桜の時に思い出して

織本 紗綾

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第三章 運命の曲がり角

第九話

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 目覚めた時、頬には涙の跡があった。

 朝が……来ちゃった。

 こんなに気持ちの重い朝があった事を、ひさしぶりに思い出す。先生と出逢ってからの私は忘れていたんだ、日々の何気ない瞬間が幸せ過ぎて。

 制服のボタンを留める腕が重い。

 先生の側にいられなくなる、それはもう避けられない。離れなきゃ迷惑がかかる。それなら私にできる事はただひとつ……あの日のように先生と微笑み合ってさよならする事。

 綺麗な想い出で終わらせること。

 水分を奪うトーストを食べ終え、鞄を手にする。あの後、先生に会えない夏休みを越えて秋を迎えた私は、まだこの先も先生といられるって当たり前に思っていた。






 二学期最初の部活の日。待ち切れない私は図書館に寄らず真っ直ぐ部室に行った。夏休みの間ずっと、先生に会いたくて仕方なかった。

 先生……もう大丈夫かな。

 今日はみんな来ていないはずだからもしかしたら……期待とは裏腹に、部室は賑やかだった。一応、引退したはずの吉永さんや佐藤君もいる。

「今年の部誌はちょっと頑張っちゃおうと思ってね! 一年生も入ったし今が一番大事な時でしょ? 」

 楽しそうに話す吉永さんに、新部長の鈴木さんは緊張した表情を見せる。

「そうですね、頑張っていい部誌作りましょう」

 そう返事をする私……この間の先生の言葉で私も変わりたいと思った。今までは自分の為だけにここにいたけど、これからはみんなと一緒に盛り上げていきたい、良いものを作りたい、そう思えるようになった。

 みんなで話して案を出す。今までは好きな作品をバラバラに載せていたけど、合作にするか、リレー形式の作品にするか……色んなアイディアが出てきて楽しい。

「みんな! すごいよ! 」

 先生が息を切らして入って来る。

「何かあったんですか? 」
「この間のロミオとジュリエット、大好評だったんだ、先生達みんな褒めてたよ! でね、部誌にあれを載せてほしいんだって、であとね、あと……何だっけ」
「笑える」
「先生、とりあえず落ち着いて」

 和やかな雰囲気の中には先生も入っていて、いつもの笑顔で私達を見守ってくれる。

 よかった、元気そうで。

 先生の笑顔を見て勝手に安心しながら、私も話し合いに参加する。夏休みの間、色々調べた甲斐があって意見を出す事もできた。話し合いの後は、早速みんなで創作の時間。個人作品のテーマを決めていた私はプロット作りに取り掛かる。

「吉永さん、書いてみたんですけど見てもらってもいいですか? 」
「うん」

 吉永さんは真剣に私のメモ書きみたいなプロットを読んでアドバイスをくれる。

「ありがとうございます、最後ちょっと書き直してみますね」
「うん、衝撃のラスト楽しみにしてる」

 席に戻って書き始めた私は視線に気づいた。吉永さん……だ。

「どうかしました? 」
「史織ちゃん、なんかいい匂いするね」
「え、そうですか? 特に何もしてないですけど……」

 そんな事を言われたのは初めてだった。もちろん心当たりもない。

「最近きれいになったし、もしかして彼氏できた? 」
「え!? そ、そんな事ないですよ」

 焦って変な返し方をしてしまった私と吉永さんの会話は席をまたいでいるせいで、みんなに注目されてしまった。

「あれ? 史織先輩って澤田先生と付き合ってるんじゃないんですか? 」
「バカだな、それ言っちゃいけないやつだろ」

 一年生の思いがけない言葉に、部室がシーンとする。幸い、先生はさっき職員室に戻っていったから聞かれていなくて助かったけど、これは否定しないとまずいと思った。

「まさか、全然そんなんじゃないって」
「そうだよねぇ、先生と史織ちゃんが? そんな仲なわけないよ、何言ってんの」

 吉永さんが笑い飛ばしてくれたお陰で、みんなも何となく笑ってくれる。

「でもこの間、車の中で結構いい雰囲気だったんですよ? 」
「え? そうなの? 」
「ち、違う、全然そんなんじゃ……」

 ヤバい、気づかれたくないのに。

「そうなの? 先生と史織ちゃんってお互い無口だから話とかぎこちなさそうなんだけど……」
「そこがいいんじゃないですかぁ、お互い意識し合ってるって感じで、もうドキドキだったんですよ!? 」

 矢口さん、後ろの席でそんなこと思っていたなんて……。

「へぇ~、史織ちゃんはどうなの? 先生の事好きなの? 」
「だからそんなんじゃないですってば……」
「史織ちゃん、顔が真っ赤になってる、かわいい」

 みんなに代わる代わるイジられて、こういう雰囲気が苦手な私はもう早くこの部屋を逃げ出したい。

「だっていつも史織先輩、最後まで残って本読んでますよね」
「だからほんとに違くて……家でなかなか読めないからここで読ませてもらってるだけでね」
「史織ちゃんがそのつもりなくても、澤っちはその気だと思うよ」

