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第一章 思い出は霞む
第7話 対決、そして……
しおりを挟む「遥さん、社長が呼んでます」
「わかった……」
昨日の事、きっと社長は怒っているだろう。でも悪いのは私じゃない、意を決して社長室に向かう。
「俺に謝る事があるだろう」
「昨日は失礼致しました。ですが、社長にも謝っていただくことがあります」
社長は案の定、モニターを見つめたまま。
「お前こそ俺に感謝し、服従すべきだ」
「はぁ!? 」
喋りだしたと思ったらこっちに向かって歩いてくる。
「ど、どういうおつもりですか。社長だって私となんて誤解されたくないはずです」
怯むつもりはない、戦うと決めた。でも意味ありげな笑みを浮かべながら、近付いてくるこの人に思わず声が震える……後ずさりすると、壁にコツンとかかとが当たった。
もう、これ以上……逃げられない。
「知ってるか? ここは社内で唯一、カメラがついていない部屋だ」
「だったら……なんですか」
「馬鹿だな、つまり……何をしようが証拠は残らない、ということだ」
靴の先が当たる距離、そこで社長は止まった。
「社長だとしても、私に、何かしたら、通報しますよ」
震える声、怖い……逃げなきゃいけないのに、いつの間にか腕で逃げ道を塞がれている。顎をグッと掴まれ、壁に押し付けられた。
「襲われるとでも思ったか、馬鹿が。お前になど興味はない。キャリア社員以外の雑魚に集会の事を漏らさぬよう、取り繕っただけだ」
「社長……やめてください……苦しい……」
「痛いか、目を掛けてやったのにいい気になりやがって」
苦しい……壁に押し付けられている頭も潰れそうに痛い。
“助けて……助けて、海斗……海斗! ”
次の瞬間、社長は投げ棄てるように手を離し、私は床に投げ出される。
「昨日の件だが、来週木曜の同じ時間に変更だ。次は原稿を用意しておけ」
起き上がろうとする私に降ってくる声。ここで言ったら何をされるかわからない、でも……。
「社長、申し訳ありませんが、もう集会には参加できません」
「お前に拒否権はない」
「私は! 私は、ロイドやロボとも共存できると考えています」
「なんだと……? 」
「以前は我社もお掃除ロボや管理ロイドの助けを借りていましたし、ありがたい存在だと思っていました」
「忘れたか、産業スパイをしていたロイドもいるんだ。有害だ」
「覚えています、でも全てを排除する必要はなかったはず。そのせいでみんな過酷な労働を強いられ、疲労を溜めることになりました」
言ってしまった……心の中に眠っていた本音が口からこぼれ落ちていく。社長はデスクに戻ると、窓の外を眺め沈黙する。
もしかしたら……少しは考え直してくれるのかもしれない。
「本心か」
ただ一言が部屋に響く。
「はい、本心です」
「後悔はないな」
「はい、ありません」
最後のやり取りは短いものだった。熱が冷めたような社長の声は拍子抜けしそうなほど。
「わかった。もうお前に用はない、但し、この事を他言すれば職と命の保証はないからな。分かったら出ていけ」
そうして私の直接対決は終わった。
怖いと思った時……思わず海斗を呼んでしまった。社長と海斗のお父さんが重なって、鮮明に思い出すあの頃のこと。
忘れると決めたのに……社長室を出てよたよたと歩きながら、守ってくれた海斗の苦しそうな表情が蘇っていた。
「遥さん! 遥さん、大変です! 」
反旗を翻した私に、社長がした仕打ちは思った以上だった。
[人事異動(懲罰):社内規定第39条により職位降格、70%減給及び管理二課への異動を命ずる。この辞令は発令され次第、即時実行とする。尚、異議申立をした者は同罪とみなす。]
「こんなのありえません!! 毎日あんなに働いてきたのにこんな事……」
「笹山さん……通報しましょう、こんなの間違っています」
泣いている環ちゃんや怒ってくれる橋本君を見ていると、胸が詰まる。私は、責任者になんてなれる器じゃなかった。
「橋本君、環ちゃん……ごめんなさい。二人に一番迷惑を掛ける結果になってしまって。引き継ぎもちゃんと出来なくて……後の事、よろしくね」
すぐに人事課が来てデスクは取り調べられ、わずかな私物と共に……長く過ごしたオフィスから追い出された。
感傷に浸る間もない最後に、涙も出ない。
犯罪者のように腕を掴まれて連れて行かれる。すれ違う、知らない社員までもがヒソヒソと話しながら私を見ている。
知らなかった、長年……勤めてきた会社にこんな一面があったなんて。坂野さんや山田さん……それに海斗がこの姿を見たらどう思うだろう。
私は、みんなの期待に応えられなかった。
「入りなさい」
