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ChapterⅢ 日常
37.帰ってきた日常 〜The daily life that came back〜
しおりを挟む家族の想いを感じ、遥は家に戻った。
一度は諦めた幸せを取り戻し、喜びにあふれ笑顔が抑えきれない海斗。もちろん子供達も……。
「ママ、ねぇママ! 次は鬼ごっこしようよ」
「だーめ! ママはミラちゃんのお洋服つくるの! 」
「ごめんね二人とも。そろそろ晩ごはん作らないと……」
『だーめー!! まだ遊ぶの! 』
ママを取り合う子供達をなだめながらも、少しずつ必要とされる感覚を思い出す遥。妻として母として戦場を忘れ、懸命に日常に戻ろうとしている。
「じゃあねー、鬼ごっこしてー、こねこねしたら」
「ミラちゃん、お洋服ずっとがまんしてるのに……」
「ごめんね、美蕾。ご飯のあと必ず作るからね」
結局、美蕾の洋服と晩ごはんは後回しにして鬼ごっこで遊ぶ事に。小さな庭で遊ぶ三人の姿を二階から、内藤は密かに見つめていた。病院が本格的に診療を再開した為、内藤も仕方なくここに移ってきた。今は遥と子供達のにぎやかな声を聞きながら、日々を穏やかに過ごしている。
「すみません、遅くなりました」
「おぅ、無理言って悪いな」
海斗が部屋に入ってきて、内藤はカーテンを閉める。ここに来て数日が経ち、体調も回復した内藤は出て行くつもりで最後の診察を海斗に頼んでいた。
「すごいな、お前」
「何がですか」
真剣な眼差しの海斗を感慨深げに見つめる内藤。
「あの爺さんに聞いた、二つ飛び級の首席卒業だってな。しかも働きながら子供達の面倒まで見て、こんな家まで用意してやれるんだからさ、すごい事だ」
黙ったまま血圧をはかり採血をして……何も言わない海斗に内藤は続ける。
「あいつ、お前で……正解だったな」
その言葉にほんの一瞬、海斗の眉が動く。
「あなたが優秀な脳システムを入れてくれたおかげでしょう、実力ではありません。それに子供達も病院もこの家だって……遥が守ってくれていたんです。家賃も生活費もずっと遥が、何も言わず。それなのに責めました。なぜ仕事を辞めないのかと」
海斗は、遥が眠っている間に洋司から真実を聞かされていた。仕事を辞めなかったのはお金と配給の食料目当てで夜更けに出かけていた先は洋司の病院……育児や仕事に支障をきたさないように敢えて深夜、自己血採取と診察を受けていたのだと。内藤は五年前から海外に行っていて、遥と関わりがなかった事も……全ては自身の猜疑心から来る妄想だった。
心の底からにじみ出る悔いに、海斗は目を伏せる。
「今度は、お前の番だな」
いつか橋本にされたように、内藤は笑いかける。人の心を知らなかった内藤は遥と過ごし、少しだけその表し方を学んだ。
「一つだけ言っとく。お前の脳は作られたシステムなんかじゃない、自分の細胞から生まれてきた本物のお前の脳だ」
「それは伯父からも聞きました。でもありえません、今の医療技術では」
「あの爺さんならできる。全部あの人がやったんだ、俺は何の役にも立たなかった」
人間になったという洋司の言葉を、海斗も遥もあまり信じてはいなかった。どう考えても完全なる一人の人間を作り出す事は難しい、恐らく内藤の作った脳システムで動いているのだと。海斗に至っては遠隔管理で支配された自分が遥と仲違いするように仕向けられていたという英嗣の言葉を、信じてしまっていたのだ。
「俺が言いたいのは、全部お前の実力だって事だ」
内藤の声が静かな部屋に響く。
「お前はもう人間だ。あのカチカチ言う音だって、耳にプレイヤーねじ込まれただけだったぞ。俺が投げ飛ばした後、音してなかっただろ」
子供だましの小細工だと笑う内藤、思い返す海斗にもうっすらと記憶が。あの手紙を書いた時、カチカチ鳴る音に急かされて……そう書きながらも音が止んでいた事に。残された時間が短いだけだと、思っていた。
「あの時、言ってやればよかったな。悪かった」
内藤は今度こそ、思い残す事なく消え去ろうとしていた。
「会わなくて……いいんですか。せめて別れを」
「思い出させたくない」
最大の心残りを海斗に預けて。
「戦場での事、赦してくれ。あいつは嘘がつけないから……いつか全てをお前に話すかもしれない、それでもあいつを赦し、信じてやってほしい。何もかも、あいつの望んだ事じゃない。俺が無理やりした事だ」
「わかりました」
二人の会話が終わる頃には、子供達の声も聞こえなくなっていた。
「念の為、採血の結果が出るまではここにいてください。今夜はだめですよ」
「わかってるよ」
海斗は部屋を出る。医師らしい言葉だけを残して。
「パパだー! 」
「ねぇパパ、ごはんまであそんでよぉ」
喜び飛び跳ねる声を聞きながら、内藤は心地よく目を閉じた。
深夜、遥は子供達の服作りに励んでいた。
