神という異名を持ち誰の指図も受けない、そう公言する男が唯一、言う事を聞くのは旧総帥の唐島と水野だけだった。

 また一人になった部屋、瞳を閉じた水野はある事を思いつく。

「そういえば……同世代でしたね」

 水野と内藤、二人にとって今日の出来事が運命の流れに導かれた必然の物だと知るのは、まだ先のこと。

根本こんぽんを見なければ、物事は解決しませんね」

 突破口に気づいた水野は昔、内藤に教えた言葉を思い出し、どこかに消えた。






「次はどこに行くの? 」

 海斗の言葉に遥はにこっと笑ってみせる。

「たくさん食べたし、身体動かしに行かない? 」

 遥は海斗を連れてスポーツ施設へ。

「負けないからね! 」
「俺だって」

 サッカー、バスケ、テニス、レーシング……二人は体験できる全てのスポーツで、有り余るパワーを発散し戦う。

 手加減なしの真剣勝負。

 もはやデートを楽しむカップルではなく、アスリートレベルの戦いに気づけば人だかりまで出来ていた。

「あー! もう限界、ちょっと休もう」

 そう切り出したのは意外にも海斗、汗だくで息を切らし、肩を揺らす仕草はロイドには見えない。

「うん……私も、ちょっと頑張りすぎたかも」

 二人の休戦に人だかりも散り、ベンチで呼吸を整える静かな時間。

「出来るのはこれで全部? 」
「えーっと、あとサーフィンかな」
「サーフィンまで出来るの!? 海無いのに? 」
「うん、映像なんだって。面白そうじゃない? 」
「じゃあ、行こっか。勝負は? 」
「9対8……かな、海斗が勝ったら引き分けだね」
「よし、じゃあ最後は絶対勝つ! 」

 また立ち上がる二人は、仮想の海へと走り出した。






「完成だ。1000体、すぐにでも街に放り込める」
「とうとうか……本当に海斗と同じ出来なのだろうな」
「当たり前だ」
「よくやった。では約束の通り褒美をやろう」
「助かる。それなりの地位と身分の保証をしてもらわねば、もう元の町医者には戻れぬ。後戻りなど出来ないのだからな」
「わかっている。だが、全て与えるのは抜かりなく事が運び、あの女を手中におさめてからだ」

  長らく姿を消していた海斗の父親、英嗣は息子に告げた通り郊外のラボにこもっていた。

「これで最後だろう、息子と別れでも惜しんでくるといい」

 誰かの命令で動いているらしい。






「楽しかったね」

 笑い合う二人……夕暮れ色に染まる道をゆっくり惜しむように歩いている。

「あのね……」

 決意したように口を開く遥、海斗は遥の横顔を見つめる。

「高級レストランも、ブーケのプレゼントもうれしかった。一生懸命準備してくれてありがとう。でもね……」

 ふと遥が立ち止まる。

「遥? 」
「いつもじゃなくていいの。今日みたいに楽しく話しながらご飯食べて、子供みたいに遊んで……色んな海斗、いっぱい見ていたいの。思いっきり笑って泥んこの海斗も全部、自然体の海斗を、もっと知りたい」

 見つめ合う二人の、時が止まった。
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