7 / 55
第一章 思い出は霞む
第5話 記憶
しおりを挟むそうして遥は海斗を忘れると決めた。自宅に帰って仮眠を取ると、タマに心配されながら着替えてまた仕事へと出掛けていく。
同じ朝、そんな遥の事など知らない海斗は、いつものリビングで父の英嗣と催眠療法に励んでいた。
「目を閉じ、心を落ち着けろ。ゆっくり深呼吸する……そうだ、吸って……吐いて」
目を閉じて、ゆっくり長く息を吸い込み、吐き出す。父さんの声に導かれていると、眠気が押し寄せてくる。
「お前は今から記憶を巡る旅に出る。荷物はない。さぁ、列車に乗り込むがいい」
列車……言われた通り駅のホームを思い浮かべる。そこに停まっているのはやけに古くて茶色い列車だ。
「列車が動き出した。ゆっくり……徐々に速度を早め、ホームの外に出ていく。窓の外にどんな景色が広がっている」
窓の外を見てみる。
「夜……だ。何もない、暗くて静かな夜」
「夜か、周りは? 誰か乗っているか」
「いや、俺一人……」
周りと言われて窓から目を離す。座席が並ぶ車内、俺の他には誰もいない。この世界はなんだろうか……俺は、なぜ子供なんだ。
「誰か入ってきた。制服を着た……車掌? 俺を見て哀れんで通り過ぎていった。もう一度、窓を見る……血!! 血だ!! 何で、血だらけなんだ! 頭が、頭が割れている! 」
「わかった、海斗。そこまでにしよう、戻ってこい! 」
指の鳴る音で戻ってきた。元の世界……いつもの薄暗いリビング、目の前にいる白衣姿の父さん。
ここは本当に……俺のいていい世界だろうか、俺は……。
「やはり、事故の時の衝撃が記憶を遮っているようだな」
ため息をつくと、父さんはキッチンに向かう。放心状態の俺……頭痛は次第に収まっていく。
「父さん……」
「今日は苦しかったな」
「俺は、その事故で本当に……助かったんだよね」
返事はなぜかない、聞こえていないのだろうか。そのうちキッチンからカップを持った父さんが戻ってきた。
「父さん……」
「海斗。確かにお前は助かった、だが、かなりの期間眠っていたのも事実。記憶がないだけでなく、幻覚や幻聴があって当然なんだ」
「幻覚や幻聴……」
「あぁ、少し催眠療法は休んで気分転換するといい。過去よりも、お前にはこれからがある」
「これから……? 」
「あぁ、仕事をしたいと言っていただろう」
珈琲を飲む手を止めて、父さんが何かを差し出す。
「お前の履歴だ。記憶が混濁していて覚えていないようだが、語学が堪能で教育の分野に関心を持っていたらしい」
「教育? 父さんの後を継ぐ気は無かったのか」
「あぁ、そうらしいな。仕事選びの参考にするといい」
「父さん、ありがとう」
「いいんだ。今日は用事があるから出掛けてくる、お前もたまには外に出てみるといい」
父さんは無表情のままだけれど、声に優しさを感じる。
「わかった、気をつけて」
「あぁ」
白衣を椅子に無造作に掛けると、父さんは出ていった。
珍しい、スーツを着た背中を見送る。
外に出てみるといい……か。確かに身体もなまっているし、たまには散歩ぐらいしてみようか。
父さんが着続けている白衣は少し臭い。洗濯に回して新しい白衣を出すと着替えて外に出た。
外に出ると、陽射しが眩しく感じた。でも慣れてくると心地良い。
家を出て、あてもなく歩き始める。どこに行ったらいいのかわからない、この街に来て確か3ヶ月だと父さんが言っていた。
“遥……遥……”
どこからか、また聴こえるあの声。間違いなく俺の声なのに、覚えのない、遥という言葉。どういう……意味だろうか。
「はるか……」
口に出してみると、なぜか口元が緩む。嬉しい……のか?
空を見たくなった。立ち止まって見上げると、水色の空に白い雲が流れている。
この間、道ですれ違ったあの人……俺を見て、驚いている様子だったな。目が大きくて、かわいい人だった。
「すみません」
「あ……ごめんなさい」
道端で立ち止まるなんて明らかに邪魔だった。不審な顔つきで通り過ぎていく人に申し訳なく思う。
どこかゆっくり出来そうな場所はないかな……探し求めて更に歩くと、小さな森のように木が生い茂るのを見つけた。
なんとなく惹かれて歩いていく。
車が何台か停まっている所を抜けると、途端に視界が開けた。木が舗装された道に沿って生えている。
木がざわめいた。
何か、言いようのない感覚が身体中を駆け巡り、動けなくなった。
なんだろうか、これは。
身体がざわついて熱い。
何か、頭が……ふらついて思わずしゃがみ込む。
“遥!! ”
いつもの声が悲痛に満ちた叫びに変わった。残像のような、景色と違う物が見える。
池……淡い色の空、それに……柱?
