あなたはだあれ?~Second season~

織本 紗綾

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第二章 思い出を辿りながら

第20話 デートじゃない

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 そして季節は雨を連れてきた。

「そうですか、ご予定があるなら仕方ありません。またお仕事ですか? 」

 開店したばかりのロイドショップ。まだ人のまばらな店内で、水野は誰かと通信している。

「構いませんよ。また、いつでも仰ってください。えぇ、では」

 耳元に手を当て通信を切った彼女は窓の外に目を向ける。何か考えているようだ。

「水野さん、おはようございます」

 声を掛けられ振り返った水野は、わざと大げさにため息をつく。

「楓さん、すみません。本社から呼び出しが。今日一日、留守を頼んでもいいですか? 」
「はい、お任せください。こんな雨の日に大変ですね」
「えぇ……本当に」

 物憂げに相槌を打つと私服に着替え、足早に店を後にする。

「海斗でない事を願います」

 理由を言い淀んだ樹梨亜に、嫌な予感がした。他の誰かならいい、海斗でさえなければ……海斗の代わりがロイドでなかったとしても、二度と関わらないでいてくれるのなら。

 憂鬱な表情を浮かべた水野は、曇る空を見上げると一瞬で、姿を消した。






 海斗との約束の朝、降りしきる雨の音で目が覚めた。

「はるちゃん、雨降ってる! 」
「ほんとだ……」
「じゃあ、このお洋服に着替えて。これなら濡れないし、寒くないよ」
「タマ……ありがとう」
「さ、早くお支度して行かなきゃ。海斗くん待ってるよ」

 タマが用意してくれたのは防水仕様のワンピース。これなら雨にも濡れないし、一日快適に過ごせる。胸を張るタマにお礼を言って、待ち合わせ場所に急いだ。

 待ち合わせ場所は駅前広場のベンチ。

 前に図書館を案内した日と同じ場所。

 バスを降りると、道の向こうに海斗を見つけた。それだけでドキンと鼓動が跳ねる。

 デートじゃない……言い聞かせながら一歩ずつ、海斗に近づく。

「ごめん、待った? 」

 声を掛けると、くりっとしたいつもの瞳がほっとしたように小さくなる。

「よかった、ここで合ってたんだ」
「わかりにくかった? 」
「ここかなって思ったんだけど、もし違ったらってドキドキしてた」
「そっか……」

 やっぱり海斗の中にあの記憶はないみたい。

「来たことあるような気はするんだ」

 辺りを見回しながら思い出そうと一生懸命の横顔。もし本当に……記憶を消されてしまったのだとしたら、思い出す事はきっと出来ない。

 胸がチクリと傷んだ。

「行こっか」

 傘をさそうとすると、いいよと言って自分の傘に入れてくれる。

 肩が触れそうな距離。

 そういえば、前にもこんな事があったな……走って帰ろうとした私を送ってくれたあの日、海斗はどんな気持ちだったんだろう。

 私はもうドキドキしていた、あの時……今と同じように。

「どうかした? 」
「へ!? あ、えっと、なんでもない」

 慌てて変な声を出したことが、また恥ずかしい。

 なんてことないような顔して歩く海斗。デートじゃない、好きになんてならない、そう言っておいて私だけがまた……海斗にドキドキしているなんて。

「あのさ……」
「ん? 」
「傘さしてない人いるけど大丈夫なのかな? 濡れてなさそうなんだけど」
「あぁ、プロテクター着けてるんじゃないかな」
「プロテクター? 」
「うん、肘にサポーターみたいなの付いてるでしょ、あそこから透明のバリアみたいなのが出て雨に濡れないよう守ってくれるの」
「へぇー、すごいな」
「最近流行ってるんだよ」

