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第四章 霞む未来
第37話 運命の行方
しおりを挟む夏休みも終わり、また日常が戻ってきた。
「良かったですね、喜んで頂けたようです」
お客様を見送りながら水野さんが言う。
「そうでしょうか」
「はい? 」
「喪失感なんて……簡単に癒えるものではないですよね」
「それはそうですが、私達に出来るのはここまでです。きっと時間が……癒やしてくれます」
初めて担当した石原様はご両親と恋人を相次いで亡くしてパートナーロイドを求めに来た。結局、ロイドではなくホームシステムロボをお勧めした結果、とても喜んでくれた。
でも。
“誰かといるとやっぱり思い出してしまって”
そう言った時の石原様の寂しそうな表情がいつまでも残っている。私も、そうなるのかもしれない。
「これで今日の予約は全てですか? 」
「はい」
「予約がないなら早退しては? 少し休んだ方がいいと思います」
「大丈夫です。すみませんが次の準備をしないといけないので」
「笹山さん」
背後から聴こえる水野さんの声を無視してしまう。悪いなとは思うけど少しでも気持ちを崩したらボロボロになりそうな私は、その場から離れた。
「ただいま……」
海斗のいない静まり返った部屋。当たり前だけど返事はなく、薄暗いリビングにカーテンの隙間から一筋の光が射しているだけ。
何もかもどうでもよかった。
そのまま寝室に行きベッドにへたり込む。もう、無理かもしれない……頑張れないかもしれない。
海斗を失う覚悟なんて出来ない。
リーン……リーン……。
玄関が鳴いてる……誰だろう、出たくないな。
リーン……リーン……。
立ち上がって照明をつけ、仕方なく出る。
「はい」
ドアを開けると水野さんが立っていた。
「大丈夫ですか? 」
「はい、今日はすみませんでした」
「いえ。少しお邪魔しても? 」
「はい……散らかってますがどうぞ」
帰ってきたままで本当に散らかっているけれど仕方なく案内する。
「お茶はいいので座ってください、あなたに話があって来ました」
「話ですか? 」
「はい。体調はいかがですか」
「大丈夫です」
「そうですか……」
私を見つめていたその視線は私から離れて部屋を見回し、また私へと戻ってきた。
「話って何ですか? 」
「私は、あなたに謝らなければなりません。ずっとそう……考えていました。草野英嗣と海斗の件では、必要以上にあなたを苦しめ、傷つけてしまいました。あなたの人生を歪めてしまったことを心からお詫びします。
笹山遥さん、今まで本当に申し訳ありませんでした」
目の前にいる水野さんは私に向かって深々と頭を下げる。
「全てが……終わってしまったようですね」
「いえ、これは海斗がいたとしても同じです。あなたと海斗を、もっと信じるべきでしたし……信じる事を恐れるがあまり、あなた達を追い詰めてしまいました」
「もういいんです。内藤さんから聞きました、私と海斗がこの街に戻れるよう計らってくれた事」
「せめてもの罪滅しのつもりでしたが……こうなってしまっては、あなたの自由を奪い、狭い空間に閉じ込めているだけですね」
ため息と素直な言葉に、気持ちが凍っていく気がする、なぜか。
「やっぱりお茶、淹れますね」
重い空気に我慢できなくなった私はキッチンへと逃げる。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
お茶を淹れて戻ってきた私は、少し緊張しながら水野さんの前に座る。今までと違う優しくて素直な彼女に、まだ馴れない。
「それと、これをあなたに返すよう頼まれました」
目の前には見覚えのある茶色い表紙。
「内藤が、あなたに読むように伝えてほしいと」
「でも、これは海斗の物です」
「あなたが本当に知りたい事は、そこに書かれているそうです」
「本当に知りたい事……」
「はい。あなたが知りたいのは海斗の構造ではないはずだと」
「どういうことですか? 」
「私には、内藤が何を言おうとしているのかはわかりません。ですが、恐らく海斗に心があるか、という事でしょう」
さっきまでの優しい視線が光を帯びて私を見透かすように見る。海斗に心があるかどうか。
「心は……実体こそありませんが人の肉体に宿ると言われています。どれだけ最先端の技術を使っても、ロイドに心は宿せません。もし、海斗に肉体があれば……今まであなたが交わしてきた言葉や視線が海斗の心からの物だと証明出来る」
淀みない声が私に入ってくる。
「それは既に書き終えたもののようです。もう一冊あるかもしれないとも、言っていました」
「え……じゃあ、探さないと……」
「海斗のシステムを作るにはもう充分だそうです。読みたかったら探して読んだらいいと言っていました」
「そう……ですか」
その言い方が内藤さんらしくてなぜかほっとした。あれから内藤さんにも……会えてない。
「今すぐにでも読みたいところでしょうが、私からも話が」
「はい」
「ショップでの仕事は、私があなたを監視する為に強制したものです。ちょうど担当分はクローズしていますし……この辺りで休みに、しませんか? 」
