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ChapterⅢ 日常
44.姿見せぬ敵 〜invisible enemy〜
しおりを挟む皆が寝静まる夜更け。
寝室に響く不気味な物音、窓が開き何者かが入ってくる。
ここが遥の寝室だと知っているのだろうか。侵入者は迷わず遥のこめかみに銃口を突きつけた。
「バイバイ」
楽しそうに言うと、指に力を込め引き金を。
その手を誰かが無言で握った。
「起きてたの!? 」
驚きのあまり声を上げた侵入者の唇にそっと指を当て、止める。恋人同士のような雰囲気で、ひそひそ小声で何かを話し頷き合うと銃を収め、どこかへと立ち去っていった。
「またね」
去り際、煌めく何かを一粒落として。
わずか数分の出来事。降りしきる雨に物音は消され、誰ひとり彼等に気付く者はない。
その朝、誰よりも早く目覚めたのは水野だった。
目を閉じていてもわかるほど異様な眩しさに襲われ、手で遮りながら目を開けると遠い空に爆発のような光が。人工的なネオンピンクの光が円のように、それは核とも炎とも違う、あまりにも強大なパワー。
行かなければ、そんな衝動に駆り立てられる。
銃を腰元に、髪をまとめると隣で眠る美蕾の横顔が目に入る。今出て行く訳にはいかない、双子の世話を夢瑠だけに任せられず遥もまだ回復には時間がかかるだろう。それに万一の時にはこの子達を、守らなければ。
初めて、現実に引き止められた。
「もう起きてるんですか? 」
目をこすりながら夢瑠が身体を起こす頃、もう光は消えていた。
何が起こったのか、知る術はない。
「朝食の支度をお願いします。私は子供達の着替えを」
「わかりました」
言いようのない不安を抑え込んで子供達を起こす。決して得意でもなければ好きでもない。一人はちっとも起きないし、もう一人は服を選ぶと言って持っている服を全部並べ始めるしで、何とも腹立たしい。
「このおようふくにするー! 」
そう言って選んだのは冬物のセーターにリネンのワンピース、季節感はどこに行ったのか。
「色の組み合わせはいいですが暑すぎます。そのワンピースにこのリボンを合わせては? それと袖がないと蚊に刺されますからこれを羽織りましょうか」
さっさと着せ替えてもじもじする美蕾の髪を手早く編んでやる。子どもなど、いなくてよかったとつくづく思う。
「わぁ~、かっわいい~♡ ミライこれにする、おねえさんありがとう! 」
でもこの笑顔を残して戦場へ行く事など、出来そうにない。
遥はなぜ、戦場に出たのか。
疑問が再び湧きあがる。海斗に捨てられたから……遥はそう説明した。しかし、あんな経験をした後もずっとロイド産業の先端にいた遥が本当に気づけなかったのだろうか。離婚が海斗の本心でない事も、英嗣の企みにも。
もやのような疑問を抱えたまま遥の寝室へ。
「具合はどうですか」
遥は窓の外、広がる世界を眺めている。
「きれいな海ですね……」
何が見えているのか、そこに海などない。ただ曖昧な色の空と枯れ草が広がっているだけだ。
「そんな事より朝食を持ってきました。煎じ薬も用意していますから早く食べなさい」
「ありがとうございます」
折れた左足の骨は接いだものの、内出血がひどく赤黒く腫れている。まともな薬も治療法もない時世、歩けるようになるにはしばらくかかりそうだ。
「次はどこへ行くんですか? 」
「何の話です」
「まだ……終わってないんでしょう? 戦争は」
やはり、遥も変化している。核心をついて人の腹を探ろうとするなど。
「囚われるのはおやめなさい。もう終わったのです」
「それならなぜ」
「新たな統治者が出てくるまでは混乱もするでしょうが、どうせ防衛軍の誰かが担ぎ出され、新政府が発足します。良くも悪くも元通りですよ」
「防衛軍……どんな人達なんですか? 」
「さぁ、私も知りません。おおかた逃げ延びた旧政府関係者や学者や富豪などでしょう。庶民には関係のない話です」
「そう……ですか…」
「そんな事より、あなたが考えるべきは自身の回復と子供達の事でしょう。後でここに連れてきますから」
「必要ありません。海斗は」
「まだ病院ですがじきに帰って来るでしょう」
煎じ薬の苦い香りが立ち上ってくる。
「薬が出来たようです」
「銃……私の銃はどこに? 」
「あの戦いで壊れ、使い物にならないので置いてきました」
「私と一緒ですね」
「は? 」
「貸してください、銃が…銃がいるんです! 」
「離しなさい、遥」
「いなくなるんでしょ? 私も連れて行って、お願いします」
錯乱する遥は止めても聞かず、腕を掴み必死で訴えてくる。何かに迫られるように怯え。
「いいかげんにしなさい!! 」
凄まじい力で掴んでくる手を何とか振り払った。
「あなたがしっかりしなくてどうするのです。私の事など構っている暇はないはず」
「私は兵士です。離婚もして子供も捨てました、命だって」
「ただ生命を粗末にしたいだけでしょう」
つい声を荒げてしまった。痛みで心が荒んでいるだけの相手に。
