あなたはだあれ?~Second season~

織本 紗綾

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第三章 思い出を超えて

第29話 穏やかな日常

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 街の郊外にある海斗の学校は、夏休みも子供達の賑やかな声で溢れている。

「海斗せんせー、サッカーやろー! 」
「えぇー、やろーよぉー」
「ごめんね、今から会議なんだ。また今度やろう」

 子供達の残念そうな声に囲まれながら、海斗は職員室へ急ぐ。

「海斗先生、職員室ってどこでしたっけ」
「突き当たり曲がって左だよ。一緒に行こうか」
「やった、やっぱり海斗先生は優しいなぁ~、葵先生厳しくて怖いんすよ」

 ふざけたように怯えてみせるのは田原という数学教師、先日赴任してきたばかりで道に迷っていたらしい。

「まぁ、悪い人じゃないから」
「でもほんっとに怖いんすよ、何であの人と担任持たなきゃいけないんだか……あーぁ、海斗先生がよかったなぁ」
「俺はまだ見習いだからね」

 懐いていく田原、でも海斗はどこか上の空で気のない返事をする。

 海斗の新しい日常、そこに遥の姿はない。


「一緒にいいかな」

 会議を終えてひと息つく海斗に校長が声を掛ける。お疲れ様です、海斗は頭を下げて快く隣を空ける。

「レモンティーか」
「はい、飲むと気持ちが落ち着くんです」

 校長は、海斗の悲しげな微笑みに気付いた。

「一緒だな」

 穏やかな丸顔に深く刻まれた口元の皺が、わずかに上がる。

 子供達の歓声が遠くに聴こえる。

 まるで小川のせせらぎのように、時間が二人の間を流れていく。

「傷つけてしまったんです」

 口を開いたのは海斗だった。

「浮かれていたのかもしれません、レストランでディナーをして花束も用意して……映画で観たようなデートをすれば喜んでくれる……そう思っていました。でも彼女は……遥はそんな事望んでなかった。ずっと……苦しめていたなんて……」

 誰にも言えなかった想いは、切なげに訥々とつとつと吐き出される。

 その言葉に校長は、時折ゆっくりと頷きながら受け止めるように耳を傾ける。

「レモンティー、遥がいつも飲んでいたんです……もう会わない方がいいとわかっているのに、忘れたくない自分がいて」

 海斗は俯くと苦しそうに目を伏せる。

 沈黙の時が、また流れていく。


「すみません、仕事と関係ない話を」

 あまりに長く続いた沈黙、海斗は我に返って立ち上がる。

「授業計画、今日中に提出します」

「草野君」

 ずっと黙ったままだった校長が何か思いついたように呼び止める。

「君に、頼みたいことがあるんだ」
「頼み……ですか? 」
「あぁ、明日までにこの本が必要なんだが注文を忘れてしまってね。今日は直帰していいから、図書館で借りてきてくれないか」
「わかりました。借りて戻ってきます、他の仕事もあるので」

 意図を理解していない海斗に、校長は優しく微笑む。

「仕事は明日でいいから、ちゃんと話してきなさい……別れを選ぶのは最期でいい」
「え……」

 いつもは豪快な校長の、心に触れるような表情。

「まだ間に合う。君の大切な人は……まだ生きているだろう」

 “母親はさ、小さい頃に死んじゃったし、父親あんなだから一人じゃなんにも出来ないし大変なんだよ、私だって”

 葵の言葉と校長の表情が海斗の脳内で繫がる。

「あ、ありがとうございます、お疲れ様でした!! 」

 やっと理解した海斗は、慌てて職員室を飛び出ていく。

「がんばれよ……」

 大切な誰かの元に向かう背中が消えていくまで、校長は見つめ続けていた。






 気づいた海斗は遥の元へ急いでいた。

 学校を出て車に乗ると、図書館へと走らせる。父親が置いていった年代物の手動運転車を、海斗は気に入って通勤に使っている。

 街の中心地に戻ってくると、まずは図書館に。

「あれー、海斗君だよね? 」
「夢瑠ちゃん、遥、家にいるよね」
「えっ、わかんないけど……」
「ありがと、行ってみる! 」

 本を片手に走っていく海斗、その速さと噛み合わない会話に夢瑠の口はぽかんと開いている。

「……変なの……」

 夢瑠がそう呟いている間に、図書館を出た海斗。その頭の中には、もう遥の事しかなかった。






 遥は、海斗が必死に走っている事など知らず、部屋で誰かと談笑していた。

「いいんですか、女性の部屋にお邪魔したりして……」
「大丈夫だよ! はるちゃんに何かしたらこのタマが許さないんだから」
「えっ……」
「タマ、大事なお客さんなんだから口挟まないで。わざわざ忘れ物を届けてくれたんだよ」

