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第二章 思い出を辿りながら
第16話 横顔
しおりを挟む「海斗……」
今度こそちゃんと思い出に、そう思って来た公園、目の前には海斗がいる。
「どうしてここに……」
寂しそうな表情で私を見る海斗。
「もう、会えないかと思った」
「ごめん……」
気まずい空気、葉の揺れる音だけがさらさらと響く。
「来てよかった」
そう言ってさり気なく私の手を取る。何を考えているのかわからない背中……私をベンチに座らせると、手は離れた。
「朝早いんだね」
「景色、見たくなって……草野君は? 」
「海斗でいいです、そう、呼んでたんですよね」
「うん……」
まるで憶えているような口振り、つい期待しそうになる。
「俺も……この景色が見たくなって」
くりっとした大きな瞳は、あの頃と変わらず笑いかけてくれる。
「天気はあんまりよくないけどね」
私も不器用に微笑みを返した。
あの頃の、私が好きだった横顔のまま、海斗は戻ってきてくれた。
空を眺める横顔がじんわりと胸の奥に沁みていく。
「天気なんかいい、俺が見たかったのはこの景色だから」
ふいに重なる視線。
「やっぱり……いいな」
その笑顔にまだ胸が高鳴る。
海斗が私を見ている。憶えていないはずなのにどうして……聞きたいことはいつもちゃんと聞けないまま、空に消えていく。
何も言えずに俯く私から、海斗は視線を離した。
あの日と同じように……どこか遠くを見つめる瞳。
あのままずっといられたら、私達今も一緒にいたかな、心の中で横顔に問いかける。
言葉は見つからないまま、ただ時間は流れていく。
どのくらい、経ったのだろう。
遥が見たいといったこの景色を忘れないように眺めるけれど、何も言えず、ただ時だけが流れていく。
「かわいい……」
遥が呟く。
視線の先には、池を泳ぐ何か。
お互いを気にしながら仲良く泳いでいる。
「かわいいね」
「うん」
見つめる横顔が微笑んでいる。俺にもそんな笑顔を向けてくれたらいいのに、いつもどうしたらいいのかわからないような顔をして、困っている。
「仲良さそう……」
昔の俺は、見たことあったのかな……遥の笑顔。
「思い出したいな……」
つい口をついて出た、その呟きに遥が気づく。
「ここでこうしてた事だけなんだ……思い出せたのは」
遥の大きな目がさらに大きくなる。
「名前も、歳も……父さんから聞いた。どこでどうして生きてきたのか、何を聞いても実感なんて沸かなくて、自分がどんな人間か……未だに知らない」
酔いが覚めたかわからない、ふわふわした頭は話し始めたら止まらない。きっと誰かに聞いてほしかった、ずっと。
「思い出そうと色々したんだ。街を歩いてみたり、父さんが調べてきた催眠療法にも挑戦した。でも頭が痛くなるだけで何も、思い出せなかった」
驚いたように、でもちゃんと聞いてくれるその瞳に、なぜか気持ちが落ち着いていく。
「でもここだけは……ちゃんと憶えてた。初めて来た時は何か足りない気がしてたけど、今ならわかる。一人じゃなくて遥といたんだって」
「海斗……」
「ここで遥とよくこうしてたのは、間違いじゃないよね」
時が止まる。
「うん……」
少しして、やっと遥が頷く。
「忘れるわけないんだ……その頃の俺がどんな態度を取ったか知らないけど、大事だったはずだよ。この時間も、遥の事も……」
俺がどう思っていたか、記憶なんてなくてもわかる。
「私だって……」
遥は何かを言い掛けてやめる。
「どうした? 」
「私だって……ずっと会いたかった。でも記憶がないのに、私のこと憶えてないのにそんなこと言えない。どんな関係か聞かれたって海斗がどう思ってたかなんてわかんないし、今の海斗には今の海斗の人生があるし……私だって、どうしていいかわからなかった」
言い終えた横顔は俯いてしまう。
「ごめん……」
これは何だろう、苦しい、胸の辺りが苦しい。
「ごめん、私こそ……どうかしてた」
揺れる声、こぼれ落ちる雫。
とっさに身体が動いて……抱きしめていた。
朝の公園で抱き合う二人……廻り始めた運命の環は、速度を上げて回転を続ける。
「えぇ、そうですか……遥さんが。その日でしたら、ロイドの空きも多いですから、ランチデートなどいかがでしょう」
暗闇の中、響く声には冷たい微笑が込められている。
「それではお待ちしております」
声が途切れると、浮かび上がる画面。そこには控えめな笑顔の遥が写っている。
