あなたはだあれ?~Second season~

織本 紗綾

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第二章 思い出を辿りながら

第14話 Brand New Days

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 外に出ると、雨上がりの澄んだ空気が遥を迎える。

 清々しい初夏の昼下がりを味わうようにゆっくり景色を眺めるように歩く。身も心も回復した穏やかな表情で、遥は約束の場所へと向かっていた。


「父さん、車借してもらえませんか」

 海斗もその頃、家を出ようとしていた。返事のない背中を承諾だと捉えたのか、キーを手にして外に出る。

 約束が楽しみなのか心地よさげに深呼吸をすると、晴れ晴れとした笑顔で車を走らせた。


 そして。

「ごめんね、遅くなっちゃって」
「いえ、俺も今来た所です」

 焦る遥に微笑みを向ける海斗。

 今度こそ夢でも幻でもない再会に、お互いはにかみながら、でも嬉しそうに見つめ合った。

「なに飲みます? 」
「私は……レモンティーかな。草野君は? 」

 まだ、ぎこちないやり取り。

「レモンティーを2つ、お願いします。あ、あとこれ、パンケーキも」
「パンケーキ食べるの? 」
「はい、甘いの大好きなんです。これ美味しそう」

 嬉しそうに注文する海斗。そのあまりに無邪気な様子は遥の緊張を解き、笑いを生む。

「うまっっ!! 」
「おいしい? よかったね」
「一緒に食べません? このバターでひたひたになったとこ、めちゃうまいですよ。どうぞ」
「ありがとう、うん! おいしい~」
「でしょ!? 」

 離れていた時間も距離も、そして持ち寄れない思い出も簡単には越えられない。それでも二人は再会し、新しい時を刻み始めた。







 その一方、遥の知らない所で思わぬ問題が起きていた。

「これで本当に全員ですか? 」
「はい、全員です」
「おかしいですね。名簿にはもう一人記載されています。笹山遥という女性が」
「て、手違いです! 遥さんは先週退職されています。もう関係ありません!! 」

 自分より倍はあるだろう屈強な体格の捜査員にも、負けずに立ち向かうのは遥の後輩、環だ。

 この日、朝からEdu.Communicationは前代未聞の事態に見舞われていた。

 業務開始時刻と同時に大勢の捜査員がオフィスに押掛け、会社に一週間の業務停止命令を下した。役員達は事情聴取に連れて行かれ、社員はオフィスの隅に集められて固まっている。

「課長、笹山遥は捜査リストにも載っています。沢渡と共に逃げているのでは」
「遥さんはそんな人じゃありません! 社長に散々な目に遭わされて辞めるしかなかったんです! 醍、いえ、橋本に聞いてもらえばわかります」

 遥を巻き込みたくない、守りたい一心の環は捜査員に食って掛かる。

「斎藤環……下手な隠し立てをすれば罪に問われるが、それをわかった上での発言か」
「隠し立てなんてしてません! 笹山遥は退職した人間で、社長や会社とは無関係です! 」

 勇気を振り絞って出した大声も、捜査員達には効きもしない。

「それが退職なんてしてないんですよ、休みを取っているだけで」
「え? でも確かに……」
「連れて行け」
「はい」
「えっ、ちょっと待って。いや! 」

 捜査の対象は社長と会社のはず。それなのに、なぜか環まで乱暴にオフィスから連れ出されてしまった。
 
「社長と笹山遥の関係は? 」
「社長は笹山さんに面倒な仕事を押し付けていました」
「しかし、他の社員に隠れて密会していた……男女の関係にあったのでは? 」
「違います! 」
「何故言い切れる、証拠は!! 」
「そんな怒鳴らなくても……」

 環が連れてこられたのは管理課。既に警察が設置した捜査本部に姿を変えているその場所で、環は厳しい尋問を受ける。

「環! 」
「醍……」

 そこに現れたのは橋本だ、既に相当厳しい尋問を受けたのか、疲れた表情。環もそれを泣きそうな表情で見つめる。

「全て話します。彼女は解放してください」
「ですが……」
「お願いします。彼女が知っていることは俺も知っています。笹山さんと社長のやり取りは、俺が代行していました」
「醍……」

 環は橋本に守られる形で解放された。

「笹山さんに連絡して」
「巻き込みたくない」
「笹山さんのためだ」
「遥さんの……? 」
「うん、警察が探しているのは社長だから、遥さんが関係ないって分かればいいんだ」
「うん……わかった」

 環は橋本に言われた通り、こっそり遥に連絡した。

 “ただいま出ることが出来ません”

 繋がらない電話に、初めて環は不安を覚える。お世話になった先輩、でも本当に信じていいのか……私達が知らないだけだとしたら。

 “恥ずかしがるなよ、ハニー”
 “気持ち悪いですよ”