「体調なら大丈夫です、休みの間に溜まった仕事もありますから」
「仕事などしている場合ではありません。あなたには時間が必要です、心を整える時間が」
「時間……ですか」
「海斗の心も大事ですが、あなたの心が壊れてしまってはどうしようもありません。」
「でも……何かある度に休んでばかりで」
「笹山さん……あなたがもう無理してショップで働く必要はありません。ご両親の元でも、友達の所でも構いません。一度しっかり心と体を休めて今後の人生を考えて下さい……もし考えた結果、また一緒に働けるのであれば、その時は改めて歓迎します」
「それって……」
「休職手続きはしておきます。では」
「帰るんですか? 」
「はい。用件は済みましたから」
水野さんは帰ってしまった。
部屋に残された、海斗の日記。
手に取ると、さらさらとして所々に皺が入っている……持ち歩いていた事がよくわかる、くたびれたノート。
「こんなの書いてたなんて全然気づかなかったよ……海斗」
海斗に向けた言葉は独り言になって消えていく。リビングのソファーに腰掛けると、私はゆっくりとページを開いた。
“島に来て2日目。床は寝心地が悪すぎて身体が痛い。明日の内にベッドを何とかしないと……遥を、本当にこんな所まで連れてきてよかったのか”
“今日で3日。何とかベッドが出来た。遥がぐっすり眠っているのを見ると幸せを感じる。これからこの家で……二人で暮らすと思うと、嬉しいような照れくさいような、不思議な感情が湧いてくる。頑張ってこの家を二人でくつろげる場所にするんだ”
ベッド、ダイニングテーブル、キッチンカウンター……海斗が作ってくれた“くつろげる場所”は、今でも私の心の中に温かく残っている。
何にもなさすぎて荒れ果てた小屋、最初は穴の開いた床で寝ていたっけ……二人で床を修理して、海斗が山で木を切ってきてはベッドやテーブルを作ってくれて。私は伯父さんに教わりながら食材の調達や料理を覚えて……協力しながら生活してきた。
あの時は大変だったけど……今の私は、思い出すだけで幸せになれる。一文字ずつ、大切に、なぞるように読み進めていく。
笑ったり、泣いたり、ケンカもしたり、楽しくて仕方なかった……本当にいつも一緒にいて……これからずっと一緒だって実感できる、それだけで……幸せだった。
若かったんだな……。
海斗の日記は、毎日欠かす事なく丁寧に書かれている。
“島に来てから一ヶ月。やっと生活の基盤が整ってきた。朝起きると遥が隣で寝ていて……髪を撫でるとおはようって、そんな時間が一番好きだ。勝手かもしれないけど、遥と一生……一緒にいたい。”
海斗、この頃からそう思ってくれていたんだ……私が勝手に付いていって海斗を困らせてる、そう思っていたけど……そうじゃなかった。
嬉しくて……なのに何で涙が出てくるんだろう。
“遥と初めてケンカした、こんな事初めてでどうしていいかわからない……”
あぁ、この時カーテンの色でケンカになったんだ……落ち着いてみるとなんでこんな事でって二人で笑ったっけ。
次から次へと浮かんでくる、島にいた頃の私達。変わらずにいたつもりだったけど……ここに来てからはお互い仕事も忙しくて、一緒にいる時間も会話も減っていた。
また……涙で文字が滲む。
読むのを止めた私はソファーにもたれ、天井を仰ぐ。漏れ出るような溜め息が空に溶けていく。
白い、円形のライトが目を眩ませる。
「海斗……」
呟いた声、受け取ってくれる相手はやっぱりいない。
海斗に心があるかどうか……不安に思ってた訳じゃない。自己満足、海斗の父親に言われたのはショックだった。でも……目の前の海斗がプログラミングだけで考えて行動してるとは思えなくて……作った人よりも、私は海斗を信じてた。
言葉も声も……眼差しも……ちょっとした表情の一つも。
私にとっては事実よりも、そういう事のが大事だった。それだけで充分だったんだ。海斗が倒れてからの2ヶ月で……忘れかけていた。
“遥”
嬉しそうに呼んでくれる海斗……今ちょっとだけ、近くに感じる。
そうだ!
思いついた私は、あれこれ部屋を調べてあの星空を見つけた。
浮かび上がる金色の星粒。
海斗がプロポーズしてくれた夜に二人で眺めた……たくさんの星が輝く夜空。
「きれいだね……海斗」
今度は本物の、海斗が見たい星空を見に行こうね……一緒に。
約束だよ。
静かで安らかな夜……隣に海斗がいるような気がする。あの日のようにベッドに寝そべると、星空の中に浮かんでいるみたい。
伯父さんと約束した日まで私は、ここで海斗の想い出と過ごす事に決めた。
運命の朝。
私は今……再びあの扉の前に立って赤く灯るランプを見つめている。
“何があっても遥といることを諦めない”
海斗は、そう約束してくれた。
それは海斗の心からの言葉。
だから私も海斗といる事を諦めない。
この威圧感ある扉の前は生きる心地がしないけれど、凍る手を合わせながら必死に自分に言い聞かせる。
海斗と、一緒に生きる未来を信じて。
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