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第二章 思い出を辿りながら
第13話 雨の日
しおりを挟む夜明け前から降る雨は、人々が動き出す頃になっても止む気配なく、街を洗い流す。
雨音響く朝、いつもの公園に佇む人影。
「来るわけ……ないよな」
憂鬱そうに空を見上げるくりっとした瞳、口元からはため息がこぼれ出る。
あれから5日、治ったばかりの遥がこんな所にいるはずないと分かっていても、来ずにはいられなかった。
不安、心配、憂鬱……色々な感情を背負った背中は、なぜか自宅とは逆方向へと歩き出す。
ゆっくり、一歩ずつ、海斗は遥と歩いた道を辿る。
あの日の彼女はつらそうだった。もっと早く、あのとき父さんに診てもらえば良かったのかもしれない。なのになんで俺は病院に、連れて行かなかったんだろう。
熱でぐったりしたあの様子を思い出す度に、後悔が押し寄せてくる。
笹山さん……姿を見た時、咄嗟に浮かんできたのは彼女の名字。一緒に働いていたならそう呼んでいた事もあったのか、遥……ではなく。
白い靄がかかる街は初めて見る景色の一つ。あの日はよく晴れていて、太陽が憎らしいほど暑かった……靄の向こうに、あの日の俺達が見える。
坂を下ると見えてくる……赤い屋根の、遥の家。
あの日、初めて見たと思えない懐かしさを感じた。前にもこうして歩いた事があるようなそんな気がして、満ち足りた気分だった。
なのにあの日以来、いつも何かが足りないような気がしている、理由なんてわからない、この気持ちが何かすら……答えが見つからない。
「大丈夫かな……」
近付く勇気なんてない。
遠くから眺めるだけ……ちょうど見える窓からは明かりが漏れている。
「また……会えるよな」
海斗は振り返り、自宅へ向けて歩き始めた。
海斗が見つめていた窓の向こうには、やっと熱が下がり、朝食を摂る遥がいた。
「はるちゃん……大丈夫? 」
「うん、心配かけてごめんね」
まだ喉は痛いけれど、熱が下がって頭が少し、すっきりした気がする。
「お母さんが大根はちみつ作ってくれたからね、これ食べてしばらくゆっくり休もうね」
「うん……ありがとう」
黄金色の、とろりとした蜂蜜を掬うと一口、喉に沁みる甘さ。
「おいし……」
小さな頃から喉が痛くなると必ず、お母さんが作ってくれた優しい味は胸の奥深くまで広がっていく。
「あれ? 」
「どうしたの、タマ」
「はるかー!! 今行くからねー! 」
突然の声、病み上がりの朝は思ったより慌ただしく始まった。
「ごめんね、この間約束してたのに」
「いいのいいの、そんな事気にしないでよ、これ、いつものだって聞いたからどうぞ」
樹梨亜が持ってきてくれたのは、大好きなお店のプリン。昔から私が風邪を引くと、樹梨亜と夢瑠がお見舞いにって持ってきてくれて……喉のせいで喋れなくても、側にいてくれて。
「ありがとう」
「最近、忙しかったんじゃない? この際ゆっくり休んでのんびりしなよ」
「うん……」
仕事辞めたなんて言ったら、樹梨亜なんて言うだろう。
「あ~んしてあげよっか」
重い気持ちの私に、いたずらそうな笑顔が不意をつく。
「い、いいって……」
「顔真っ赤だよ、まだ熱あるんじゃない? 」
「樹梨ちゃん、はるちゃん弱ってるからキュンとしちゃったんじゃない? 」
「そ、そんなんじゃ……」
「やだぁ~、はるちゃんもかわいいとこあるんだね、しょうがないなぁ、はい、あ~ん」
「い、いいってば……」
「あ~~ん!! 」
「あ~~ん!! 」
樹梨亜とタマに押し切られて、半強制的にあ~んでプリンは口の中に。
「美味しい? 」
また笑顔で聞いてくる樹梨亜、何だか背後に悪魔のしっぽが見える。
「恥ずかしいよ……」
「へへっ、この間の仕返しね! 」
「仕返し? いつの……」
「はい、もう一回あ~ん! 」
「あ~ん……」
「樹梨ちゃんすごい! はるちゃんがあ~んした! 」
「えっ、あっ……今のはつい」
「よしよし、遥ほんとは甘えんぼなんだから素直になった方がいいよ! はい、あ~ん」
「あ~ん……」
気づいたら、プリン一個はあっという間になくなっていた。
「夢瑠のパーティーは家で準備するから、気にしないでゆっくり休んでね」
笑顔で帰っていく樹梨亜。
「タマ……」
「ん? 」
「ちょっと、元気出たかも」
「よかったぁ、もうすぐ夢瑠ちゃんも帰ってくるしね」
「一日だけだけどね……さぁ、ちょっと休もうかな」
一息ついてベッドに入る。まだ芯に残る熱を感じながら物思いに耽る。
“必ず連絡ください”
治ったら……どんな顔して会えばいい。海斗は、何でお父さんにバレたらなんて言ったんだろう、話って……考えても答えが見つからない。
今はまだ少し……。
