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第二章 思い出を辿りながら
第10話 悩みは雲のように
しおりを挟む絵に描いたような五月晴れの空の下、廻りだした運命は思わぬ方向へと転がっていく。遥や海斗、そして樹梨亜や水野までもが戸惑い、憂鬱な表情を浮かべていた。
「これ以上、お話する事はないそうです」
「そんな……大事な話があるんです。なんとか取り次いでください、お願いします! 」
遥は社長室の分厚い扉の前で、懇願していた。必死な様子に根負けしたのか、困惑の表情で社長室に入っていく秘書。悲壮な面持ちで待つ遥に、再び返ってきた言葉は冷たかった。
「月末までに退職願を出してください、管理課で受付けるそうです。それと……これ以上、業務妨害を続けるなら即時懲戒解雇とし、警察に通報すると」
秘書に頭を下げると、遥はとぼとぼと歩き出す。2つ下の階、あの薄暗い管理二課に帰るしかなかった。
放心状態と言う方が近いかもしれない。座るだけでギシッと鳴る椅子に腰掛けると、ぼんやりと暗いままのディスプレイを眺める。
「7年……か」
ぽつりと呟いた拍子にくしゃみが出る。換気のためか立ち上がり、窓を開けようと本棚の後ろに手を伸ばす。
ガシャガシャと何かが音を立てて落ちた。ため息をつきながら片付けようとした時、何かに驚いてその動きが止まる。
「これ……」
床に散らばっていたのは、たくさんのメモリースティック。すぐにPCを立ち上げると、再び椅子に腰掛けて食い入るように画面を見つめる。
“今日から新学期ですね”
その声にまた驚き、画面を凝視する。
「坂野さん……」
懐かしさや嬉しさ、寂しさ……様々な感情のこもった声が空間に溶けていく。本棚に眠っていたのは過去の講義動画だった。一本30分程の動画に収められた歴史、遥はそれを日が暮れるまでひたすら見続けた。
一方、同じく薄暗い空間で頭を抱えていたのは水野沙奈だった。
珍しい……石橋を叩いて渡る慎重な性格の水野に、想定外という事は滅多にない。
それなのに彼女はミスをした。
「仕事だ」
空間に光が生まれ、何かが浮かび上がる。それでも水野は反応する気配がない。
「今回のターゲットだ」
「調べさせます、後日報告を」
「捜査は済ませてある、始末だけしてこい。今晩だ」
いつもと違う命令に、水野はやっと顔を上げる。
「捜査もせず、ただ殺す事はしません。主義に反します」
「主義、主義と言ったか」
通信の相手は大げさに、挑発するかのような馬鹿笑いを水野に向ける。
「まだそんな事が言えるか、こっちはお前の失敗をもみ消すのに苦労してるんだ。それに案の定、何にも出なかった無駄な強制捜査に人数を割いたせいで、この捜査をこちらでやるハメになったんだ。それを主義とは」
「それは……情報が事前に漏れていたのです。もう少し綿密に捜査をすれば」
「もういい。草だか木だか知らんがただのヤブ医者に関わっている暇はない。水野、少し自由にさせすぎたようだ。お前にはお目付け役をつける。この仕事が終わったらしばらく大人しくしてろ。これは命令だ、新総帥直々のな」
通信は切れ、辺りはまた沈黙に包まれる。その空気には先程と違う怒りの念が込められているようだ。
「今夜……」
呟く水野、ちらりと浮かぶ映像を見る。何とも無機質で見る者を凍らせるような瞳は、映像を消すと部屋を出ていった。
「初めてですね、お一人での来店は」
その水野が迎えた相手は佐原樹梨亜だった。緊張と不安を抱え、でも何かを決意した表情で。
「水野さんに……聞きたい事があります」
予約はないが、水野は彼女を特別室に通す。何を聞きに来たのか察しはついていた。
「何でしょう? 聞きたい事とは」
「煌雅の事です。どうしてあんな事……」
「あんな事? 」
「その……パートナーロイドがあんな事をするなんて、聞いてません! 」
顔を真っ赤にして恥ずかしがりながら訴える姿は面白く、もう少しいじめたい衝動に駆られる。でもこの後の事を考えると時間的余裕がない。
「すみません、この間お話すべきでしたが煌雅の前でしたし、子供を考えておられると仰られていたので、それなりの覚悟はおありかと」
「そ、それは……」
覚悟という言葉に何かを言い淀む様子……店にクレームを入れても当然の事、誰だっていきなりロイドに迫られたら驚き抵抗するだろう。
抑圧されて、我慢が当たり前の環境で育ってきたか……これだけの美貌がありながらパートナーロイドを選んだ理由が理解出来た。