 遥とタマと談笑しているのは橋本だ。

「遥さんじゃないと嫌みたいで、枯らしてしまって……申し訳ありません」

 テーブルには働いていた頃、遥がずっと世話をしていた観葉植物の鉢。

「暑さのせいかな、陽射しで葉っぱが枯れちゃったのかもね」

 葉を優しく撫でる遥に、橋本は話を切り出す。

「あとこれは、環からです。遥さんに渡してほしいと頼まれまして」

 パステルピンクの包みは環が一生懸命選んだプレゼントと手紙。

「本当は環が来るはずだったんですけどすみません……あんなに泣きわめいた後で会うのは恥ずかし過ぎると言い張って聞かなくて」
「そっか……環ちゃんどう? 元気にしてる? 」
「忙しくしていますよ、遥さんみたいになるんだって必死です」
「そんな、私みたいになんてならなくても……」
「環は本当に遥さんが大好きですから」

 環と呼ぶ橋本の笑顔に、遥は少し安心する。

「環ちゃんが一番想っているのは橋本君の事だよ、ちゃんと仲直りできた? 」

 遥がわざといたずらっぽく聞くと、橋本は苦笑する。

「いえ、毎日スパルタで大変です」
「え……でも呼び方……」
「それは便宜上だそうです、環曰く。会長のご令嬢ですから……きっとそのうちふさわしい方と一緒になるでしょう」
「でもそんな事……環ちゃんだってあの時、最後の日に言ったんだよ。ずっとあの頃みたいに醍といたかったのにって……それって」
「無理して関係を変えようと、思わなくなりました。もちろん今でも大切ですし、気持ちが変わった訳ではありません」
「ならどうして」
「充分幸せです。後ろめたさもなくなり、ただ純粋に想っていられるんです。毎日顔を合わせ、あれこれ仕事のやり取りを重ねながら時々、二人で休憩して……これからはビジネスパートナーとして、許される限り環の隣にいようと思っています」

 それでいいの……口から出かけた言葉を思わず止めてしまうくらい、橋本は幸せそうに笑う。

 想い合う二人が別れを選ぶ、やりきれない悲しさを感じながらもそれ以上言うことはできなかった。

 それと同時に思う……橋本君の想いは、私や環ちゃんが思う以上にずっと強かったんじゃないかと。橋本君が身分を明かし、私が仕事を辞めて、立場という垣根がなくなって初めて知る素の彼は、すごく素直で情熱的なのかもしれない。

「そろそろ、おいとまします」
「え……もう? 」
「はい、これ以上いると質問攻めに遭いそうなので。それに、会社に戻らないと」
「そっか……そうだよね」

 立ち上がる橋本、下まで送ると言って遥も一緒に部屋を出る。

「会長には、それらしい理由をつけて断っておきます」

 階段を降りながら橋本は遥に告げる。

「ごめんね、お願いします」

 遥も真の目的に気付いていたようだ。

「前社長ほどではありませんが、会長も反機械派でロイドだけでなく様々なロボや人工知能の排除を進めています。パートナーロイド、ロボシステムの使用禁止令など社員のプライベートに関わる規程も出されたので、今に取り締まりが始まるでしょう」
「そっか……タマの存在を否定したくないの。例え仕事を変えたとしても」
「はい、別れは寂しいですが、そういう事なら無理にとは言えません」
「ごめんね、橋本君の評価に傷がつかないかな」
「それは大丈夫です」

 玄関について遥がドアを開けると、強い陽射しが二人を照らす。

「また環と食事でも。遥さんの方から誘って頂けたら助かります」
「うん、ありがとう。環ちゃんに伝えて、誰かになるんじゃなくて自分らしさを大切にねって」

 一通りの言葉を交わした別れの時。

 互いにもう会わないだろう事はよくわかっている。

「元気でね」
「はい」

 多くを語らない者同士、師弟関係のような独特のつながりを築いてきた遥と橋本。

「失礼ながら最初は見下していました、あなたの事を。なぜこの人が上司なのか、チームを率いる力などあるのかと」
「うん……」

 今までを思い出しながら頷く遥。出会った頃は少し反抗的だった……思い出の中の自分達は幼くて懐かしい。

「でも今ならわかります。大事な事を教えていただき、ありがとうございます。お世話に……なりました」

「ありがとう……環ちゃんや橋本君に出会えてよかった。支えてくれて、今まで本当にありがとう」

 深々と頭を下げ合って、これで本当に全てを終える事が出来た気がする。曇りない気持ちで目を合わせて、橋本君は背中を向ける。

「海斗……」
「あ、えっと……」

 帰る橋本君を見送ろうとした先、なぜか息を切らした海斗が。

「ごめん……邪魔しちゃって」
「いや、僕はもう帰るので」
「いいんです……あの、お幸せに」
「え、ちょっと待って」

 笑顔のままで、でも何かを勘違いした海斗が背を向ける。

「ちょっと待ってよ、海斗……」

 呼び掛けても、走っていってしまう。

「海斗……」

 遠くなる背中。

「行かないと。追ってください」
「でも……」
「誤解されたくないんでしょう、今度は笹山さんの番です」
「え……? 」
「後悔しますよ、絶対に」

 いつか橋本君に言った言葉が今、ブーメランになって返ってくる。

「ごめん、橋本君」

 気付いたら走っていた。

 本当に別れるなら行くべきじゃないのかもしれない、でも私の足は海斗へと向かっている。
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