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第四章 霞む未来

第34話 そして動き出す

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「おはよう」

 カーテンを開けると眩しいほどの強い陽射しが部屋を照らす。ビルの隙間から見える夏らしい濃い青空。

 一人でもやってくる晴々とした朝は切なくて……顔を洗うと、着替えを済ませて朝食を作る。本当は辛い。大切な友達を傷つけてしまうほど自分も周りも見えなくなっている。

 こんな私は初めてでどうしたらいいかわからない。でもこれ以上、みんなに心配かけちゃいけない……その一心で強くなる事に決めた。

 あの後、樹梨亜や夢瑠に謝って改めて状況を伝えた、今更だけど両親にも……今度は包み隠さず本当の事を話して、この家で海斗を待ちたい気持ちもちゃんと、話す事ができた。

 私も……少しは大人になれたのかな……ねぇ……海斗。


 海斗の為に私が出来る事は少なくて、それもどんどん減っている。今の私に出来るのは、海斗が帰ってきた時に笑顔でおかえりって言ってあげることくらい。

 “苦しいのはきっと今だけ”

 さみしい時はそう唱えて、長い時間も平気なふりをしてやり過ごそうとしている。

「ごちそうさまでした」

 今日は何をしようか。

 片付けながらそんな事を考えていると、寝室から着信音が聞こえた。

「はい……」

 名乗らない相手に緊張しながら返事をする。

「遥、待たせたなぁ」

 いつも通り軽快な伯父さんの声。

「伯父さん! 海斗はどうですか? 」

「ハハッ、やっぱり真っ先に聞いたか。とりあえず変わりはないな……落ち着いてるよ」
「そうなんですね……」
「様子見に来るか? 」
「いいんですか! もちろん行きます今すぐ! 」
「おいおい、そんなに慌てるな。ゆっくりでいいから間違えずに来いよ。場所わかるか? 」
「はい! じゃあ、伯父さんまた後で」
「着いたらこの間の部屋に来いよ、聞いてるか? 」
「はい、聞いてます! 」

 言いながらバッグを持って靴を履いて急いで地下にいるエッグに飛び乗ると、あの病院へ向かう。

 やっと、海斗に会える。

 あれから10日は経っているし、直す方法がわかったのかもしれない。

 エッグを飛ばしても、あの病院が遠く感じる程……早く会いたくて仕方がなかった。






「エッグ、ありがとうね」

 急いでお礼を言って飛び降りると、エッグはライトを点滅させて帰っていった。

 改めて見る病院は、夏の日中でも重い雰囲気が漂っている。ヒビの入った外壁に何かわからない植物が這うように茂っていて……やっぱり今日も不気味。

 中に入ると、薄暗くてひんやりとした空気が頬に触れる。誰もいないのに視線を感じる……まるでお化け屋敷。

 ここだけ……別世界みたい。

 異様に響く靴の音を聞きながら廊下を進むと、ドアの隙間から光の漏れる部屋を見つけた。

 ここだ。

 恐る恐る扉を開ける。

「おう、速かったなぁ」
「伯父さん! 」

 髪はボサボサ、ひげも伸び放題ですっかり島にいた頃の懐かしい姿に戻っている。

「まぁ、座れ」

 差し出してくれた丸椅子に座ると……目の前に眠る海斗がいた。掛け布団で隠されてはいるけれど、何本もの管が繋がれて隣にはモニターまである。

「海斗……直りますよね」
「あぁ……今、水を抜いてる所だ」
「水? 」
「まぁ、後で話すから。それより少し出てくるから側にいてやってくれ」
「わかりました」

 伯父さんが出て行って私は海斗と二人きりになる。

「海斗……ひさしぶりだね」

 相変わらず眠ったままの横顔に話し掛ける。たった10日ぐらいだったはずなのにすごく長かった。

「海斗」

 そう呼べる事が嬉しい。

 眠っていても、返事がなくても、目の前に海斗がいる。

「海斗」

 もう一度呼ぶ。

 そんなはずないのに、この間より穏やかな表情に見えるのは何でだろう、伯父さんに……会えたからかな。

 その瞬間、海斗の眉がピクリと動いた。

「海斗? 」

 もう一度、呼び掛けてみる……まさか……ね……。

 動いた。

 今……今、絶対に動いた、見間違いなんかじゃない。

 瞼が……。

「海斗わかる? 聞こえてるの? 」

 思わず立ち上がって海斗の顔を見つめる。

 ゆっくり……瞼が上がって潤んだような……瞳が……。

「は……る……」
「海斗! 」

 名前を……呼んでる。

「海斗」

 2ヶ月ぶりに聴く海斗の声に涙が出そう。ゆっくり上がる手を握ると、ほのかに温もりを感じる。

 もう大丈夫……温かいっていうだけでこんなにも安心できるなんて。

 口元が……動いて、かすれた声で一生懸命話そうとする海斗。思わず立ち上がって口元に耳を寄せるけれど、聞き取れない。

 目が……少しずつ開いている。

「海斗、聞こえてたら頷いて? できる? 」

 ゆっくり、本当に小さな動きだけど、確かに私の言葉への反応だった。

 どうしよう、すぐ伯父さんに。

「どうした」

 扉が開いて入ってきたのは……なぜか内藤さん。

「なんで内藤さんが? 」
「呼ばれたんだよ、海斗どうかしたのか」
「海斗の目が……目が覚めたんです。反応も、頷いてくれました」
「本当か!? 」

 内藤さんも駆け寄って海斗に呼び掛ける。

「おい海斗、分かるか? 」

 さっきまでうっすら開いていた目はもう、完全に開いて……一点を見つめている。

「海斗? 」

 もう一度、呼び掛ける。

「おかしいな……」

 モニターを見た内藤さんが隣で呟く。

「何がですか? 」
「いや……なんでもない。目覚めたならいいんだ」
「でも……なんだか様子が」

 呼び掛けてもこっちを見ない瞳……まさか見えて……ない。

「海斗? 私の顔見える? 」

 覗き込むと、ゆっくり眼球が動いて私を捉えた。

 目が合ったその瞬間。

「危ない!! 」

 ドォン!!!

