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ChapterⅢ 日常
43.溜め息 〜sigh〜
しおりを挟む巨大な夕陽が赤く燃え、今まさに堕ちていこうとしていた。
夢瑠も水野も、戻ってきた海斗も青い顔をして二人の帰りを待っている。子供達は何が起きているのかよくわかっていない。大人達が醸し出すただならぬ雰囲気を感じながら、パパの隣に。
「大丈夫、内藤は必ず遥を守ります。戦場でもそうしてきたのですから」
水野の言葉は励ましになるのか。日が暮れてしまえば外は更に危険が増す。大人達は窓の外、暮れゆく陽をもどかしく眺める。
「ママだ!! おじちゃんもいるよ! 」
物音もしない玄関に向かい蓮と美蕾が駆けていく。玄関の重い木の扉を二人で開けるとそこには。
「ママ! ママ、ママ! 」
「ただいま、遅くなってごめんね」
内藤に抱きかかえられた遥が。
「遥……」
海斗は駆け出していた。子供達が見ている事も忘れ、地面に降り立つ遥を抱きしめようと手を伸ばし、そして。
拒まれた。
「奏翔さん怪我してるみたいなの、止血はしたけど早く診てあげて」
「俺は大した事ない。お前が先だ遥、骨折れてんだろ」
いたわりあう二人に海斗の表情は曇る。
周りにいる誰もがはっきりと見てしまった。内藤の腕に抱かれて帰ってきた遥が海斗の手を拒んだ瞬間を。ひとりだけ、後ろから遥の背を見ていた内藤だけがその哀しい理由を知っている。
「そ、それは大変。はやく何とかしてあげなきゃ、ね、カイ君」
「日が暮れます。とにかく中へ」
立てない遥を夢瑠が支え、ショックで固まる海斗を水野が促して家の中へ。
「それからね、パパ。いいお肉が手に入ったの。それから本物のじゃがいもとにんじんも、カレー粉もあるのよ。これで子供達に美味しいカレー作ってあげて、ね? 」
傷つく海斗に大きな袋を差し出す遥、まるでいつかの若い頃のような笑顔。
内藤は目を伏せる。
あまりにも場違いで異様な笑顔、空気が凍り大人達の表情は引きつる。言葉を返せない海斗、とうとう遥は壊れてしまった。
「あいつは。大丈夫か」
「右足の骨が折れていました」
肩の傷にガーゼをあてながら海斗は硬い表情を崩さない。
「側にいてやらなくていいのか」
「大丈夫だからと追い出されました。早くカレーを作ってやれと」
「あいつらしいな」
あいつらしい、内藤は言葉に意図を忍ばせる。遥の性格を知っているならわかるはず、海斗を嫌っているのではなく拒むしかない哀しい理由があるのだと。
「勝負は、ついているのかもしれませんね」
しかし海斗はそれに気づかない。
「勝負を放棄したのはお前だろ。何日も帰ってこないであいつに子供達の世話押しつけて」
「それはこっちにも事情が」
「何だよ、事情って。遥より大事な事が他にあんのかよ」
「いえ……」
心を読まれぬよう海斗は目をそらす。互いに言えぬ事のある会話は続かず、もどかしい気配が場を支配する。
「戦場で……二人は助け合ってきたのだと聞きました、水野さんから。何があったんですか? どうして遥までもが首謀者を」
「終わった事だ」
「教えてください」
「そんな事より、子供達にちゃんと教えてやれ。今は好きな物が好きな時に食べられる時代じゃない。あの歳で親を亡くす奴だって大勢いるんだ」
「わかっています。でもせめて子供達には」
「甘やかしすぎだ」
「あいつらの為にならない」
「そんな事! あなたに言われる筋合いはありません」
勢いに任せ海斗は立ち上がった。
「それと、さっきの質問。間違っても直接聞くなよ、あいつに戦場を思い出させるな」
出て行く背中に内藤は念を押す。再会した海斗に危うさを感じる。苛立ちを隠せず怒りながら階段を降りていく海斗、音の響く部屋にため息が漏れる。
「カイ君、どうだった? 」
「子供達は? 」
「あそこ…」
苛立つ海斗に夢瑠は目配せを。
「ぎこちないけど……苦手だって言いながらちゃんと遊んでくれてる。料理はできないんだって」
「そう……」
海斗は溜め息をつく。
「どうしたの? 」
「甘やかしすぎだって。肝心な事は何も言わないくせに子供達に我慢させるよう教えろとか、親を亡くしてる子供だっているとか、そんな事わかってるよ。それでもこんな時代だって子供には好きな物をお腹いっぱい食べさせたいって思うのが親だろ。親になった事がないからわからないんだ」
海斗は溜まっていた愚痴を猛烈な勢いで吐き出してしまった。言い終えて生まれた沈黙で眉を曇らせる夢瑠にやっと気づく。
「ごめん……」
「それは……私もそう思うかな」
夢瑠は遊んでいる蓮と美蕾を眺め、呟く。
「あの子達、充分幸せだと思う。パパとママがいて、ゆっくり眠れる家もあって……確かに私達の生きた時代よりは過酷だけど、シェルターにいる子達よりは幸せで……言いにくいけど、ちょっとわがままだと思う」
「夢瑠ちゃんまで」
「ごめんね、わかってるつもりなの。ハルちゃんとカイ君が何よりあの子達を大切に想っていること。私も蓮君と美蕾ちゃんが大好きだし、幸せでいてほしい」