美蕾には約束の通りワンピースとお揃いのリボン、そして少し背が伸びた蓮にもシャツとズボンを。自分のワンピースを裁断して一針一針、丁寧に……こんな愛情の込め方をする母親になるとは遥自身、思っていなかった。若い頃、クッカーがあるのにわざわざ料理をする母親の気持ちがどこか理解できなかったけれど……きっとこんな気持ちだったのかもしれない。
何でもしてあげたい……リビングのソファでろうそくを灯してまた一針、蓮と美蕾の笑顔を思い浮かべている。
そうしてまた朝が。
針仕事を終えた遥は、明るくなり始めた空を見て外へ。納屋へ行き数種類の粉を計量してキッチンに運ぶと水と混ぜて捏ね、朝食を作る。
戦争で狂った歯車を子供達の為に戻す、内藤や遥の決意によって物語は静かに終わっていくのかもしれない。
生地を丸く切ってスープの中に。団子がぷわっと浮いてきて、すいとんのような物が出来上がると火を消して子供達を起こしに行く。
「ママ……パパは? 」
「パパね、夜遅くにお仕事入ってもう出かけちゃったの」
「そっかぁ……」
朝からしょんぼりなパパっ子美蕾の髪を優しく撫でて寝起きの悪い蓮を起こし、トイレに着替えに朝ごはん、口をゆすいで水を使い切ると子供達を連れて水汲みに。元気な盛りの子供達を一人で見る時間は怒涛、可愛いといえどその暴れっぷりに遥はふらふら。
「ママ、次ママの番だよ! 」
「えっ、えーと、どこまでいったっけ」
「もう、ママったらレンがウマって言ったからママはマのつく言葉なんだよ」
「ごめんごめん、じゃあ…マ…」
「ママだいじょうぶ? 」
「うん、マね、ママ」
「きゃー、ミラちゃん、マだぁ」
しりとりをしながら沢までの道を、子供達と桶を乗せた台車を引いて必死に歩き、何とか行って帰ってきた。
「あっつ~い! 」
「レン、つかれちゃったぁ…」
「そうだね、汗拭いてお着替えしたらお昼寝しよっか」
汲んできた水を瓶に移し、冷たく絞ったタオルで身体を拭いて、その間もキャッキャと走り回る子供達は寝室に行っても眠ることなく跳ねて遊び、寝たのは一時間が過ぎた頃。
「はぁ……」
思わず出る溜め息を置いて立ち上がると今度は夕食の仕度にキッチンへ。食料を節約しつつ、でも子供達がひもじい思いをする事がないようにと、あれこれ考えを巡らせている。
その頃、海斗は洋司や由茉と共に入院患者の回診をしていた。
「胸の音、聞きますね」
海斗の動きに合わせて隣でアシストする由茉、その無駄なく息のあった動きを患者達はじっと見ている。
「口、開けてください」
「体温35度7分、血圧136の80で安定しています」
「よし、いいね」
代々、医師の家系に育ち知識も経験も豊富な彼女は、ここに来た4年前から海斗が医師として一人前になるのをサポートしてきた。仕事もできて優しく面倒見がいい……由茉は皆の人気者で誰もが認める海斗の良きビジネスパートナーだ。
「海斗先生」
また一人、細長い顔の医師が入ってくる。
「西田先生、どうしてここに……」
彼は原田総合病院に勤務する医師の一人。由茉目当てに時折、応援に来ては大した仕事もせず喋ってばかりいる迷惑な医師だ。今日も由茉にウインクするが無視されて苛立ちを海斗に向ける。
「いやぁ、さらなる受け入れありがとうございます。今5名連れてきたんですがまだいけそうですね、また15名ほど来ますから」
「え!? ちょっと何の話ですか。うちは了承した覚えありませんよ」
「今更そう言われても来てしまいましたから。師匠である原田先生が頑張っておられるのに、まさか帰るおつもりですか」
「でも、こっちにはこっちのスケジュールが」
「医師たるもの! 」
患者達の前で突然、西田は大声を出す。
「仲間と助け合い一人でも多くの苦痛を癒し、人命を救う事に命を懸けるが使命! 勝手な行動は許されませんよ」
帰らなければならない、いつもは相手にしない海斗も西田を睨みつけ怒る。
「さ、さぁ、海斗先生いきましょ! 」
患者の前で揉めだす二人。さすがに患者達の目を気にした由茉が海斗を連れ出して、事態は収まった。
「ごめん……帰るよ。家にも病人がいるんだ」
「いいんですか」
離れていく背中を、今度は由茉が引き止める。
「街の人達に遥さんの事、いい奥さんだって思ってもらうチャンスかもしれないのにずっと隠し続けるつもりですか。それに……帰れない日がある事ぐらい、医師の妻なら理解しているはずです」
遥の為……その言葉に海斗の足は止まった。
遥は襲いかかる罪の意識を努力で振り払おうとしていた。もうすぐ海斗が帰ってくる、キッチンで夕食作りに励む遥。しかし、その日の夕食を作り終えることはできなかった。
「遥、遥、しっかりしろ! 」
遥は倒れた。
崩れ落ちた遥を支えたのは海斗でなく内藤だ。
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