あなたはだあれ?~Second season~

織本 紗綾

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第二章 思い出を辿りながら

第19話 嘘

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 また忙しい日々が戻ってきた。

「環ちゃん、ごめんね。お休みもらっちゃって」
「大丈夫です! 今日からバリバリ働いてもらいますから」

 ニコッと歯を見せ笑うと、さっそくモニターに向かう環ちゃん。

「スケジュール確認してください」
「あ、はい」

 環ちゃんに急かされて席につくと、モニターには既にびっしりスケジュールが表示されている。他のスタッフも出勤してきて、すぐにテキパキ仕事を始めた。

 聞いていたのと違う……戸惑いながら私も必死についていく。

 “ゆっくり考えていきましょう、他にお悩みの事もあるでしょうから”

 頭の中にずっとある水野さんの言葉。

 気付かれたのかもしれない、仕事や生き方すら迷っている事。落ち着いて考えたいけれど、きっとまた忙しさに紛れてしまいそうな気がする。

「さて、一段落つきましたし、お昼にしましょ」

 あっという間に午前中が終わり、環ちゃんはオフィスを出ていってしまう。私を避けているのかもしれない……彼女の背中はそんなふうに見えた。


「はぁ……」

 どんより重い空に盛大な溜息。テラスに来ても気持ちが晴れない。

「おつかれさまです」
「環ちゃん……」
「誰のこと考えてるんですか? レモンティー飲んでる時」
「えっ……べ、別に……それよりすごいね環ちゃん、仕事速くてびっくりしちゃった」
「もう! 大変だったんですからね、遥さんいない間」
「ごめん……」

 隣に立つ環ちゃんの横顔に、笑顔はない。

「醍に、教えてもらったんです。仕事の仕方も遥さんのサポートの仕方も」

 なんて言っていいかわからない。励ますべきなのか……でも求められていない気もする。

「先を見据えての事だったんですね、全部」

 妙に固い言い方……冷えていく気持ちを、どうしてあげたらいいんだろう。

「環ちゃん……」
「別れました」
「それでよかったの? 」
「私、嘘つく人嫌いなんです。男の人なんて星の数ほどいますから」

 戻りますと笑顔を見せて背中を向ける環ちゃんは、嘘をついている……自分に。泣いて泣きじゃくってぐちゃぐちゃになってもいいのに、平常心を装う後ろ姿はそれより切なかった。






「遥さん、社長がお呼びです。すぐ来るようにと」
「社長が? 」

 どこかで聞いた懐かしいやり取り。

「はい、どうしましょう」

 会うことはない、そう思っていた新しい社長。呼ばれる理由も見当たらないけれど。

「わかった、すぐ行く」

 そう返事をして立ち上がると社長室へ向かった。


「失礼します」

 相変わらず頑丈な扉、開いた先から見える背中が振り返る。

「笹山遥さんですね。社長の丸山です、よろしく」

 いかにも偉い人という雰囲気の老紳士は一社員の私に、深々と頭を下げる。

「笹山です、こちらこそよろしくお願い致します」

 慌てて私も頭を下げる。

「いやいや、前社長の件ではずいぶん迷惑を掛けてしまったね、さぁ、掛けてください。紅茶はお好きですかな」
「はい……」
「それはよかった、実は紅茶が趣味なんだが、振る舞う相手がおらんくてな」

 いそいそとティーセットを出してきて、ほくほくした顔で支度をする社長に、ちょっと拍子抜けしてしまう。

 綺麗な手さばきに見とれていると、社長が何かをひっくり返す。

「きれいですね」
「砂時計と言うんだ。古い物だが綺麗だろう」

 細かい砂粒がさらさらと流れていく。

「いい頃合いだ、どうぞ」
「ありがとうございます」

 社長がわざわざ淹れてくれた紅茶なんて緊張する。

「いい香りだ」

 湯気まで味わう姿に、緊張が増す。どんな感想を述べたらいいんだろう。

「あったかい……あ、すみません」

 考え過ぎた頭から出てきた言葉はありきたり。流石に怒られるかと思ったら、社長は私を見て笑い出した。

「なるほど、聞いていた通り素直な方だ」
「あ、いえ、その……すみません。とても美味しくて、香りがいいですね」
「いやいや、いいんだよ。どんな美辞麗句よりも心で感じた言葉の方が嬉しいからね。この時期は蒸し暑いからと冷たい物を飲みがちだが、それでは身体が冷えてしまう。温かい紅茶もたまにはいいだろう」
「はい……」

 悪い人じゃない、いや、人の事を考えられる、とってもいい人なんだろう。もう一口、ゆっくり紅茶を味わうように飲む。

「笹山さん、環はどうですか。気が強くて使いにくいでしょう」
「いえ、そんなこと全然。いつも助けてもらいっぱなしで……え……? 」

 環……って環ちゃんの事だよね。また混乱する頭、紅茶の味なんて吹っ飛んでしまう。

 にこにこしている社長。

「あ、あの……環さんとはどういう」
「あぁ、環は孫娘でしてな」
「お、お孫さんなんですか!? 」

 社長から出た発言は、一瞬で身体を冷やす。

「す、すみません、お孫さんだとは知らず失礼な事ばかり……」
「いやいや、環は笹山さんの事が好きなようで。今回の事もきつく叱られてしまいました」
「今回の事……ですか? 」

