あなたはだあれ?~Second season~

織本 紗綾

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第二章 思い出を辿りながら

第17話 一日の終わりに 

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 オフィスをずらりと埋め尽くすデスク、忙しそうに働くスタッフ。四角い画面が光り始めると、表示されたのはびっしり埋まったスケジュール。

「遥さん、ミーティングお願いします」

 ミーティングは支社から配属されたスタッフも含め、9人の新しいチームで行われる。自己紹介を済ませたら報告を聞いて……いつも通り過ぎる日常は、どこか夢みたいに遠く感じる。

「環ちゃん、橋本君は」
「半休取るらしいですよ~、何か用があるみたいで、午後から出勤するって言ってました」

 いつも通り、橋本君の事になると嬉しそうな笑顔を見せる環ちゃん……彼の秘密を知ってしまったようには感じられない。前から知っていたか……それともまだ知らないのかも、しれない。

 “人間じゃないんだ……”

 いつか環ちゃんも知る時が来る、あの日の私のように。

 環ちゃんに連れられて出勤した私は、管理課で荷物を受け取って、元のチームに合流するよう指示を受けた。伝えたはずの辞意は届いておらず、辞めたはずなのに休暇扱いになっていた。

 今日からまた始まる。

 日常という歯車に、自分が戻っていくのを感じた。






「笹山さん」

 テラスで一息つく昼休み、背後から聞こえる声に振り返ると橋本君がいた。

「橋本君、おつかれさま」
「お疲れ様です」

 真っ直ぐ伸びる背筋、うやうやしく一礼してから近づいてくる姿。なぜ今まで気づかなかったのだろう。伏し目がちだけれど、眼差しには秘めた正義感が滲み出ている。

「捜査ご苦労様でした。社長は見つかった? 」
「はい、やはり笹山さんに教えて頂いた通りでした。逮捕されても尚、自分は無罪だと足掻いていますが」
「そう……」

 社長の逮捕で終わった、私の戦い。

 こんな結末に、ため息しか出ない。

 あの人は、何がしたかったのだろう。社長としてこの会社を守り成長させる仕事がある、それなのになぜ反ロイド派の中でも過激な組織に属して……賛成派の生徒達を襲ったりしたのだろう。

