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第一章 街に帰る
第4話 これから
しおりを挟む日本に帰ってきてから3日後、私はまだ病室にいた。感染症は問題なかったのに検査結果が良くないらしく、今も検疫入院が長引いている。
ビルとビルの小さな隙間に燃える陽が落ちていく。
退院出来なかった……そう落ち込んでいた時、ドアをノックする音が聞こえて誰かが入ってきた。
「失礼します」
「水野さん? 」
「いかがですか、体調は」
「大丈夫です。ご迷惑おかけしてすみません」
「こんな時間ですが退院の許可が下りました、起きられますか? それとも明日、出直しましょうか? 」
「大丈夫です」
早く海斗に会いたい、私にはその気持ちしかなかった。さっそく着替えて荷物をまとめて水野さんと共にタクシーに乗る。
「水野さん、ありがとうございます」
海斗との関わりがバレてからずっと冷たい態度だったのに、水野さんは支度を手伝い、退院手続きも代行してくれた。
「仕事ですから」
「です……よね」
言葉はいつも通り冷たいけれど、私の中にあった水野さんへの不信感は少し消えていた。タクシーで外に出ると、紫がかった空を街のネオンが眩しく照らしている。
こんな街だったっけ……。
たくさんのビルが建ち並ぶ都会的な街並みは見慣れたあの街の記憶と、どうしても結び付かない。
「着きました」
ぼんやりしているとタクシーのドアが開いて、水野さんに降りるよう促される。
目の前にはロイドショップ……帰って来て最初に入る懐かしい場所が、まさかここだなんて思わなかった。
水野さんの先導でショップに入り、もう暗くなっている店内を奥の方へと進んでいく。
「この部屋……」
“STAFF ROOM”
その文字が目に入った瞬間、背筋がすっと冷えていく。2年経った今も、あの時の恐怖を身体が覚えている。
「どうぞ」
でも、水野さんが開けた扉の先を見ると……あの時とは違う、真っ白な壁紙が見えた。
「何か? 」
条件反射のように足がすくんでしまう私。
「もう何もありませんよ」
水野さんはドアを全開にして先に部屋へと入っていく。私も……こわごわ部屋に入る。
壁も机も椅子も、驚くほど真っ白な空間。
「お座りください。草野さんが来る前に少し話があります」
「はい」
水野さんの正面に座る。
「帰国の手続きは無事に済みました。こちらはお返しします」
「ありがとうございます。返してもらえるんですね」
パスポートやIDカード、金融関係の書類など日本を出るときに預けた物……自分の物なのになんだか懐かしい感覚。
「それと、これも渡しておきます」
水野さんに手渡された袋を開けてみると、入っていたのはインカムとネームプレートに……白いワンピースのような、ロイドショップの制服。
「これは何ですか? 」
「あなたが当店で働く為に準備しました。詳しい説明は動画を見てください。初出勤は一週間後、最初は週7日から開始します」
「週7日!? 」
「当たり前です。監視の意味もありますが、そのぐらい勉強しないと海斗の身体構造どころか、通常のアンドロイドの構造すら覚えられませんよ」
この人は……いつも唐突過ぎてどうもついていけない。
「笹山遥さん。本来、あなた個人の処分は謹慎のみでした。あなたが勝手に、海斗の処分に同行したせいで自ら監視対象になったのです」
「はい」
「海斗といると決めたのはあなたでしょう」
「はい……」
「それとも自らの人生の為に、今ここで海斗との関わりを絶ちますか? それなら私達は今後あなたに関与しませんし、ロイドショップで働けとも言いません。海斗に出逢う前と同じように人生をやり直せばいいでしょう」
「何言ってるんですか!? そんなこと絶対しません」
「だったら、ここで働く事くらい容易いはずです」
水野さんの鋭い眼が私を捕らえる。
「海斗と人生を共にすると言うのはそういうことです。渦に呑まれるように巻き込まれ……自由も無く振り回され続けるでしょう。あなたはその事を、まだよく理解されていないようです」
渦に呑まれる……確かにあのニュースを見てからの私は、その言葉通りの人生だった。
「後戻り出来なくなる前に逃げますか? 」
正直言うと怖い……でも……。
「覚悟はできています。ここで働かせてください。他には何をすればいいですか? 」
「そうですか。では最後に罰せられるようなことはしないと約束してもらいます」
「はい、約束します」
「わかりました……海斗を呼ぶので待っていてください」
部屋のドアがバタンと閉まる音で、重苦しい緊張が解ける。なんだかどっと疲れた……そう思っていると、またすぐに扉が開いた。
「遥」
「海斗! 」
声がして振り向くとそこに、海斗がいた。たった3日……でも島では毎日一緒にいたから、すごく長い3日だった。
「感動の再会は後にしてそこにお座りください。今後について話します」
水野さんの声が場を一瞬で冷やす。
でも海斗が私の隣に座る……それだけですごく安心する。