「遥、熱下がったんだって? 」
ドアの向こうから声が聞こえた。
「お父さん! 」
「どうだ……その、起き上がれるなら下でゆっくりしないか。母さんが心配してるし、顔だけでも見せてくれないか」
「うん……」
「タマ、下でも休めるように準備してあるから、ちょっといいかな」
お父さんについて久しぶりに下に降りると、なぜか兄貴までいる。
「よし! 今日は和樹もいるし、やっと家族が揃ったな」
いつものソファーはベッドに変わり、入ると柔らかい布団が身体を包んでくれる。
「お父さんったら大変だったのよ、その辺ずーっとうろうろしてて。まだ熱は下がらないのか、様子見に行かなくていいのかって」
「みっともなかったな、風邪ぐらいで取り乱して」
「ほんと、遥が産まれた時とおんなじ」
「そうなんだ」
ほっとする。
「遥はなかなか出てきてくれなくてなぁ、予定日から一週間だったか」
「二週間よ。産まれる前は小さくて心配だったけど、産まれてからは男の子みたいに元気でびっくりしたわ。その点、和は真逆ね、元気に産まれてきたけどミルクが苦手で弱らせてしまって……」
「それで喘息持ちになったんだろ、何回目だよ。その話」
いつもだったら鬱陶しく感じるやり取りも、今日は心が落ち着く。
「なんだよ、ヘラヘラして。気持ち悪いぞ」
「だって……なんか懐かしい気がして」
いつものリビングで、それぞれの場所に座って、いつも似たようなやり取りを交わして、こんな事に笑えるなんて自分でも驚きで、やっぱり悩みすぎていたのかもしれない……そう感じる。
「そういえばさ、お父さんとお母さんって何で結婚したの? 中学の同級生なんだっけ」
「お前……それだって何回聞いたと思ってんだよ。中学の同級生で大人になってから再会して一年だか付き合って結婚したんだろ」
「あら、よく覚えてるわね。お父さんよりは記憶力いいみたい」
「あれだけ聞かされりゃ嫌でも覚える」
「でもね、知らないことだってまだまだあるのよ。3年間ずっとクラス一緒だったのに、お父さん私の事まったく覚えてなかったんだから」
「そんな昔の事言わなくてもいいだろ……もうやめよう」
「同じクラスでも話した事ない奴の顔なんて覚えてないだろ」
「3年間、ノート貸してたのよ。居眠りばっかりしてたのに成績良かったのは誰のおかげだと思ってたんだか」
「はぁ、マジかよ。そんな奴の事忘れてたのか、初めて聞いたな」
苦笑いするお父さんに呆れた様子のお母さん……いつもはお母さんがお父さんにベタベタしてるのに、ちょっと想像つかない。
「なんか意外だね」
「今のお父さんはカッコいいけど、その時はもう二度と会うもんかって怒れたわよ」
「もっと……聞きたいな」
「え? 」
「もっと聞かせてよ、昔の話。お父さんは覚えてないし、お母さんは二度と会うもんかって思ったんでしょ? それで何で結婚したの? 」
何気なく言っただけなのに、みんな私の方を見て止まっている。
「どうしたの? なんか変なこと言った? 」
「お前……まだ熱あるんじゃないか? 」
「珍しいわよね、いつもならうんざりするって部屋に逃げるのに」
「たまにはいいかなって、ほら、まだ喉痛いからそんなに話せないしさ」
「よし! それならしょうがない。父さんはどんな恥ずかしい事をバラされても我慢するぞ。母さん、ほら」
家族の沈黙を破ったのはお父さん。
「えっ……えっと、いきなり言われてもねぇ」
「なら俺は部屋に戻る」
「こら和樹、お前も道連れだ。あの話はまだ遥も知らんだろう」
「はっ!? や、やめろよ、変なこと言うな」
それからは、リラックスしながらお父さんとお母さんの馴れ初めの話を聞いた。今は安泰に見える暮らしも、私達と同じ歳の頃には苦しかった事……一度は離れた二人がまた出会って、お母さんがお父さんの支えになった事……初めて聞く話ばかりだった。
「寝ちゃったわね」
「何年ぶりかな……娘の寝顔見るなんて」
薄らぐ意識の中ぼんやり聴こえる声、心地よい眠気に誘われて夢の中へと落ちていった。
「それでねタマ、お父さんが……」
ゆっくり眠れたおかげか、翌朝には身も心もすっきりしていた。行くところもなく部屋でごろごろしながら、タマに昨日の話をする。
「そっかぁ、お母さんがずっとお父さんの事を好きだったから叶ったんだね」
「うん……」
今の海斗と私みたいだった。お父さんが仕事をいくつも掛け持ちしていて再会したみたいだけど、私は……連絡欲しいって言ってもらえている。
「タマ……」
「ん? 」
「ここに、連絡してほしいな」
この先どうなるか分からない。でも……海斗に会いたい、素直にそう思った。
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