「襲撃犯を逮捕できたのは、笹山さんのおかげです。ご協力、ありがとうございました」

 深々と頭を下げる橋本君、ここにいるのはいつもの彼じゃなくて、どこか凛々しさが漂う捜査員としての橋本君。

 彼は社長の捜査をする為、この会社に潜入していた刑事だった。

 どれもこれも……信じられない事実ばかり。

 憂鬱で、寂しいのはなぜだろう。

 一緒に笑っていたはずの仲間、でも正体はいつも過ぎてから知る。

 もう、戻れなくなってから。

大事おおごとにしたくないとおっしゃられていたのに、巻き込んでしまい申し訳ありません」
「ううん……私は何も。知ってることを伝えただけだから」

 正体を知ってしまった後の違和感や気まずさは海斗といる時と、少し似ている。

「騙す形になってしまい、申し訳ありません……短い間でしたが、お世話になりました」

 捜査が終われば、この会社にいる意味もなくなる。橋本君も……こうして去っていくんだ。

 頭を下げて去っていく後ろ姿に、環ちゃんの笑顔が重なる。

「ちょっと待って」

 気付いたら引き留めていた。

「環ちゃんは知ってるの? 」

 振り向かない背中は立ち止まるけれど、何も言わない。

「ちゃんと話した方がいいと思う」

 聞こえているのかわからない背中に必死に伝えているのは、きっと私の想いだ。このテラスで話していた頃の海斗に伝えたかった想いを、私は今、橋本君に伝えようとしている。

「きっと、言ってもらえないの……つらいと思う」

 それでも返事はない。

「ごめん、余計な事言って。でも私だったらきっと……気付いてあげられなかった事を、後悔すると思うから」
「環が……」

 振り返らない背中が大きく揺れて、深く息を吸う。

「笹山さんを慕う理由、わかる気がします。彼女を支えてあげてください」

 環ちゃんは……どんな顔をして泣くだろう。去っていく背中にそんな事を思う。

 きっと、橋本君は真実を伝えずに環ちゃんと別れるつもりだ……今なら少しだけわかる。

 海斗の背中も、あんなだったのかな、ここで話していた頃の私は海斗の事、何も知らなかった。

 また一人になったテラス。

 海斗が、社長が、橋本君と環ちゃんが思考回路を行き過ぎる。

 映画のように、みんなが幸せになれる結末は、やっぱりないのかもしれない。






「はるちゃん、久しぶりのお仕事はどうだった? 」
「うん、なんか変な感じ……まさか戻ると思ってなかったから」

 夕食後のひととき、タマとの話題は仕事の話。

「タマはこうなるって思ってたけどなぁ~」

 まだ実感のわかない私と違って、タマはごきげん。

「タマね、はるちゃんが好きなお仕事できてうれしいんだぁ」
「そうなの? 」
「うん! タマは、はるちゃんがいてくれてうれしかったけど、はるちゃんは寂しかったでしょ? つまんなさそうだったもん」

 確かに、ずっとしてきた仕事がなくなったのは寂しかった。休みも取らずに没頭してきた事が、急になくなるなんて思ってもみなかったから。

「これからはちゃんとお休みも取って、タマとも遊んでね」
「わかったよ、タマ。また遊ぼうね」

 社長が逮捕されて、あんな集会に出なくても仕事を続けられるなら……元通り働けばいいんだと思う。

 でも、社長だけじゃない。

 あの集会には、たくさんの社員が参加していた。Edu.Communicationという会社自体が、ロイド反対運動に熱心なのかもしれない。

 だとしたら……。

「はるちゃん? 」

 思わず漏れた溜息にタマが反応する。

「うん、なんでもない……」
「そっかぁ……」

 タマや、もしいつか……パートナーロイドと暮らすなんて事になったら、辞めなきゃいけなくなる。

 戻って……よかったのかな。

 見上げた天井は、ただ白くて答えを教えてくれる訳もなくて。

 “短い間でしたが、お世話になりました”
 
 でも今はまだ辞められない。橋本君がいた穴を埋めないと……環ちゃんだって、しばらくはつらくて仕事なんて手につかないかもしれない。

「タマ、いま何時? 」
「ん~っと、21:03だよ」
「そっか……」

 今頃、環ちゃんは、どうしているだろう。もう……橋本君から聞いたのかな、正体を隠していた事も、仕事を辞める事も。

 驚きと戸惑いと、寂しさと……複雑な気持ちに押し潰されそうだったあの頃を思い出す。

「はるちゃん、大丈夫? 」
「うん、大丈夫」
「そ~お? 溜息いっぱいだよ? 」

 無意識に漏れてしまう溜息。環ちゃんと橋本君の事を想うと、切なくてやりきれない。

 橋本君だって、環ちゃんを大切に想っているはず……なのに、別れるなんて。

 切なすぎる。

 違う仕事をしている、それだけで別れる必要があるとは思えない。それなのに、どうしてそんな選択をするんだろう……隠していた事だって謝ればきっと分かり合える。

 好きって気持ちさえあればいい……それなのに別れるって、やっぱり都合がよかっただけなのかな。

 橋本君も、海斗も……。

「はるちゃん……」
「ごめんね、タマ。久しぶりの仕事で疲れちゃった。お風呂入ってこようかな」
「そっか、そうだよね、じゃあ空いてるか見るねぇ……わっ! 」

 驚いたような声を上げるタマ。

「タマ? タマ? 」
「はるちゃん、通信だよ! 探したけど知らない所からなの、どうしよう」
「知らない所? 」
「うん、出るのやめておく? 」

 “また、連絡してもいい? ”

 今朝の海斗の声が浮かぶ。

 でも二日酔いでぼんやりしていたし、連絡先だってちゃんと教えてないし……でも、もしそうだったら。

「出てみる、繋いで」

 もし海斗だったら……そう思うと心臓が激しく波打つ。

「もしもし……」

 たった一秒の間さえ緊張を募らせる。

「夜遅くにごめん」

 耳元で聴こえる声が、すーっと心に染み渡っていく。

「海斗……本当に連絡くれたんだね」
「話したくなって……いま大丈夫? 」
「うん、大丈夫だよ」

 優しい声に気持ちごと持っていかれそう。

 でも……好きになっちゃいけない、今度は。

 海斗の声だけが響く夜、懐かしさに飲み込まれないよう、必死にあらがう私がいた。
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