最期の日 〜もうひとつの愛〜

織本 紗綾

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ChapterⅣ 終結

48.空に向かう〜heading for the sky〜

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 よろよろと、おぼつかない足取りで遥は荒れ地を歩いていた。ある物を手に入れる為、草野総合病院に向かっている。

 つたの絡まる塀に鬱蒼と茂る枯れ草、塗装の剥げた無機質な建物。戦争のせいで劣化してしまい今でさえ不気味な雰囲気を醸し出しているが、院長が急逝し、継ぐ者もなくすたれてしまったこの場所に新たな生命を吹き込んだのは海斗と遥、そして洋司だった。

 壊れた箇所を修繕し、外壁を塗り、新しいベッドやソファーを入れ、花壇には色とりどりの花を。

 遥は忘れてしまったのだろうか。

 いつの間にか、ここは海斗と由茉の場所に……遥にとって立ち入り難い場所になってしまっていた。

 やっとの思いで門をくぐり、石の柱にしがみつく。

 誰にも見つからないように、遥は早く目的を達する必要があった。しかし、筋力の落ちた足が震えて言う事を聞かない。

「遥か? 」

 駆け寄ってくる、しわがれた声の主は洋司だった。



「大変だっただろう、ここまで来るのは。用があるなら海斗に頼めばよかろう。それとも喧嘩でもしたのか」

 洋司は遥を部屋に招くと水を出して疲れをねぎらう。

「ううん……伯父さんに会いたくなっちゃって」
「また嬉しい事を言ってくれるなぁ、遥は」

 一段と深くなった皺を寄せて洋司は笑う。洋司にとっていつの間にか遥は、目に入れても痛くないほど大切な娘同然の存在になっていた。

「伯父さん。休みの日くらい、よかったらうちに……」
「いやぁ、これでも開いとるんだ。平和になったし、海斗目当ての患者もんがな。それよりどうだ、聞いたぞ、二人で遥を取り合っとるらしいなぁ」

 冗談めかして笑う洋司。しかし遥にとって、それは最も気の重い話。

「それで? 遥はどうなんだ。海斗とあの男、どっちを選ぶつもりだ? 」
「伯父さん……」
「海斗には苦労させられたからなぁ。年々、英嗣に似て気難しくなるし、あの男も……昔からずっとお前さんの事しか考えとらんかった。諦めることは、できんだろうなぁ」
「知ってたんですね……奏翔さんの気持ち」
「あぁ、わしも水野もそれとなくほのめかしたんだが、あの頃の遥は眼中になかったからな」

 水を一口飲むと、遥はふぅっと溜め息をつく。

 五年前、壊れた海斗を直していたあの頃に時が遡る。あの日、遥はこの病院の中庭で海斗が再起不能だと告げられた。憔悴する遥と遥の為に海斗を生かそうともがく内藤、その両方を見ていた洋司はそれとなく海斗の他にも男はいると諭したが遥は海斗を自力で直すと宣言し、内藤の想いに気づく事はなかった。

「私だけ……気づいていなかったんですね」
「有り難いと、今でも思っとるよ。英嗣の操り人形だった海斗にとって遥はただ一人のかけがえのない存在だったからな。遥がおらんかったら今、海斗はここにはおらん。身内のわしでさえ諦めていただろう」

 心を込めた言葉は遥に響いているだろうか。場は穏やかな懐かしさに包まれて、洋司は口を滑らせる。

「もう……それだけで充分だ」

「え……? 」

 遥は思わず聞き返す。

「世間体やら子供達の事やらは気にせんでいい。今の遥を本当に幸せにしてくれる方を選んでな、今度こそちゃんと」
「先生! いらっしゃいますか」

 言葉を遮るようバンとドアが開き、見慣れない看護師が駆け込んでくる。

「なんだなんだ」
「急患です。市内で事故が! たくさん運ばれてきてます! 」
「たくさん? 何人だ、重傷者は」
「それが……すみません。あの、原田さんと海斗先生はいつ戻られるんですか? 私達だけでは」
「問題ない。由茉も海斗ももう戻らんのだ」

 すまんなと立ち上がり看護師とひそひそ話す洋司。しかし、遥には聞こえている。

「悪いが……」
「行ってきてください」
「帰りは必ず送るから好きに休んで待っとってくれ」

 遥が頷いたのを確認して洋司は、急いで走っていった。


 まるで別れの言葉、洋司は遥が内藤を選ぶとでも思っているかのような言葉を残した。

 しかし、遥はどちらも選ぶ気などない。

 海斗も内藤もいない世界に一人旅立つ為、足を治してここに来た。

 今ならと意を決して立ち上がる。

 おもむろにデスクの方へ歩き出すと引き出しを開けて何かを探す。無言のまま、どこか影の降りた瞳は何を求めているのだろうか。ここにはないとわかると立ち上がり、今度はデスクの上、開いたままの本を手に取る。それは洋司の直筆で書かれたノート、パラパラとページを遡るとあるページで目を見開いた。

