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第三章 思い出を超えて
第27話 終わりと始まり
しおりを挟む「タマ、行ってくるね」
「気をつけてね、行ってらっしゃい」
こうして何度、タマに見送られて出社しただろう。朝の空気を吸い込むと照りつける夏の陽射しが眩しく襲う。
五日なんてあっという間に過ぎて、この道を行くのも今日が最後。これから色々変わっていく……見慣れた景色を眺めながらオフィスへと向かった。
「おはようございます」
「おはようございます……」
気を遣って、チームの何人かは遠慮がちに挨拶を返してくれる。結局、環ちゃんとはあのまま。自分勝手な決断の代償は大きくて、寂しい。
全体ミーティングが始まるまでにデスク周りの片付けをする。物がなくなっていく白いデスクに、とうとうその日が来たと実感させられる。
「皆様、お疲れ様です。これより全体ミーティングを始めます」
教育部の進行で始まるミーティング。今日から他のチームも新体制に移行する為、メンバー紹介が多くていつもより長い。
「では最後のチームですね、笹山さん」
立ち上がると、オフィス中の視線が集まって変な汗が出る。やっぱり教育部への異動なんて受けなくてよかった。退職の挨拶を一言で済ませ、新体制の発表へ移る。
「チーフ斎藤環、サブ橋本醍哉……以上、六名の新体制で運営致します。安心して任せる事のできるメンバーではございますが、まだ至らぬ点も多いかと思います。皆様、今後ともご指導の程、よろしくお願い致します」
深々と一礼して頭を上げる。
これで全部、私の仕事は終わった。
「それでは、新チーフより皆様に一言ご挨拶を。斎藤さん、お願いします」
緊張で表情の固い環ちゃんが一礼して、ゆっくり口を開く。
「この度、チーフに任命されました斎藤環です……」
緊張している環ちゃんを隣で見守る橋本君。新たな役割を得て再び協力するようになって……これからはきっとうまくやっていける。思わず涙腺が緩んで景色がぼやける。
もう何も、思い残すことはなかった。
全体ミーティングを終えて環ちゃんと橋本君は任命式へ。二人の背中に元気でねと心の中で声を掛ける。
「それじゃあ、お世話になりました」
「えっ、もう行かれるんですか? 」
「まだ手続きが色々あるので……お疲れ様でした」
慣れ親しんだオフィス。
入社して毎日必死に働いて……海斗と出逢って、キャリアコースへ。環ちゃんと橋本君が入社して残業仲間が出来て……いつもいつも、ここにいる私は大変だった。
色んな事を思い出しながら荷物を車に載せて社長室へ。あれから会っていないけど、わがままを許してくれた社長に御礼とお詫びをするために。
「申し訳ございません、社長は本社におりましてお会いする事ができません」
「そうですか……」
辞めていく社員と、会ってくれるはずない。そびえ立つ大きな扉に一礼する。
「笹山様でしたね。ご退職されるとか」
「はい、お世話になりました」
「社長から言付かっております。いらしたら渡すようにと」
手渡されたのは小さな包み。開けてみると紅茶の茶葉とメッセージカード。
“これからは茶飲み友達ですよ”
最後にあんな失礼をしたのに……こんなプレゼントを用意してくれていた事に胸が熱くなる。
「ありがとうございます、どう御礼をお伝えしたらいいのか……」
「社長は、最後まで惜しまれていました。またご連絡くださればいつでも繋ぎます」
「ありがとうございます。社長によろしくお伝えください」
扉を見つめると、何だか前の社長の声が聞こえてきそうな気がする。あんな思い出すら懐かしい。もう一度、秘書さんに頭を下げると、管理課に向かった。
「書類は全て返却頂いていますので退職手続きを致します」
IDを返却し、退職後に関する説明を受けて手続きはあっさりと済んだ。
「お帰りの際は来客用エレベーターをご利用ください。お疲れ様でした」
「お世話になりました」
管理課を出ると、ふと寄り道したくなった。左へ少し歩くとあの管理二課の扉。罰を受けてここに閉じ込められて、すぐにでも辞めようと思っていた。封鎖された扉、きっと古いデータもそのうち消去されて山田さんや坂野さん、そして海斗や私がいた証も消えていく。
これで全部……手続きを終えてしまった以上、長くここにはいられない。
帰ってタマとゆっくりしよう……そんな事を考えながらエレベーターで地上へ降りてエントランスに。
「遥さん!! 」
環ちゃんの声、思えばいつもそう呼んで慕ってくれた。
「遥さんのバカ!! 」
思わず振り返る、まさかそんなはず。
「環ちゃん……」
言い終わった時には、環ちゃんはもう胸の中にいた。