 何かを考えるよう、紅茶を飲む沈黙が怖くなってしまう。

「全て聞きました。沢渡に目を付けられて酷い仕打ちを受けた事、休みも取れないほど酷使されていた事……挙句の果てに、暴力までとは」
「いえ……もう終わった事ですから」
「それもこれも、すべて会長である私の任命責任と監督不行き届きだ。誠に申し訳なかった」
「そ、そんな……頭をあげてください。こちらこそ、あの……会長とは知らずご無礼を」

 前社長が逮捕され適任者がおらず、急遽兼任する事になったのだと、笑いながら話す会長。とすると、環ちゃんも会長の孫……ということになる。

 思っていた以上に、とんでもない話になってしまった。全て、前社長と共に過去になったと思っていたのに、この人は全て……知っているんだ。

「あの……私が一度、退職した事もご存知で……」
「あぁ、環からはそう聞いたが、手続きをした形跡も沢渡から管理課への申告もなかった。本来ならもう一度、意思を確認すべきだったのだが……しかし、どうしてもすぐ君に戻ってもらわないといけなかったのだ。わかって欲しい」
「はい……」

 私が辞めて社長が逮捕され、混乱の中で橋本君まで……併合された支社から来たスタッフを抱え、困った環ちゃんが会長であるお祖父さんに直訴した。

 やっと、一つ謎が解けた。

「笹山さんにはこの先も我が社で貢献してもらいたい。君のような人材が必要なんだ」
「もったいないお言葉です……」
「今後も、うちで頑張ってくれるね」
「はい……よろしくお願いします」

 社長のほっとした笑顔でそれ以上、何も言えなかった。会長直々になんて……ここまでされたら、もう辞められない。

「社長、どうでした? 」
「ん……これからもここで頑張ってくれって」
「わぁ、よかった! もう辞めたりしないでくださいね」

 喜ぶ環ちゃんになんて言っていいかわからない。環ちゃんと会長の事、社内ではくれぐれも内密に……そう口止めされてしまった。

 きっと歓迎されるべきは私じゃない……環ちゃんを支え続けた橋本君がここに居ない事が、辛かった。






「なんだかなぁ~……」

 仕事が終わって部屋でぼんやりしていると、今日のもやもやが沸き上がる。

「はるちゃん、どうかした? 」
「新しい社長さん……環ちゃんのおじいちゃんなんだって」
「そうなんだぁ、じゃあ、もういじめられないね」
「うん……」

 いじめられていたのか、あのまま組織に迎合していたら犯罪者の一味になっていたかもしれない……そう思うと会社というもの自体、なんとなく怖くなってしまう。

 いい人そうだったけど……今だけかもしれないし。

「はるちゃん」
「んー? 」
「タマ、はるちゃんのことだーいすき」
「タマ……私もタマのこと大好きだよ」

 励まそうとしてくれているタマの優しさがうれしい。

「タマね……あ、樹梨ちゃんからだよ」

 タマが何か言い掛けた所で通信は切り替わり、樹梨亜の弾んだ声が聴こえてくる。

「遥、昨日の話なんだけどさ」
「昨日の話? 」
「ほら、4人でドライブ行く話! もう忘れちゃった? 」
「ごめん……忘れてた」

 本当にすっかり忘れていた。

「で、急なんだけど明日とかどう? ほら遥また忙しくなるんでしょ? 」
「明日……あ!! 」
「もしかしてまた仕事? 」
「違うんだけど、ごめん……明日は先約があって」
「先約? 誰と? まさかデート? 」
「ちっ、違うってば! 職場の子に街の案内頼まれてて、うん、そう……」
「ふ~ん、じゃあ私も行っちゃおっかな、遥がいつもお世話になってます~って」
「い、いいからそういうの! 」

 怪しむ樹梨亜を何とか交わして、急いで通信を切った。

「もしかしてはるちゃん、こんな大事な約束忘れてたの? 明日は海斗君とデートでしょ」
「タマまでからかわないでよ、違うの、デートなんかじゃないんだから」
「そうなの? でもはるちゃん、嬉しそうだったよ? 」
「それは……懐かしいなって思っただけ」
「ふ~ん……じゃあ明日のお洋服はこれだね」

 クローゼットに映し出されたのは、中学の頃着ていたジャージ。

「ちょっとタマ! そんなの着て行けるわけないでしょ!? 」
「だってデートじゃないなら何でもいいでしょ~」
「やーだ! せめて樹梨亜と出掛ける時みたいなのにしてよ」
「じゃあ、これ! 」
「ちょっと、そんな攻めないでよ、ヘソ出しとかしないから! 」
「もう、はるちゃんったらわがままなんだから。素直にデートするからかわいいお洋服出してって言えばいいのに」
「デートじゃないってば! 」

 さっきまで大好きとか言っていたタマと言い合いながら、浮かぶのは海斗の笑顔。

 デートじゃない。

 “ロイドと二股なんてかけたらとんでもないことになるんだからね”

 樹梨亜の忠告を胸に留め、タマを言いくるめながら、わざと地味な服を選ぶ。

 海斗の記憶が戻ったら、ちゃんとさよならをすると決めている……今度は。

 クローゼットを閉めながら、過去の海斗への想いも胸にしまった。
 
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