「お二人とも、各々の今後については聞きましたね」
『はい』
「二人は当社で身柄を預かる事になるので、それぞれ修理センターとショップとで働いていただきます。就業に関する事項は渡した端末で確認してください。次の月曜までは休日にします。ルールに則って生活し、新居の片付けなど環境を整えるように」
「質問してもいいですか? 」
「どうぞ」
「新居は自分達で探すんでしょうか? 」
「自社ビルに部屋を用意しています。単身用なので狭いですが、工夫して使いなさい」
「ありがとうございます」
海斗が頭を下げる。何でこんなに、素直に言うことを聞けるんだろう……私はまだ覚悟が出来ていないって事なのかな。
「あともう一ついいですか? 」
「まだ何か? 」
「俺は、遥の家族や友人に会ってはいけませんか? 」
「構いません」
「いいんですか? あの時、異常電波が出ていたって……」
そんな当たり前の事を聞くなというような水野さんの態度に、思わず口を出してしまう。
「あの時、異常電波を発していたのは開発者が仕掛けた装置のせいだと身体検査で分かった為、取り除きました」
開発者……そう聞くたび、海斗の顔が険しくなる。海斗のお父さんはなんでそんな事をしたのか……結局わからないまま、死んでしまった。
「但し、あくまでそれぞれのご自宅などにしてください。あなた方に許された行動範囲は半径10km、その範囲を越えるような旅行や観光の類いは許されませんのでご注意ください」
「分かりました」
「言い忘れていました。今回あなたの身体検査で電化製品や様々な電波を発する物に適応出来るよう調整しました。以前は、電子機器に触れる事があなた自身の害になったでしょうが、もうそれで体調不良を引き起こすことはありません」
「ありがとうございます」
「今後も定期的に検査をして不具合を調整する必要があるので、仕事とは別にショップで予約を取って二人で来店するように。あなた達は私と、海斗をここまで連れてきた内藤で担当します」
「はい、よろしくお願いします」
また頭を下げる海斗に、私も一緒に頭を下げる、でも……話の内容もこの人達の思惑も、全く理解できない。
「では、今日はこのぐらいにしましょう。そのスマホが新居まで案内してくれます」
そう言うと、水野さんは時計を見ながら立ち上がる。
「外まで送ります」
水野さんに見送られて外に出ると、もう完全に陽は暮れて暗くなっていた。ビルから漏れる光に照らされながら、私達は歩いて新居に向かう。
「よかったね」
「うん、無事に会えてよかった」
「そうじゃなくて…みんなに会えるよ」
「うん……」
「嬉しくないの? 」
「嬉しいけど……ちょっと不安かな、怒られそう」
「俺も一緒に怒られるよ」
「ありがとう」
“その先、信号を右折です”
端末の音声に従って私達は新居に向かう。春の夜風は冷たくて寒い。
「寒い? 」
「ちょっとね。4月ってこんなに寒かったんだね」
「南国にいたからね。その格好じゃ寒いかも」
そう言うと、海斗は私の手を握って自分のポケットに入れてくれる。
「あったかい」
「右手だけだけどね」
顔を見合わせて笑う。
でも本当に……会えて良かった、また海斗と暮らせるんだ。胸の中で大きくなっていた不安と緊張が温もりで溶けていく。
“到着しました。2222号室です。”
ロイドショップからくねくねと歩いた先、音声が突然反応する。
「ここ? 」
「そうみたい」
圧倒されるような背の高いビル。エントランスをくぐり抜け、エレベーターに乗る。
「8階に行くの? 」
「上から1階らしいよ、変わってるよね」
あっという間に8階に着いてエレベーターは開く。
「2222号室だったよね」
「うん……でも扉に部屋のナンバー書いてないよ? 」
「ほんとだ」
“部屋に着きました、青い扉に入りましょう”
「青い扉だって」
「青い扉……ってあれ? 」
「そういえば、鍵とかないのかな」
通路の右側に見つけた青い扉にゆっくりと近づく。
“ドアにかざしてください”
海斗がそっとスマホをかざすとドアは裂けたように真ん中から開く。
「何これ!? 」
一緒に驚きながら家の中に足を踏み入れる。
“遅いですよ”
「み、水野さん!? 」
“いつまで玄関に立っているんですか? 早く入りなさい”
「もしかして……私達を見てるんですか? 」
「監視ってそこまで? 」
“日常生活を覗き見するほど悪趣味ではありません。案内が要らないなら切りますよ”
「あ、案内はお願いします」
私達の立っている廊下には、いくつかの扉があってどこから開けたらいいのかわからない。
“右のドアはキッチンとリビング、正面は寝室、左側は浴室とトイレです。キッチンが複雑ですから案内します。右のドアを開けてください”
新しい生活のステージとなる部屋の扉を海斗が開いて、私達の新しい暮らしが、今ここから始まりを告げた。
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