あなたはだあれ?~Second season~

織本 紗綾

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第三章 思い出を超えて

第25話 愛のかたち

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 翌日、正式に退職が決まった。

 誰もいない夜のオフィス、遥は一人で物思いに耽る。

 別れを惜しむように一つ一つのデスクに触れ、そして最後に環のデスクまでやって来た時、深い溜息をついた。

「ごめんね、環ちゃん……」

 “自分勝手過ぎます!! 周りに迷惑がかかる事は遥さんが一番知ってるはずです! ”

 環の言葉は遥の身に、つらくしみていた。

 今まで支え合い協力してきた遥と環はこの日、初めて言い争いをした。勝手に退職日を五日後に決めた遥に環は怒り、他のスタッフも口々に遥を非難したのだ。

 “もう決まった事なの。来月から新体制で動くようにと社長命令も出てる”

 さらに、遥が環の言葉を冷たく突っぱねたせいで環は撮影ブースに籠もり、遥はチームから孤立してしまった。

「これで……いいんだよね」

 もう一度みんなのデスクを見渡し、遥は切なげに呟く。仲違いしたまま別れることになる……思ったよりも寂しい最後だけれど仕方ない。

 もう一つ、ため息をついた。

 “着いたよ”

 海斗からのメッセージで約束の時間が迫っている事に気付いた遥は慌てる。

「おつかれさまでした」

 誰もいないデスクに一礼すると、走り始めた。ビルの下では海斗が待っている。






「お待たせ、遅くなってごめんね」
「ううん、急に誘ったりしてごめん、忙しかった? 」

 この夜、海斗は遥を誘い、かつて二人が出会ったビルの前で待ち合わせをした。

「ここ? 俺達が出会った場所」
「うん……」

 並んでビルを見上げる海斗の視線を追う遥。

「まだみんな働いているの? 」
「ほとんどのオフィスはもうロイドさんなんじゃないかな。うちはまだ働いている人達もいるけど」
「ロイドさん? 」
「あ、えっと……業務用のロイドさんね、夜の時間は人間と交代して夜勤してくれるの」
「そうなの!? 大変なんだね、ロイドさんって」

 驚きながら、何かを考えるようにもう一度ビルに目をやる海斗を、遥は複雑な想いで見つめる。自分がロイドかどうか……それ以前にロイドが何か知らないなんて、あり得るんだろうか。

 だとしたらなぜ、あの人はそんな事を。

「行こっか、お店予約してくれてるんだよね」

 わざと明るい口調で話をそらし、遥は海斗の手を繋ぐ。

 自分の心ひとつでは抱えきれない……不安を隠す遥に、浮かれる海斗は気づかない。

「そうだね、行こっか」

 華奢で冷たい手を優しく包み、海斗は遥をある場所へと連れて行く。






 そうして遥が海斗と歩きだした頃、オフィスには環が戻ってきていた。

「待っててくれなかったんだ……」

 ショックを隠せない様子の環は、怒っているというより、今にも泣き出しそうだ。

「きっと何か予定があったんだと思う……服装がいつもと違ったから」

 後から入ってきた橋本の言葉を、環は無視してモニターに向かう。

 橋本は遥のデスクに置かれている書類の束を読む。引継ぎの為に遥が用意した書類だ。

「なぜだと思う? あの人がこんな事をする理由」

 書類から目を離して橋本は環を見つめる。環も一瞬、動きを止めるものの、すぐ我に返って作業に戻る。

「知らない。私、人の気持ち探るとか嫌いなの。隠し事や嘘と同じくらい」

 冷たく接する環、それでも橋本は微笑みをたたえながら穏やかに話し続ける。

「俺達を仲直りさせたいんだ、ピンチを作り出して協力させる事で。そうすればチームの結束も固くなるし、嫌になったら我先に辞めようとするスタッフもいなくなる。俺達の為だよ……あの人らしいと、俺は思ってる」

 手を止め、俯いてしまう環をなだめるように橋本は諭す。

「遥さんと、ちゃんと話した方がいいと思う。このまま離れたらきっと後悔するよ」
「わかったようなこと言わないで。あなたに言われたくない」

 環は表情を変えずモニターに向かう。言葉から読み取れるのは、はっきりとした橋本への拒絶。

 以前は仲睦まじかった二人、でもある事件をきっかけに関係は壊れてしまった。今の二人の間には、仕事上、必要最低限の会話しかない。

 それでも、橋本は伝えることをもう諦めなかった。

「絶対、後悔する……これは俺じゃなくて遥さんの言葉だ。誰とも向き合おうとしなかった俺に、あの人が教えてくれた」

 環はずっと黙ったまま、でもしっかり橋本の言葉を聞いている。無愛想で口下手で心が読めない人……環はずっとそう思っていた。だからこそ知りたくて、笑ってほしくて、振り向かせたくて一生懸命努力してきた。

 彼は変わった……変えたのは遥さん。

 環は初めて、遥に少しだけ嫉妬した。

「遥さんにとって私なんて大した存在じゃないの、辞めると決めたらもうどうでも良い。それに私も……いきなりの事でそれどころじゃないの。今日はもう帰ります、お疲れ様でした」

 たまりかねたように立ち上がる環。

「これからの事は心配しないで」

 優しい、今までに見せたことのない表情を橋本は環に向ける。

「不安だと思うけど、いつも通りでいてくれればいい。精一杯サポートする、その為に戻ってきたんだ。もう元には戻れなくても……どんな形でも側にいて助けになりたい。だから……何も心配しないで、大丈夫だ」

