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ChapterⅣ 終結
56.優しい人 〜kind person〜
しおりを挟む胸の奥、何かが轟々と渦巻いている。
抱きしめたくなった。
あんな奴どこがいいんだ、そう囁いてキスをして強引にでも抱いてしまいたい。子供達がいなければ……初めてそう思った。ガンガンする頭はおかしな妄想で俺を焚きつける。あいつの子なんか……産ませたくない。
でも嫌な予感が頭をもたげる。
「奏翔さん……具合悪そうなの」
疲れてるのにごめんねと言いながら。初めてだった、遥が書斎に俺を呼びに来るなんて……蓮や美蕾が熱を出しても呼びに来た事なんてなかったのに。
あいつは、それ以上の存在なのか。
善人の仮面を被り、眠るあいつの所へ。貧血だ、栄養不足と腕の炎症のせいだろう。やはり診療所で診たあの患者のケースに限りなく近い。だとしたら……放っておけば死ぬ。このままのらりくらり結論を伸ばして治療しなければ。
「栄養が足りないんだ……水分も。きっと子供達の為に我慢してくれてたんだと思う。ごめん……」
見れば遥も具合が悪そうだ。そんなになるまで愛し合ったのかとは、聞けなかった。
「とにかく、無理しないで。それは遥も一緒だよ」
リミットは12時間、早ければ早いほどいい。ふらつく身体を寝室まで送ると、ベッドに横たわらせる。チャンスは今しかないだろう。
栄養剤だと偽って、遥に睡眠導入剤を渡す。ひどく冷静だった。一度、下に戻って子供達の様子を見に行くと注射器と薬剤を持って寝室へ。
医師として許されない行為だとわかっている。本当に抱かれ、精子が体内にあるのかもわからない、それなのに俺は……遥に緊急避妊薬を投与した。
遥の中にいる痕跡を消す……遥には知らせない、遥があいつとの子を望んでも俺は許してやらない。
投与後、眠る遥の横顔を見て初めて気づいた。重大な……してはいけない過ちを犯したこと。
人殺しと同じだ。
遥の中で結びつこうとしていた命の火種を……遥の生命の一部を、消してしまった。運命なのだとしたら、結局こんなことをしても、遥はこれからもあいつに抱かれ……愛し合い、子を為すだろう。
終わったんだ、何もかも。
蒼白い寝顔、いつの間にこんなに痩せていたのか。夫婦がこんなに遠いものだとは、思わなかった。
「治るか」
麻痺の症状は既に出始めていたようだ。感覚がおかしい……目覚めた表情はいつになく苦悩している。
「わかりません。まずはリハビリを……炎症のせいで筋肉が硬直しているだけかもしれません」
「頼む、治してくれ。生きなきゃならない……理由が出来たんだ」
絞り出すような声には力が籠もっていた。
生きなきゃならない理由……それが遥だと言う事くらい、わかる。愛しあった二人は約束を、共に生きていこうと、誓ったのか。
「あなた次第です。治したいなら無茶せずに言う事を聞いてください」
そう言うのが、精一杯だった。
そして遥も目を覚ました。
「ママ! 」
反対側、遥の眠る部屋から子供達の声が聞こえる。またこの子達に親を失わせるのか。
様子を見に行くと遥の意識はまだぼんやりと醒めきっていない様子だ。
「ゆっくり寝かせてあげよう」
「レンもここで寝る! 」
「ミライも! 」
こんなに幼く無垢な子供達を……こんな俺と遥をパパママと慕ってくれるこの子達を捨てるつもりか、あいつとの愛の為に。
胸がざわめいて騒がしい。言いたい事が次から次へと溢れ出して止まらなくなりそうだ。
「言う事を聞きなさい」
子供達の表情が凍る。驚いて俺を見る目は怯えて……気付けば冷たく言い放っていた。
「少し出てきます」
いたたまれず、目覚めたばかりの水野さんに子供達を任せて家から逃げる。
とぼとぼと歩き続け、街を彷徨う。
“約束したんです、遥を幸せにするって。この街でずっと遥と暮らしていけるのならどうなってもいい”
パートナーロイドに、あの人達に頭を下げて頼み込んだ日から、そう遠くないはず……あの頃の俺はもっと遠い未来までも遥といるつもりだった、それなのに。
いつの間にか、立場は逆転してしまった。
何を足掻こうが運命なら変えられない。とうに死んでいるはずの人間に、誰かと生きる未来なんて用意されていないのかもしれない。
気付けば廃墟と化したあの場所に立っていた。
「いいか? 」
その日の夕方、先に目覚めた奏翔は遥の元を訪れる。
「どうして? もう大丈夫なの? 」
眠っていなかった遥は慌てて身体を起こし、奏翔はドアの前に立ったまま話し始める。
「あぁ……海斗から聞いた。お前も具合が悪いって。起き上がらなくていい」
「私は大したことないから……」
「無理させて悪かった。本気でそう思ってる……ごめん」
「もういいから、その話はやめて」
「お互い良くなるまで距離置こう。病室にも来なくていい」
「わかった」
熱が醒め、衝動に流された事を恥じているのか二人の間には気まずい空気が漂っている。後悔、遥にとってはそうだろう、しかし奏翔にとってそれは、決してなかった事になど出来ない愛おしい夜。
「その先の事は……ちゃんと考えるから。だから早まって一人で行ったりするなよ」
「え……? 」
「そんな顔してるぞ。俺を置いていかないでくれ、それから戦場にも」
「ここにいたんですか、晩ごはん出来ました」
いつもと変わりない声を作り、海斗が部屋に入ってくる。歩き疲れて帰った海斗は子供達に謝り夕食の支度を済ませ、遥を迎えに来た。
「立てる? 」
「うん」
家族という、未だ奏翔が超えられない壁を越えて通り過ぎていく海斗。ふらふらと立ち上がる遥に駆け寄ると身体を支え、共に部屋を出ていく。
傷ついても今は……顔を背ける奏翔を遥が見つける。
「大丈夫、一人で歩けるから」
「ふらついてる、危ないから」
離れて行こうとしてふらつき、階段から落ちそうになる遥の腕を掴み一言。
「あなたも来てください。水野さんが下で待ってます」
部屋へ戻ろうとする奏翔に、背を向けたまま声を掛けた。水野と夢瑠も混じるにぎやかな食卓、海斗も遥もそして奏翔もいつも通り、何事もなかったかのように過ごす。
さりげなく遥を見ている海斗。
夢瑠や子供達と話すぎこちない笑顔を愛おしく思いながら、海斗は遥との未来を諦めた。
ツンと冷える冬の朝、陽に包まれて眠る遥の寝顔を海斗は眺めている。
瞼にかかる前髪を、何気なく撫でようとして手を止めた。もう気軽に触れていい存在ではない……そんな躊躇いに指先が彷徨う。
「海斗? 」
気配に気づいたのか遥が目を覚ます。
「ありがと……ここにいてくれて」
抱きしめる海斗、しかしその抱き方は浅く友人や家族がするハグのよう。ぼんやりと、寝ぼけた遥が背中に手を回そうとすると海斗はそっと離れていく。
その手はなぜか傷だらけだ。
「海斗、手……どうしたの? 」
「あ……これは、何でもないんだ。それよりこれ、見てくれる? 」
照れくさそうに笑う海斗の視線の先には車椅子が、部屋の隅に陣取っている。
「これなら走らなくても蓮や未来といられると思うんだ」
「これ……どうしたの? 」
「病院にあったんだ。ちょっと壊れてたけど直したからちゃんと動くし、乗れると思う」
「もしかしてその手……海斗が直したの? 」
「座ってみてほしいな」
昨日、街を彷徨い歩き回った後、泥だらけになって帰った海斗の手には大きな金属の塊と妙に綺麗な水色の袋が握られていた。
“レンとミライがわるいの。ママにこっちおいでっていっちゃったから……ママね、ここをおさえていたいいたいって”
美蕾から朝の出来事を聞いた海斗は、廃墟と化した病院で壊れた車椅子を見つけ持ち帰る事にした。
自分を裏切った、憎んでもおかしくない相手。その遥に、海斗は優しい微笑みを向ける。
「ありがとう」
「遥は俺の大切な人だ。それは……何があっても変わらない」
「海斗……」
「だから無理しないで、もっと頼ってほしい」
曇りなき瞳で真っ直ぐな想いを伝える海斗。
それは嫉妬も性欲も、灰汁のように心を濁していた雑念のすべてを取り去って、最後に残った純粋な気持ちだった。
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