 否定する私に金田先輩までがそう言って微笑んでいる。

「ちょっと、気づいてたならなんで教えてくんないの!? 」
「男同士だからね……なんとなくだけどわかるよ、いつも神崎さんの隣にいるし、ここで仕事してるのも一緒にいる為だと思ってた」
「へぇ~、神崎がねぇ……でもさ、先生みたいな大人がこんなん相手にするか? 」
「ちょっと! 失礼でしょ、史織ちゃんに」
「そうですよ!! 先輩と先生はベストカップルなんですから!! 」
「でもさ、大人の男だったらもっと出るとこ出てた方がそそられるだろ」
「はあぁぁ~!? 信じらんない! あんた梨奈ちゃんの事もそんな嫌らしい目で見てたの? 」
「なんで俺の話になんだよ!! 先生は俺らと違って大人なの! それに……先生と生徒なんてマジだったらヤバいだろ」

 佐藤君の言っていることはものすごく正論で、私にグサリと刺さる。別に何も期待してない、私はただ卒業まで先生といたいだけ……それなのに、はっきり傷ついた自分に気づいた。

「卒業したらいいんだよね、6歳の差なんて大したことないって」
「そ、そうですよ、史織先輩、お願いします! 私の為に先生とくっついてください! 」
「え!? 」
「なんだよ、結局矢口の趣味だろうが」
「先生かどうかは別として、私は史織ちゃんがきれいになったなって思ったから聞きたかったんだけど、史織ちゃん、また二人で話そっか」

 そう言って笑い掛ける吉永さんに、出来たら最初からそうしてほしかったなって思う。でもこれで何とか話題が収まった。

「神崎さんがどうかした? 」

 収まらないかも。

「あ、えっと……」

 何かごまかそうと思うけど、いい話題も見つからないしと思っていると先生が私の隣に立つ。

(ほら……)
(やっぱり隣だ)

 コソコソ目配せをしながら、みんなが先生と私を見比べる。もう……無理。

「あ、スマホ忘れちゃったんだよね」

 先生が自分の机の方に歩いていくのを見てほっとする。

「で? 何の話だったの? 」

 みんな、先生の問いに答えにくそうに黙っている。誰がなんて答えるか、目配せで押し付けあったりして。

「先生、戻らなくていいんですか? スマホ取りに来たんですよね」
「うん、取りに来たけど別に慌ててないから」

 さり気なく先生に戻ってもらえるように促したのに、こんな時に限って……初めて先生にイラッとする。

「もういいや、聞いちゃえ! 先生! 」
「は、はい! 」

 最初に口を開いた矢口さんの勢いに先生は驚いたように改まるし、何を言い出すのか怖くて仕方ない。

「史織先輩に彼氏が出来たかもって話してたんです」
「えっ!? うそ!? 神崎さん……ほんとに? 」
「やっ、違いますよ……そんな事ありませんから……」

 先生、どういうつもりで驚いたんだろう、わかりやすいぐらいに顔色が変わったけど。私なんかにできるわけないってことなのか、それとも……。

「そっか、違うんだね」

 先生の反応の意味がよく分からない。

「今、史織ちゃんがきれいになったって話してて……」
「それで、先生とお似合いなんじゃないかって話してたんです」

 そのまま話が終わるかと思った時、よりによって吉永&金田さんの先輩カップルが核心を突く。こんな所で振られたくないし、どんな答えだって聞きたくない。先生の顔なんてもう見られなくて、怖くて。

「俺? 」

 先生の第一声は、驚くほど間抜けに響いた、それぐらい私のことなんて眼中にない証拠だってわかる。

 望んでないのに、こんな所で知りたくなかった。

「ばれちゃった? 」

「え? 」

 今度はみんなが先生の言葉に驚いている。

「なんてね、俺は嬉しいんだけど神崎さんに悪いからさ、やめてあげて」

 先生の声が優しく響いて、みんな静かになる。大人の対応だった……子供な私達との差がはっきりとわかるくらい。

「ごめんなさい」

 悪ふざけが過ぎたという雰囲気に、謝られても気まずい。

「神崎さん」
「は、はい……」
「ごめんね、噂の相手が俺なんかとで」
「いえ……」
「でも……神崎さん、確かに綺麗になったと思うよ」

 そういう所なのに。私だけじゃなくてみんなまで赤面してるし、もうなんて答えていいのかも分からない。大人だから子供をからかって遊んでいるのか、それとも天然な性格のせいか、平気な顔でそんなことが言えるなんて。

 その日、最後まで残る予定だった私は早めに部室を出た。外に出ると、さっきまでの変な汗が引いてすぅーっと身体が冷えていく。

 みんなに、気持ち気づかれてるんだろうな……先生だけじゃなくて私も誤解されるような態度を取っているからあんな事言われたんだ。

 しばらく部室に残るのは控える事にした。噂だから静まれば、またあの時間を過ごせるようになる……きっと。
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