「遥さんのバカ! なんで黙って行っちゃうの? なんで……」
環ちゃんは泣いていた、もう言葉なんて聞き取れないくらいに。
「ごめんね、でももう私がいなくても大丈夫だから」
「なんで……そんな事言うの……全然、大丈夫なんかじゃない……遥さんと醍といたい、ずっとみんなでいたいの! なのに何で……何で辞めちゃうの……」
ギュッと私に抱きついて胸の中で泣く環ちゃんの髪をそっと撫でる。
「ごめんね、ごめんね環ちゃん……」
私も涙で、声にならない。
「いや……辞めないで……遥さん……会えなくなるなんて……そんなのやだ……」
まさか最後にこんな事を言ってくれる子に出会えるなんて、胸が熱くて涙が溢れて……人目も憚らず、抱き合ったままわんわん泣いた。
「環ちゃん……」
でも、いつまでも泣いている訳にはいかない、苦しそうに肩を揺らす環ちゃんの髪を撫でると、少しずつ呼吸が落ち着いていく。
「もう戻って……これからの環ちゃんには橋本君がいる。チームのみんなも助けてくれる。環ちゃんと橋本君が一生懸命作ったチームだから、二人で築いていってほしいの、ね? 」
「遥さん……私には出来ない、ずっと……遥さんみたいになりたかったのに」
私みたいに……今までの環ちゃんとの時間が、笑顔が蘇ってくる。そんなふうに思ってくれていたなんて。
「もうとっくに超えてるよ、私なんて。環ちゃんにしか頼めないの、お願い」
坂野さんや山田さん、そのまた先輩達……仕事ってこうしてバトンを渡していくものなのかもしれない。
「笹山さん……」
橋本君が環ちゃんを迎えに来た。もう一度柔らかい髪を撫でて、胸から離すと橋本君に引き渡す。
「橋本君、環ちゃんの事をよろしくね。もう二度と投げ出さないと約束して」
「はい、約束します」
まるで花嫁の母親みたいな気分。
きっと仕事だけじゃない、二人の心は通い合ったまま離れてなんかいない。橋本君の真剣な表情と、環ちゃんの言葉で確信した。
“目の前にあることを一生懸命頑張るのも大事”
覚悟を決めて進んできた険しい道の先にあったのは、こんなに可愛い後輩達との出逢い。
よかった……ここまで諦めないできて。
嫌がりながらも橋本君に支えられてオフィスに戻る環ちゃんを見送り、私も外に出る。
環ちゃんに橋本君、社長も前の社長も、そして坂野さんや山田さんに……海斗。
数歩歩いただけ、それなのに振り返ると全てが、思い出に変わっていた。
その日、遥は余韻に浸りながらタマとのんびり過ごした。束の間の休息……既にそれは、奥深い闇の底で疼くように動き出している。
「少々、やり過ぎでは? 」
暗闇の中、水野の声が響く。遥の知る柔らかな物腰も表情も消え失せ、今の彼女は鋭く深い瞳に怒りを浮かべている。
「確かに情報提供を依頼しました、ですが彼女自身には何の力もありません、それをわかっていて辞めさせるなど……」
「ほう……そんな事で危険を冒してまで連絡してくるとは。よほど彼女がお気に入りらしい」
「野放しにされては困るのです」
声の主は愉快そうに、水野すら弄ぶ。
「それに辞めさせたというのは心外だな、こちらの慰留を頑なに拒んだのは彼女だ」
「彼女ごとき誘導するのは簡単なはずです、丸山社長。あなたが仕向けたのでしょう」
何が面白いのか、暗闇に老人の笑い声が響き渡る。
「確かに造作ないな……あんなに従順な駒も今時、珍しい。射撃訓練も積んでいるようだし、実戦に使えるという意味では実に有能だ」
「ならなぜ」
「我が社の利益を損ねる人間は必要ないのだよ、わかるだろう? 」
声の主は丸山社長……遥に新チームを作らせた人物だ。
「相変わらず、抜け目ない御方ですね」
「さて、情報は提供した。これで沢渡の借りは返したからな。そろそろ紅茶の時間だ……これで失礼する」
声は途切れ、闇によく似合う静寂が訪れる。
浮かぶモニターの文字を読む水野。ある文章で視線を止めたまま動かない。
「闇を知らぬ小娘を侮るなかれ……そうですね、少し侮っていました」
射撃、退職、海斗とのデート、そして過去に起きた機材室での事件……秘密裏に得た情報は、水野に最も危険で望ましくない現実を浮かび上がらせる。
違法に開発されたロイドの海斗を使い、何か企む父親の英嗣、それに加えて……新たに現れた、海斗を守ろうとする存在、笹山遥。
会社の機材室で不慮の事故があったあの日、遥は海斗の正体を知り英嗣と対面を果たした。
そして、周囲の目を欺きながら時を待ち、今再び海斗を社会に紛れ込ませようとしている。
全ては仕組まれた事、それが水野の描く最悪のシナリオだった。
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