それに手が、温かい。
柔らかい、誰かの手が触れているような温もり。
俺はここを知っている。
そんなはずはない、でもどこからか、そんな確信が湧いてくる。
息を吸って立ち上がる。
今までどこか、この世の物ではない気がしていた、自分が何者かわからなかった。でも今なら、少しわかる。
俺は草野海斗だ。
確かにここで生きてきたはずだ。
その場所が、記憶に残るのがどこかわかる。
舗道と池を隔てる草達を掻き分け、池の前まで来ると周りの景色が一望出来た……あそこだ。
記憶と同じ茶色の柱と屋根に囲まれたあの場所……懐かしい、すごく懐かしくて、ずっと会いたかった、そんな言葉がどこからか浮かんでくる。再会、それはこんな気持ちなのかもしれないと初めて思う。
走った。
思いのまま、衝動に任せて。
走って池を半周、ぐるっと周った先にあった。階段を一歩ずつ踏みしめながら登り、真ん中にぽつんと佇む白いベンチを見つけた。
寂しそうだ。
“海斗……海斗……”
聴こえる。
とても心地良い、あの声。
座ると、余計寂しい。
なぜか右端に寄って座る自分に気付く。
ここに誰か……誰かがいたような気がする。
隣を見る、誰かがいるように。でもそこには、誰もいない。向こう側の景色が広がっているだけだ。
向きを直して池を見つめる。
知っている、確かに……でもこの3ヶ月の記憶の中にはない、記憶の破片が俺の中にある。
子供の頃の記憶だろうか……違う、もっと近い、記憶な気がする。でもそれならなぜ、父さんはこのことを教えてくれなかったんだろう。
知らない……のだろうか。
静かで、心の羽根を広げられるような心地よさに目を閉じる。
“お前を、許さない……何度作り変えられても、それだけは忘れない”
地鳴りのように脳内に響き渡る声。
これも俺だ、伝わってくる憎しみと悔しさ、無念……誰に向けた言葉か、わからない。
でもわかる、ものすごい怒り。
俺は何者かに拘束されていたのか……何故だ。瞼の裏に浮かぶ映像は暗く不鮮明で、どこかさっぱりわからない。
目を開く。
元の景色だ……薄水色の空、鮮やかに黄緑の輝きを放つ木々、そよぐ風に揺られる水面。
さっきのビジョンは何だったのか……よくわからないまま立ち上がると、ぐらつくほど猛烈な眠気に襲われた。
変なものを見たからだろうか。
興味を惹かれ、辿り着いたのどかな公園をもう少し散策しようと思っていた。でも無理そうだ。
元の道を引き返す。
今まで気づかなかったけれど、自宅は公園のすぐ裏手にあったらしい。木々が鬱蒼と生い茂り、薄暗い方へと歩いていく。
父さんに聞いてみよう。
何かわかるかもしれない、淡い期待と重い頭を抱えながら、自宅に帰った。
「父さん、俺って子供の頃……ここに住んでいたんだよね」
夕食の時間、英嗣の機嫌を見計らいながら海斗は問いかける。めったに食事をしない英嗣の数少ない好物、ハンバーグに舌鼓を打つ英嗣は、海斗の狙い通り機嫌が良かった。
「どうしたんだ、急に。何か思い出したか? 」
「ん……そういうわけじゃないんだけど、大人になってからこの街に来るのは初めてだよね? 」
「あぁ、もちろんだ。お前も覚えているだろう、ここに来る前にいたあの国で治療をし、ずっと暮らしてきたんだ」
いつもより饒舌な英嗣に少し、違和感を覚えながらも海斗は納得した素振りを見せ、それ以上は聞かなかった。
「気分転換は出来たか」
「あぁ、すぐ近くにあんな綺麗な公園があるなんて知らなかったよ」
「そうか、あそこに行ったのか」
一瞬、英嗣の目の色が変わったのを、海斗は見過ごさなかった。そして英嗣も、海斗の記憶が戻りつつあることを察知していた。
「思ったよりも早いお目覚めだったな……海斗」
以前、海斗を拘束していたあの暗い地下室で一人、英嗣はあの頃のようにほくそ笑んでいた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる