桜の時に思い出して

織本 紗綾

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第二章 恋芽吹く時

第五話

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 このままじゃいけない、私たち部員はそう話すようになった。幸い、噂はすぐ別の話題に取って代わり一年生に元俳優の子が入って来たとか、学校中がそんな話題で持ちきりになっている。

 それでも、今年の文芸部に入部希望者はいなかった。

「何かやってみたいって思うことない? 」

 引退を控えて焦る吉永さんも一生懸命だった。それに先生も……あの日から毎日部室に来て、みんなと話をするようになった。なんだかアットホームな雰囲気で“お疲れさま”なんて迎えられると、家に帰ったみたいでそわそわする。本当の家だってそんな暖かく迎えてくれないのに。

「部室来てくれたら楽しいってわかるんだけどねー」

 最初は反発していた副部長の佐藤君も今ではすっかり先生と仲良くなって、こんなことを言いながら笑っている。新入部員を勧誘する為、そして澤田先生への誤解を解く為に私達は、ただ本を読むだけの個人プレーからチームプレーへと変化して、思ったより自然な流れで部活ブログの開設と週一ミーティングを始動させた。

 そしてもう一つ、先生が大きな仕事を持ってきた。

「みんなと相談してから返事をするって言ってあるんだけどね……」

 私達の反応を気にしながら一人一人の顔を見る先生は私と目が合った時、なんだか不安げな、心配そうな瞳に見えた。

「演劇部の人数が凄いことになってるのはもう知ってるよね、何とか40人に絞ったみたいなんだけど、人数が多すぎて新入部員発表会の脚本が見つからないらしいんだ」
「まさか先生……」
「うん、みんなで協力してさ、脚本を書いてあげられないかな。題材は何でもいいんだって、オリジナルの話でも、例えばシェークスピアや映画なんかの話をリメイクしてもいいって。ただ40人、何とか出番を作らなきゃいけないらしくて」

 とんでもない話だと思った。

「脚本なんて書いたこと無いって」
「40人がみんなで舞台に出られる話なんてある? 」

 みんなただ驚いているという感じ、私もびっくりして何から考えればいいのか頭が追いついていかない。

「いつまでに書くんですか? 」

 吉永さんの一言が場を沈めた。

「発表会は7月10日の日曜日なんだけど、練習期間があるから遅くても5月末には台本がいるって。役のオーディションとかもあるらしいしね」
「5月末!! あと二週間くらいしかないの!? 」
「やってみない? 」

 ざわめく声の中で、はっきりと言ったのは吉永さんだった。彼女がいなくなったらこの役目は一体誰がやるんだろうと思うくらい、吉永さんは名リーダーだった。

 演劇部の脚本作りをする事になった私達は見事に忙しくなった。まず、作品案を持ち寄って題材を決め、ストーリーの方向性を話し合う。初めての創作活動は思った以上に忙しくて難しくて、楽しい。

「ロミオとジュリエットなら全員出れない? 舞踏会とかでさ」
「それじゃあ見せ場が少ないでしょ」
「ロミオ3人、ジュリエット3人とか一つの役を複数人にしたら? 」
「なんか幼稚園の劇みたいだな」
「ミュージカルみたいに何回も公演があればそれもありだけどなー……」

 40人という人数がネックになってなかなか決まらない。

「いくらパートで分けるって言っても、もう書き始めなきゃヤバイよな」
「そうだね……私達じゃあ舞台の事もよくわからないし……」

 話し合いの間、私はずっとみんなの意見を聞いたまま黙っていた。

「神崎さんは? 何かないの? 」

 急に副部長がじっとこっちを見た。いくつか案は出ているけど……どれがいいのか私にはわからないし、考えていた配役を複数人にする案はもう否定されてしまっている。

 みんなの視線が痛いけど何か言わなきゃ。

「私達の……案を候補として、演劇部の皆さんにも考えてもらいませんか? 舞台や演技の事はわからないですし……」
「まぁ、それもありか」
「そうね……私達が考えるべきはその題材をどこまで面白く出来るか、よね」

 これでいいのかわからないけど、みんなでいくつか作品の候補案をまとめた。タイトルとあらすじ、簡単なオチでどんな話か分かるように書く。

「史織ちゃん、いい事言ってくれてありがとね」

 ミーティングの後、吉永さんにそう言ってもらえたのが嬉しくて少し自信がつく。でもその意見で決まったからか、一番暇だからか、演劇部との話し合いについていく事になり……いつの間にか原稿の取りまとめまですることになってしまった。

 題目が決まってみんなが原稿を書き始めてからは部室も静かになった。自宅やカフェなど思い思いの場所で自由な時に執筆した原稿が私のスマホと先生のPCに届く。

 先生とメッセージのやり取りをするようになったのもこの頃だった。

 授業後の静かな部室で読む物が本から原稿に代わって、先生と一緒に誤字脱字のチェックをしながら読んでいく。

「さすが、読むの速いね」
「そうですか? 」
「あぁ、速いと思うよ。俺の倍のスピードで読んでるのに誤字脱字もちゃんとチェックしてるし……それに誰より話を理解してるし」
「そ、そんなことないですよ」
「だってこの間、佐藤に的確な指摘をしてたよね」
「そんな事ありました? 」
「あぁ、ロミオが初めてジュリエットを見たシーンの話だよ、一目見てジュリエットに惹かれたロミオの気持ちになってみてくださいって言ってただろ? 」
「はい……」
「佐藤の文章は説明文に近くてジュリエットへの一目惚れがうまく表現出来てなかったからな、神崎が言ってた通り、見た瞬間に世界が一変するような表現が必要だと思うんだ。まぁ……難しいけどな」