「薬を飲めば痛みも鎮まります」
縋る遥を振り払い、無理に話を断ち切った。どうしても遥に優しく出来そうにはない。
「昨日、何があったのです」
煎じ薬を夢瑠に任せ水野は内藤の部屋へ。入るなり眠っていた内藤に詰め寄り、遥の異変の訳を問いただす。
聞いた内藤は顔を曇らせ黙るしかない。
昨日、市場で起きた事は軽々しく話せるような内容ではない。遥の名誉を、尊厳を傷つけてしまう……親しい人間になら理解してもらえるとは限らないと、内藤は考えていた。
内藤は、水野の哀しい過去を知らない。そして水野もまた、初めて出会った日まで内藤がどんな風に生きてきたのかを知らない。
黙ったまま、沈む表情に水野は鋭く突きつける。
「まさか、嫌がる遥を無理に我が物に? 何者かに襲われ助けた事を盾に脅したとか」
長らく闘いを共にしてきた同志がそんな事をするとは水野も思っていない。反論を求めて仕掛けた喧嘩、しかしそれでも内藤の口が動く事はなく沈んだ表情で物思いに耽っている。
異様なのは遥だけではない、埒が明かないと判断した水野は溜め息を残し部屋を出る。
一人の部屋、内藤は頭を抱え苦悩する。
そして、壊れた遥の心を置き去りに物語は進んでいく。
「大丈夫? 」
昼過ぎになってようやく帰ってきた海斗は遥の部屋へ。眠りもせず横になり天井を見つめる瞳に声を掛ける。
頷きもしない遥に、怪我の具合を見るねと優しく声を掛けて足に巻いた包帯に触れようと。
「ぃやっっ!! 」
「ごめん……痛かった? 」
その瞬間、小さく叫んで遥は怯えた。上がる息に胸を抑えて震えている。
「遥? 」
「いって……」
「ん? 」
「おねがい、子供達を連れて行って……それから夢瑠もシェルターに帰ってもらって。一人にしてほしいの」
「何言ってるの、ちゃんと治療しないと」
「お願い! もう……無理」
その言葉に、海斗は手を止めた。
「わかった」
言ってはいけない一言を、遥は言ってしまったのかもしれない。道具を持って海斗は遥に背を向ける。
「また来るよ」
明らかな拒絶は夫婦の終わりを示しているのかもしれない。海斗は言葉を残し、部屋を出ていこうと歩き出す。
「離婚してるのに……置いてくれてありがとう」
立ち止まる海斗、遥が何を言っているのか理解できない。それでも問いただす気力はもうなかった。
「どうだった? 」
「蓮、美蕾、すぐにお泊りの支度して」
「え? 」
二階から降りてきた海斗は夢瑠の問い掛けに答えず、遊んでいる子供達を急かして身支度をさせる。
「水野さん、どうして」
「さぁ……様子からしてまた遥に拒まれたのかもしれませんね」
「そんな……」
不安そうな夢瑠、水野は海斗の腕を掴む。
「今、離れたら終わりますよ」
「仕方ありません。遥がそうしたいのなら」
「まさか遥がそう言ったのですか」
「いえ、ただ子供達の事を頼まれました」
海斗は遥とのやり取りに少しだけ嘘を加えた。遥が非難されない為の思いやりか、それとも自分が傷つかない為か。
「子供達に申し訳ないと自分を責めているようで、しばらく一人になりたいと。いつまでも二人に任せているのも気が引ける、一人で治療に専念したいと言っていました。幸い、患者も少し減りましたし病院に連れていきます」
ママに行ってきますと言いたがる子供達をなだめ、夢瑠もシェルターに帰るよう促し、皆この家を出ていく事に。
「私は残ります。他に行く所もないので」
「お願いします。必ず、様子を見に来ますから」
遥と内藤、二人分の看護をする為に水野だけが家に残る。
「どういうつもりですか。一人でも人手が多い方がいいというのに」
何も言わない遥相手に不満をぶつけながら布団を整える姿はまるで母のよう。
「お母さんみたい……」
「馬鹿な事を言ってないで」
「樹梨亜のママがそうだったんです」
遥は昔話を、ケンカしながら協力し合う二人が羨ましかったと話す。
「今はあなたが母なのですから、そういう関係を築けばいいでしょう」
「海斗、夢瑠とケンカしたそうですね……由茉さんともよく言い合っていました」
「互いに遠慮しすぎです。言いたい事を言わなければ溝が出来るのも当たり前、まして遠ざけていては本当に終わってしまいますよ」
それ以上、遥は何も言わなかった。薬剤を塗って包帯を結び、何気なく床に視線を落とした水野の動きが不自然に止まる。
「これは……」
拾い上げたのは赤い、ルビーのピアス。
「あなたの物ですか」
「あ、はい…」
なぜかとっさに遥はごまかす。
「返してください」
「これは、お借りします」
水野は憶えているだろうか。そのピアスに宿る物語を。
そしてその頃、病院側では。
「蓮君、ミラちゃんもおかえりなさい♡ 」
遥を失いかけた寂しい面々に笑いかける由茉。
「ごめんね、仕事もあるのに」
「いえ、任せてください」
簡単に尻尾は出さない、しかし姿見せぬ敵は虎視眈々と獲物を狙っている。
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