「そっか……」

 呟く遥の声がかすれる。

 そしてノートを元の位置に戻すと、何もなかったかのように今度は背後にある本棚へ向かう。本の並ぶ棚ではなく、下の引き戸を開けて中をあさる。より影の濃くなった瞳、空箱ばかりで目当ての物は見つからない。

 遥の闇をより濃くした、開いたままのノート。そこに書かれていたのは五年前、遥が検査を依頼した時の結果だ。

 “不整脈疑い、再検査では確認できず。指定難病の可能性あり、やはり入国時検査は誤診ではないのか”

 大きく殴り書きのような文字が並ぶ下に貼られた検査データ。貧血と原因不明の目眩があり、本当に心臓に病気があるとすれば妊娠や出産に耐えることはできないと、医学の知識がない遥でもはっきりわかるように書かれていた。隣のページに目を移すと海斗の検査結果は全て正常、何もかも人間としての機能を取り戻していると、書かれている。

 改めて知らされた衝撃的な事実。遥を傷つけぬ為、また見え隠れする心臓の病にも確信が持てなかった為、五年前の洋司は遥に真実を伝えなかった。遥にはあまり無理せずゆっくり暮らすようにとだけ伝え、海斗には島の暮らしで弱った遥の身体をいたわり性的な接触をもたないように、それとなくほのめかした。

 ずっと、自分の子供を望んでいた海斗……産んであげられたらどれだけいいだろう、そう遥は思っていた。

 永遠に、自分には無理。
 
 その事実を、とうとう知ってしまった。

 部屋を探り続けていた遥の動きが止まる。その右手には小さな銃、洋司が護身用にと持っていたものだ。

 黒光りするその塊を手に取ると、遥はそれを懐かしそうに眺めて撫でる。

 ドォゴォォォン!!

 突然、地を揺さぶる爆音と震動、あまりの衝撃によろけて遥の手から離れた銃が床を滑っていく。

 床に打ち付けられた遥。

 しばらく倒れていたものの静かに起き上がり銃を拾う。遥は音のした方へ、吸い寄せられるように歩いていく。



 突然の攻撃が街を襲った。

 人々は何が起きているのかもわからず逃げ惑う。これまでに見た事もないピンクやオレンジの光線が街を焼き尽くし、再び焼け野原にされていく。水飲み場や公設市場、家と家の間に干された洗濯物……苦難を乗り越えて再興を願う人々がやっとの思いで築いたそれらに火がつき灰になっていく。

「蓮、美蕾、急ごう! 」
「うん! 」

 二人の子供と荷物を抱え、家の近くまで戻ってきていた海斗は言いようのない胸騒ぎを覚え、先を急いだ。振り返れば昔、遥が住んでいた家や公園や駅のあった中心部から南東の方角に火の手が上がっている。

 病院が、伯父さんが危ない。

「ふたりとも帰ったらママの部屋でおりこうにお留守番できるか? 」
「うん、できるよ! パパどこいくの? 」
「伯父さんの様子見てくるよ」

 三人は、遥が病院にいる事を知らない。






 洋司と遥のいる草野総合病院は爆撃を受け、火に巻かれていた。患者達を地下シェルターに押し込めた洋司は、遥を避難させるため急いで自室に戻る。

「遥! 」

 しかし、遥の姿は見当たらない。

「遥、どこに……」

 部屋は荒らされた後のように様々な物が散らばっている。爆風で吹き飛ばされた窓ガラスに倒れたハンガーラック、爆発の威力のせいか……しかし、本棚の下の引き戸が不自然に開けられている事に洋司は気付いた。

 近づいていって気づく、散乱したままの箱に何が入っていたのか。

 銃だ。

「遥、何故だ……」

 パァァァン!!

 高らかに銃声が響いた。

 ダダダダダダ……

 続いてマシンガンの連射される音が聞こえた。武器も何もない、しかし遥を守る為、洋司は躊躇なく音のする方へと部屋を出る。



 その頃、遥はふらふらと何かに取り憑かれたように歩いて階段を上っていた。

 銃で戦っている様子はない。

 薄い生成きなりのワンピース、その長い裾がひらひらと揺れる。右手に銃をたずさえて薄暗い階段を、五階から屋上へ。

 虚ろな表情、目は瞬きさえ忘れている。

 古びたアルミのドアを開けると、湿気を帯びた風がもわりと入ってきた。流れに逆らうように進む遥、どこへ向かっているのかその先には空と鉄の柵しかない。

「遥!! 」

 空に向かう遥を洋司が叫び呼び止める。

 立ち止まる後ろ姿。

「遥、何をする気だ。戻ってきてくれ」

 振り返った遥は洋司に微笑みかけ。

「危ない!! 行くな!! 」

 また空を目指す遥、その背後に巨大な飛行物体、ピンクの光線が雨のように降り注ぐ。

「渚……」

 死に向かう遥の背中へなぜか助けられなかった想い人に重なる。

 洋司は駆け出していた。
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