最期の日 〜もうひとつの愛〜

織本 紗綾

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ChapterⅣ 終結

53.どうして…… 〜why forever……〜

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 「寒くない? 」

 食事の後、庭で遊ぶ子供達を眺めていると海斗が隣に、さりげなくカーディガンを掛けてくれる。

「ありがとう。海斗は寒くない? 」
「俺は平気」

 冷たい風に枯れ草がさらさらと乾いた音を立てる。こんな風にゆっくり横顔を眺めるのは、いつぶりだろう。

「ひさしぶりだな……こんな風にゆっくりできるの」
「うん……」

 とくん……心が小さく音を立てる。

 ちょうど今、同じ事を考えていた。

 そんな些細な事が、とてもうれしい。

「どうかした? 」
「ん? 」
「ずっと見てるから……」
「あ、ごめんね……何でもない……」

 夫婦になって五年が経って、二人ともそれなりに歳を取った。それなのにまだ片想いの頃のまま、もどかしくて、言いたい事がうまく言えない。

 ふいに包まれる手。

 大きくてしなやかな温もり、子供達から見えないよう後ろに隠して、海斗が私の手を握ってくれている。

 見つめても、何も言わない横顔。

 じんわりと温かくて、心が抱きしめられているみたい。

 どうかこのまま。

 死ぬ事しか考えていなかった頭に、そんな言葉が浮かんでくる。

 ズキン!!

「うっ……」
「どうした!? 」

 激痛に思わずうずくまる。焦る海斗の声、何でもない、そう言いたいのに息ができない、声が出ない。

「ママ!? 」
「ママ、どうしたの!? 」

 揺れる視界、水底に沈んでいくよう……海斗にも、駆け寄ってきてくれる蓮と美蕾にも何も言えないまま、景色がぼやけていく。

「蓮、美蕾、カバン持ってきて!! 」
「はい! 」

「遥、しっかり!! 」

 こんな時でもそう呼ばれるとうれしい。ずっとパパとママだったから。

 そんな事を考えながら、声は遠くなっていく。



「………もうちょっとだからね」

 うっすらと、美蕾の声が聞こえる。

 白いシャツの胸元、かすかに残るアルコールの匂い……海斗が、私を運んでくれている。苦痛が和らぐ温もり、身体を預けると逞しい腕が支えてくれる。

 “しっかりつかまってろ”

 また大きな胸の痛み、なぜかあの人の声が再生される。

 どうして、どうして……止めようとしても浮かんでくる記憶。牢獄のような部屋、血や汗や体液の腐敗臭、怒声、嘲笑……地獄に埋もれた私を引き上げた浅黒い腕。

「美蕾、ドア開けれる? 」
「うん」

 どうして……もっと大切にしなかったんだろう。あの夜、海斗の目を見ていれば失わずに済んだのかもしれない。もっと話をしていれば……でももう遅い……何もかもが。

「遥、いま診るからもう少し耐えて」

 私をベッドに降ろした海斗はバッグを開けて診察の準備を。やっと見つけた生きがい、誰にも奪われないほどに築いた居場所を、今度は私が奪っている。

 足を……引っ張っている。

「ごめんなさい……」

 言っているはずなのに声は届かない。

「ん? どうした? 」

 顔を近づけて声を聞き取ろうとしてくれる。

「ごめんなさい……私……」
「謝る事じゃない、俺の方こそ……また気付けなかったんだ。今もまだ発作があるなんて……」
「大した事……ないの。一回か二回……あっただけで」

「とにかく、診察と応急処置……しないとな」

 少し、何かを考えて黙っていた海斗の手が近付いて診察が始まる。てきぱきと動く手、知られたら生きていけない、それだけが頭を巡る。

「いいの……海斗、私は」

「海斗先生!! 」

 ちょうど、遮るように由茉さんが入ってくる。

「由茉さん、どうして」
「迎えに来たんです。呼び出したくても連絡手段も何もないんだから」

 また攻撃があって医師が数人亡くなった事、シェルターに多数の怪我人が運ばれてきている事がぼんやりとわかる。

「悪いけどそれどころじゃ」
「いいの……行って……」
「でも」
「私なら大丈夫……」
「パパ! ミライが」
「子供達も連れて行って……寝ていれば治るから」
「俺には」
「由茉さん……夫と子供達の事、よろしくお願いします」

 嬉しそうな目をした由茉さんの勢いに海斗と子供達を託し、目をつぶる。後ろ姿は見たくない。

「何でもする、絶対治すから」

 いつも通り、勢いに負けて海斗は出て行った。子供達も連れて……また、胸に痛みが走る。

 逃れられない、この地獄からは。

 悶えるようにベッドサイドのチェストから手紙を取り出す。涙で滲む文字、何度も読み返した優しい種明かしを、抱きしめて眠った。

 頬に涙の跡を浮かべ、遥は眠りについた。

 御守りのように抱きしめて眠った手紙のおかげで胸の痛みは落ち着いたようだ。海斗からの手紙にはこう書かれている。


 遥へ

 無事でよかった。

 今さっき、あの人に頼まれた着替えを壕に届けてきた所だ。いつのことか、思い出した?