 思い出す二人のやり取り。社長はきっと遥さんの事が好きだった。でも遥さんの気持ちはわからない、あの反応だって照れ隠しかもしれないし。

 もしかして……何かを思いついた環はピンと来たように呟いた。

「遥さん、社長を振っちゃったのかも……まさか社長、遥さんのとこに……大変!! 」

 厳しい尋問の中で、社長は暴力を振るう人だと聞かされた。もし、遥の身に何かあったら……環は焦ったように再び電話を掛け始めた。






 遥は環からの着信に気付かず、海斗と過ごす時間に浸っていた。

 穏やかで、優しくて、一緒にいると心が安らぐ……満面の笑みでパンケーキを頬張ったり、鼻に蝶々が止まっていても気づかないような、そんな男性を遥はどうしても居心地が良いと思ってしまう。

 遥が海斗に見せる顔は、会社の人間も友人も、誰も知らない……海斗だけが知るもの。

 どんな時よりも優しい表情で、遥は海斗を見つめている。


 パンケーキ、食べに来たのかな。

 話があると言っていたのに、パンケーキを食べて満足そうに笑っている姿を見ると、何だか気が抜けてしまう。

「草野君、ほっぺについてるよ」
「ん? ここ? 」
「ちがうよ、反対」
「こっちか! 」
「もうちょっと下ね」
「ほんとだ」

 子供みたい。

 何を話していいかわからないと緊張していたのに、いつの間にか笑っているなんて……あの日と同じだな。

「何だかすごく、懐かしいです」
「え……? 」

 まるで憶えているような言葉。屈託のない笑顔に油断して、レモンティーを飲んでいたのに。

「笹山さんとの事、まだ全部思い出せてはいなくて……ごめんなさい」

 私を見ている草野君の瞳は、あの頃みたいに真剣で、でも少し悲しそう。

「遥」
「え……」
「そう呼んでいた気がするんです。ここでこんなふうにお茶をしたり、公園で過ごしたり……俺達、そんな時間を過ごしていたんだって感じるのは、気のせいですか? 」

 海斗の言葉は私を捕らえて、真っ直ぐ心に入ってくる。返事を待つ視線に私はどう答えたらいいんだろう。

 確かに私達は親しげに名前で呼び合っていた。でもそれを言ってしまったら……その名を、呼んでしまったら。

「思い出したいんです、お願いします」

 海斗にとって思い出したい事実は何だろう、私との事……過ごした時間、行った場所、それとも仕事の経歴とか学んだ事とか。

 あの頃の……私達のことを、なんて言えばいいんだろう。強く懇願するような瞳が、見ている……でも。

「ひさしぶりだね」

 目の前の草野君が、滲んでいく。

 今も元気で暮らしている事がわかって、またその笑顔を見られた。

「遥って呼ばれるのひさしぶりで、びっくりしちゃった」

 言いながら思う。やっぱり最後は、いつも寂しい。

「やっぱり……」
「うん、ちょっとの間だけね。ほら、私達同い年だしさ、気楽に友達みたいに話したりしてて……今みたいにね」
「友達……? 」
「うん、友達」
「そう……ですか」

 レモンティーに手を伸ばす。

 今までは、これを飲むとあの頃の事を思い出していた。でもきっとこれからは、今日の日の事を思い出す。

 海斗の最後の笑顔を。

「友達、だったんですね」
「うん。でもね、草野君もインターン終わったし、私も忙しくなったからちょうど連絡も取らなくなってたんだ。きっとあの頃の海斗も、就職とか卒業試験とかで……私のこと忘れてたと思うよ」

 一気に言い終えた。

「俺は忘れたりなんか……」

 なんでそんな悲しそうな顔をするのかわからない。なんで自分から壊すのかも、よくわからない。

「だからね、私……草野君のことあんまりよく知らないし、草野君のこれからに必要な情報、持ってないと思う。役に立てなくてごめんね」

 草野君は何も、返事してくれなかった。

 でもこれでいい。あの日、こうしていれば……海斗から感じた別れの気配に従っていれば、海斗があんな目に遭う事は、私をかばって壊れてしまう事は……なかったはずだから。

「出よっか」
「もう……ですか? 」
「ごめんね、このあと約束があるから」

 “送らせてください”

 そう言われた帰りの車内は無言だった。約束なんてない、嘘をついてまで終わらせる必要があったのかわからない。草野君も黙ったまま……怒っているかもしれないその横顔は、見られなかった。

「草野君」
「はい」
「ありがとう……色々」

 それだけ言って車を降りた。

 動き出して、少しずつ離れていく車。もう二度と……きっと会うこともない。

「さよなら、海斗」

 仕事も辞めて、海斗ともさよならして……身軽になってまた始めよう。

 今度こそ、忘れられる。

「笹山さん」
「え……? 」

 余韻に浸る暇もなく、背後から聴こえる声。

「橋本君、どうしてここに……」
「いきなりすみません。オフィスではできないお話が」

 部屋に入るなり、橋本君は意外な物を取り出し、頭を下げる。

「申し訳ありません」

 それは、海斗と別れてきた私に訪れた新たな難題だった。
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