 鈍く重い轟音が、震動と衝撃になって私達を弾き飛ばした。

「うっ! 」

 風圧のような衝撃を感じて、飛ばされた私を内藤さんが受け止める。

「大丈夫か」
「はい……」

 一体何が……そうだ!

「海斗! 」
「だめだ! 」

 急いで駆け寄る私を内藤さんが引き離す。

「離して! 海斗! 」
「見ないほうがいい! 」

 私と海斗の間を内藤さんが遮って手を握るどころか……海斗の姿すらよく見えない。

「草野先生、急いで戻ってください」

 怒鳴るように通信先に向かって叫ぶ内藤さんの声が、頭に、部屋に響き渡る。

 身体中から、力が抜けていく。

 何が起こったの……どうして。

「どうした!? 」

 伯父さんが来て……気づいた時には暗い廊下に並ぶ、冷たい長椅子に座っていた。海斗も、伯父さんも……内藤さんもいない。


 身体の震えが止まらない……怖い……。

「怪我はないか? 」

 誰かの顔が視界に入る。

 内藤……さん?

「血……」
「ん? 」
「手……血が出てる」

 震えて、うまく声にならない。

 視界に入った内藤さんの左手が赤く染まっている。

 さっき……私を受け止めてくれた時に。

「このくらいなんでもない」

 震える手で内藤さんの腕を掴む。

「お……おい! 良いって」

 シャツの裾を引きちぎって、出血している左手に巻きつけて結ぶ。

「これで止まります」
「ありがとう……行ってくる」
「どこへ……」
「あの扉の向こうだ。海斗を直してくる」

 内藤さんが視界から消えて血の付いた靴だけが……暗闇の中に見えている。

「連れてって……私も」
「それは出来ない」
「お願い、一人にしないで。怖いの……」
「大丈夫だ。もうすぐ水野さんも来る」
「そうじゃなくて……」
「返してやる」

 止まらない震えを抑えるように手を握られて、虚ろな視界にまた内藤さんが入る。

「必ず、あいつを返してやる……出来る事は全てやるから。約束するよ」

 いつもと違う……優しい声。

「それでも、どうにもだめならその時は……」

 何かを言いかけて俯く内藤さん。

 手を握る……力が強くなる。


「その時は俺が一生側にいてやる、あいつの代わりに。お前を一人にはしないから」


 低い、その声が……深く暗闇に響いて、消えていく。


「だから……待っててくれ」

 握られていた手が離れた。

 静かに銀色の扉が開いて……背中はその先へ消えていった。






「何があったのです」

 あれからどのくらい経ったんだろう……息を切らした水野さんが隣に座る。

「海斗が目を覚まして、そのあと爆発しました」
「どういう……事です」
「一瞬、目覚めたんです。確かに目が開いて何かを、言おうとしてました。なのに……」

 落ち着いたと思っていたのに、声が震えて辺りの景色が滲み出す。

「なのに……次の瞬間、何かが起きて弾き飛ばされたんです」
「それで怪我は」
「伯父さんと内藤さんが治療を」
「海斗じゃなくてあなたです。手に血液が」

 私の手を取る水野さん、でも首を横に振るのが精一杯で。

 確かに海斗は爆発した、私の目の前で。

 あの時、内藤さんの背中の向こうに見えた……海斗……あんなになって……直るなんて思えない。

 もし……だめだとしても誰のせいでもない、それなのに私が取り乱したせいで内藤さんにあんな事まで……言わせてしまった。

 必ず、なんて……約束させてしまった。

「無理です……私、強くなんてなれません。万一の時なんて……そんな事考えられる訳ない……」

 もう抑えられない、涙が次から次へと溢れて……嗚咽が漏れる。

 海斗……どうして……。

 丸めた背中に温かいものが触れる。

「私はいつも、あなたを傷つけてばかりですね」

 背中をさする水野さんの声が……震えている。

「大丈夫です……二人とも優秀です。必ず何とかしてくれます」

 その言葉に答えられず、ただ泣き続ける事しか出来ない私の肩を水野さんが優しく撫でる。

「どうして……そんなに優しくするんですか」

 水野さんの初めての優しさと血の通った言葉。

「私も酷い人間の一人だったのですね。この苦しみなら充分、知っていたはずなのに……あなたにこの思いだけは……させたくなかった」

 まさか……まさかそんなことあるはずがない。水野さんが泣いてるなんて……そんなこと。

 暗闇の中、まだ赤いランプは光ったまま。


 愛する人を……失うかもしれない。


 絶望のような恐怖と枯れることなく流れ続ける涙……もう一人の涙の理由を聞くには、もう少し時間が必要だった。
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