 そう……これからこの手紙を夢瑠ちゃんに預けに行く所だ。読んでくれてるって事は、蓮と美蕾を探してくれたか、夢瑠ちゃんに会いに行く事が出来たんだね。

 本当にごめん、勝手なのはわかっているんだ。最後に遥を酷く傷つけた事も……取り返しつかないよな。

 でも、安心した。

 あの人なら俺より強いし、何より遥を大切に想っているから……きっと守ってくれる。俺との毎日にはなかった幸せを手に入れられるはずだ。

 俺はもう充分……幸せだった。

 愛する遥と子供達に囲まれて幸せ過ぎるくらいだった。ずっと、白髪が生えて歳を取ってもみんなと一緒にいたかった……でもやっぱり、自分の運命には抗えないらしい。

 最後だから言うよ。俺は英嗣が開発した兵器ロイド第一号だったらしい、生きていたあいつに自爆装置を埋め込まれ、遥や子供達を道連れに死ぬ運命だと言われた。

 家族みんな一緒なら死んでも幸せだなんて思えなかった。蓮と未来はあのご両親から預かった大切な命だから、必ず生かさなきゃならない。そして遥にも……生きて、笑っていてほしい、そう思った。

 この5年、子育てや家計の苦労ばかりさせてきた。この上、俺が死んだ後も一人で双子を育ててくれなんて言えない。幸せになってほしいんだ、わかってくれ。

 どうせ爆ぜるならあいつを道連れに、跡形もなく死んでやる。


 戦争はいつか終わる。必ず生き残って幸せになってほしい。ロイドとか英嗣とか……俺のことなんて全部忘れて、愛する人と幸せに。

 そして蓮と美蕾の事だけど、しかるべき施設に預けてほしい。

 辛い選択だけど、それが本来の道だと思うんだ。俺が空から見守ってる、遥のおかげでいい子達に育ったし、きっと大丈夫だ。

 書きたいことはたくさんある。でも……今の俺にはあまり時間がない。ずっと爆弾の装置が頭の中で時を刻んでいるから……カチカチってうるさいし、変な所で爆発するわけにいかないんだ。

 名残惜しいけど、これで最後だ。

 遥、俺を幸せにしてくれてありがとう。産まれてきて、遥と出逢えて……本当によかった。

 海斗

 PS.草野の姓でいない方がいい。名前を変えて新しい人生を生きてくれ。


 当時、父を模したロイドにそそのかされて、体内に起爆装置を埋め込まれたと思い込んだ海斗は、遥と子供達を守る為に別れを選択した。

 海斗は、それを激しく後悔している。

「順番です、並んでください!! 」

 診療所に列をなす人々、この街のどこにこんなに隠れていたのかと思うほど。看護師やボランティアが重症度を確認し、並ぶよう促しても痛い苦しいと訴える声が止むことはない。

 海斗もまた悟っているのだろうか。

 この地獄からは逃れられない事を。

 心の中は嵐のように荒れ狂い、遥の元へ帰りたい衝動に駆られていても診察の手を止める事は出来ない。

 敵が何者かはわからない、再び無差別攻撃を受けた街は病院や他のシェルターにいた人達の行き場を失くし、死ぬほどではない傷を与えた。

「先生、この人もですか? 」
「あぁ……こんな症例、見たことがない」

 恐らく敵の光線かガスの影響……推測は出来ても調べる時間はない。

「海斗先生? 」

 海斗の手が止まった。

「これはいつから? 」
「さぁ……なんかわからんけど熱が出て痛くて痛くて、ほんで痛くなくなったと思ったら今度は黒くなってきて……先生、腕動くようにしてください。子供を世話せんといかんのです」

「切断する」
「え……? 海斗先生、今なんて」
「今すぐ切らないと死にます」

 患者は腕を切断せざるを得なかった。処置を行うと義手の手配を。

「調べないと」

 それはもうひとつの地獄の兆し。気付いた海斗はいつになく青ざめていた。
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