また、棄てられるように解かれる腕、突き飛ばされて入った部屋は薄暗くて狭い。管理二課……聞いたこともない部署は、管理課の隣にある小さな部屋だった。
立ち上がって見回すと、あるのは古いメモリーの棚と旧式のPC一つだけ。
「勤務時間は10:00~17:00、業務は特にない。それを使って反省文を毎日提出するように」
ドアは閉められ、一人取り残される。
「ちょっとは……楽になるかな」
何だか、身体中から力が全部抜ける。暗い部屋で一人……何もかもどうでも良くなって、座り込んでいた。
そんな遥のピンチを海斗は知るはずもない。今日も一人、あの公園のベンチに座り、頭を抱えていた。
“助けて……海斗”
聴こえてきた声、いつもは名前だけだったのに助けてと叫んで、間違いなく俺を呼んでいる。
行かなきゃ……でも、どこに行けば会えるのか、それが誰なのか……どうしても思い出せない。
確かなのは、ここにいる時が一番、声がよく聴こえるっていう事だけ。
“遥……”
浮かぶ通り、心の中で呼んでみる。
“遥……どこにいるんだ、教えてくれ”
初めて、想いを伝えてみる。
その時、背後に人の気配を感じた。
「久しぶりですね」
振り向いた先にいたのは、背の高いスラッとした女性……黒い髪を一つにまとめている、憶えのない人だ。
「俺のこと……知ってるんですか? 」
そう尋ねる。でもその人は表情も変えず、何を考えているのかよくわからない。
「草野海斗、今さらとぼける必要もないでしょう」
「とぼけていません。すみませんが記憶がなくて……自分の事もよくわからないんです。何か知っているなら教えてもらえませんか」
「記憶がない……なら話すことはありません」
その人は、背を向けてさっさと歩いていってしまう。
「ちょっと待って下さい!! 」
とっさに引き留めていた。この人なら知っている、なぜかそんな気がする。
「遥……その言葉の意味を、ご存知ですか? 」
考えているのだろうか、立ち止まったまま、返事は帰ってこない。
「聞こえてるんです、ずっと。でも全然……思い出せなくて」
「そんな大事なことすら、憶えていないのですね」
「大事なこと……」
「思い出せなくても構いません。その方が彼女の為です」
「彼女……どういうことですか、何か知ってるんですね、あなたは……あなたは誰ですか」
「私の名など、なおさら必要ありません」
「助けを! 」
歩き出す彼女、引き留めなければ永遠に謎のままだ。
「声が、助けを……求めているんです。何かあったのかもしれない、どこに行けば会えるんですか!! 」
「知りません。第一、思い出せもしないのに会いに行って何と言うのです……迷惑なだけです」
それだけ言って歩いていってしまう。もう、どれだけ叫んでもその人が振り返ることはなかった。
今更、海斗の記憶を消すなど……何をするつもりだろうか。
水野は地下室へ戻り、暗闇を見つめながら思考に耽っていた。遥の記憶を消す為か……それも一つだろう。でもそれなら遥の記憶だけでいいはず。
以前の海斗が、こちらに寝返ろうとした事がバレたのだろうか。だとしたら……この街に帰ってくるわけがない、危険すぎる。
理解できない、英嗣の行動が。
しかも最近の草野医院はいつ行っても患者を診られるよう、しっかり開いている。どういう風の吹き回しだろう。
英嗣は医者の仕事が嫌いなはず。
会って直接、尋問すべきかもしれない。でも捜査されていると知れば、必ず逃げる。
今度こそ……必ず始末する。海斗が全てを思い出す前に、遥と再会する前に。
「ご無沙汰しております。羽島新総帥」
本来なら声も聞きたくない人間、それでも今度しくじったら次はない。幸いこの跡継ぎは残酷な人間、捕まえて殺すことを反対などしないだろう。
こうして強制捜査に踏み切ることが決まった。
「タマ、走りに行くよ。仕度して」
理不尽な異動で気持ちの切れた遥は、この日、何年ぶりかで仕事を休んだ。
「はるちゃん、せっかくのお休みだし、今日は暑くなるからお部屋でゆっくりしようよ」
「お願い、タマ。走ってすっきりしてきたいんだ」
遥の心は、重い靄が幾重にも重なるように立ち込めていた。会社の事、社長の事、仕事……橋本君や環ちゃんの事、考えなきゃいけない事はたくさんある。それなのに……なぜか頭のほとんどを占領しているのは、海斗の事。
忘れようとすればするほど、あのくりっとした瞳に見られている気がして……眠れなかった。
「気をつけていってきてね」
タマに見送られて外に出る。疲れたのは頭と心、今は何も考えたくない。溜まった鬱憤を晴らすように、ペースを上げて走り始めた。
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