「それなら」
「だからこそ、お金や立場を使えば特別になれる事を知ってほしくないの。そんな大人になってほしくない」
「どういう……意味? 」
「オムライス、作ってあげたんだってね。あの子達から聞いた……パパとユマちゃんが持ってきてくれたって。病院の患者さん向けに」
「それは誤解だよ。あれは患者用の食材なんかじゃないし、彼女が蓮と美蕾の為を思ってしてくれた事だ」
「かばうの? 」
夢瑠の瞳が海斗を凝視する。
「由茉さんが贅沢を教えたからあの子達はハルちゃんにカレーライスをねだったの。そんな事された後でハルちゃんが、あの子達に我慢しなさいって言えると思う? 」
何も言えなくなる海斗、うつむく口元にはまだ怒りが。
「カイ君……どうしたの? 最近、ちょっと変だよ」
「悪いけど病院に戻らないと」
「え? ちょっと待ってカイ君」
「遥の事頼む」
「カイ君! 」
夢瑠が止めるのも聞かず、海斗は病院へ戻っていってしまった。
「カイ君のバカ……」
夢瑠はもどかしい想いを抱えていた。今までも、これからも変わらないと思っていた遥や海斗との暮らしが、目の前で永遠が崩れようとしている。
予感を夢瑠は察知していた。
「夢瑠、どうかした? 」
夢瑠の異変は遥がすぐに察知した。
「ううん……ごめんね、ハルちゃん。カイ君とケンカしちゃった、夢瑠が余計なこと言ったから」
「ケンカ……海斗と? 」
「うん、だってカイ君があんな子かばったりするから」
「由茉さんのこと? 」
「うん……あっ、ハルちゃんごめん」
「いいの。夢瑠、ありがとう」
哀しい、どこまでも哀しいありがとう。動かなくなった顔の筋肉から、もう表情は読み取れない。
「由茉さんは海斗の大切な人だから当然だと思う」
「何言ってるの……カイ君の大切な人はハルちゃんだけよ」
遥は目の前に置かれたカレーを少しだけ掬い、口に入れる。
「おいしい」
「ハルちゃん……」
海斗が作ったものでない事はすぐにわかっただろう。夢瑠の作るカレーは遥と一緒に親友の樹梨亜に教わったレシピ、海斗の作るカレーは、子供達が大好きな自己流のレシピだ。
「あの人にも言ったけど……私、海斗とやり直す為にここに戻ってきたんじゃない。もう一度いい母親になる為に、役割を果たす為に戻ってきたの。でもだめね、結局、何の役にも立たない」
「そんな事……おかしいよ、家族って役に立つとか立たないとかじゃないでしょ。カイ君だって、蓮君や美蕾ちゃんだってハルちゃんがいてくれるだけで」
遥は暗い窓の外を眺める。
海斗とはもう……その横顔はそう言っているよう。
「ハルちゃん」
夢瑠は優しく語りかける。
「もし……カイ君と別れるなら夢瑠と一緒に暮らさない? シェルターじゃなくてどこか小さな家で、ううん、ここでもいい。蓮君と美蕾ちゃんも一緒に」
「夢瑠」
速くなる言葉、夢瑠の強い想いが一気に溢れ出る。しかし、その言葉を遥は遮った。
「蓮と美蕾はパパに懐いてるから……それに、夢瑠もシェルターで兄貴を待ってなきゃ」
暗く、沈んだ瞳と向き合う内に夢瑠の心は不安の黒雲で覆われていく。
「カレー、ありがとう。おいしかった」
二人の時間さえ終わらせようとする遥に夢瑠は激しく揺さぶられる。怪我が治って足が動くようになれば……いや、動かない足を引きずって、無理してでも遥は出ていってしまうかもしれない。
「あの人と……行くの? 」
「夢瑠……」
「それはだめ! 嫌なの……嫌だよ、ハルちゃんどこにも行かないで、みんなでいようよ。二人でお兄ちゃん帰って来るの待ってようよ。必ず、必ず帰って来る、死んだりするはずないんだから! 」
夢瑠の想いは遥の心に響いただろうか。こんな足じゃどこにも行けないからと夢瑠をなだめる遥の表情に微笑みはなかった。
その夜は動けない遥に代わって水野と夢瑠が寝かしつけをしていた。
「カズ兄はね、おこるとこわいけどやさしいんだよ」
「ミライのこと、小さい頃のママみたいでかわいいっていってくれたの」
子供達ははしゃぎながら水野に和樹の話をする。
「あのおじちゃん、ちょっとカズ兄に似てるねぇ」
「こわいけど、ママのことだいすきなんだよね」
「もう、全然似てないんだから変な事言わないで」
遊び足りない子供達にお話を聞かせ、何とか眠らせた夢瑠。
「ご主人は今どちらに? 」
子供達の寝息を間に挟み、話す二人。
「死にました。いつもの通りコスモポートに出勤して、そこで襲撃に」
「それは……配慮が足りず申し訳ありません」
「あなたにまで……そんな風にされると張り合いがありません」
夢瑠はふぅと溜め息をつく。
いつも遥が寝ている場所、左側の天窓からきれいな星空が見えるらしいけれど、今日は降りしきる雨で見られそうにない。
「よく降りますね」
「えぇ……」
話す事もない夢瑠と水野の夜は更けていく。
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