あなたはだあれ?~Second season~

織本 紗綾

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第一章 思い出は霞む

第8話 夢にまで見た朝

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 だめだ……グラグラする……こんな暑いなんて思っていなかった。

 今日に限って水も持ってない。どこかに座ろうと歩く内に、視界が暗くなってきた……気持ち悪い、たまらずその場にしゃがみこむ。

 暑い……頭が、意識が朦朧として座っていることすら出来なくなりそう。

 もう……だめ……。

「大丈夫ですか!? 大丈夫ですか!? 」

 遠くから誰かの声が、聞こえる。

「聞こえますか!! 大丈夫ですか!? 」
「はい……大丈夫……です」

 恥ずかしい、とっさに立ち上がろうと無理をしても力が入らない。

 グラリと倒れる身体。

「えっ!? 」

 驚きの声と共に、誰かに身体を支えられた。

 懐かしい……匂い。

「さ、笹山さん!! とりあえず座りましょう。そのまま捕まっててください」

 懐かしい……声。

 そんなに会いたかった?

 こんな……幻覚を見るほど。

 夢……もしかしたらまだ私、ベッドで眠っているのかもしれない。

 こんな所に海斗がいて、それも笹山さんだなんて……憶えているはずないのに。

 沸き立つ脳内……朦朧としている間に、その人は私の腕を自分の肩に回して抱え、あっという間にどこかへと運んでいく。

「ちょっと待っててください」

 どこかに寝かされた私、その人は離れていく。

 行かないで……どんなに呼び止めても、声にはならない。ぼんやりと見える背中は遠ざかっていった。






 頬が……冷たい。

「起きられますか? 」

 また近くで聞こえる声。うっすら目を開ける、どのくらい眠っていたんだろう。

 これは……夢じゃ、ないのかな。

 目の前に海斗がいて、あのくりっとした瞳が心配そうに、私を見ている。

 額には冷却シート、頬に当てられているのは……水のボトル。

「草野君……? 」
「はい、そうです」

 まだ火照る身体を、ゆっくりと起こす。彼は隣に腰掛けると、あの日のようにさり気なくボトルを私の手に持たせてくれた。

「ありがとう」
「ちょうど俺も喉乾いてて」

 ニコッと笑って水を飲む海斗。出逢ったあの日とまるで同じ笑顔に、時が止まる。

 涙が出そう。

「うまっっ! ほら、笹山さんも飲んだほうがいいですよ」
「うん……」

 激しくなる鼓動。

 私はあの日のように笑えない。どんな顔で、海斗を見たらいいのか……わからない。

 ボトルに、唇をつける。

 笹山さん……って、あの日のキスは……憶えていない……んだよね。

 暴走する頭、落ち着けようと水を口に運ぶ。

「どうですか? 」
「うん……落ち着いてきたかも」
「よかった」

 ほっとしたって、声ですぐにわかる。間違いなく、隣に海斗がいる、夢じゃない。

「笹山……遥さんですよね」
「うん」

 先に口を開いたのは、海斗だった。

「俺のこと、知ってくれてるんですね」
「うん……草野君だよね」
「やっと、出逢えました。俺のこと知ってくれてる人に」

 嬉しそうな笑顔、目が合って思わず鼓動が、跳ねてしまう。

 海斗が無事で、元気でよかったのに。

「助けてくれてありがとう」
「もう少し……休んだほうがいいですよ」
「うん……」
「俺も……ここにいていいですか? 」
「うん……」

 過ぎていく静かな時間。

 まだぼんやりしていて、夢だったって言われても納得するくらい。

 風で木々がそよぐ。

 どうして……どうして、こんな状況でも海斗といるだけで、世界が明るく見えるんだろう。

 ゆっくり、目を閉じる。

 憶えてないんだよね、ここが私達にとってどんな場所か。東屋あずまやに守られた、小さなベンチ。私達が、想いを伝えあった場所。

「懐かしいですね」
「覚えて……くれているの? 」
「そんな……気がして」
「そっか……」

 気がしただけ……聞くのが怖い。彼の中で私は笹山さんなのに、どうしてここを憶えているのか。

「実は俺、記憶を失くしたみたいで……すみません」

 告げられる言葉に寂しくなる。

「そうなんだ……」
「この街、初めて来たような気がしないんですけど……いつの事か、何をしていたのか、よく覚えていないんです。でも……」

 途切れた言葉、私を見つめるその瞳に曇りはない。

 また……視線をそらせない。

「でも、笹山さんは一目見たときから名前が浮かんできて……絶対そうだって思ったんです」
「そっか……」
「どういう知り合いだったか、教えてもらえませんか? 」

 どういう知り合い……仕事仲間、公園でよく会う友達、恋人……ではきっと、ない。私達はどういう関係だったんだろう。

「ここで……よく走ってて。会うと、休憩してちょっとおしゃべりして……そんな感じかな」

 謎が解けた、そんなふうにまた、ほっとする海斗。やっぱりもう……。

「帰らなきゃ……」
「え? もう帰っちゃうんですか」

 純粋無垢な瞳が私を傷つける。

「うん、今日は帰って……休もうかな」
「あ……そうですよね。ごめんなさい、具合悪いのに引き留めて」
「草野君こそ……元気でよかった」
「え……? 」
「あ、えっとお水とか、冷やしたりとかしてくれてありがとう、どうしよう……なんにもお返しできるもの持ってなくて」
「送らせてください! 」
「え……でも」
「お返しとかいいんで……もうちょっと、話したい……です」