 言葉が、環の胸を締めつける。

 付き合っている間、不安にさいなまれるといつも橋本がこう言って抱きしめてくれていた事を、思い出したから。

 “何も心配しないで……大丈夫だ”

 橋本の声で、言葉で、ぬくもりを感じながら、こう言われると安心できてたまらなく幸せな気持ちになれた。

 いつもなら素直に、胸元に寄りかかれた……でも、今の環は、橋本が見せる新しい愛のかたちを、素直に受け入れる事が出来ない。

 環は何も言わず、立ちはだかる橋本の横をすり抜けて、走り去る。

「みんな勝手過ぎ……」

 走る環の目からは涙が溢れ、声は震えている。






 迷っているのは環だけではなく、遥も同じだった。湧き上がる不安を前に、大切な人からの愛を受け入れられない二人は、少し似ているのかもしれない。

 海斗が遥を連れて行ったのは、高級レストランだった。

 キャンドルの灯りに照らされたムード溢れる空間で二人きり、恋人同士のような時間を過ごした遥と海斗。キスもハグもなくても……幸せな時間に、遥は心揺さぶられていた。

「ありがとね……海斗」
「俺が行きたかったんだ、遥と一緒に」

 優しい微笑み、繋ぐ手の温もりが嬉しくて恥ずかしい。

 私の大切な人がやっと、私の元に帰ってきてくれた。

 横顔をちらっと盗み見、胸がキュンと震える。

 ずっとドキドキさせられっぱなしだった……優しくて完璧なエスコートに二人だけの時間、美味しい料理、それにブーケのプレゼントまで。

 “海斗様が事前にご用意くださった物です、遥様には白が似合うと仰られて”

 ウェイターさんの話を思い出す。

 白いバラのブーケ、その真ん中にはちょこんとチワワが頭を出していた。

 前に海斗に、遥みたいと言われたチワワのぬいぐるみ。初めてのお揃い、私達の新しい思い出。

「どうかした? 」
「ん……何でもない」

 私のは茶色いチワワ、海斗の手には白いチワワ。お揃いねって笑う海斗は茶色いチワワに見えて可愛かった。

「知ってる? あのお店の料理食べると幸せになれるってジンクスあるの」
「そうなの? 」
「うん、調べたら実際に幸せな出来事が起こった人がいっぱいいてね、どうしても遥と来たいって思ったんだ。遥と一緒に幸せになりたいって思って」

 海斗はいつも平然と、心をくすぐるような事を言う。

 一緒に幸せに……それはどういう意味だろう。

 全身が熱くなってくる。

 私もって……素直に言えたらどんなにいいだろう。

 ずっとこのまま……時が止まってくれたら。

「海斗……? 」

 海斗の足が止まった。

 横顔が、正面に……海斗の瞳が、私を見てる。

 瞳に囚われて動けなくて……息さえ、出来なくなりそうで。大きな手に髪を撫でられ、その手が頬に……恥ずかしさに俯くと温もりがそっと、近づいてくる。


「やっぱり遥だ!! 」

 温もりが離れ、甘い雰囲気は一気に消え去る。

「樹梨亜……」
「偶然だね、こんな所で会うなんて」

 突然のことでびっくりしてる海斗にごめんねと囁く。

「遥達もデート? 」
「デ、デートじゃないってば。その……そう、この間話した草野海斗君」
「初めまして、草野海斗です」
「初めまして、遥の友達の佐原樹梨亜です」
「夫の煌雅です。初めまして」

 バクバク響く心臓を抑えながら樹梨亜に何とか紹介をして、挨拶し合うのを複雑な気持ちで見る。

「ご結婚されてるんですね」
「うん、煌雅はパートナーロイドなの。遥から話聞いてない? 」
「はい……」
「ごめんね、話しそびれてて……」
「でも夢瑠とはもう会ったんでしょ? 」
「夢瑠ちゃん……あぁ、この間図書館で」
「面白い子でしょ」
「はい、とっても」

 まさかこんな所で偶然会うなんて。

「そうだ! 海斗君、来週家でパーティーやるの。遥と来てよ」
「いいんですか!? 俺が行って」
「当たり前でしょ、遥の彼氏なんだから」
「ちょっと樹梨亜……」
「どうせ、遥の事だから誘ってなかったんでしょ」
「それはそうだけど……」
「海斗君、遥恥ずかしがり屋だから積極的にね! じゃあ私達もこれからデートなの」

 煌雅さんと腕組みをして、樹梨亜は街に消えていった。言いたいことだけ言って……この間、記憶がない事もちゃんと話したのにと、複雑な気持ちになる。

 煌雅さんと海斗がいなかったら、喧嘩してたかも。

「遥」
「ごめんね……海斗」
「なんで謝るの? 」

 気にしてないよと笑う海斗に、逆だっていた心が落ち着く。

「それよりさ……」
「うん……」
「まだ……時間いい? 行きたい所あるんだ」

 これ以上はだめ、わかってるはずなのに……黙って頷いて、自分から手を繋いでいた。

「俺達もする? 」

 腕を上げて、入り込む隙間を作る海斗。

「は……恥ずかしいよ……」
「そう? 」
「うん、これでいいの」

 一度失って気づいた。

 側にいて笑ってくれる事、それが一番の幸せで……それだけでもう充分だって。
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