 取り留めもない会話、瞳を輝かせながら街を見る海斗に、胸の奥がじんわり温まっていく。

 私も忘れかけていたのかもしれない。

 こんな気持ち。

 ずっと……こんな日常がほしかった。

 手を繋いで、ただふたりでいる休日が。

「大丈夫? 濡れてない? 」
「う、うん……大丈夫」

 ふいに顔を覗き込まれて、近づく距離。全身が暑くなってくる。

 やっぱり私、まだ海斗が……。

「あ、あのお店見よ! 」
「え? ちょ、ちょっと待って」

 別にお店なんかどうでもいい。でも気持ちを落ち着けたくて、わざと小走りで海斗から離れた。

「遥、走ると転ぶよ」

 ちょっと遠くから海斗の声。

「大丈夫だって……わっ!! 」

 足が滑った。

 グラリと視界が傾いて……気づいた時には海斗に腕を支えられていた。

「ほら、走ると転ぶって言ったのに」

 笑う海斗に、恥ずかしくて目を合わせられない。

「ありがと……」
「濡れるから店入ろ」
「え……!? 」

 さり気なく手がさらわれて海斗の左手が私の右手を包む。いつもしているかのように、自然に。

 戸惑う私を引き連れて店に入っていく海斗。

 肩が少し、濡れている。

「かわいいお店だね、何見たかったの? 」
「え……えっと、これかわいいなと思って」

 べつに見たかった訳じゃないけれど、近くにあったルームランプを海斗に見せる。本物の月みたいでかわいい。

「うん、まんまるでかわいいね。部屋の中に月があるみたい」

 微笑んでくれる海斗。

 手を繋いでるから、笑顔が近い。

「あ! ねぇ、これかわいい」
「これ? 犬好きなの? 」

 海斗が見つけたのは、手のひらサイズのチワワのぬいぐるみ。

「遥に似てる」
「え!? 似てないって。私こんなじゃないもん」
「似てるよ。つぶらな瞳とかさ、かわいい」

 海斗の手に乗るチワワと、思わず目を合わせてしまう。ぬいぐるみとしてはかわいいけれど、少し目の離れたその顔は……ちょっとマヌケに見える。

 私もこう見られているのかな……だとしたら、ちょっと嫌だな。

「うん、かわいい」
「もう……いいから他も見よう」

 手を繋いで店内をふらふら歩いて、インテリアとか、洋服を見て。

「それ、海斗に似合いそう」
「これ? 」
「うん、あててみて」
「どうかな? 服はよくわかんなくて」
「似合うよ、かっこいい」

 一見、普通の黒いトップスだけどアクセントに入っているライトグリーンが引き立っていて、よく似合う。

「あんまり服、持ってないみたいなんだ。買おうかな」

 嬉しそうな笑顔に私まで嬉しくなる。

 服や雑貨を見ながら色んな話をした。海斗が前にいた国は年中寒いところで手持ちの洋服が暖かい物ばかりだとか、機械が苦手で部屋に電子機器を全く置いていないとか……どれも初めて知ることばかり。

「前の俺も話してた? 」
「ううん、初めて聞いた」

 こんなふうに買い物したのは初めてかもしれない。気付けば前より縮む距離、海斗のバッグには揺れるチワワのぬいぐるみ。

 デートじゃない……でもこの時間がとても、愛おしいと思った。






 一つの傘に身を寄せ合い微笑み合う二人……よく見ると手まで繋いでいる。

 親密な雰囲気、どう見てもデートだ。

 しかもあの頃より親しげに、心を隠す様子もなく距離を縮めている。

 遥が会っていたのは海斗だった。

「そろそろお腹空かない? 」
「何食べよっか」

 尾行されているとは知らず、平和なやり取り。昼食……遥があの店を選ぶ可能性は限りなく低い、ならこちらから動くしかない。

「出動要請、この二人の追跡を」
「了解……懐かしいお二人です」
「えぇ、関係性の調査と報告を」
「調査……殺害命令ではなく」
「えぇ」
「承知致しました」

 直接、尾行するには限界がある。しかし、二人が今も関わりを持っているのなら黙ってはいられない。

 英嗣えいじがどう動くか……水野はまた、姿を消した。






「うまっっ!! 」

 あの時と同じ反応、こうして二人で笑いあった事、鮮やかに蘇ってくる。

「美味しいよね。このお店は海斗が教えてくれたの」
「そうなの? 」
「うん、会社の近くに美味しいお店があるって誘ってくれたんだ」
「そっか……そんな大事なこと忘れてたのか」
「でもどっちかが憶えてればいいんじゃない? こうしてまた一緒に来れたんだし」

 残念そうな表情に何気なく返した言葉。でも海斗は私を見て固まっている。

「ごめん……記憶がないの辛いよね」

 無神経な事を言ったかもしれない、返事のない海斗の気持ちがわからなくて、黙ってパスタを口に運ぶ。

「ありがとう」

 海斗の口が動いて、確かにありがとうって聞こえた。驚いて顔を上げる。

「失くした事ばっかり考えてた。憶えていたかった、大事な事を忘れている自分が許せなくて……でも、今日の事はもう絶対に、忘れないから」

 優しい、いつものくりっとした瞳が私をまっすぐ見ている。

 囚われたように目が離せない。

「うん、ほら食べよ。冷めちゃう」

 視線を反らして話をごまかす。

 どこか……あの頃より純粋無垢に楽しんでいるように見える瞳を、直視することはできなかった。


「図書館ってどんな感じ? 広い? 」
「うん、広さは……結構あるよ。何か探してる本とかあるの? 」

 ランチを終えて、図書館に向かう頃には雨はすっかり上がっていた。

「特に決めてはないけど、サッカーとかも本あるのかな? 戦い方とかルールとか」
「あるんじゃないかな……サッカーするの? 」
「うん、覚えたくて。後は……父さんに本読めって言われたんだ」
「お父さん……に? 」

 ドキリ、胸に突き刺さるような衝撃を感じる。

「忘れてる事多すぎてさ、本を読んで知識をつけるといいって教えてもらったんだ。それで行ってみたくて」
「そうなんだ……」

 記憶を消した本人は、苦しむ海斗を見てどう思っているんだろう。

「あ、ここ!? 」

 期待に弾む声で外を見ると、大きなシルバーの建物が陽の光に照らされて、輝いている。

 ここに来ると夢瑠を思い出すな……あれ以来、連絡できていない友達の笑顔を浮かべながら、バスを降りた。
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