眺め、何を考えているのだろうか。暗闇に紛れてその人物の、表情も仕草も読み取る事はできない。
しばらく経つと画面から遥が消えた。浮かんできたのは男性の顔写真、ずらりと並ぶその中からいくつかが一斉に光り出す。
画面が消え、漆黒の闇が訪れた。
「それなら丁重に、お迎えしなければなりませんね」
ヒールの音が響いて暗闇に一筋の光がさす。声の主はどこかへと出て行ったようだ。
暗闇に再び静寂が、訪れる。
「ごめん……」
どれだけそうしていただろう。一瞬か……それとも少し時間が経ったのか、見当がつかない。
嫌だっただろうな。
「ごめん、もうしないから」
なぜこんな事をしたのか説明がつかない。でも何となく、そうしたくなった。
ゆっくり身体を離すと、濡れた睫毛が目に入る。悪い事をした、もうこんな風に時間を過ごすことはできないかもしれない。
喉の辺りがぐっと締まる、そんな気持ちになった時。
「私こそごめん、言いたい事ばっかり言って。大変……だったんだね、記憶をなくして」
遥の笑顔は、優しかった。
「いや、その……情けないよ。何してたかも憶えてないんだ。面接に行ってもうまく答えられないし、お酒飲めるか聞かれても知らないんだ、自分が飲めるのか」
「それで……もしかして飲んだの? 」
「何だっけ、焼酎っていうのと、レモンサワーと……赤黒いの……ワインって言ったかな」
遥は表情豊かだから、目を惹くのかもしれない。さっきまで涙を流していたと思ったら今度は、固まっている。
「そんなに!? 本当にそんなに飲んだの? 」
「うん、そしたらさ、何かグルグルしてきてお店で寝ちゃって、起きたら朝になってた」
「今は? もう大丈夫なの? 」
「うん、大丈夫だけど……なんで? 」
「だって海斗お酒飲めないって……」
「俺がそう言ってた? 」
遥は頷く。
そして心配そうな表情を俺に向ける。
「そんな事も知らないなんて、ほんと情けないな」
恥ずかしかった。
自分が知らない自分を、遥は知っている。俺は、想像以上に知らない事ばかりなのかもしれない。
「そんな事ないよ、今は忘れていても、また思い出すかもしれないし」
思い出す、そんな事あるのか。
自分で記憶を辿る、遥に言った通り、色々した。街を歩いてみたり、経歴を辿って大学に行ってみたり。でもここに来た時のように、身体が反応するような場所は、ひとつも見つけられなかった。
「ね? 」
遥は返事をしない俺に笑いかけてくれる。でも何も言えない。
「私でも、役に立てるのかな」
そう聞こえた気がした。でも池を眺めるその横顔を、見る気にはなれない。
「よし! わかった。私でよかったら協力する。何でも言って? 」
遥の目は俺を見ていた。
今までと違う、はっきりした口調に勢いさえ感じる。
「協力? 」
「私が知ってる事なら伝えられるし、それに思い出すのも早くなるかも。ね、協力させて? 」
遥は俺に微笑みかけてくれる。
胸の奥に灯りがともったような、暖かい気持ちだ。
「ありがとう」
困らせているのかもしれない。でも離れたくない気持ちを止めることは出来なくて、遥の言葉に甘えてしまった。
「そろそろ帰らなきゃ。また改めて話そうね」
「ありがとう、送るよ」
立ち上がった途端、視界が揺れて転びそうになる。
「大丈夫? 」
「ごめん」
転びそうになった所を支えられるなんて、最後まで恥ずかしい。
「そんなに飲んだら誰だって具合悪くなるよ、帰ってゆっくり寝なきゃ」
「ごめん……」
「今日、謝ってばっかだね。私達」
「そうだね」
笑い合う、優しい笑顔に俺はまた心を救われた。
「じゃあ……またね」
「うん、またね」
また会える。
小さくなっていく背中を眺めながら、心が躍るような気持ちになっていた。
こうして、遥の元に海斗が戻ってきた。
記憶を取り戻す為という口実で、再び海斗の側にいると決めた遥は、家に向かう下り坂を一人で歩く。
「遥さん!! いた~!! 」
「え? 環ちゃん!? 」
「早く早く! 出勤しますよ! 」
「は!? ちょ、ちょっと、何で? 私辞めたんだけど」
物思いに耽りながら歩いていた時間は、いきなり走ってきた環に連行されて終わりを告げる。
「長いお休みは終わりですよ! 今日からまた忙しいんですから」
「いや、だから私」
「社長が呼んでます! もちろん、新しい社長が」
訳の分からない遥は混乱するうちに、環とタマに着替えさせられ、車に乗せられた。
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