 立ち上がる私を引き留めるように、腕を掴んで見つめてくる……今さら私を誘惑する目的なんて、ないはずなのに。

「ごめんなさい」

 腕を離す草野君。

 時々、顔を出す海斗の面影……作り変えられても変わっていない。

 これ以上、一緒にいたら……。

「思い出したいんです、この街であったこと。何かすごく大事なことを、忘れてる気がして眠れないんです」

 思い出す為……ぼんやりした頭を更に混乱させる。

 すごく大事なこと。

 海斗にとって大事なことってなんだろう。あの頃の、彼にとって……。

「まだふらふらしていますね。歩けそうですか? 車、呼びましょうか」
「いいの、大丈夫」
「じゃあ、行きましょうか」

 当たり前のように手を出す海斗。私にとっては海斗、でも彼にとって私は笹山さん。

 手を……取っていいのかわからない。

「ごめんなさい、嫌ですよね」

 急いで手を引っ込める彼、気まずい雰囲気をひきずりながら私達は歩き出した。





 公園を出て家に向かう道をとぼとぼ歩く。心配そうに隣を歩く草野君。

 何を話そう……話題に困る。

「あのさ……」
「あの……」

 同時に話し始める、気まずい時にありがちなシーン。

 話さなくても手を握るだけで幸せだった、あの日の夕暮れには戻れない。

「いいよ、草野君から」
「いえ……あの、笹山さんから」

 遠慮がちな会話、心の距離を見せつけられているみたい。

「仕事、草野君は何してるの? 」
「あ……えっと、学校で」
「学校? 先生してるの? 」
「英語とか、海外の文化を子ども達に伝える仕事を……」
「そうなんだ……そっか、海外にいたって言ってたもんね」

 生徒に真剣に向き合っていた姿が浮かんでくる。

「海外にいた事、知ってるんですね。俺が話したんですか? 」
「うん……」

 憶えていること、憶えていないこと。会話ってこんなに難しかったかな。

「笹山さん、俺……知りたいんです」

 真剣な眼差し。

「私達、一緒に働いていたんだよ。ちょっとの間だけだったけどね。海外にいた事は、その頃、先輩から聞いたの」
「一緒に仕事……? どんな仕事ですか? 」
「講義動画を作っていたの、おんなじチームでね」
「講義動画……なんか難しそうですね。本当に俺がそんな仕事を? 」
「草野君はね、私達のチームにインターンとして入ってきたんだ。学年は同じだけど海外にいたから草野君はまだ大学に通っていてね、私達を助けながら講義動画を作る課題を……一生懸命だった」

 これは、大事なことじゃないのかもしれない。一緒に働いたのなんて2.3ヶ月くらい。その間の記憶なんて、もう今の彼には必要のないこと。

「笹山さん! 」

 グラリと傾く視界、また彼に支えられる私。

「大丈夫ですか」
「ごめん、夏バテだね。家、もうすぐそこだからこれで」
「だめです、少し休んでください」

 力強い腕は、私を木陰に座らせる。ちょうど石段のような場所、いつの間にハンカチなんて敷いたんだろう。

「すみませんでした、具合悪いのに自分の事ばかりで……」

 突き刺す太陽から私を守るように立って日陰を作ってくれる、変わらない優しさ。

「謝るのは私の方だよ。ごめんね……困らせてばっかりで」
「気にしないで、困ってません。もう一度、水飲んでください」

 言われた通り、水を飲んで早めに立ち上がる。早く横になりたくて、つらくて……一緒にいるのにすごく寂しい。

「もう行くんですか? 」
「うん、もう大丈夫」

 歩き出す、隣を歩く横顔。

 見てることに気付いてくれない、あの頃と違う草野君。

「ありがとう、家……ここなの」
「ここ……ですか」
「うん」
「じゃあ……ゆっくり休んでください」
「うん……ありがとう」

 歩き出す、遠くなっていく背中。

 あんな怪我をして、でも元気で普通に暮らしてるってわかって。それだけでいい……草野君だけじゃない、私もあの頃の私じゃないから。

 背中が立ち止まった。振り返ってこっちに走ってくる。

「ちょっと待ってもらえませんか」

 そう言うと、何かを取り出して……書いている。

「良くなったら連絡ください。お願いします」

 ぼおっとする私に何かを握らせた海斗はニコッと笑って一言。

「会えてよかったです」

 あの頃とは違う草野君と私。それなのに今でも簡単に、彼の言葉に私は心を乱されていた。
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