「樹梨亜様と煌雅の間にあった事が私の推測通りなら、通常は起こりえません。ロイドが相手を強く信頼できると判断した時だけ、愛し合う事が出来るのです」
何も言わなくなり俯く彼女に、話を進める。こちらは計画通り進みそうだ。
「私の口からはこれ以上は。動画を見ていただきましょう。ロイドオーナーの中でも限られた方だけの物です」
「限られた……? 」
「はい、樹梨亜様は選ばれしお方のようですね。私も嬉しく思います」
今は驚き戸惑っているだけ、彼女なら理解し受け入れるだろう。もう煌雅を機械だとは思っていないはず。
想定通り、パートナーロイドと家族になるプロセスを知った彼女は納得したようだった。
「そういえばお友達はお元気ですか? 」
「はい……元気にしています」
「これからも煌雅に関して、様々な疑問や不安が湧いてくるでしょう。そんな時、分かり合えるお友達がいると心強いと思いますよ」
「分かり合える……」
「えぇ、同じくロイドをパートナーに迎えたお友達が側にいれば、色んな話ができるでしょう? そのお友達との絆も固くなります。どうでしょう……例えば夢瑠さんとか」
「夢瑠は……引っ越してしまって」
「夢瑠さん、有名になられましたものね……遥さんは、もうお相手が? 」
遥の名に、樹梨亜はなぜか反応を見せた。仲違いでもしたのか不安気だ。
「よく、分かりません。なんだか忙しそうで……あ、でも水野さんには会いたがっていました。元気かなって」
「そうですか。ちょうどタマさんの点検もお休みしていたので申し訳ない事をしたと思っていたのです」
もしや、遥は……あの鈍そうな仮面の下に何か隠しているとしたら。掴んでいなければ私に会いたがる理由がない。
「今度、一緒に来ますね」
そう言うと今日初めて微笑んだ。彼女は誘導しやすい、恐らく遥にパートナーロイドを勧めようと決めたのだろう。
「また、お待ちしています」
来た時より確かな足取りで帰っていく樹梨亜を見送り、店を閉めた。
樹梨亜の頭を埋め尽くしていた悩みの雲は、晴れようとしていた。
「よし! 」
店に来るまでは物憂げな表情で、ぼんやりしていた樹梨亜は気合を入れ直す。水野の予想通り、煌雅の全てを受け入れる覚悟が決まったのだろう。
そして……遥に対しても。
「遥にメッセージ送って。“今度ロイドショップ一緒に行かない? イベントがあるんだって”」
樹梨亜は鼻歌を歌いながら自宅へと帰っていった。
「ロイドショップかぁ……」
対して、メッセージを受け取った遥は、帰宅する所だ。
“いいよ、ランチ付きでね”
遥も樹梨亜に会いたいと思っていた。一緒に先生になろう、目指していた頃を知っている樹梨亜に相談したい事がある。
「遥、お父さんが荷物置いてリビングに集合だって」
「リビング? なんで? 」
玄関で母親に声を掛けられて思考は遮られる。夕食にはまだ早い時間。
「いつもの。新作が手に入ったらしいの~」
母のはしゃぐ様子でわかった、映画だ。家はたまにみんなで映画を観るから。
「すぐ行くー」
気のない素振りで答えつつも、こんな夜にはいいかもしれないと遥の心も晴れ始めていた。
そして、やってきた夜。
遥は家族と映画を観ている。
「栗生くん、いつ見てもカッコいいわぁ~」
「そうか……母さんは父さんより栗生くんのが好きかぁ……」
「また始まったよ、作品観ろ、男じゃなくて」
家族が談笑する中、遥は無言。
「遥は栗生くんより、カイト役の子のがタイプよねぇ」
「そ、そんな事ないってば! 全然……カッコよくなんかないんだから」
明らかに動揺する遥、でもさっきから視線が追っているのはカイトという役名の俳優だ。
遥の思い浮かべる海斗にどこか似ている、しかも映画ではロイド社会を率いる高性能ロイドの役……遥の胸は高鳴っている。
また湧き始める悩みは入道雲のように膨らむ。海斗もロイドである以上、何か目的が……都市伝説のようでみんながどこか恐れているロイドの反乱……それを映画にした作品の主人公がカイト。
「この子もカッコいいわよね、ロイドアクターかしら」
「それにしては自然な演技だなぁ」
ロイドアクター……海斗……映画の中の“カイト”が名前を呼ばれる度、遥の心は強く波立つ。
“会えてよかったです”
あの笑顔が心を、叩いていた。
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