 そういえば……数日前、送られてきた原稿の中でどうしても気になったから初めて書き直してもらうことになったんだった。昔から原作の世界観が壊されるのが嫌いで、こだわるとついムキになっちゃってあんな恥ずかしい事を。

「もう、やめてください、恥ずかしいと思ってるんですから」
「褒めてるんだよ、俺も参加するならちゃんとしなきゃと思って原作読んでみたんだ」

 ほらと言いながらニコニコと本を出す先生は、忙しい仕事の合間を縫って私達と同じように脚本作りに参加してくれている。目の下にクマを作って、少し眠たそうな顔で。

「ところでさ……」
「はい? 」

 再び原稿に視線を戻そうとしたところで、先生の視線がまだ私を見ていることに気づく。

「神崎さんは好きな人とかいるの? 」
「えっ!? な、何言ってるんですか、そんなのいないですよ!! 」

 ニコニコと平和な笑顔で、とんでもない事を。顔に血が昇ってきて暑くて動悸も激しくて、裏返って変な声が出そう。

「せ、先生が生徒にそんな事聞いていいんですか」
「ごめんごめん、何となく気になって……どうなのかなって」
「そういうのは物語の中だけでいいんです」
「そうなの? 」
「そうなんです!! 」

 今度こそ手元の原稿に視線を戻して集中する。

「でもさ……」

 読んでいるのに、先生が声を掛けてくるから集中出来ない。

「なんですか? 」

 顔を上げると、先生の顔から笑顔が消えている。

「哀しいよね……せっかく出逢えたのに」
「そうですね……」

出逢えて好きになったのに、敵同士の家柄と行き違いのせいで結ばれない二人の愛はあまりにも短くて虚しくてやりきれない。

「立場とかさ、そんなの関係ないのにね」

 この言葉が、今も忘れられない。

 どこか遠くを見るような先生の表情も、手の角度や着ていたブルーのシャツまでも……この時のことはずっと鮮明に残ってる。

 先生は何を見て、誰を思い浮かべてるんだろう。私まで切なくなる……そんな表情になぜか胸が傷んだ。

「まぁ、物語でよかったよね」

 我に返ったのか、冗談めかして笑う先生の笑顔まで急に切なく見えてくる。その日から何だか急に気になり始めてしまった。

 そんな私の気持ちとは関係なく脚本作りは進んでいった。土曜日も部室に集まってみんなで話し合いながら脚本を仕上げていく。

「だからここは激しく剣をぶつけ合うシーンだろ、スピード感が大事だって」
「でも睨み合う表情とか、心情のわかる台詞も必要でしょ」

 パート分けしてそれぞれで書いた原稿はもう書き上がったけれど、ストーリーや文体には統一感が必要で細かく調整しながら一つの脚本を完成させていく。そうして演劇部に提供する脚本は締切ギリギリの5月末に完成した。

「あー!! 終わったー!! 」
「おつかれー!! 」

 みんな達成感に満ち溢れた笑顔で、去年の学祭の時期にも無かったような盛り上がりの中、演劇部に提出を済ませた後で私達にも一冊ずつ配られる。

 ロミオとジュリエットが描かれた表紙のその一冊は、みんなにとって宝物になった。

 フワフワした気持ちで解散した夕方、自転車に乗ろうとした時、部室にスマホを忘れてきた事に気づいた。

 急いで校舎に入って階段を駆け上がり、部室に向かうとまだ電気がついている。

 先生……まだいるんだ。

 今日はみんながいたから先生と話せなかった。少し緊張しながら引き戸に手を掛ける。戸を開けると、先生の背中が見えた。先生用のグレーの椅子に座り、机に突っ伏しているように見える。

 もしかして。

 ゆっくり静かに、音を立てないように入っていってスマホを取る。

 よし、起こしてない。

 心の中で喜びながら先生をもう一度見ると、椅子のそばに眼鏡が落ちている。椅子を引いたら踏んでしまいそうだと思った私は、ゆっくり近づいて眼鏡を拾った。

 まだ起きない先生の机に眼鏡を置くと、腕の隙間から先生の寝顔が見えてしまう。

 どうしよう……ドキドキする、帰らなきゃいけないのに、目が離せない。

「ん……なに? 」

 突然、寝ぼけたような声と共に先生が動き出した。やばい、見ていたのバレちゃった。

「す、すみません、スマホ忘れちゃって! すぐ帰ります!! 」

 走った。恥ずかしさのあまり、顔は紅潮して胸は痛いぐらいに鼓動を早めている。自分がなぜあの場を離れられなかったのか、まだよくわかっていなかった。

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